悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

01.04


2001.04.30:

とうとう4月末、しかし今日はもうひとつ天気がしっくりしないので私は家でごろごろ、子供も友達と室内でプレイステーションにはまっていた。
連休前、実は出勤の可能性を心配していた。というのもイギリスでの宿題で向こうからの資料が先週金曜日に届くかもしれなかった。そうなると向こうは連休などないから何らかの回答をせねばならなかった。しかし金曜日の夕方になっても連絡が入らない。それで電話したら「実は仕事が遅れている。来月7日にならないと仕上がらない」ときた。早くならないかと聞いたが「ノー」である。
早くならなくてよかった(爆笑)

2001.04.29:

昨日から連休に入った。6日までの9連休、今日はその2日目である。所用でこの2日は潰せたが、残りは完全に真っ白である。
日記を更新する時間はたっぷりある。じゃあ他のコーナーは・・・どうしよう??(笑)

2001.04.28:

イギリス日記・6(完)
イギリスへの飛行機は往復とも香港経由キャセイパシフィック(CX)を使った。他の便が満席だったことは23日に書いたとおりである。
最近は機内で飛行コースをTV画面に表示するサービスをどこの航空会社も行なっているようだが、キャセイのはディスプレイそのものが各座席の前にあり、映画やコース案内が各自で自由に選べるようになっていた。時代も変わったものである。
コース案内には航跡を書いた地図のほか、高度、対地速度、出発・到着各地の現地時間、残り飛行時間、到着予定時間などが1分おきくらいにスキャンされ表示されるようになっている。このプログラムは世界共通のようで、どの会社のものでも同じ地図が使われている。
実際に飛んだコースは関空から宮崎−鹿児島−台北の上空を通過して香港に入り、香港からは成都−ウルムチ−カザフスタン−ウラル山脈−サンクトペテルブルグ−コペンハーゲン上空を通って一気にロンドンに入る。私は映画も見ずに寝るかこの画面をずっと眺めているかしていた。
飛行機の揺れはさほどなく、満員ながらも何とか眠ることはできた。元来私は乗り物で寝ることがほとんどできない。しかし時差ボケを解消するために往きは酒を飲んでなるべく寝るようにし、帰りは眠る時間をわざと短くした。西行は1日が長くなり、東行きは1日が短くなるので、それぞれわざと寝過ぎ・寝不足にするのである。医学的には東行きのほうが時差ボケがきついという定説になっているらしい。

2001.04.27:

イギリス日記・5
列車と飛行機の乗り継ぎの関係でロンドンの地下鉄に乗ったが、相も変わらず狭い社内に沢山の人がひしめいている。しかし昔と違うのは携帯電話の多さである。そこは日本と同じで「今XXの駅だからもうすぐそちらに着くよ」とかいう他愛のない会話である。ただ日本との違いはiモードが全く使われていないことである。恐らくサービスとしてはあるのだろうが、ボタンをかちゃかちゃやっている姿はついぞ見なかった。
メーカーはNOKIAとSIEMENSがほとんどのようだ。
びっくりしたのは地下鉄で例の「上げ底靴」を履いているオネエチャンを一人だけ見たことである。日本からファッション雑誌を通じて流れたものだろうか?

地下鉄に関して、多くの土産物屋では地下鉄グッズを沢山売っていた。子供に文具セットを買って帰ったのだが、T−シャツからマグカップ、缶入り紅茶などいろんなものがある。その中で地下鉄のサインにある青地に白抜きの"UNDERGROUND"という文字の部分を"MIND THE GAP"に変えているデザインのものがあって思わず笑ってしまった。ただこれには説明がいる。
駅のホームでカーブの部分は隙間ができる。これを日本の構内放送では「電車とホームの間が開いておりますので足元にご注意ください」のように放送するが、ロンドン地下鉄では電車が駅に入ると"Mind the gap"という短い言葉、それもオジサンの間延びした低い声のテープが流れるようになっている。ちょっとその発音を紹介できないのが残念だが、「ま〜〜〜〜ぁいんど・ざ・ぎゃっぷ」という風な滑稽なものである。それを売り物にするあたり、いつもながら向こうの人間はブラック寸前ともいうべきユーモアのセンスがある。

2001.04.26:

