古びた本棚:

この世に生まれて半世紀、若い頃から本を読むことは割合好きだった。
小学6年で親が読んだ後の「路傍の石」や「武器よさらば」を暗い裸電球の下で読んだ記憶があり、それ以来コツコツ読書を続けてきた。

しかし最近はほとんど本を読まなくなった。理由は通勤時間が短くなって自由時間が減ったこと、本当に面白い本が少なくなったこと、等々色々あるが、やはりいちばん大きな影響はネット生活が主になってしまったことがあるだろう。
若い頃、特に独身時代はものすごい読書量だった。というのも私は非常な速読で、文庫版の小説なら2〜3日で終ってしまうくらいである。何故速読なのかは自分でもわからない。しかも速読でもストーリーとか作者の意図を外すことはまずないと言っていいだろう。そこは自分でも不思議に思えるのだが。

で、50を過ぎて、この際だから今までの本の中で印象に残った作品を整理し、取り上げることにした。そしてこのプロセスを通じて私のものの考え方、思想的原点がどこにあるのか発見できればと願っている。そうはいえども私は乱読タイプなので支離滅裂という結論になるかもしれないが、それはそれでよしとしよう。

タイトルだが、改めて本棚の整理をするにあたり、よく考えると結婚した当初に買ったものが20年を過ぎて古びたままになっていることから「古びた本棚」とした。さらに中高年になった私の考え方は「もう古い」という意味合いもある。
ただ整理とともにここに掲載するにあたり、今や家には残っていないものが結構あるので、記憶をたどりながらの記述になろう。従って一部正しくない記述もあるかも知れない。その時はご容赦願う。もし誤りを発見された場合は掲示板などで指摘いただければ幸甚である。

沈まぬ太陽:(10.08.09)
私の教科書批判:(05.04.10)
ガラスのうさぎ:(05.03.10)
火垂るの墓:(05.01.23)
British Museum Guide:(04.05.29)
豊かさの条件:(04.01.25)
ジャッカルの日:(04.11.06)
Windows95裏ワザ大全:(03.07.27)
インターネットの秘密:(03.07.25)
図解でわかる サーバのすべて:(03.07.18)
NHK趣味悠々・ホームページはむずかしくない:(03.06.09)
PC-Techknow8800mkII:(03.06.09)
電気通信工学:(03.06.08)
悪魔の飽食:(03.05.17)
豊かさとは何か:(03.04.13)
昭和史発掘:(03.03.30)
橋のない川:(03.03.15)
Airport International:(03.02.22)
教育の森:(03.02.16)


沈まぬ太陽・全5巻山崎豊子著・1999 新潮社

映画にもなったので細かいことは省くが、「華麗なる一族」や「不毛地帯」など実在の人物をモデルにした小説を書いてきた山崎豊子の著作の中でも、「沈まぬ太陽」はほぼ100%近い実話で構成されている。ただ、御巣鷹山の日航ジャンボ機墜落事件に関する部分は逆に100%フィクションなのだが。
モデルになった故小倉寛太郎氏は東大卒業後に日本航空に入社、その後労組委員長を務めたことからいわゆる「エリート」を外され、その中で節を曲げない性格を貫いた。これが「沈まぬ太陽」というタイトルになっているゆえんでもある。
彼のような、理非曲直、反骨の精神を持った性格に私も共感を覚える。また数多くの人達も読み、映画になるまでのベストセラーになったのである。
悲しいかな、今の日本には辛口の「ご意見番」を忌み嫌い、それどころか主人公恩地のケースのように迫害する傾向が非常に強い。しかし物言わぬ多くのサラリーマンの本心は、恩地の態度に拍手をおくる。だからこそ出版社がキャンペーンをしなくてもミリオンセラーになった。

私の教科書批判1972 朝日新聞社

内容はタイトルの通りで、朝日新聞に1970〜72にかけて週1回連載されたものを本にしたものである。社会、国語など小中学校の9教科の教科書をこれまた9人の「素人」が批判を加えたものである。
「歴史」の批判は言うまでもなく松本清張である。曰く「事実の羅列ばかりで、流れとか背景を軽視している」と手厳しい。もし彼が生きていて「扶桑社」の教科書を見たらボロクソに言うだろう。
全体的に見て、いずれの執筆者も指摘しているのが「文部省の学習指導要領に忠実すぎる」ことである。今年の検定済み教科書でもそうだが、歴代の文部行政の考え方は30年以上経っても変わらない。本書(というか新聞連載)では過激すぎると思われたのか誰も直接には触れていないが、「検定」は実質的な「検閲」でしかない。検定で付けられたコメントに逆らうことはパスしないということを意味し、また学習指導要領に沿った書き方を要求されるので「国定」教科書でもある。
話が「私の」教科書批判になったが、本書が指摘した教科書の問題点は未だに解決を見ていないし、政府も変える意思はまったくないようだ。

