悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

01.05


2001.05.31:

続イギリス日記・4(終)
さて、今回最大のハプニングのことを話そう。もちろん交通機関のことではない。
ロンドンでの朝、駅まで10分くらいのところにあるホテルを出て2つ目の信号に来た時のことだった。白バイが1台、続いてもう1台が交差点の真ん中に来て交通整理を始めた。そして数十秒後のこと、道路の影から大型のロールスロイスがやってきた。
何やら要人が通るらしいことがそれでわかった。そして交差点を足早に通り過ぎる瞬間である。私はあっと驚いた。
何と、後部座席に座っていたのはまごうことのないエリザベス女王だったのである!
思わず横で同じく信号を待っていた女性と目が合った。当然彼女もびっくりしたような目をしていた。
女王の印象は、そう、あの紙幣に出ている顔そのものであった。

2001.05.30:

閑話休題。
最近社内の事務処理ソフトでインターネットエクスプローラーを使ったアプリが増えている。現在でもPCを作っている某大企業が開発したものをうちの会社用に変更したものが2種類走っている。そして間もなくまた新しいものが1本走ろうとしている。
こういう類のものは新たにソフトをインストールする必要がないからある意味では便利である。
しかし私の場合、困った問題がひとつある。それは普段でも2〜3枚インターネットエクスプローラーのウィンドウを開けっ放しにしているので、これらのソフトを新たに起動した時に新しい窓が開かず、開いている窓のどれかひとつの上で新しいページになってしまうことである。これではひとつの処理が終わったらまたページを戻さねばならない。ちょっとこれは不便である。
どなたか「お気に入り」をクリックしたら新しい窓を作るという方法をご存じないだろうか?

2001.05.29:

続イギリス日記・3
出発する前の事である。息子がヨメハンから「ハリー・ポッターと秘密の部屋」という本を買ってもらった。何やら子供の間で人気があるそうで、本が読みたいと言っていた息子にいいだろうと買い与えたようである。
著者はJ・K・ローリングというイギリス女性であることがわかったので、息子に「イギリスに行ったら『ハリー・ポッター』の英語版が売ってるかも知れんな」と言うと、途端に「じゃあ買ってきて」と言い出した。「そう言ってもお前が読めるわけないやろ」と否定しても、買ってくれとしつこくせがむ。どうやら英語そのものよりも英語の本とはどういうものか一度見てみたいという強烈な好奇心が湧いたようである。それで、「もし見つけることができたら」という条件付でOKした。
"Harry Potter"というタイトルと著者の"Rowling"との綴りがわかったので、自信はないが本屋には立ち寄ってみようと思った。
そして向こうに行ってから、ロンドンでの列車の待ち時間を利用して本屋に入った。すると驚くことに新刊書のコーナーにハードカバーの「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」というタイトルが目に付いたのである。おまけにベストセラーのコーナーにはペーパーバックで3つのシリーズが並んでいる。これは相当な人気のようだなと感じた。
ハードカバーは1冊20ポンド(約3400円)と高かったのでやめたが、ペーパーバックはサイズも小さく1冊6.99ポンド(約1200円)だったので3冊とも買った。
少しだけページをめくったが、構文は割合とシンプルでも私のレベルでは辞書なくしては読めない。おまけに"witch"とか"wizard"という言葉と同時に魔法に関するらしい用語が次々と出てくるのでこれはちょっと歯ごたえがありすぎるなと思った。
ついでに向こうの会社で何人かに聞いたら、「ああ、ハリー・ポッターね、あれ子供にも大人にも面白い本で、めちゃくちゃ売れてるよ」というのである。そして用語の問題について聞いてみたら「確かに中世の怪談に関する知識がないと理解しにくい言葉もあるよ」との答えだった。
そんなわけで年末には映画が封切りになるようだし、どんなに売れているかということがよく理解できたのである。
帰国してちょっと調べてみたら、97年出版の「ハリー・ポッターと賢者の石」(Harry Potter and Philosopher's Stone)の第1作を皮切りに「秘密の部屋」(Chamber of Secret)、「アズカバンの囚人」(Prisoner of Azkaban)、「炎のゴブレット」(Goblet of Fire)が既に出版されていて、今後も続くということがわかった。私がイギリスで見たハードカバーは4作目だったのである。日本語訳は2作目まで出ていて、3作目がやっとこの7月に出るらしい。
「ハリー・ポッター」のことを初めて知った私だが、どの程度面白いのか、原文を通勤電車の中で少しづつ読もうと思う。

