悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

01.01


2001.01.31:

昨日は日記を書く暇がなくなった。マシンのカスタマイズもさることながら、この1月の日記を再編集することになったからである。
28日の日記では、FrontPageExpressではなく、Word2000で編集することになったと書いたが、Word2000では使いもしない標準スタイルシートやフォントを指定するタグをズラズラ入れまくっていて、ファイルが滅茶苦茶大きくなり、嫌気がさしたからである。なくなっているFrontPageExpressは、やけくそで旧機からフォルダ丸ごと持ってきたら、これがうまくいった。HTMLに対する「編集」機能はフォルダオプションで書き換える予定である。

2001.01.29:

今度は増設メモリーを買った。
使ってみると意外にリソースを食うのである。会社でやはりWinMEを使っている人に聞いたらやはりMEはリソース食いとの答え。窓を3〜4枚開けただけで「リソースが不足しています」となる。調べるとどうでもいい常駐ソフトが入っているので外したが、それでも14〜15%しか残らない。これではインターネットで調べ物をするときに、リンクを別ウィンドウで開くという作業が困難になる。そこで増設することにした。
ある人に教えてもらったショップへ行って超安値のもの(ノーブランド品)を買おうとしたが、注意書きとして「メーカー品のPCでは動作しないことが多い」と書いてある。店員に聞くと動かない確率は50%だそうで、これではあまりにリスクが高すぎる。諦めて大手サードパーティーのものにした。
昔からFDなんかでノーブランド品はあったが、これほど高いリスクを負わされることはなかった。価格差を考えるとそうなのかも知れないが、安サラリーマンではちょっと冒険しづらかった。無念・・・

2001.01.28:

土曜日に新しいマシンがやってきた。そして義母も顔を出したので早速礼を述べるとともに子供にはお下がりが行くことを詫びた。義母は(話はヨメハンから聞いていたらしい)笑って「わたしにはようわからへんからおんなじことや」と承諾してくれた。
マシンは富士通DESKPOWERミニタワーモデルである。CD-RWが付いていた。ところでマシンとは別に変な箱があるので開けてみたらラックだった。随分奮発したものである。
OSはWindowsME、Office2000モデルで、あとどうでもいいようなソフトがごっそり入っている。早速旧マシンのSCSIなどを移設し、ファイル類もコンバートした。MEはWin9X系なので操作はわかりやすいが、そうはいってもなんとなく違和感がある。まあ、1ヶ月もすれば慣れるだろう。
一つだけ驚いたのがプラグアンドプレイで、システムがあっという間に勝手にドライバを選んでインストールしてしまう。結局は後から入れ直しになるのでうっとうしい限りである。
ところで25日の話は一部訂正しなければならない。
義母とヨメハンは日本橋へ行ったと書いたが、実は日本橋に行ったけどもわけがわからないので結局実家の近所の家電量販店で買った、ということだった。ヨメハンは話をバイパスさせる癖があるのだが、私も気付かずに見事引っかかったわけである。
土曜日は取りあえずインターネットに繋ぐまで実施した。だが、思わぬ問題に突き当たってしまった。プリンターが古すぎてマシンが相手をしてくれないのである。何しろ6年前に買ったモノクロのBJ、ドライバがOSに存在しない。メーカーのダウンロードページを見たが、もはや載っていなかった。仕方なく、今日外出したついでにカラーのBJを買ってきた。
ところで本日よりこの日記は今までのFrontPageExpressではなく、Word2000で編集することになった。プリインストールのIE5.5にはFPXが入っておらず、調べたらエクスプローラーの右クリックから「編集」を選ぶとWord2000が起動することがわかった。ちょっと環境が変わるがこれも仕方のないことか。さて、明日以降も慣らし運転とカスタマイズは続く。

2001.01.25:

今日帰宅したら大変なことになっていた。何と突如土曜日に新しいPCが来ることになったのである!!
事の発端はこうである。義母のところに積み立て預金か何かで一時的に金が入ったらしい。それで思い立ったのが「孫にPCを買ってやろう」という結論。
思い立ったが吉日、それで急にヨメハンが呼び出され、今日二人で日本橋に出掛けた。当然超素人のこと、どの店がいいかとかどの機種がいいかとかは知る由もないのだが、とにかく店に飛び込んだ。(ヨメハンは店の名前すら覚えていない)
そして店員に事情を話して適当な機種を選んでもらった。条件としては、子供が使うこと、インターネットは当面使わない、目が悪くならないようにディスプレイは大きいほうがいい(それで17インチになった!!)。親切な店員らしく、富士通のマシンとのこと。しかし当然のごとく機種もスペックも不明のまま、土曜日にはマシンがやってくる。どないなるんやろ・・・???
それで今まで私に黙っていたのは、私が機種選定であれこれ細かく検討したり、店員と掛け合ったりして手を煩わせたくなかったとのこと(本心かどうかは不明)。
正直なところ私は完全に面食らっている。どんなものが来るか、すなわち当たり外れが心配になっている。その昔のFMTownsのようなどっちつかずのものが来たらどうしようもないからである。いくら子供とはいえ、数年後は中学生、将来の拡張性を考えたら、高い金を出して「ハズレ」を掴むのはもったいないと思うからである。
もう一つの問題はニューマシンが私のところへ回って来ることである。ヨメハンは「子供だから、とりあえずはお父さんのお下がりを使わせたら」というアイデアだが、実物を見たら気が変わる可能性も否定できない。しかし私としては「ハズレ」をつかまされるのはいやである。
まあどっちに転んでも私はセットアップなどで忙殺されるだろう。ヨメハンは有償のサービスマンを呼んでセットアップを頼もうというつもりだったらしいが、私は即座に反対した。どうせ「とりあえず動くまで」というありきたりのことにしかならないはずだし、新旧どちらのマシンが子供に回っても最終的には私が細かいカスタマイズをすることになるからである。加えて私のような人間が出てきてあれこれ口出ししたらサービスマンに失礼でもある。
さて、この物語、どういう結末を迎えるのやら、乞ご期待!・・・<誰も期待してへんって!

2001.01.24:

TV番組で「サラリーマンの生き残り」というタイトルのものをやっていた。個人的には非常に腹立たしいタイトルである。何故かというと、個人にまで「生き残り」という考え方を要求するからであるが、残念ながら私の持っている物事の概念の中に、自分さえ生き残ればいいとするような発想はない。
資本主義の時代だから、企業が自らの才覚で生き残るというのは不思議なことではない。中にはどうしても競争に絶えられなくて落伍する企業が出ることは有り得る。その際、生き残れなかった企業に依存していた人達は誰かが救うより他はないし、不十分ながらもそのように動いてきた。また、企業間の競争は経済発展の原動力でもあった。
しかし個人には破綻した後を救う手だてはない。唯一あるのは死のみである。
我々個人はサバンナに生きる野生の動物ではない。環境の変化に対して何ら働きかける術を持たず、必死になって耐えようとする野生の動物はそれ以外に生きる方法はない。だが、人類は社会を形成し、集団としての英知を生かすことによって逆に数百万年を生き延びる方法を会得してきた。それを野生の時代に押し戻そうとするのはいかがなものか。それがこの問題に対する私の率直な意見である。
能力給あるいは業績給ということが叫ばれ出してきたが、誰に「生き残れないヤツは死ね」と言う権利があるのか。ましてやそうしたサラリーマン・労働者が必至になって生き残ろうとする姿を、酒を飲みながら厳重にガードされた車の中から見物する人間が「生き残りもやむを得まい」と発言をするとしたら、これはもう決して許せないことである。

2001.01.23:

初めて公表するが、自宅マシンには変な癖がある。

その1:エラーを起こした時のホットキー(Ctrl+Alt+Delete)による再起動がほとんど効かない。この現象が出だしたのはSCSIカードを付けてからのように記憶しているので、恐らくマシンとの相性のように見える。仕方がないのでいつも電源を切って再起動する。この方法ではScanDiskがかかってしまうのだが、私自身はあまり気になっていない。

その2:これはかなりうっとうしいのだが、冬になると冷えたマシンを起動する際に必ずエラーを起こす。「VirusScanが壊れている」と、「レジストリが壊れているのでバックアップから再起動して下さい」というのが大半を占める。
夏には絶対に起こらないので、明らかに低温による半導体の動作不良である。これは増設メモリが臭いようだ。とにかく何度も再起動を余儀なくされる。最悪、まともに起動するまで30分くらい費やすこともある。
確かに電子機器は低温・高温に対して弱い。半導体は温度の変化に対してものすごく特性が変わるためである。ちなみに自宅マシンの仕様を見ると温度条件は「10〜35℃」とある。勿論これはメーカーによる動作保証の数値であるから実際はもう少し広くても使えるのだが、後は1台ごとのクセによるので私のようなケースも出て来る。
うちのはどうやら持ち主に似てダダッ子らしい(笑)

2001.01.22:

横綱曙が引退した。
足の痛みをこらえて1年、無理して土俵に出たがやはり限界である。
そもそも力士は太り過ぎである。重い体重を支えるのに、ある程度筋肉は強化できても関節は強化できないので過負荷に絶えられないのである。従って他のスポーツ選手に比べて故障が多く、力士生活は短い。さらに短命ときている。60歳を超えて長生きする人は少ない。
これだけ問題が明らかになっていても協会はなかなか改める努力をしない。旧態依然の「しきたり」に固執するからである。体格から考えるとラグビー選手とか柔道選手くらいにまで体重を絞る必要があるだろう。私の知る限りでは千代の富士(現九重親方)が理想的な体ではないか。
もう一つの問題として、故障を起こしてもなかなか治療するゆとりがないことである。本場所以外に地方巡業が多く、体を休める時間がない。これも問題である。
せっかくの伝統的なスポーツなのに、人気が落ちている。故障力士が多くて本当に強い横綱・大関が不在のためである。練習方法とか指導のあり方も近代化していない。コスチュームは古くてもかまわない。せめてスポーツとしての醍醐味を味わえるような内容にしてもらいたいものだ。
最後に、これも厳しい言い方だが入場料が高すぎる。庶民はテレビ桟敷で我慢するしかないのだろうか?

2001.01.21:

他人の場合はわからないが、私の小さい時の記憶はどこまでさかのぼれるかというと、5歳である。
先日私の甥と話していたら、彼も5歳くらいの時、親父に怒られたことを覚えているという。息子は小学生だからもう少し幼い頃まで覚えているかと思ったが、3歳くらいだという。彼が3歳というと震災があった年だが、彼はヨメハンと一緒に京都にいたので衝撃的な経験はしていない。それもそのはず、彼は揺れの中でグーグー寝ていたのである。
人間の記憶の特徴は「忘れること」にあるという。もし何でもかんでも記憶に入ってしまうと脳がパンクするらしい。他の動物は一度失敗したことは死ぬまで忘れないので、行動が限定され、冒険をすることがなくなるらしい。
人間の脳は逆で、例えば自転車に乗れるようになるのは、成功したことだけを残して失敗したことは忘れるということが原因だと聞いた。このように人間は古いことを忘れ、新しい記憶と次々と入れ替えるのである。
PCはそうはいかない。HDに溜まったものは人間が適当に掃除してやらないとあっという間にパンクする。
今日は久しぶりにHDの中を整理、長いこと使っていないソフトやデータを「ごみ箱」からも永遠に消した。

2001.01.19:

陸蒸気組の人達と机を並べるようになって、色んなことがわかってきた。特にOAに関する環境は大企業とは思えないひどさであるということが次第に見えてきたのである。
まず、机は30年来の古くて重いスチール机、当然PCを置くスペースは考慮されてないからデスクトップ機を置くと執務スペースは減少する。それでどうしているかというと、殆どの人がノートPCを使っている。しかしこれでは中高年に対して酷である。液晶はまだTFTのようにクリアでないし、最も問題なのは字が小さいことである。
それから普通4年で切れるリースだが、延長に延長を重ねるのでマシンのスペックも低いまま、今でも100MHzのCPUが転がっている。そして新しいマシンに更改する時は上の方の人間が優先されて、そのお古を「お下がり」として下に回す。おまけにちゃんと掃除して渡さないからHDDには不要なソフトやゴミが溜まりっぱなしである。
一番すさまじいのは、私が新幹線組と一緒に持ち込んだ業務処理用システムと同様のものがあるのだが、これが8年前のもののままで、更新しないまま未だに使っている。
どういうものかというと、COMPAQのミニタワーモデルをサーバーにしたミニLANで、専用端末はIBMのDOSマシン。ソフトは何と社内の素人がC言語か何かで書いたデータベース。勿論実力はあるのだが所詮は素人、あちこちに制限がかかっていて使いづらいことおびただしい。おまけに書いた本人も上司と喧嘩して何年か前に会社を辞めてしまった。
サーバーはDOS版Netwareをベースにクライアント機とはゲートウェイで繋がっている。そしてデータはまとめて日報として本社のホスト機に転送するのだが、これが毎日、前日のデータをダンプしてチェックした上で手作業でバッチ処理している。一度データが化けて以来ビビッてしまって、夜間に自動処理することなど思いもよらないという感じである。
これだけ古くなるとメンテが大変。一度サーバーのハード故障でマザーボードを交換することになったのだが、手配だけで2日もかかり、その間は仕事にならなくなった。DOSマシンのほうも世間では既に廃棄処分されているタイプだから故障したらお手上げ、先日も社内掲示板に「中古機募集します」と書いてやっと4台だけ見つかったという始末である。これだけひどい目に会いながらもまだ最低でも来年一杯は使うと言う。クライアント機のある一台はHDDからかなりヤバイ音がしているのだが、ただただ神に祈るしかないというていたらくである。
そもそもこういうことになる原因はOA化の費用を極端にケチるからである。歴代の陸蒸気組上層部はずっとOAに疎く、PCを使うと「遊んでいる」としか思わない連中だったようだ。今の事務所の情シス担当者も上の無理解に対して完全にやる気を失っている。私が前にいた事務所での話をすると「金のかけ方が違うからなあ」と愚痴っていた。

2001.01.18:

時々「大企業の横暴」ということに触れることがあるが、またもや呆れる話を聞いた。「常識・非常識」のコーナーでも書いた「お客様は神様」の変形である。
最近、あるイギリス製機械が何故か壊れてしまった。納入された9台のうち1台だけ、どうやらボルトの一つが最初から緩んでいたようである。しかし、以前に納入されたものや同様の日本製機械では殆ど皆無に近い珍しいケースで、技術的にはたまたま「ババを引いた」と考えられるものであった。
こうした場合、メーカーからは交換品を納入させる。そこまではごく当然のこと、とりたてて問題にするような話ではない。
しかしちょっと壊れたものが大きかったために取替工事に要した費用が高くついてしまい、またメーカーも事故原因の究明に対してあまり積極的でなかったために、こちら側はちょっと頭に来て取替費用も負担せよと迫った。
しかし相手側は頑として要求を飲まない。それで「二度と買ってやらない」に近い態度を匂わせたがこれも馬耳東風、現在暗礁に乗り上げたままである。
これも海外と付き合っているとよくある話なのだが、設計サイドはぶつぶつ文句を言いながらも「しゃあないなあ」という雰囲気である。ところが別の部署の部長が横槍を入れた。曰く「そんなもの今まで全部メーカーに負担させてきたし当然じゃないか」というのである。
こういう不良品の交換については、国内外を問わず二次損害は免責、というのが契約書類上の平均線である。というのもエスカレートすると操業保証やら何やらあらゆる費用がメーカー負担に発展してしまうからである。勿論取替費用について「要求してはならない」ということでもないので、あくまで「交渉事」として取り扱い、今後の商売に影響するかしないかを頭に入れて決着をつける。だから力関係が物を言う。
そうなると日本ではかなりのケースが大企業に有利に傾く。中小企業は「出入り禁止」を極端に恐れるので、技術的な問題の洗い出しとか理にかなった解決をする前に降伏してしまうのである。それがいわゆる「大企業の横暴」の一つとして世間に映ることもある。
それだけのことをこの部長はまったく知らないし、今まで疑問にも思わなかったらしい。長い会社生活でありながら、苦労も痛い目に会ったこともないとこんな人間が育つようだ。
話が違うかもしれないが、銀行に金を預けると何故金利がつくのか?普段は疑問にも思わないことだが、その根源を知ることは無駄なことではない。

2001.01.16:

今日、新しい事業部長の巡回があり、薄ら寒い食堂の中で20分ばかりの訓話を聞くことになった。
私が現在いるところは先行き見込みが薄いとして、社長からは大リストラの標的になっている。それを知りつつ就任したとのこと、「急に業績が回復するわけがないとは思うが」と、極めてクールな見方をしている。
しかしそれによってリストラの手を緩めるとも思えぬが、以前のような怒鳴りつけたり、罵声を浴びせるような態度は社長以下なさそうである。とにかく経営陣がかなり入れ替わってから一体どうなるのか職場は注目している。と同時に打ち出された計画が進みつつある今、ソフトな顔をしながらやることはエゲつないということになるのか、皆固唾を飲んで動向を見つめている。

2001.01.15:

今朝の最低気温は−2℃、寒いはずだ。
乗り換えで電車やバスを待つ間、耳が痛いくらいだった。おまけに新快速電車が遅れたために、途中の駅で追越を待つ時間が通常よりも長くなり、車内は10分近くドアが開いたまま寒風にさらされて体は冷え切ってしまった。
会社では門から事務所へ行くまでの道路の水溜まりが分厚く凍っており、足で踏みつけても割れない。
こんなことはさすがに珍しい。ただ、幸いというか残念(?)というか、自宅付近に積雪はなかったので道路が凍結してバスが来なくなる(大抵年に1、2回ある)ということはなく、通常どおりの時間に出勤した。

2001.01.14:

ここ数日寒い日が続いているが、明朝は神戸でも最低気温が氷点下になるという予報が出ている。
今日行われた京都での都道府県対抗女子駅伝の最中にも雪がちらついていた。兵庫県北部でも雪の警報が出ている。この冬一番の冷え込みになるらしいが、警報が出るのは最近珍しいことだ。
どなたも風邪など引かれませんように。

2001.01.13:

昨日も触れたが、ガンのことが時として気になることがある。身内に患者が出たせいで、色々調べた。兄が最初の入院をした時には連日図書館に通い、半分以下しか理解できないのに専門の医学書を買ったこともある。
お陰で変な誤解はしなくて済むようになったし、医者から説明を受けてもおおよその理解はできるようになった。しかし世間には未だに誤解が多い。
その一つが「ガンは遺伝する」である。確かにわずかながら、大腸がんの一種などに遺伝性のものが存在する。しかし大半のガンについては遺伝とは関係ないということが支持されている。にもかかわらず「身内に患者が多いから私も因子を持ってるのでは」と心配する人は結構いる。
こういう誤解の根源は、一つに「遺伝病」と「遺伝子の病気」がごちゃまぜになっていることがある。色盲のような遺伝病は因子がはっきりと親から子へ受け継がれることが明白だが、ガンは正常な細胞が突如増殖を抑制する機能を失う、つまり抑制遺伝子が働かなくなると同時に増殖遺伝子が暴走する病気であり、後天的な原因によって起こるというのが医学界の定説である。
もうひとつは、事実上親子でガン患者になる例が少なくないことであるが、これは食事を含めて生活習慣が似るからという理解がされている。
現在、ガンで年間20〜30万人が亡くなるので、早く克服すべき病気として研究もされ、また一般の人にも「恐ろしい病気」として予防や治療への注目が集まっている。現時点でのガン治療の最大の難点は薬の「選択性」とガン細胞の「転移」の克服である。
今の抗がん剤はガン細胞の増殖が異常に早いことを利用しているだけなので、正常な細胞でも増殖の早い皮膚、毛髪、血液が同時に被害を受ける。だからガン細胞だけを標的にする薬の開発が急務になっているのである。
転移はいちばん厄介な問題で、これが解決できればガンは克服したも同然と言われる。ガンはガン腫を形成すると自ら血管を作り、その血管の壁を食い破って外へ出て行く。そして次にはリンパ節の網に引っ掛かってそこでまた増殖を続けるのである。だからガン細胞をガン腫の中に閉じ込めておくことが出来れば解決するのだが、血管を抜けるメカニズムがまだ解明されていないために手がかりすら見えていない。
先端医療は日進月歩、ともあれ今後の着実な研究に注目したい。

2001.01.12:

会社を休んで病院に行った。内科と皮膚科のハシゴである。
内科はいつもどおり糖尿病の薬を処方してもらうためである。皮膚科では顔に出来た変な疣状のできものを取ってもらった。実は昨年、左頬に吹出物らしきものが出てきたのだが、指でひねっても脂は出ずにだんだん盛り上がり、最近ではポリープのようになってきていた。おまけに頂部はゴリゴリした感じがある。
これはひょっとして悪性かも知れないと思い、皮膚科を訪れることにしたのである。
医者は「一見して良性」と診断した。悪性かどうかを確定させるには細胞診が必要だが、それほどでもないとのこと。それでできものを除去することになったのだが、メスで切り取ることを予想していた私は実際の方法にびっくりした。
何と、液体窒素を患部に当てて壊死させるのである。つまり極度の凍傷にさせることで患部を取り除くのである。確かにメスは不要で出血もない。皮膚科に行くなど小学校以来だからその進歩に驚いてしまった。ただ液体窒素を使うので、治療費は高かった。

2001.01.11:

9日から今日までは「10日ゑびす」。大阪の人間は「えべっさん」と呼ぶ。
通勤の時、JR兵庫駅の近くにある柳原戎神社が見えるが、ここ3日間は駅から神社までの道は出店でぎっしり埋まっていた。震災後、駅の南側は整備されて歩道もブロック舗装されていたが、出店が並ぶと近代的な風情は消えて昔懐かしい土剥き出しの参道を思い出させた。
周囲のコンクリートの建物とは異質な風景、参道の部分だけは40年前のままだった。

2001.01.09:

昨日の成人式でいろいろマスコミが取り上げているようだが、私なりの感想を一言。

まず橋本高知県知事の場合だが、TVで放映されたシーンを見る限り知事に軍配が上がったようだ。
知事が不適当な発言をしたとか、聴衆に向かって不遜な態度を示したのならいざ知らず、野次を飛ばした挙句に「帰れ」コールはないだろう。「どうせ下らない話」と思うなら最初から出席しなければいいし、途中で帰っても文句は言われまい。
そしてこの事態に対して知事は聴衆の意見を求めた。これで野次を飛ばした連中は完全に孤立した。