イギリス日記・4
いつものことながら契約書作りはしんどい作業である。日本国内なら基本契約とでもいえる数ページのものを1回作ったきりそれで半永久的に継続的取引をやる。内容もどちらかというと買い手の言うがまま、ケチがつくことはあまりない。
しかし海外取引となるとそうはいかない。30ページはあろうか、細かいことまで書いた雛型を持っていき、それをまた1ページづつ、いや一字一句まで確認し、文句があればああだこうだと延々と論議が続くのである。おまけに担当者にはイチャモンをつけることに執念をかけているやつもいる。以前ドイツの大企業で日本に来て契約をやった時、そういう性格で有名な契約専門の担当者が来ることになってこちら側の関係者は「またあいつが来るのか」と皆いやな顔をした。来たら案の定で、夜になってもなかなかはかどらない。一緒に来ていた向こうの営業と技術の担当者も彼の性格は知っていたのだが、日も暮れるとうんざりした顔になり、ついには「俺たちは帰るからお前だけ明日まで残って打ち合わせやれよ」とまで言い出す始末だった。
今回も訪問した3社のうち1社でそれに近いやりとりがあり、合意はしたものの文書の作成が間に合わずに時間切れ、会議に同席していたこちら側のアシストをしてくれているイギリス人に最終文書の作成を依頼してきたくらいである。
それといずれの会社でも問題になったのが、ひとつは「常識・非常識」のコーナーでも書いたストが不可抗力であるかどうかであった。幸いにもその会社だけのストは不可抗力とはしないということですんなり落ち着いた。もうひとつはPL法をめぐる問題で、こちらの素案は無期限、金額も青天井(会社の意向でまずはこれを主張せよと言われるのでいつもイヤな気分になる)、当然これは揉めた。で最終的には「保険でカバーできる範囲内」で決まった。
それと今回の特徴は相手がイギリス人、つまりネイティブなのでこちらの素案はきっちりチェックされるということに不安があった。もし英語が外国語である相手だとチェックも若干甘くなるのだが、今度はそうはいかない。そこで先に書いたこちらを手助けするために雇ったイギリス人に随分助けて貰った。だが一つだけ難点というか、イギリス人同士で会話をやると猛烈な早口になるので日本人はついていけないという羽目に陥ったのである。しかしこれは私の語学力のなさに起因するので、あまり文句は言えないところではある。

2001.04.25:

イギリス日記・3
今イギリスは「口蹄疫」で揺れている。
とにかく先週の時点で120万頭の家畜が処分された。そして焼却処分あるいは地中に埋めることに対して環境団体や動物愛護団体が騒ぐし、他のヨーロッパ諸国からはウィルスをばらまかれた(トラックのタイヤに付着した土から感染したと言われている)と非難を受けている。まさに内憂外患、総選挙も6月に延期するなどさんざんである。おまけにワクチンはあまり有効でないとされるし、いつ沈静化するのか全く見えてこない状況である。
私が泊まったホテルでも部屋とロビーに一枚の手紙が置かれていた。曰く「狂牛病でご迷惑をおかけしています。そのためにレストランのメニューに出せないものが発生することがあります。ちなみに朝食のベーコンは一枚に制限させていただいております」と、直接的には調理している限り問題はないものの、極端な肉不足であることを表明したものだった。
ところでこの「口蹄疫」、英語では"Foot and Mouth Disease"、直訳すると「足口病」で日本語とは逆である。どういう経緯でこういう訳になったかは知らないが、「蹄口疫」では変な発音になるという単なる語呂合わせの関係なのだろうか?

2001.04.24:

イギリス日記・2
先週のイギリスは本当に寒かった。天気予報は事前にネットから入手していたのでセーターとパッチを用意したのだが、まさに大正解だった。とにかく日中も10℃未満のままで、到着した夕方にはみぞれというか、雪がちらついたのである。翌日は「雪おこし」とも言える強烈な雷が鳴った。
これにはイギリス人も驚くほどで、4月の天気としては考えられないと言っていた。
ロンドンに到着した朝も吐く息が白かった。寒い中をヒースロー空港からPaddington駅まで直通列車、そこからタクシーでSt. Pancras駅へ向かう。通勤時間帯の少し前だったので道路はそれほど混んでいなかった。ラッシュに巻き込まれると10分で行けるところが1時間くらいかかってしまうという。20年ぶりのロンドンの町並みは薄汚い以前のまま、駅の出札口も未だに木の窓枠が使われている。歴史ある建物を残すという側面もあるようだが、日本の建物の変貌ぶりに比べると「古めかしい」という感は免れない。
St. Pancras駅では列車が出るまで50分近く待った。おまけにどのホームから発車するのか5分前まで表示が出なかった。仕方なしにコーヒーショップで特大カップに入ったカプッチーノコーヒーを飲んだ。だが待合室ではタバコが吸えない。それで一旦寒い外へ一服し、また待合室へ戻るということを繰り返した。
列車は300Kmくらいの距離をひたすら走る。途中は殆どが田園地帯、なだらかな丘陵が延々と続くのである。風景を眺めていると英語の"hill"と"mountain"の違いが理解できる気がした。雨を表す"rain"と"shower"の違いも、これまた現実を知ってなるほどと思える。言葉というのはやはり歴史的・地理的背景が反映している。
終点まで2時間半、列車は5分遅れで到着した。