2001.05.28:

続イギリス日記・2
前回でも少し触れたが、携帯電話は本当に賑やかである。もうとにかく下らないことでもペチャクチャやっている。そこらあたりは日本と全く変わらない。ただ日本でのような心臓ペースメーカーとの干渉問題はないようで、周囲の人達もおしゃべりを大目に見ている。
それとiモードは本当に見られない。一応サービスはあるようだが普及していないらしく、携帯電話の広告にもiモードを強調するものはなかった。文化の違いもあるのかも知れないが、私の想像では料金が安くないというのが最大の理由ではないかと思う。
それから地下鉄の車内広告で「ISDN対ADSL」というのがあった。満員だったので細かい比較表は読めなかったが、ADSLのほうが割安という結論なのだろう。CATV接続の広告は見なかった。

そして今回、USB接続のFDDも買ってもらったので職場のモバイル機を持っていったのだが、結局海外ローミングのアクセスポイントにも繋げないままで終わった。結論的に言うと、私が類稀なる大ボケをかましたのであるが、今日はもうあまりののけぞりようで愕然としているのでこれ以上は触れない。詳細はまとめて「職場サポーターのつぶやき」に書くつもりである。

2001.05.27:

続イギリス日記・1
今回もまたまた駆け足の旅行だった。おまけに今度は交通機関でハプニング続き、まずはそれを紹介する。
ヒースロー空港に着いて、市内への直通電車に乗ろうとしたら切符売り場で「15分遅れ」と予告された。まあそれくらいは仕方あるまいと思っていたら20分くらい遅れて電車が到着。おまけに次の駅で止まったあげくに故障だから降りてくれとの宣告。乗客は皆ぶつぶつ言いながら次の電車を待った。そしたらダイヤが乱れているので電車は信号待ちでノロノロ運転。結局空港から市内まで15分で済むところを1時間以上かかってしまった。おまけに遅れた理由は"technical problem"と言うだけでまったく納得のいかないものだった。
そしてケチがついたのこれだけで終わらなかった。
次の日、ある会社へ10時にアポイントを取ってあったので市内の駅から旧国鉄(現在は民営化しているのでこう呼ぶことにする)で郊外へ出ることになった。ところが駅では電光掲示板が故障しており、仕方がないので案内所でどの番線から出るのか聞いたのである。何しろ大きな駅なので18番線まである。案内所のジイサマは「えーっと、そこへ行く電車なら18番線だよ」と教えてくれた。私は正直に18番線の電車に乗って30分近くの行程を車窓を眺めながら座席にゆったり座っていた。しばらくして車掌が検札に来た。すると彼は私に「本当に○○へ行くの?」と聞くので、そう教えられたと答えたら「え〜〜っ、全然方向が違うよ!」とのたまったのである。そして彼は親切にも携帯電話で私が訪問する会社に遅れることを連絡してくれて、おまけにどうしたらいいか知恵を絞ってくれた。結局遠回りや元に戻ることは時間がかかりすぎるので諦め、途中の大きな駅でタクシーを拾うことにした。タクシーの運チャンは事情を察したのか、笑いながら「20Kmくらいあるから高いよ」と言ったが、私は「仕方ないじゃない」と肩をすくめるしかなかった。クソジジイ!覚えてろよ!
そして事はこれでは済まなかった。
今度は午後にロンドンにとんぼ返りをして、また別の所へ行こうと旧国鉄から地下鉄に乗り換えた。そして行き先の駅で降りようとしたら社内のアナウンスと同時に「閉鎖中」との看板が立っているホームを電車はゆっくりと通過してしまった。どうやら上で火事があったらしい。ムカつきながらも次の駅でUターンして反対行きの電車に乗り換えた。反対側のホームは無事だった。
難儀はまだ続く。
今度は別のところへ行くのに長距離列車に乗った。ところがこれも30分遅刻。前回は5分程度の話だったが途中の信号待ちがやたらと長く、何かあったらしかったが理由は聞かされなかった。
そして極めつけはその帰りの列車で起こった。
相手の会社で打ち合わせを済ませてロンドンに帰ることになったので、うちの会社で雇っているイギリス人に駅まで送って貰った。発車まで15分しかないので挨拶もそこそこにホームへ駆け込んだのだが、電光掲示板には何と予定の列車は「運休」と出ていた。愕然である。これも泣く泣く1時間後の列車に乗るしかなかった。その間の何とイライラしたことか・・・。おまけにダメ押しはこの列車も30分遅れた。後で聞いたら、どうやら運休や遅れの原因は20日からのダイヤ改正と信号系統の故障での慢性的遅れが出ていたとのことだった。
そしてまた別の日にはラッシュ時の地下鉄の渋滞で、車内の若い女の子が貧血で倒れたり・・・もう最悪だわ、こりゃ。