ガラスのうさぎ高田敏子著・1977 金の星社

これを書いているのは2005年3月10日、すなわち東京大空襲から60年目の日である。
著者の実体験であるが、空襲で母と妹を失う。ガラス工場だった焼け跡で、職人であった父とともに焼けて溶けたガラスのうさぎを見て、どれだけの火であったかを思い知らされる。
そしてその父も疎開先で機銃掃射を受けて亡くなり、12歳だった彼女一人で葬式を行うことにもなるのである。
この話は一度NHKドラマになった。その後も教育の場で教材になったりしながら、最近はアニメ映画化もされている。
何しろ今の子供たちは私たちのような「戦争を知らない子供たち」を取り越して、当時の情景や服装に至るまで、本を読んでも想像が付かないのだから、アニメのほうが分かりやすいのである。本当に戦争は遠くなった。
著者自身も70歳を越えて、次第に生身の戦争を体験した世代が消えていく中、我々の年代もそうだが、人一倍の努力がなければ戦争の悲惨さを伝えることはできない。

火垂るの墓野坂昭如著・1972 新潮文庫

映画化されて有名になった作品だが、オリジナルは軽い短編でさっと読める内容である。だが映画にもあるように、戦後の焼け跡で命を落とした兄妹の話は人の心を打つ。
高齢の方なら戦災孤児を沢山見られたことと思う。そうした悲劇は今もイラクであるし、またインドネシアの津波災害で孤児となった子供たちは少なくない。人身売買もあるという。戦争や災害で真っ先に被害にあうのは老人と子供。そうした悲劇を繰り返さないようにという思いを、この作品は伝えている。
なお、文庫版には他に「アメリカひじき」などを含めて計6作が収められている。

British Museum GuideThe Trustees of the British Museum・1976

大英博物館の公式ガイドブックである。1978年末にイギリスへ行った時、大英博物館を訪ねた際に買ったものである。本棚をちょっと整理していたら出てきた。
写真は少なく、説明文が中心で、読むとドッと疲れる。しかしきちんとした内容だから理解しやすい。
数年前のイギリス出張では行くチャンスがなかったが、以前の訪問で記憶が残っているのはエジプトのミイラと、メソポタミアの円筒型印章である。
ところで、このガイドブックを読んでいると、「盗賊博物館」とあだ名が付いている理由がよくわかる。とにかく植民地時代のエジプトで発掘したものを、ごっそり持ち帰ったのだから。

豊かさの条件暉峻淑子著・2003 岩波新書

前作の「豊かさとは何か」から10年以上経って日本の現状はどうなったのか、著者の嘆きが聞こえてくる続編である。はっきり言って、さらに悪化しているという著者の認識に全面的に同意する。
何故こうも悪化するのか、著者はその原因を突っ込むことはしていない。むしろ団結と共同の社会を作る努力をすることで、どん底から這い上がろうではないかと呼びかけている。
このコラムで以前書いたように私の認識は、原因を作り、さらにこれでもかと「痛み」を叫ぶ「銀行をはじめとする一握りの大企業と歴代の政府によって」世界に類をみない異様な国家にされていることにある。それともうひとつ、我々庶民が辛抱強すぎるのではないかとも思う。
それはともかく、著者は新しい未来社会への展望を語り、またその条件として競争よりも共同をと説いている。競争は人間の不安をあおり、なおかつ社会が負担するコストも高くつく、という。これは説得力のある視点だ。