2001.04.23:

イギリス日記・1
先週はイギリスに出張だった。旅日記に書いた内容のころから20年余、久々のイギリスである。
今回は遊びではなく、勿論仕事である。イギリス国内の仕事に関連して、契約書の詳細な打ち合わせとサインを行なうために連日の会議をやった。金額などの概略は別の人間が既に事前に行ってある程度の合意は出来ていたのだが、私が行かないと細かい条件まで詰めができないということだった。簡単に言うと30ページくらいもある正式契約書の一字一句にまでああだこうだと口角に泡を飛ばして議論するのであるが、まあ疲れに行くようなものである。それでもドタバタしながらサインはできたのでまずはハッピーである。
ということで何回かに分けて旅行記を書くことにした。
まず飛行機であるが、予約に苦労した。出張する直前まで大切なことを忘れていたためである。つまり先週はイースター(復活祭)明けで旅行者がわんさかいるために席が取れず、結局日本から直接ロンドンに飛ぶ便はおろかヨーロッパの都市を経由してその日のうちにイギリスに入る便は全て満席、諦めて香港経由で翌日早朝に着くことになった。帰りも同じで、往復とも機内で一泊するという強行軍になった。
昔はアンカレジ経由でそういうスケジュールになるのが当たり前であったが、シベリアルートのノンストップ便が主流になってからは当日中にヨーロッパに入ることができるためにどうしても直行便に人気が集中するようになった。便利になったものである。
さて、まだ少し時差ぼけが残っているので今日はこのくらいにしよう。

2001.04.17:

シンガー・ソングライターの河島英五さんが亡くなった。
何と言っても「酒と泪と男と女」で有名だったが、関西では特に人気があった。
歌の雰囲気がややヤケクソ気味ではあったが、合い通じる感じを受けていた。しかし同じ世代の人間ということが今判ってなるほどと思わずにはいられない。あのだみ声が録音されたものでしか聞けなくなったのはやはり淋しい。
私たちの世代というのは、ビートルズのみでなく、フォークソング、それも関西ではメッセージソングが非常に好まれた。アメリカでのフォークソング運動とかベトナム戦争反対の影響と、関西のアンチ権力的傾向が結びついたのかも知れない。
「アリス」の登場以降はソフトな歌が主流になったが、それでも同じだみ声の上田正樹、もんたよしなり、などまだまだ隠れた人気がある。三波春夫さんのようなさわやかな声と同時期に、関西の庶民を代表する歌い手が消えて、時代はまたひとつの区切りをつけようとしている。

2001.04.16:

海外出張になった。週末日曜日までヨーロッパに飛ぶ。
今日はその準備で滅茶苦茶忙しかった。何しろ同行のある管理職がやや変人で、必要書類を揃えたり説明したりすることをずっとほったらかしにしていたために今日になってやっと手をつけたからである。
普段から何でもかんでも抱えてしまって自分で処理しようとする癖があるために、周囲が非常に迷惑することで有名なのである。おまけに始終出張で席を空けることが多く、質問しても答えが返ってくるのが遅い。今回も相手先との交渉経緯も不十分な理解のまま出発するので不安で仕方がないのである。
おまけに会議のアポイントもどうなっているか、本人は「ちゃんと連絡つけるから」と言ったまま先週は台湾に行ってしまい、今朝になってやっとスケジュールが確定、ホテルの予約もできていることがわかった次第。とにかく情報は公開しないので万が一トラブルがあっても本人がいないと解決ができない状態に陥りやすいので危なっかしいことおびただしい。
それで結局こちらの書類の準備は昼間に終了せず、ファイルをフロッピーに入れて帰宅した。
そしてまた悪いことに今回はモバイル機が持っていけない。期待していたマシンにFDが内蔵されていなく、外付けFDDも買っていなかったことが判明したので諦めた。海外ではプリンタドライバが合わないので相手にFDを渡して印刷してもらうためは必需品である。とりあえず編集したファイルをFDに入れ、打ち合わせで生じた変更は向こうのPCで編集となる。
ちなみにファイルはWordで作ったが、すべて日本語フォントは使ってない。間違いなく文字化けを起こすからである。

2001.04.12:

ゲストブックの方に航空業界の略号が飛び交ったので、ご存じない方のためにちょっと簡単な説明をしておく。
時刻表などに良く出てくるのは都市と航空会社の略号である。いずれもアルファベットで前者は3桁、後者は2桁である。例えば東京はTYO、大阪はOSA、パリはPARなどとなっている。航空会社では日本航空がJL、全日空がNH、日本エアシステムがJD、とこれは各社が自称している3桁の略号JAL、ANA、JASとは違う。これらの略号は世界共通で、業界の人なら説明はいらない。
ところでゲストブックではCDGとLHRという略号が使われたが、これは同じ都市で複数の空港が存在する場合の空港名を区別するのに使われる。CDGはパリのシャルルドゴール、LHRはロンドンのヒースローである。パリとロンドンにはそれぞれオルリー(ORY)とガトウィック(LGW)という別の空港が存在する。
では東京と大阪はどうなっているかと言うと、成田(NRT)と羽田(HND)、伊丹(ITM)と関空(KIX)になっている。
それから航空会社については新たな会社が次々と生まれるので2桁では不足気味になっており、3桁への移行が必要と言われて久しいが、未だに実現していない。手をつけるとなるとものすごい設備投資が必要になるからである。

全世界を網羅した飛行機の時刻表はこの略号でびっしり書かれている。昔は電話帳のような分厚い時刻表が大きな旅行代理店に1部置いてあった。確か上下2冊になっていたと思うが、ン万円もしたので、個人では持てない貴重品だった。しかし今ではインターネットでいとも簡単に検索できる。航空会社のホームページでもウェブ版時刻表を出すのが常識になったし、空港のHPでもリアルタイム発着時刻が掲載されている。これもまた時代が変わったことを示す事実だ。そのうちに紙のものは出なくなるかもしれない。

2001.04.11:

旅の楽しみはその途上だけではない、事前準備もこれまた楽しからずや、というのが私の持論である。
昔から交通手段とか目的地の歴史・地理を調べるのが好きで、時刻表とガイドブックをじっくり眺めるのが通例となっている。特に予定外のことが起こったらどうするか、もし不幸にして列車に乗り遅れた時の代案はどうするかなど、ある程度予測しながら余裕を持って行動したいから、という理由もある。
もちろんその際にはインターネットも活用する。その点は別に書いたことがあるのでここでは深入りしない。
ヨメハンはそういうことを考えようともしない。家族旅行の計画でも自分からは絶対に動かず、私に任せっぱなしである。一度わざと知らん顔をしていて「スケジュールはどうするの?」と聞いたら、「わからへんから、何もしてへん」とケロッとしている。文句を言ったら「わからへんもん、しょうがないやん」と居直ってしまった。実際、出発時間ぎりぎりまで下らない家事をごそごそやるので始末が悪い。常に時間的余裕を持って行動するタイプの私は爆発寸前になることがある。
最近旅行記の更新をやっていない。若い頃の思い出をたどりながらまた書いていくつもりだ。

2001.04.10:

「ペットボトル症候群」という名前が注目されている。糖尿病患者に多く見られる共通の症状で私もその一人だった。
20年近く前、私にはそれが糖尿病としての自覚症状の始まりだった。もっとも当時は「ペットボトル症候群」という名前は付けられていなかったし、自分が糖尿病であるということさえ知らなかったけれども、症状はドンピシャだった。
典型的パターンは、糖分あるいはカロリーオーバーのために血糖値が上がることから来る喉の渇きを、糖分の多い清涼飲料水で癒そうとするためにさらに血糖値が上昇、これをまた清涼飲料水で補う悪循環に陥る、というものである。私の場合は現在のペットボトルではなく、瓶入りの「スプライト」だった。
症状がひどい人は昏睡を起こして死にいたることもある。私の場合は体がやたらだるく、15分も歩くと息切れした。やがて小便から甘酸っぱい匂いがするようになり、そして会社の定期検診で尿糖が+3、血糖値が200を超えていることが判明したのである。
日本人の約10人に1人が糖尿病と言われる。私は比較的若いころから発症したが、肥満と運動不足が糖尿病予備軍を増やしているようだ。ちなみに白人系はインシュリンの分泌が多いために「ペットボトル症候群」というのはほとんどないそうである。

2001.04.09:

いやはやひどい目にあった。
6日は高熱でうなり、その後も微熱が続いて結局3日間布団から出られないままだったのである。恒例の鼻、喉、気管支が一斉に腫れる症状に見事はまってしまった。そもそもは鼻水が止まりにくくなることからスタートする。それに気付いて早めに鼻炎カプセルを飲めばいいのだが、ちょっと手抜きをしたらあっという間に鼻水が喉から気管へ流れ込んで手痛い目にあうのである。
今日は何とか出社したが、まだ完璧ではない。
お陰で6日の職場の花見は不参加、日曜は結婚記念日でヨメハンを連れて外に出るつもりだったのもオシャカ、ヨメハン自身も咳き込む始末である。
週末の満開の桜は拝めず、今日、花吹雪が舞う中をボンヤリした頭で通勤バスに乗った。