実は私の滞在中にもニュース沙汰になっていたのだが、民営化後の旧国鉄はひどいことになっている。特に施設を所有・管理している"RailTrack"社の修理にかける費用が削減されていて、信号や線路、トンネル、橋などが修理されないまま放置されている例が多く、徐行区間が非常に増えて慢性化するダイヤの乱れの原因になっているとのこと。詳しくは聞かなかったが、線路の不備で事故になった例もあるという。私が目撃したのは、レールをコンクリート枕木に繋ぎ止める「レールクランプ」がきちんと付けられておらず、側線などでは鉄の楔を使うところを木切れで誤魔化してあるのを見つけた。こうした資金不足とメンテ不足は来年まで続くらしい。

2001.05.22:

またまたイギリス出張となった。
今回は向こうに滞在するのが2日だけというとんぼ返りの強行軍である。とてもじゃないが時差ぼけを解消している暇なんぞない。どうやら今年は毎月のようにヨーロッパ駆足往復ツアーがありそうだ。長期もしんどいがこういう細切れもまた辛い。
しかし時代は変わったもので、この頃の海外出張は何か夜行列車で行く国内出張と変わらない雰囲気がある。夜が明けると全然違う言葉が聞けるというのもこれまた似たようなものか。

2001.05.20:

最近「ハンセン病」についての判決があって、政府の責任とともに国会が法改正を怠ったことにも触れていた。
ところが政府はこれに対して「他の患者も補償せねばならない」として控訴を考えているという。患者・国民の人権よりも自分達の面子にこだわる官僚的体質には心底腹が立つ。
さらに言えば私はこの問題を三権分立に対する危機としても感じてしまう。そもそもハンセン病の治療法が確立して以後も法改正をせずに患者を監禁状態にしたままにするという、政府と国会の人権無視がある。それを司法の側から警告したものであるが、そのことの意味を理解しないでどうして三権分立が維持できようか。人権を無視する人間に公務員バッジをつける資格はない。

2001.05.19:

どうも眼鏡を新しくしてからとんでもないことがわかってしまった。
遠くはシャープに見えるようになったのだが、近くの小さな字が滅茶苦茶見えにくくなったのである。特に午前中は遠近の調節がほとんどきかない。辞書を見る場合など老人のようにページを遠ざけてもまったく読めないのである。
取り替える以前のぼやけた眼鏡のときは目立たなかったのに何故こんなことになったのか、一夜にして変わることはないだろうから、今まで隠れていた問題が新しい眼鏡で一気に表面化したのだろう。
これ以上我慢ができなくなったら遠近両用か、二つの眼鏡を用意しないといけなくなるだろう。
ううむ、えらいこっちゃぁぁぁぁぁ!(号泣)

2001.05.18:

「出会い系サイト」をきっかけとした殺人事件が起こった。被害者の方には本当にお悔やみ申し上げたい。しかしある意味では起こっても不思議はなかった。既にストーカーなどのトラブルが報告されていたし、そもそもは匿名性が高いのであるから、そのことを悪用する危険性は最初からあった。
ネット社会での匿名性の問題は電話勧誘と同じで、私ならすぐに想像できたが、今の若者(こういう十把一からげの括り方はしたくないが、少なくない人数というの意味で)はそういう警戒感が薄く、時々驚くような話を聞く。
私の友人の娘は、掲示板で知り合った相手にすぐさま電話番号や住所を教えていたという。親が心配して私に相談してきたが、親自身も意識して教えていない、ましてや学校などでは消費者教育のかけらもやっていないので、被害者が続出する可能性は十分にあると言えよう。
私の世代なら「うまい話はそんなに簡単にあるわけがない」ということを自然に教育された。しかし今はクレジットカードの使い方などちゃんとした教育が必要に思う。
そもそもクレジットカードというのは一種のツケ、つまり信用貸しなのだが、それを知らずに限度を超えた使い方とかサラ金並みの金利を取られるほどキャッシングしてみたり、挙句にブラックリストに載るようなことになる話を良く聞く。
「出会い系サイト」の危険性もそうだが、残念なことにちゃんと説明してくれるところはまずない。むしろ無知を悪用して金儲けをしているとすら思えることもあるほどだ。