ジャッカルの日Frederick Forsyth著 篠原慎訳・1979 角川文庫

70年代を風靡したフレデリック・フォーサイスの第1作である。映画化もされたからストーリーをご存知の人も多いと思うが、簡単に言うとフランスの故ドゴール大統領暗殺事件を描いたものである。ドゴール暗殺団がイギリス人を雇ってドゴール暗殺を企てるのだが、そのストーリーの早い展開には感心させられる。とにかく飽きない。
著者のこういった特徴は他の初期の「3部作」に共通しており、読む人を飽きさせない。「3部作」というのは、本書の他に「オデッサファイル」、「戦争の犬たち」を指す。
実はこの3冊ともひととおり原文を読んだのだが、さすがに小説となると私の力では歯が立たない。辞書なしで「打率3割」ではあらすじさえ掴むのが困難で、和訳を読むしかなかった。
フォーサイスの作品は、ジャーナリスト出身であることから政界の裏話とか、ナチスの裏組織のようなことに触れたものが多い。また彼自身も「戦争の犬たち」で描いた外人部隊に関わったこともあるという。それだけに暗黒社会からは睨まれていたのではないかと思われる。
そういう理由かどうかはわからないが、4作目は旧ソ連の内幕に迫ろうとした「悪魔の選択」が出た。しかし何となく「埋め合わせ」をしたような作品で、これ以降、彼の作品は読まなくなった。

Windows95裏ワザ大全Kay Y. Nelson著 テクニカルコア訳編・1996 翔泳社

内容は「裏ワザ」というほどのものでない。原題は"Mastery Tips & Masterful Tricks"となっているように、便利な小技の集大成といったところか。こういう技のことを個人的には「生活の知恵」と呼ぶことにしているが。
本書の入手経路は変わっている。1998年、会社に入った新しいPC十数台のうちの1台が不良品であることがわかり、後日交換品が送られてきたのだが、ダンボールの中に緩衝材の一部?として本書が挟まれていたのである。
これには訳がある。ウチの会社は毎年ン百台のPCを発注するので、メーカーでは特別なロットとして製作・出荷する。但し販売ルートはメーカーの販売子会社を通じる。しかし不良品は販社で交換することになっており、たまたま1台だけの不良だったので余っていた別の機種に手を加えて緊急に出荷することになった。だから工場出荷したときの箱ではなく、あり合わせの箱にPCを入れたので発泡スチロールの他に不要?となった本を一緒に詰めたらしい。だから後で「返してくれ」とは言ってこなかった。
Windows95が出て間もない頃の著作であるために、内容はWindows3.1との比較を中心とした記述が多い。そうは言っても結構未だに使えるテクニックは多い。私の印象に残っているのは、デスクトップをそのままスタートメニューに取り込む方法である。これを使うと全画面表示のウィンドゥを最小化しなくてもデスクトップにある別のアイコンを新しく起動できるのである。

インターネットの秘密HIROMI著・2001 ローカス

トップページに宣伝ロゴを載せたからといって、何も改めて宣伝文句を並べようというのではない。拙サイトの一部が紹介されたというケチな根性でなく、内容全体としてもネット社会に出入りしようという人達、特に初心者にはぜひとも読んで貰いたいと思うからである。
書店の店頭には初心者向けと称するPCやインターネットの解説本が並んでいるが、一般的マナーについて述べているもの、読者に対して「ユーザーとしてこうあって欲しい」というメッセージを訴えるものは本書以外にないだろう。特にマナーに関して「人間性の問題」ということを著者は強調しているが、サポートセンター勤務の経験から裏付けられた発言にはうなづけるものがある。
また、昨今のネットにまつわる犯罪や品性を疑われる行動がマスコミを騒がせているが、そういう問題を起こしたり、トラブルに巻き込まれないようにするためのヒントもある。
ところで、私の手持ちの一冊は著者HIROMIさん自筆のサイン入り。これだけはぜひとも棺桶にまで持って行きたい(笑)

図解でわかる サーバのすべて小泉修著・1997 日本実業出版社

昨年に会社のLAN講習で使われたテキストである。講師曰く、LANに関してはいちばんお薦めの本らしい。
書かれたのは1997年だから、ISDNなどもまだ大衆化していない時代、もちろんADSLは実用化されていない頃である。しかし会社内でのLANを解説した部分は非常に詳しく、かつ現在でもそのまま通用する内容である。逆に言えば、サーバー単独での高速化・大容量化は進んだものの、LANの技術は一定程度完成したものと考えて良いかも知れない。
その一方でLAN関連の機器は非常に安くなり、一般家庭でもLANを組めるようになったし、個人でのLAN構築、自宅サーバーの立ち上げもできるようになった。
私自身はこの本を読んで、今までの断片的知識の整理ができたように思う。またLANでのトラブルの原因を推定できるようになった。その意味で価値のある本と言えるだろう。