次に「ケータイ」の問題であるが、ある自治体では会場内に妨害電波を出して「圏外」にしてしまうという荒っぽい方法を取っていた。一応は成功しているが、何となく寂しい気がする。
しかし私語もそうだが自分勝手な行動はちょっと目に余るものがある。マナーとか躾以前の、大人としての品性や社会性を身に付けていない幼児の集団と言えなくもない。これも参加しなければいいのにと思えてしょうがない。
もっとも大人の側にも問題がないわけではない。
成人式だが、時代が変わってるのにいつも同じやり方を踏襲しているのには首をかしげたくなる。式典を止めるというのもひとつの案だが、参加者自身で協議して作るというのはどうだろうか。
また、最近聞いた話(複数)だが、小学校の授業参観中に保護者が堂々と「ケータイ」の送受信をやっているという。こういう状態では子供にマナーを教えることなどできっこない。お先真っ暗である。

さて、「成人の日」そのものの歴史だが、1月15日(昨年から1月の第2月曜)に制定されたのは1948年。何故この日になったかはもうひとつはっきりしないようだ。もともと「元服」のような儀式が正月に行われていたことや「とんど焼き」とか「小正月」が15日だったことなどの説もあるらしい。
それから「式」としての起源は1946年11月22日(年が違うが奇しくも私の誕生日である)、埼玉県蕨市で「成年式」が行われたことだという。
法律上の「大人」はともかく、古今東西、一人前の大人になったことの区切りをつける儀式や祝典はいろいろあるようだ。だが、肝心なのは大人になった彼らに、どう大人としての自覚や社会での役割を認識してもらうのか、そのことを抜きにして成人の日を語るわけにはいかないだろう。もう一度原点に戻って、彼らと一緒に考え直してはどうか。

(※今後私は玩具化した携帯電話・PHSを「ケータイ」と呼ぶことにする。本来の即時性や可動性が生かされていない、単なるおしゃべりのための道具だからである。)

2001.01.08:

スキーの今昔についてちょっと比較してみた。
私がスキーを始めたのは20歳、70年代の初めである。当時、板はグラスファイバーが本格化した頃だが、まだメタルも使われていた。板の流れ止めは紐で足に縛りつける方式。靴はやっとプラスチックが売られ出したくらいで、主流はまだ革だった。スキーウェアは当時からあまり変化はない。ゴーグルも変わっていないが、反射式のサングラスは最近になってからである。
スキー靴について検索エンジンで調べていたら、94年頃からプラスチックの破損が指摘されていることが判った。「靴は消耗品」と考えるべきなのだろうが、その点はもっとメーカーから情報を出してもいいと思う。
それからスキー靴の歴史として、革製の頃はすねのところがバスケットシューズくらいの長さしかなかった。それがプラスチックになって向う脛から足首までをしっかり固定するようになって板のコントロールはやりやすくなった。しかしこれだと事故の時に圧倒的に向う脛を骨折しやすい。それが原因かどうか知らないが、最近はくるぶしのところにあるピンを中心に前後に動くタイプが出だしたので、骨折の問題は多少緩和されたように見える。

さて、私のスキーの技量だが、初級は卒業したものの「斜滑降」と「パラレルターン」が「不恰好」と「バラレル」から進歩していない。そのうちに子供に抜かれてしまうだろう(苦笑)

2001.01.07:

年始の挨拶で義妹のところへ行ったら、早速ウィルスの話になった。自宅マシンに知人からMTXウィルスを貰ったらしい。悪いことに中学生の長女が添付のEXEファイルを開けてしまい、しっかり感染してしまったという。マシンそのものは旦那の弟がOSを再インストールしたが、当然のごとくアドレス帳に記載の宛先へウィルスがばらまかれた。関係先へ連絡するようにアドバイスしておいたが、残念ながらやはり主婦と子供は話にならないくらい無知である。次女なぞはソフトの著作権や違法コピーに対する知識は完全にゼロだった。ワクチンソフトも2年前の購入時のまま、これでは救いようがない。
別にこき下ろすつもりはないが、こういう底辺の人達をしっかり教育しないとネットの世界はボロボロになって、やがて庶民の手から離れていくだろう。