2001.05.17:

昨夜は実に妙ちくりんな夢を見た。
時は正月(笑)、酒を飲んで酔っ払い、さらに何と昔仕事で付き合っていたドイツ人と(笑)、それがまた英語で電話をかけていたのである(爆笑)
当然呂律は回らず、自分でも何を喋ったのかまったく訳のわからない状態だった。
こんな夢は初めて、それも英語とは、もうこれは重症である(苦笑)

2001.05.16:

社内研修ということで久々に研修所に行ったら、往復のバスでの高校生たちの生態に驚いた。
朝はいつもながら沿線にある高校の生徒ばかりで満員になるのだが、今回何年ぶりかで乗ったらその変わりように驚いた。まず、化粧とリュック、これはまあ流行のものだからとりたてて大騒ぎするものでもない。しかし以下の2点にはかなりの「?」と「!」が付く。
まず、バスを待つ長い行列だが、バスが来て順次列が進んだ後満員にならないうちに列が止まる。どいうことかというと、満員になる前に、並んでいた連中が待合の椅子に20人くらいが(それだけの席はある)一斉に座ってしまうのである。その後の連中も座った人間をほったらかしにしてバスに乗り込むということはしない。だからバスはすし詰め状態にならないまま発車するのである。
このことから、彼らはすし詰めを嫌うということと座りたいという意思が強いということが言えるのではないか。特に座りたがるというのは最近言われている子供たちの体力の低下の反映ではないかと思う。
次に、これは私には理由と言うか原因が全く想像できない点で、とにかく出入口に群れたがるというだけでなく、そこで陣取ったまま途中で乗降客があろうがなかろうが一歩も動かないということである。これはバスだけでなく電車でも同じである。
私の感覚では、混み合ってくれば奥へ一歩入るか体を少しずらして揉み合いになることを避けようとする。ところが高校生を中心とした若者の大半の傾向として、一旦出入口に立ったら「互いに譲り合う」という行動をしないというか拒否しているように見えるのである。この現象は関西だけなのかも知れないが、とにかく目立つ。以前あるオバチャンが電車で「ちょっとあんたらそんなとこで固まっとらんと奥に行きぃな」と警告しても無視する状態だった。
私にはそういう行動を示す若者の心理を示唆するような話とか、彼らの意見を直接耳にしたことがないので何とも言い難いが、何か大きな要因が存在するのだろう。しかし私には納得できるような合理的な理由が思い当たらない。

2001.05.14:

ふと死んだ親父のことを思い出した。
農家の四男で、小学校を卒業したら家を飛び出し、たまにふらっと家に帰るというフーテン生活をしていたらしい。親父はついぞ放浪生活の全貌を語ることはなかったが、それでも断片的に北は樺太、南はトラック諸島まで行ったことを洩らしていた。
神戸にもいたらしく、その頃に映画の面白さを知り、それも洋画が好きになったようである。好きな俳優はチャップリン、ゲーリー・クーパー、ダニー・ケイと言ってのけた。それが故に時々子供たちを映画に連れていった。私の記憶にあるのは「翼よあれがパリの灯だ」と「101匹わんちゃん大行進」である。
祖母も映画好きだったが、こちらは時代劇中心、清水の次郎長シリーズが多かった。
やはりそういう横文字の世界に抵抗感がなかったせいだろうか、子供たちは皆歌謡曲よりもポピュラーソングをラジオで聞いた。今は亡き小島正雄による「9500万人のポピュラーリクエスト」という番組をビートルズがデビューする直前の頃から愛聴していたのである。
私の人生もやはりこういう「馴れ」の影響が大きいかもしれない。ただ、兄弟では私だけが横文字が関係する仕事に就く羽目になってしまったのだが。

2001.05.13:

日本の子供の学力は結構高い。しかし勉強嫌いが多いという調査結果が出ている。要するに受験のための詰め込みがそうさせるようなのだが、それにしてももったいない。
日本の教育レベルは本当に高い。明治以降、富国強兵政策のせいもあったが、義務教育に力を入れた結果非常に文盲率は低い。それは私の実感である。
昔アフリカの某国にいた時、独立後十数年で小学校は午前と午後の2部授業だった。教員が不足していたからである。そして現場の事務所で現地職員を雇うときに総務担当者が簡単な試験を行なった。トータルで10名くらいだったと思うが、問題の中にわざとマイナスになる引き算を一問紛れ込ませた。結果は正答率ゼロであった。それから工場のオペレータは元小学校教員が多かったが、これも「『負圧』って何?」と聞いてきた。
さらに言うと、飛行機で隣席の身なりのいい青年から「入国カードを書いてくれないか」と頼まれたこともある。字が書けないのである。さすがにフランス語だったし職業は何かとか聞けるほどの実力はないので、スチュワーデスを呼んで彼の代筆をしてもらった。
それで日本人の教育レベルの高さを知ったわけである。だのに今の日本では勉強嫌いを日々増やしている。こういう現実は本当に悲しいし、根本的に何とかしないといけない。

2001.05.12:

何故か今日はおだやかで平凡な一日であった。
子供は学校の休み、私も休みでなおかつ用事で外出ということもなかった。空は晴れ、行楽に出掛けてもよかったが、何もせずに昼はうたたねをする始末だった。
しかしヨメハンは日課の掃除・洗濯を欠かさない。専業主婦だし、休みだから止めにしてもいいと思うのだが、家事は毎日やっていないと気が済まないそうである。

2001.05.11:

とうとうというか、恐れていたというか、大騒ぎになる出来事が会社であった。
ウィルスが捕獲用の網をすり抜けてメールサーバーに入ったのである。その名も「Home Page」ウィルス。
例のアドレス帳を使って伝播させるVBScriptタイプのものだ。何故すり抜けてしまったのかはまだ公表されていないが、とにかく社内の掲示板を通じて駆除とウィルスデータの更新が大々的に呼びかけられた。そりゃそうだろう、間違って全社にばらまかれたらひとたまりもないからである。
そう言えばこれでカイワレ大根を思い出した。というのもカイワレは水耕栽培で、常時肥料が入った水が流れているので、一旦病原菌が水に混じるとあっという間に全滅するからである。そう言う意味で大企業のウィルス騒ぎとよく似ている。
それだけに会社としてはウィルスに非常に気を使うわけであるが、今回は万全と思われた対策にも穴があるということを突きつけられたわけで、情シス関係者はショックだと思う。勿論我々職場ベースでも気が抜けないのは言うまでもないことだが。

2001.05.10:

職場で例の「歴史教科書検定」問題に対する韓国からのクレームについて「けしからん」と発言する人がいた。正直言って腹立たしかった。そして私はこう言った。「あれは歴史的事実を認識するかしないかの問題であるから、文句を言われても仕方ないこと」だと。
私は韓国の人達と仕事での付き合いがあるのだが、彼らは普段日本人に対する敵意を剥き出しにすることはない。しかし日本が侵略した事実については我々が想像している以上に敏感に反応する。
そのことについて私には忘れられない光景がある。それは1988年ソウルオリンピックの時だった。
各種目の試合が進んで準決勝、決勝と韓国が勝ち上がっていくとそれにつれて応援がエスカレートする。そんなことはごく当たり前で今更どうこういうほどのものでもない。しかし日本が出場する試合になると妙なことが起こった。日韓対決は別として、いずれのも試合が熱を帯びてくると韓国の観客の大半が日本チームの対戦相手を応援するようになるのである
この事実を前にして私は頭を殴られたような気がした。戦後何十年経っても「アンチ日本」の風潮が衰えないということは何を意味するのか?それを考えると深刻になった。侵略と植民地支配への恨みがかなり根深いところにあることを見せつけられたからである。
それ以降この思いは私の頭の中から消えなかった。と同時に日本に対する憎しみを生む原因を取除かない限りこのような傾向が続くだろうということを思った。
一度だけだったがある韓国人にこのことを話し、「ソウルオリンピックでの事実を直視し、解決していかないといけないのでしょうね」と結んだら、彼からは「よくお解かりですね。あなたのような日本人がいることに安心しました」との答えが返ってきた。私は救われた思いがした。
そういうわけで、教科書問題について「けしからん、内政干渉だ」などという発言をする発想は私には及びもつかないのである。