2001.04.06:

喉がやられて発熱してしまった。
昨日は出社できたものの、今日は薬をぶち込んで寝たり起きたりの生活だった。で、峠は越えたらしくこうして日記を書いている。

2001.04.03:

今日はさる中小企業との仕事の打ち合わせで外に出た。そしてそこの専務とちょっとした意見交換をしたのだが、やはり話題の中心は「ものづくり」の危機と若者をどう育てるかということであった。
先日のTAとは別の話だが、折りしもある大手電機メーカーの機器でリコール騒ぎが発生したばかり、互いに同様の問題を抱えていることも明らかになった。そして若者だけでなくベテラン社員でもチェックが甘くなっていて、不良品発生を未然に防ぐ関所がその役目を果たしていないということがクローズアップされた。その原因は一言でくくれるようなものではないが、その中で特に、将来のものづくりを担う若者をどう育てていくかがカギであるとの意見で一致したのである。
彼が一番気にしていたのは問題意識の低さと、問題があっても「おかしい」とは言わない、若者が持つその内向的傾向だった。確かに彼らはある面で非常に従順である。しかしそれで満足しているかと言うとそうではない。私に言わせると、論争になるのを恐がる、あるいは極端に言うと他人との些細ないざこざさえをも避けるように育てられている感じなのである。
私の若い頃は未熟ながらも理屈をこねようとしたり逆らったり、という外へ向いての行動が多かった。だから当然失敗も多いし怒られることの連続だった。しかし学ぶことは多かった。それは今も「怒られてナンボ」という居直り的発想に受け継がれている。
専務とそんな話をしていたが、彼も最近は社内の活性化で色々と悩んでいるようだ。それで今年の目標は、売上が多少下がっても「仕事きっちり」というどこかの引越会社のCMをスローガンにすることにしたという。不良品を減らして無駄なコストをなくすことが利益につながる、という作戦である。だから問題はどんどん出して少しでもいいものを作ろう、だから若者も協力してくれと言う意気込みであった。
私は口にこそしなかったが、こういう真面目な中小企業を含む日本の製造業の悩みをよそに、「金庫株」とか、札束の垂れ流しに過ぎない超インフレ政策が取られようとしている。「何でもいいから今さえ儲かればいい」という「カジノ資本主義」がいかに障害物になっているかを再認識させた。

2001.04.02:

新入社員と思しき若者の姿が目立った今日の通勤電車だった。それとともに一時的であるが「旧入社員」がお手本を見せようというのか早く出勤するので電車が混みがちなる。

ニュースで「ランチメイト症候群」というのを聞いた。
この話、某サイトでも病気としてではないが話題になった。要するに昼食を一人でとることができない、常に誰かと一緒でないと不安になる人がいるということである。しかも極端になるとノイローゼから会社を辞めるに至る「ランチメイト症候群」という病的状態にまで達してしまうという。想像はつくと思うが、圧倒的に女性が多い。
一人でいるのは淋しいという気持ちはわからぬでもない。昼飯時に馬鹿話をするのも息抜きとしては悪くない。しかしそれぞれの人の都合でどうしても一人きりになることだってあり得ない話ではない。
それをとても耐えられないとする感情に陥るかどうかの分れ目は、その人の育った環境が大きく関わるのだろう。それを考えると孤立化を極端に恐れる今の若者の傾向と繋がっていることが読み取れる。「ランチメイト症候群」を治療した医師の見解でも、人との付き合い方が十分に訓練されていないことや「いじめ」との関連を指摘している。
「仲間はずれ」になることに恐怖感を覚え、ケータイでしょっちゅう会話やメール交換をしていないと落ち着かないという現実が、こうした病気を生み出す背景にある。
ケータイをポケットや鞄にしまい込まず、ずっと手に握ってままにしている若者を見るにつけ、おもちゃあるいはお菓子の箱を握って放さない幼児の姿とダブって見えるのは、理由のないことではないようだ。

2001.04.01:

ついに4月に入った。
ここ数日の寒さに震えながらも桜の花が開き始めた。去年より1週間程度早い感じだ。
子供にせがまれてアニメ映画を見に行ったが、まだ花見には少し早いような気温だった。でも週末には職場の花見を行なう予定である。