悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

01.08


2001.08.31:

いつの間にか月末になった。盆が過ぎ、その後台風がやってきてそれからは朝夕も涼しくなってきた。今朝などは半袖だと少し肌寒く感じるくらいだ。
時はめぐり、子供の夏休みも終ろうとしている。夏を過ごしたクワガタムシは卵を産み、そして子供自身は残った宿題に必死で食いつく。そんな風景は今年も変わらない。
私自身も月末で仕事にドタバタ走り回り、それでも帰宅する頃には一段落して家で夕食を摂ると仕事のことは忘れてしまう。そして仕事を忘れたその次にはこの日記のことを思い出す。
そうした日々はまた繰り返され、来年はまた同じようなことをしているのだろうと、ふと思う。しかし来年は来年で今年とはまた少し違っているだろう。少なくとも1歳は年を取っているだろうし、何よりも私自身はそれほど変わらなくても子供は大きく変わるだろうということである。来年は6年生だから「お父さん遊ぼうよ」とはもう声をかけてくれないかも知れない。

2001.08.30:

ハリーポッターの物語で感じるのは、やはり登場してくる大人たちの人間臭さと言うか、大人の世界の喜怒哀楽の現実を変に飾らずにそのまま語っていることだろうか。それが大人たちにも人気がある秘密かも知れない。
現在の地位を脅かされることを極端に嫌い、ひたすら自分が「普通の人間」を装おうとする育ての親のダスリー夫妻。巨体に似合わず人情味にあふれ、涙もろいハグリッド。正義感と使命に生きるダンブルドア校長、などなど・・・
「炎のゴブレット」ではQuidditchのスター選手でドゥルムストラング校の生徒でもあるヴィクトル・クルム、スキャンダラスな記事ばかりを書く女性記者のリタ・スキーターも登場する。それと今回は魔法省(日本語版では「魔法局」となっているが、内容から見ても"Ministry"は「省」だろう)のファッジ大臣が自らの保身を重視するがために、ついにダンブルドア校長と袂を分かつことになってしまう。ヴォルデモートの復活が確認されたことを巡って、その事実を公表すべしとする校長に対し、つい「それでは私の立場が・・・」と本音を吐いたことから対立が決定的になってしまったからである。
「子供向け」ということで、このあたりの生臭さはオブラートに包んでしまうというのが「普通」だと考えられるのだが、その描写を作者は非常にストレートに書いている。逆に言葉がシンプルなためにネイティブでない私でもすぐに理解できる。
このあたりの感覚は根っからの日本人である私にはやはり「きつい」という印象を覚えるのだが。

2001.08.29:

昨日の話の続きを今日書くつもりでいたら、何とタイミングのいいことかちょうど読み終えてしまった。
さて、Triwizard Tournamentはホグワーツ校以外に2校が参加すると書いたが、それらはどこから来たかというとフランスのボーバトン校とブルガリアのドゥルムストラング校である。何故両国なのかを示唆する内容は何もなかったが、それらの国の特徴を強調する意味か、喋る言葉に「クセ」を持たせている。もちろん元はイギリスの子供を対象にした話だから当然彼ら外国人にも英語を喋らせている。しかしその訛りは良く知られているので一見してどこの国の人間かわかるようにしている。
つまりフランス人なら"H"の発音ができないから"Harry"は"'arry"になり、"Have"は"'ave"になるのである。またブルガリアは"W"を英語の"V"と同じ発音(ドイツ語も同じなのだが、ブルガリア語もはたしてそうなのか私にはわからない)にするので"We"は"Ve"と書かれている。
このあたり、日本人にはちょっと馴染みがないというかハグリッドが話す方言とはまた違ったニュアンスが感じられる。それにしてもこのフランス訛を日本語にどう訳すのか、訳者は悩むのではないかと想像する。

2001.08.28:

ハリーポッターの第4作「炎のゴブレット」がやっとフィナーレになるところまで来た。前3作はペーパーバックで200ページか300ページだったが、今度のは600ページを越える長編である。通勤時間を利用して1ヶ月かかってもまだ終わらない。
ところでタイトルの「炎のゴブレット」とは何なのか最初は判らなかったが、話の途中になってやっと出てきた。
ハリーが4年生の新学期を迎えた最初の夜、校長が「今年はQuidditch Cupは中止する」と宣言する。生徒たちはびっくりするが校長は続けて「それに代わってTriwizard Tournament(3魔術師選手権とでも訳そうか)を開催する」と告げる。これはホグワーツ校のような魔法学校を外国から2校招いて、それぞれの学校から一人づつ代表選手を出して技を競うというものである。その際、各校の代表をどう選ぶかというと生徒たちが自ら立候補して名前を紙に書き、「炎のゴブレット」に投票する。そしてゴブレットが炎と共に代表名を書いた3枚の紙を吐き出すというストーリーなのである。だが選手になれる資格には年齢制限があり、ハリーには残念ながら参加資格がなかった。
ところがである。選手を選出するセレモニーでとんでもないことが起こる。何ともう一人の名前がゴブレットから出てきて、ハリーを4人目の代表選手として選んだのである
これは先生たちの間でも揉めた。しかし最終的にはゴブレットが判断したことということで4人で争うという決着を見る。だが校内では「ハリーは目立ちたいがために自分で投票した」との疑惑が囁かれ、ハリーは孤立するのである(こういう展開は初めてだ)。