そもそも朝鮮半島に限らず太平洋戦争において日本が加害者であったことはもはや隠しようのない歴史的事実である。それを必死になって犯行を薄め、あわよくばなかったことにしようという意図が教科書の記述に含まれていることは明らかである。しかもこれを子供たちに教えようというのだから開いた口がふさがらない。
現在、NKHKの大河ドラマで「北条時宗」をやっているが、もし元寇を日本に対する元からの侵略ではないという人がいたらお笑い種である。ましてや元からの侵略の意図を「そんなつもりではなかった」と弁護する人がいたら馬鹿にされるだけである。
しかし悲しいかな戦前の侵略の事実を認めようとしない論調がまだ日本国内に存在する。特にいわゆる「お偉いさん」と称するバカタレ連中がアジアの人達を傷付ける発言や行動を行ない、あまつさえ反省すらしないことである。そのことが我々が民間レベルで地道に努力してきた対等平等の関係を一夜にしてぶち壊し、彼らの憎しみを再生産してくれるのである。
最後にひとつだけ付け加えておきたい。ちゃんとした清算ができていない現状のままでは百年経っても憎しみは消えないだろう。

2001.05.08:

トップページで案内したように「ホームページについて」に書いたものが一部加筆訂正されて「インターネットの秘密」という本に掲載された。
原文で「ある作者」となっているのは実はこの本の作者「HIROMI」さんである。とてもおもしろい人で、サポーターとしての経験もさることながら、謙虚さとか、人間性にあふれた世界観を持っているという印象が強い人である。現在は同じコンピュータ関係の仕事をしている男性と結婚され、充実した日々を送られている。
お陰で新刊のリリースの発表以来、内容が気に入るかどうかは別としてここのページを訪れる方がぐっと増えた。自己満足で書いているページなのでアクセスの増減で一喜一憂することではないが、何かを感じていただけるのなら幸いである。
HIROMIさんとはもう2年以上のお付き合い(オンラインベース)で、転載の話は数ヶ月前にあった。ちょっと最初はびっくりしたが、別に手間かかるわけでもないことなので、即座にOKした。またここのURLの公開も快諾した。あちらのサイトでの私のハンドルネームと違うので若干迷いもあったが、実害があるわけでもないのでこだわる理由はなかった。
ところでHIROMIさんのサイト、「サポートセンターの秘密」は実に面白い。3年前、開設と同時にアクセスやメールがどっと集中したというから同じサポーターの琴線に触れるところがあったのだろう。レベルが違うとはいえ、職場サポーターの端っこをかじっている私でも共感できる部分が大いにあったのは事実だ。特になぜ私が触発されたかという理由がおわかりいただけると思う。彼女のサイトは「お気に入りリンク」に載せてあるのでそちらからアクセスするといいだろう。なんと言ってもトップページから順に見ていくのが本当の面白さを知る本筋だろう。

2001.05.06:

ゴールデンウィークも最終日、決算はバーベキューで使った数千円だけ。何とも安上がりであった(笑)
おまけに変な副産物もあった。それは子供が「釣りに連れて行け」との約束を「一応」果たしたからである。バーベキューをやった海岸のそばはテトラと防波堤があって、釣果はともかくやってやれないという場所であった。それでメンバーの一人が道具と餌を持って来ていて、子供に「やっていいよ」ということになったのである。
子供と言うのはここらへんが単純というか、釣果よりも「やれた」と言う事実の方がはるかに意義あることだったのである。親としては、同じ金を使うなら場所も天気も潮も良好のところで、と勝手に思っていただけなのである。そのことをうっかりしていて、子供には随分待たせることになってしまった。親の価値観だけで判断することの無意味さを改めて知る出来事であった。

2001.05.05:

入出国管理で使われている「出国・帰国カード(通称:EDカード)」が廃止されるという話をニュースで知った。但し日本人だけだが。
パスポートを読み取る機械の導入が完了する7月が目標らしい。これで混雑もかなり緩和されるだろう。
これは実感だが、入出国カードの書き忘れは多いわ、余計な書類、例えば航空券とか到着国の入出国カードとかを一緒に出して、管理官から睨まれつき返される人がしょっちゅういるわ、あの関空の混雑ぶりにはもううんざりしていたからこれは朗報である。
ヨーロッパではほとんどなくなっていたが、日本もそう言う意味で先進国になる。しかし、なぜか今もってうるさいのは米英である。イギリスはイギリス国籍・EU圏内・その他と3つのゲートを作っていて、いちいち「何しに来た、何日滞在するか」と我々「その他組」一人ずつに尋ねる。もういい加減にやめたらと思うのだが。

2001.05.04:

昨日は友人たちと海岸べりでバーベキューを楽しみ、しこたま飲んだので日記の更新はせずに寝てしまった。
一昨日は通院の日で、糖尿病の重要な数値であるグリコヘモグロビン(HbA1c)の値も境界値の6.5、何とか医者の心象も良かったので羽目外しに及んだ訳である。従い、今日からはまた患者としての摂生ある(?)食生活に戻った。
はあ〜、気分一新(^-^)

2001.05.02:

イギリス日記・書き忘れ篇
例によって私は糖尿病なのであまり食べ過ぎてはいけない。しかし旅行、それも海外となるとどうしてもカロリーオーバーになる。
イギリス滞在中は、朝飯は何とかめちゃ食いにはならなかったものの、昼と夜はどうしても普段よりかなり多くなった。それと驚いたのは大陸の食事とはちょっと違う感じを受けたことだった。
わずかな滞在だったのですべてがそうだとは言い切れないのであるが、まず昼飯、これがどの会社へ行っても出前のサンドイッチとオードブルを会議室で食わされたことだった。大陸なら来客用食堂か近所のレストランで食事をする。別に贅沢なフルコースを食べるわけではないが、彼らも来客をダシにしてちょっとしたご馳走を食べようとする。私は断るが、彼らは昼間からアルコールも口にする。ところがイギリス人はおしゃべりしながらサンドイッチをつまむのである。ある会社では社長室の横の豪華な応接室で立ちながらの昼食だった。もちろんアルコールはない。
それから夜はどこでも夕食に招待されるということがなかった。これも大陸では珍しい。もちろん毎晩ということはありえないが、もし1日だけの訪問ならばまずもってその夜は「晩飯でも一緒にどうですか」と声がかかる。こちらの体調が悪くなければ断る理由はない。どうもその辺がイギリス人はちょっと習慣が違うようだ。
それで夕食はホテル内の食堂で日本だけの飯を食った。ビール+ス−プ+メインコースで一人15ポンド、現時点のレートで約2600〜2700円、田舎にしてはやはり高めである。ボリュームは言わずと知れたてんこ盛り、おまけに塩辛かった。イギリスのメシは不味いことで有名だが、味付けが荒っぽい(ドイツも似ている)からだろう。
白人系はアルコール分解酵素もインシュリンも日本人よりはるかに多い。だから彼らと同じ分量の飲食はできっこないし、してはならない。自慢じゃないが、若い頃にベルギー人とウィスキーの一気呑みの勝負をしてぶっ倒れた経験がある。

どなたかイギリスの食事について詳しいことをご存知であればご教示願いたい。

2001.05.01:

「マイライン」のサービスが開始された。私自身は改めて登録していないのでそのままNTTになる。
世間の実態は私と同じく未登録が多いようだ。何かの事情があって市外通話が多い人を除き、市内通話では料金はほとんど変わらないから面倒な手続き(?)を避けたのだろう。
この「マイライン」、どうも私には気になることがある。まず申し込みをした人に対する対応の遅れだ。意図があって登録したのに800万件の移行作業が完了してないというのは顧客無視と言っても言い過ぎではあるまい。「予想がつかなかった」とかの言い訳は問題外である。経営陣を中心とした「会社」としての姿勢が問われている。
もうひとつは「マイライン」のシステムそのものが利用客の利便よりも通信各社の競争とか規制緩和の企業サイドの視点が中心になっていることだ。というのも登録をした人が少ないことが示しているように、個人レベルでは"00XX"を押すことに強烈な抵抗をを示すほどのことではないからである。ちなみに私の会社では経費節約の観点から以前より交換機に「マイライン」と同じ仕掛けがしてある。