NHK趣味悠々・ホームページはむずかしくない1998 NHK

私をネット世界に引きずり込んだきっかけの書である。細かいいきさつは「ホームページについて」のコーナーに書いたので、そちらを参照されたい。
同時に「サポートセンターの秘密」のオーナー、HIROMIさんに改めて御礼申し上げる。
1998年7月〜8月にかけて放送されたNHK教育番組のテキストだが、番組はまったく見ていない(笑)。本書で初めてHTMLの存在を知ったことは先のコーナーに書いたとおり。エディタでいくらかプログラムを書いた経験があったので、確かに「むずかしくない」ことだけは判った。それよりもHTML規格を作った人の頭のよさにいたく感心した。
それにしても私のHTMLのテクニックは当時のレベルからはほとんど進歩していない。デザインがダサイというか、見た目を良くするような美的センスが欠落しているからである。昔から美術はいつも「アヒル」だった(爆笑)。加えてフレームとかFlash Playerみたいなケバいことも嫌いだから、このサイトに寄り付く人も多くないのは当然である。
本書で使っているウェブ制作ソフトはIBMの「ホームページビルダー」である。今でも一般的な人気は高い。私はドケチだからフリーのものばかり使っているので評価はできないが、もう少し安くなれば(せめて1万円以下にならないものか)考えてもいい。

PC-Techknow8800mkII平松達雄 八木良一著・1985 システムソフト

やたら長いこのタイトル、ちょうど8ビット機全盛時代の1985年に出版された。
NEC製マシンのシェアが90%くらいだったろうか、そのマシンのハード・ソフトを非常に詳しく解説している上に、付録として基本回路図まで載せている。
本書でPCの何たるかの基本的部分を理解することができた。例えばFDの構造、FATとDirectoryによるディスク内のファイル管理などは現在も生きている。マシン語の基礎知識もここで得た。若いときは十数個ある全レジスタの動きを頭に描きながらマシン語が書けた。それからPCの基本ハードはCPUとメモリだけであり、それ以外のディスク、ディスプレイ、キーボードのなどもIOポートを通じて繋がれる「外部装置」に過ぎないこともわかった。あの面倒な「デバイスドライバ」が何故存在しなければならないかも、「外部装置」であることが原因なのである。
当時私は「PCマガジン」(91年廃刊)という、ページ数は少ないが「ASCII」のような広告だらけではない月刊誌を読んでいたが、本書とともに非常に参考になった。副産物として、付録のマシン語プログラムをキー入力する必要性から、テンキーがブラインドタッチできるようになった。
8ビット機はTK−80のような趣味のものを除いて市販されなくなった。しかし一世を風靡したZ80CPUは今も健在であり、メーカーのザイログ社も引き続き存在している。
しっかりした基礎技術は長く残る。そして本書もまた私の本棚で色あせながらも生き残っているのである。

電気通信工学1972 日本電信電話公社

ここ数冊は私のPCの知識の根源になる本を取り上げる。まず最初は学校で使ったもの。
電電公社が実際に社内教育用に使っていたものを、学校でも教科書として使っていた有線通信の解説書である。当たり前だが、学生の頃はクロスバ交換機全盛時代。離島ではロータリー式かつ市外電話は100番で交換台を通す方式がまだ一部に残っていた。
FAXはまだ開発中で、TELEXが国際通信の主流だった。
しかしハード的には格段の進歩を遂げたものの、電話線を通して情報を流すという基礎的な考え方は今も変わっていない。むしろADSLのように低周波技術の環境を高周波で使うという無理っぽいことをやって、通信が安定しないということも生じている。
とにかく現在のインターネットによる通信も、古くからある通信技術の上で発達してきたことは事実である。だから、一応基礎的なことを習ってきた私にとっては、ネットの入口に入ることはたやすかった。ただ、古ぼけた話をして時々笑われることはあるが。

悪魔の飽食森村誠一著・(1・2−1981-1982 光文社、3−1983 角川書店)