2001.08.27:

新会計システムとは関係ないが、海外メーカーとの取引で珍事が起こった。
ある小さな部品をアメリカのメーカーに注文した。すると在庫がある分だけは即納してきたが、不足分はドイツの下請けから航空便で直送するとの連絡が連休中にあり、荷物の到着を待っていた。ところが今日になっても入らない。しかし、実は私も失念していたのだが便名の入った船積み書類のFAXコピーが届いていたことがわかり、それによると20日には関空に到着していなければならなかったのである。
それで慌てて通関業者に電話して関空の倉庫で荷物が眠っていないか確認してもらったら、何と別会社の飛行機で今日届いていたのである。
だが、私が最も驚いたのは単なる便の変更だけではなく、れっきとした船積書類、それも"Air Waybill"と呼ばれる航空会社が発行する債権にも近い正式書類が嘘だったことである。普通この書類は再発行が簡単にはできないほどの重要書類で、「確かに荷物を受け取りました」という航空会社の信用に関わる内容が書かれている。それがいとも簡単に「間違いでした」というのは初めて聞く類稀なる珍事である。
実態から言うとこの書類はほとんどの場合航空会社の認定代理店が発行するのだが、それにしても業界の常識からは考えられないことだっただけに、通関業者と私とで「ようやるわ」と苦笑することしきりだった。

2001.08.25:

昨日の続き。
支払いの一部が端末からできなくなったとはこういうことである。一般の経費払いとか受取手形の登録など、従来ホスト機でやっていた作業は一応サーバーでの新会計システムに移行された。この時、従来はエミュレータをインストールした特定の端末からしかできないようになっていたものを、マンマシンインターフェースの部分はIEのフォームシートにして電子決済をやりやすくしたのである。これだと確かに重たくて使いにくいカスタムアプリを全社員にインストールする必要がなくなる。そういう意味では使い勝手の問題は脇に置いても改善されたと言えるだろう。
ところが私の使う手順の一部、昨日書いた前渡金についてはこの「フォームシートからのインプットはしないでくれ」という真に不可解な指示が、それもマニュアルの片隅に書くという形で、出ていたのである。しかしこれに対する代替措置についてはもっと悲惨な説明が待っていた。
工場経理を通じて出てきた回答は「新会計システムのカスタムアプリから直接インプットしてくれ」という矛盾に満ちたものだった。何故かと言うと、先に説明したように経理・財務関係者以外はフォームシートにしたためにカスタムアプリはインストールされておらず、かつサーバーの負荷を軽くするために経理・財務関係者でも使用権限を持つユーザーの数は制限されているのである。ということは私から出すデータは手書きになり、かつ工場経理の担当者がそれを端末から打たなければならないという全くの改悪にしたということに他ならない。工場側の関係者は開いた口が塞がらなくなった。と同時にこんな改悪をしておいて平然としている本社サイドに対する怒りが湧いてくるのを押さえることは不可能なことであった。
百歩譲って帳簿の仕分け上例外としての処理(この先の説明は簿記の専門知識が必要なので省略する)が必要だったとしても、別のプログラムを作るなど代替措置を講じるというのが礼儀あるいは常識というものだろう。今までのホスト機からの処理ではできていたのだからなおさらである。それを改悪しておきながら仕方がないというニュアンスでこの問題を乗り切ろうという根性には唖然とするしかない。今後の展開がどうなるかは予断を許さない。しかし私としては一切の費用負担を含めて本社サイドに責任を取らせるつもりである。そうでなくては腹の虫が収まらない。

2001.08.24:

会社の新しい会計システムで唖然とする事実がわかった。結論的に言うと、私が端末から処理していた仕事の一部が新システムでは対応しておらず、なおかつその説明がまったく不十分で運用開始から2ヶ月もなってからわかったのである。
元はといえば本社経理が100%子会社を使って新システムを開発したのだが、自己本位的なところがうかがえて、事前の説明会で質問しても「何をゴチャゴチャ言ってるのか」という雰囲気だったし、7月からの実際の運用当初からあちこちで「説明が悪い」とか「そんな面倒くさい手続きがいるとは聞いていない」などの不満が続出していた。そしてついに私にも被害が生じ始めたのである。
私が直面した問題は2つ。
一つは新しく付き合いのできた会社のマスター登録。以前は所定フォーマットに手書きして電算にFAXを入れると翌日には使えた。ところが今回からは以前からあるホスト機に加えてサーバーのマスターにも登録するのだが、サーバーにデータを入れてから翌日にホストへ転送するということをやったものだから、私が使えるホスト機のデータは翌々日にしか使えないことになった。おまけに運用当初の混乱で私が初めて使ったこの手順が本社サイドがモタモタしてうまくいかず、登録に1週間もかかった。それをクレームしたらものすごい返事が来た。「翌々日になるのは我慢してください。急ぐなら自分でホスト機の管理者へFAXを入れてください」という謝罪もへったくれもない居直りの回答だったのである。
その次は今日判明したとんでもないものだった。
海外との契約では日本と違って検収手続きが全く違う。国内では検収専門の職場があってそこで倉庫管理と納品書などの書類を管理していて電算インプットもやるのだが、海外との取引では私自身がこれまでホストを使って支払いを含めての手続きをのやっていた。ところが今回は支払いの一部の項目、特に前渡金については一般クライアントの端末から電算インプットができないことになっていたのである。
さすがにこれには頭から湯気が昇った。おまけにこの事実は工場経理にも知らされていなくて、彼らも放心状態になった。というのも今月末支払いの工場経理から本社経理への申請の締切が今日だったからである
今まで私は工場経理をボケナスと思っていたが、さすがに今度だけは彼らと共同戦線を張って本社に強硬なクレームをつける予定である。当然今日の締切は無視して救済措置を取らせる。
この続きは明日に。

2001.08.23:

前代未聞、私にとっても生まれて初めて経験する超低速の台風が去った。関西でも丸一日風雨にさらされ、被害も出た。唯一の救いは琵琶湖などの貯水量がやや増えたことである。
台風が去った後はまたもや照りつける陽射しが強くなった。しかし朝夕のムッとした雰囲気とと体から吹き出る汗で体がベタつく感じはなくなった。やはり「台風一過」である。
ネクタイを復活させた。

2001.08.21:

昨日書いた韓国出張組は何とか関空にたどりつき、ついに飛行機は飛んでいった。何故飛んだのか何人かと雑談していたら、「離陸はエンジンを最大に吹かすから飛べるが、離陸は逆にエンジンを絞ってフラップを下げて風まかせになるから危なくてできない」との結論だった。なるほど、それなら大韓航空の便が早々と運休になった理由がわかる。つまり韓国から飛んできて折り返しになる運航だと、関空に降りられないのである。
今日はどこの職場へ行っても台風情報のウェブページが開いていた。その中で職場のT氏が台風の予想進路の画像を壁紙にしていた。そしてニコニコしてこう言うのである。
「あ〜、やっぱり『最新の情報に更新』しても変わらんか」
私:「そらデスクトップの壁紙やんか。ウェブから落とさん限り変わるわけないやろ(笑)」
T:「やっぱりな〜(笑)」
なるほど、インターネットエクスプローラーの画面を右クリックすると「最新の情報に更新」というメニューが出る。デスクトップでもやはり同じメッセージが出るが、全く意味は違う。T氏はもちろん知っていたが、知らない人は画像が切り替わるものと理解しても不思議はない言葉の使い方であることに改めて気付いた。

2001.08.20:

休みが明けたらやはり何かとトラブルが待っていた。
PCに関連する話は「職場サポーターのつぶやき」に書くとして、一つは下請けとの話の食い違いで後始末の電話をかけまくることになった。他の職場の担当者のミスで検収が遅れたのだが、金銭にもつながる話なので相手の機嫌を損ねないような話し方をするのに苦労した。
次は台風がらみ。どうやら明日関西を直撃しそうな雰囲気だが、先週末の休みの間に社員2名が急遽韓国へ出張ということになり、ちょうど明日の午後のフライトを予約してしまっていた。いずれは私も絡む話なので電話で向こうでの打ち合わせ内容を相談したのだが、最後に「ところで明日は飛行機が飛ぶんかいな?」と聞いたら、「とにかく関空には行くだけ行くわ」とのこと。しかし関空にたどり着けるかどうかも問題だし飛行機も飛べるかどうかわからない。おまけに飛べないとわかってからでも、電車が動かないと帰ろうとしても帰れないことも考えられる。どないするつもりやろ・・・???