2001.01.06:

昨年末28日に書いたように、家族でスキーに出かけた。
まあ、事故もなく無事に帰ってきたが、私自身にはとんでもないハプニングが待ち受けていた。どういう事かと言うと、初日に数回滑った後、リフトに乗った直後に「バキッ」という音がして急に板が外れたのである。それで足元を見て唖然とした。何と、プラスチックのスキー靴が割れて下半分がなくなっていたのである!?!?!?
靴は買ってから20年近い。それで経年変化で弾力がなくなり、リフトに乗った時の衝撃でついに破断したらしい。それで滑ることもままならず、リフトを下ることも断られ、板を担いで歩いてトボトボとゲレンデを降りることに相成った。そして慌ててレンタル靴に切り替えることになってしまったのである。
しかし・・・もし滑っている途中だったらと思うとぞっとする話である。

2001.01.02:

昨年末12月31日から始まったインターネット博覧会、略称「インパク」をちょっとだけ覗いてみた。
首相が顔を出すところなど、政府が主催するものだけにちょっと仰々しい感じを受けるが、簡単に言うと各種コンテンツを集めた政府が運営するプロバイダーといったところだろうか。参加しているのは企業・自治体など、なるほど博覧会の顔ぶれらしくなっている。
これからもコンテンツを増やしていくつもりらしいが、先行きどうなることか、外野から眺めさせてもらうことにした。

2001.01.01:

皆様、明けましておめでとうございます。
今日からは「21世紀最初の」という形容詞が何にでもくっつく。従ってこの日記も「21世紀最初の」日記である。

ご覧になったように表紙のデザインを少しだけ変えてみた。2年を過ぎてそろそろ飽きが来たので元旦をきっかけに気分一新である。気に入っていただければ幸いである。
ところでこの際だからタイトルのペンネーム"kmakow"についてのエピソードを公開する。勿論知る人ぞ知る私の本名にまつわる話である。
昔ヨーロッパ某国滞在中の頃、さる企業との打ち合わせのためにドイツのニュールンベルグへ出張、一泊することになった。そこで相手企業の担当者にホテルの予約を依頼した。当然予約は私の本名であり、ホテルへちゃんと連絡してくれた。ところがである・・・
当日私はホテルへ到着してフロントで私の名前を告げた。ところがフロントが怪訝な顔をしたのである。「○○会社から予約が入ってるでしょ」と念を押すと、「そんな名前は聞いてないよ、おまけにあんたは日本人じゃないか」と奇妙なことを言う。
「おいおい、○○会社の△△さんから私の名前で入ったはずだよ」と食い下がると、
「確かに彼から予約を聞いたけど、名前は"Kmakowski"だからロシア人か何かだと思った」と真面目な顔で言った。
"Kmakowski"(クマコフスキー)とは恐れ入った。完全にのけぞりモードである。
だが確かに発音は似ているということでフロントも納得し、何とか一夜は過ごせたのである。原因は予約の時に綴りまできちんと確認しなかったからである。
それ以来このエピソードは私の秘密としてしまっておき、笑い話としてわずかの人に語るだけであった。ところがこれを利用する機会が訪れる。
約3年前、今の自宅PCを更新し、かつインターネットを始めるためにプロバイダに加入することになった。その時IDは半角8文字以下という制限があった。だが本名または"Kmakowski"を使おうとしてもいずれも1文字オーバーになる。そこで"kmakow"(クマコフ)と縮めた名前をIDとして登録したのである。それからはこの"Kmakow"をよく使うようになった。ホームページのタイトルも98年開始という意味を持たせて"Kmakow98"とした。
それでは肝心の私の本名は何か?・・・それは・・・ヒ・ミ・ツ