第2次大戦中、日本軍が旧満州で行なった生物化学兵器部隊(731部隊)の全貌をを始めて公開した書である。
最初の2作と第3作の出版元が違うのにはわけがある。第2部で公開された写真の一部が実は731部隊のものではなかったことが出版後に発覚。著者も確認しないまま誤用してしまったことを認めた。さらに制作を手伝った下里正樹は「赤旗」の記者だったことから、戦争を擁護する連中からの攻撃を受けることになり、光文社も脅しに屈服して2作とも絶版にしてしまった。従って第3作は予定から大幅に遅れて角川書店からの出版となったのである。
著者もまた「人間の証明」や「野生の証明」が映画化されるほどの売れっ子作家であったが、この事件をきっかけに大手マスコミからは無視されるようになる。マスコミ・言論界がいかに右翼攻撃に弱いかということを証明する事件でもあった。
内容的には大変ショッキングな事実の連続である。中国人を「マルタ」(流行語にもなった)と呼んで実験台にするなど、残忍な扱いをしていたことが克明に書かれている。その事実が明るみになったことで、中国側の兵器処理に日本政府が援助をするまでに発展した。本書が公開されるまでは、731部隊の存在については中公新書の「生物化学兵器」でわずかに触れられることしかなかたのである。
もうひとつの事実としてショックを受けたのは、部隊の幹部が戦後米軍に資料提供をする見返りとして戦犯追求を逃れ、あまつさえ医学界で大手を振っていたことである。確かに外科手術は「経験が豊富」だったから巧かっただろう。また今は倒産した薬品メーカー「ミドリ十字」にも731部隊の幹部が経営陣にいたことが、本書の出版後に明らかになった。
イラクの大量破壊兵器の問題が騒がれているが、旧日本軍は文字通り悪魔のような行為を中国で行なったし、アメリカも、今は開発を中止しているはずだが、731部隊の成果を自分のもにしたのである。

豊かさとは何か暉峻淑子著・1989 岩波新書

大変珍しい著者の名前(てるおか・いつこ)である。それはさておき、ちょうど日本がバブル時代の後期に書かれた本であることを考えると、豊かさの裏に、今も問題になっている社会福祉とか労働時間についての劣悪な状況はバブルであろうとなかろうと日本では延々と続いているということがわかる。
著者は大学で福祉や社会問題を研究してきた人で、ドイツに滞在していた時の経験も加えながら、日本社会のいびつな豊かさを批判している。
私自身も仕事でドイツに1年いたので、日本との違いを肌で実感した。それは著者が述べている通りである。
同じ先進国の中でも、日本は飛び抜けて社会生活に必要な環境が貧弱である。住宅はもちろん、福祉、教育、労働条件など、一般の人達が安心して暮らしていくためには色々な不安がつきまとうのである。ドイツではよほどの事情がない限り、「もし病気になったり失業したら明日からどうしよう」ということを考えながら生活することはあり得ない。困っている人がいれば周囲が、それも公共的な支援体制がすぐに対応する仕組みになっている。要するに他人が困っているのを見過ごすことをしない、そういう社会なのである。
だが日本ではバブルであり余った金をどこに使ったか。土地に、建物に、そして多くは大企業の蓄積として銀行に集中し、次に貿易赤字と財政赤字に苦しむアメリカへ流れたのである。
従来から言われてきたことだが、日本は「労働分配率」が非常に低い。企業のもうけが社会に還元されにくいシステムになっているのである。そのあたりの事情を著者は事実をもって批判している。しかし残念ながら21世紀に入った日本では、それが改善されるどころか、銀行をはじめとする一握りの大企業と歴代の政府によってより一層悪化させられているのである。

昭和史発掘・全13巻松本清張著・1978-1979 文春文庫

週刊文春に連載されたものがまとめられたもので、松本清張の大作のうちの一つである。しかし小説ではなく、昭和初期から2.26事件に至るまでを描いた完全なドキュメンタリーである。特に後半はすべて2.26事件の記述で、歴史を詳しく調べ、新しく発見した資料を元に書いた内容は、邪馬台国論争とともに彼の歴史家としての功績を示すものである。いつ頃から使われ始めたかは知らないが、「皇道派」・「統制派」という用語が一般化したのは本書からではないかと思っている。
私の印象では、2.26事件がやはり記憶に残り、「皇道派」・「統制派」の対立が事件を生んだ背景にあったことが新鮮に見えた。しかしその後に改めて読んでみると、結局はどちらも天皇の直轄の軍隊であるというと、すなわち「統帥権」を盾に発言力を強め、侵略戦争にますますのめりこんでいく一つの契機になったことが見えてくるようになった。
2.26事件以外では、「天皇機関説」と「共産党大森銀行ギャング事件」の記述が目立った。特に「共産党大森銀行ギャング事件」では、犯人とされる通称「松村」、実は警察当局が共産党員の1人を手なずけたスパイであったことが明らかになるのだが、彼の本名を「飯塚盈延(みちのぶ)」と松本清張は予測した。事件そのものは警察の謀略で、共産党員を検挙するための口実として使われ、何人かは拷問で殺された。
本書が出てから何年かした後、日本共産党は松村が「飯塚盈延」であったことを正式に確認した。