2001.08.19:

靖国神社の問題で少しまとめてみたい。
戦後56年経っても、国内でもそうだが特に海外からはきつい批判を浴びる。現状のままだと100年はおろか、1000年続いてもおかしくない状況である。こんなことは歴史上ちょっと考えられない事態である。パレスチナ問題は2000年も昔の話を蒸し返したことがきっかけだが、これは第1次大戦後にイギリスが二枚舌外交をやってユダヤ人をけしかけたのが原因で、それまではパレスチナ人と仲良くやっていた。またユーゴの分裂は、第2次大戦で故チトー大統領の求心力によって反ナチの連合体としてスタートしたものだが、彼の死によって団結が崩れると共にセルビアの指導者たちが国民を先導したのが原因だ。これは今ミロシェビッチ前大統領が逮捕されて裁判にかけられ、戦争責任が明らかにされようとしている。
これに対して日本では、戦争の責任追及と清算が事実上なされてないのである。これは少なくない良識ある人達が認めている。しかし世界的に見てもっともまずいのは政府が1995年の村山首相(当時)談話程度があっただけで、歴代の自民党を中心とする保守勢力の本音は先の戦争を侵略戦争と認めず、現憲法を「押し付け」と明言してはばからないのである。そしてそのアイデンティティーとして靖国神社参拝があり、国民に対しての挑戦状として「新しい歴史教科書」が存在するのである。
だが考えると国際的にはおかしな話で、日本はポツダム宣言を受け入れ、二度と戦争を起こさない保証としての憲法制定、ならびにサンフランシスコ講和条約を結んだのではなかったのか、また国連に加盟させてもらえたのではなかったのか?
それを未だに反省しないということは、世界に向かっての背信行為と言わざるを得ない。
ではどのようにして戦争問題を清算するか。基本的には加害者としての謝罪と補償しかあるまい。ドイツでは毎年TVでナチス特集番組をやるし、討論会を予定時刻を過ぎても延々とやる。先日もダイムラー社が強制労働に対する補償金を支払うことが決定した。
何もそこまでしなくても・・・という議論もあるようだが、加害者が謝罪しないという現状では被害者との対立・わだかまりは抜けない。なぜなら日本の側ではあの戦前の体制とか戦争のことをちゃんと教えないために「内政干渉だ」とか「いつまでもぐずぐず言う人達とは付き合いにくい」という感情が子供たちに伝わっていき、他方被害者の国では日本の無反省に対するクレームが毎年繰り返されると同時に父母の悲惨な体験が子供達に伝えられていくからである。つまり対立がいつまでも残るというだけでなく、子孫にも再生産されるわけである。その意味で教科書問題は加害者の側から意図的に再生産しているとも受け取れる悪辣極まりないものと言ってよかろう。
ところで「被害者」として戦争で死んだ日本人のことはどう解決すべきだろう。
言うまでもなく靖国神社はその設立目的からして戦没者を祀る目的にはふさわしくない。理由は以前書いたとおりである。付け加えて言うなら、現在リストアップされている人達にはA級戦犯も入っているし、遺族が合祀を拒否している韓国・朝鮮から徴兵された人達も含まれているという。
ではどのような形が望ましいか、それは今の私にも妙案はない。明確な謝罪をどうするかとともに、国民の総意としてこれから作り上げるしかなかろう。もう少し言うと、こういうアジアの人達との関係修復は戦後生まれが中心になってやらざるを得ないだろうということである。本音としては先の世代でケリをつけて欲しかった。しかし戦後生まれが人口の7割を超えた現代でそんな恨みがましいことを言ってみても始まらない。今の若い人達にも戦争の本当の姿を知って貰い、共同してアジアの人達と仲良く付き合うしかないのだ。
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これで戦争シリーズは一旦終わる。実は「新しい歴史教科書」を買ってきた。どれほどひどい内容かはまた書く機会もあるだろう。
明日からは会社の机の上にどっさり来る郵便物の山を崩す作業に追われることになるだろう。この日記も今週来る予定の台風の話が中心になるかも知れぬ。

2001.08.18:

ちょっと遅れた話題だが、16日は京都大文字の送り火だった。
小さい頃は小学校の屋上が解放され、夜空に輝く炎が見えたものだった。ただ、残念ながら五山のうち(右)大文字は横から眺める角度であったので、その優雅な姿を実物で見たことはない。
この送り火のことを無知な民放のアナウンサーが時々「大文字焼き」と呼んでいるのを聞くが、これは明らかな間違いなのでいつももう少し勉強しろと思う。大文字は若草山の「山焼き」ではない。盆に迎えた精霊を再びあの世へ送る「送り火」、すなわち宗教行事の一部なのだ。
先の大戦で犠牲になった300万人を超える日本人と2千万人のアジアの霊が安からん事を祈る。