橋のない川・全7巻住井すゑ著・1961-1992 新潮社

言わずと知れた名作である。学生時代に初めて読んで感銘を受け、その後も何度か読んだ。とにかく飽きない。
何故飽きないかというと、主人公の前向きな生き方だろう。奈良盆地の南、小森という未解放部落に生まれたというただそれだけの理由で、貧困と差別を受けるのだが、それに負けずに自ら水平社の運動に関わって部落解放をめざす姿は感銘を受ける。
苦しいからといって頭を下げないところ、若者らしいバイタリティーがあちこちに見られる。それから今もって思い出すシーンは、第1部にある小学校の同級生の女の子が暗闇で主人公の手を握るのだが、その理由が「部落民の手は蛇のように冷たい」ということを確かめるためだったというエピソードで、私には人権感覚を破壊されたようなものすごい衝撃があった。
他にも同和問題を扱ったパンフレットを読んだこともあるが、この小説はどんな啓蒙書よりも記憶に深く刻まれることになった。

Airport International (revised edition)Brian Moynahan著・1983 Pan Books Ltd.

航空業界の全般について、それも空港、航空会社や飛行機のメカも含めた一般向け読み物である。約20年前、海外出張の時だと思うが、どうして手に入れたか覚えていない。少なくとも自分で買ったものでないことだけははっきりしている。
こういう飛行機に関する本は、メカだけの解説とか業界の裏話を面白おかしく書いたものとか、ジャンルを絞ったものが多いが、総合的に取り上げたものは本書以外に見たことがない。
私は本書から飛行機に関する知識を得たものが多い。例えば密輸の方法や飛行機の管制のやりかたなどである。また本書の巻末にはパイロットの適正試験まであって、コックピットのいくつか計器を見てどれがおかしな表示をしているか見分けなさいという設問もある。
英語だし専門用語が多いために非常に理解しづらかった。だが一般の人が興味を持てるような内容になっている。残念ながら和訳は存在しない。また1983年の出版だから既に絶版になっているだろう。

教育の森・全12巻村松喬著・1968 毎日新聞社

1965年頃から3年間(調べてみたが正確な日付はわからなかった)、毎日新聞に連載されたものを文庫版12巻にしたものである。著者の故村松喬は当時毎日新聞の編集委員。本書は1968年の第16回菊池寛賞を受賞した。
当時私は中学生から高専に入る前後、新聞の連載は読まなかったが、連載後に出された文庫版をせっせと買って全部手に入れ、読み終えた頃にはちょうどゲバ棒を振りかざした学生運動が過熱していた。
戦後教育が始まってから約20年経過し、受験戦争が過熱していった頃の話で、全国一斉の学力テストをめぐって文部省と日教組が激しく対立していた。憲法と教育基本法が制定されてから以降、その理想はどこへやら、教育委員の公選制や大学区制(広域の校区で高校入試の総合選抜を行い、後で通う学校の割り振りを行なう制度)がなしくずしに廃止された。「教育の森」ではそれを受験戦争を煽るものとして批判したのである。また他にも当時の文部行政を戦後民主教育からの逸脱として「教育の森」は批判していた。
元は受験生を持つ親へ訴える内容だったが、私のように学生でも本書を読んだ人は少なくないはずである。教育を受ける当事者として、若者も当時の文部行政に批判的だった。だがそうした批判にもかかわらず、文部省の態度は一向に改まることなく今日に至っている。
私の教育に対する観点は、京都の自由な教育で育ったことと本書の影響で培われたと言ってよい。だが残念ながら本書は何かのバザーで売り払ったので手元には無い。
最近になって毎日新聞が「新・教育の森」を連載している(もう終ったかも?)。まだ読んだことはないが、当時のような歯に衣着せぬ論評は、今のマスコミのレベルでは期待できないような気がする。