2001.08.17:

もう少し戦争の話を引っ張る。
一昨日のNHK討論番組で、ゲストの作家・城山三郎氏が出征兵士へ贈る寄書きを紹介していた。この中にひとつだけ正確な言葉は忘れたが「生きて帰って来い」という意味の言葉が書き込んであった。城山氏はこれが非常に貴重なものであると言っていたが、理由は見つかると憲兵隊などに連行されるからだと言うことだった。つまり戦争に反対どころか少しでも懐疑的な言動は徹底して弾圧される時代だったわけである。正直言って私は背筋が寒くなった。
当時はちょっとしたことでも特高や憲兵隊にタレこまれ、治安維持法で最悪死刑になる時代だった、そのことを城山氏は身をもって体験していたから実感があった。与謝野晶子が「君死にたもう事なかれ」と書いたのは日露戦争の時代、第2次大戦当時だったら彼女は間違いなく死刑だっただろう。また、民主主義的な文献も簡単には入手できる時代ではなかったし、学校では徹底した軍国主義教育を受けたから多くの人達が「神州日本」を信じ込まされたのである。事実、大正生まれの私の母は玉音放送を聞くまで日本が負けることなど考えられなかったと述懐していた。
国内的にはそういう一切の批判を許さない、すべての国民を戦争に駆り出した時代であったことに目をつむって、日本がいかにも止むに止まれぬ戦争に巻き込まれたような表現で時代を語るのは、歴史に対する冒涜と言うものだろう。自分達の歴史教科書が僅かしか採用されたなかったことに対して「作る会」が噛み付いたようだが、歴史の本流は彼らを時代のほんのアダ花として書き記すだろう。

2001.08.16:

「作る会」が編集した歴史教科書が問題になっているが、公立中学校で採用したところはごく少数派にとどまったようだ。ただ養護学校などでの採用が目立つのが気になる。何の意図があるのだろうか?
信頼できる友人によると、彼はPTAの役員をしていて実際に問題の教科書を全部読んだそうで、とてもじゃないがあまりのひどさに絶句したという。おまけにわざわざ中学生の息子にも読ませて感想を聞いたら、当の中学生でも「これはひどい」と言わせしめた代物らしい。
前書きで「歴史を固定的に見てはならない」と、一般的には正当と思える論旨を書いているが、実際に戦前の侵略の歴史に入ると日本がいかにも仕方なしに戦争を始めたとか、侵略の事実をいかに薄めるかに腐心しているという。例えば朝鮮半島の併合でも「他国が反対しなかった」とか、日米開戦もアメリカからのハル・ノートが戦争をしかけるような内容だったとか、とにかく好戦的でなかったという歴史的にはマイナーな事実を誇張的に取り上げ、アジア侵略の歴史を何とかして覆い隠そうと尽力しているという。
確か、新聞に出ていた著名人の教科書批判で、「歴史的事実をねじ曲げる権利はない」というのがあったのを私は記憶している。考えてみれば西郷隆盛の「征韓論」の時代からずっと、先に手を出したのは常に日本の側ではなかったのか。それを「やむを得なかった」強弁することが、私には黒い意図が見え隠れしているように思えてならない。
もうひとつ付け加えると、かの友人は「作る会」が同時に作った「公民」教科書も読んだそうで、こちらは民主主義の欠点ばかりをあげつらう内容になっているそうである。

2001.08.15:

今年もまた8月15日を迎えた。今年の場合はまた格別なトピックが待っていた。小泉首相の靖国神社参拝である。
まず、13日であろうと15日であっろうと意図は変わらないのだから「熟慮を重ねて」13日にしたというのは詭弁も甚だしい。実際首相とその周辺以外から馬鹿にされただけである。もちろんアジアからも痛烈な批判が出た。
しかし事の本質はもちろん靖国神社に参拝することの是非にある。1年前の日記を読まれた方は即座にお解かりだと思うが、私は靖国神社に政府閣僚が参拝すること、それはとりもなおさず「英霊」を讃えることであるが、そのものに反対する。
そもそも靖国神社は誰を祀る存在なのか、そのことをはっきりさせることによってこの問題を論じる立場がはっきりする。誰の目にも明らかなように靖国神社は戦前の天皇政府によって設立され、「お国のために戦って死んだ」人の霊を祀るところである。従って一般市民はもとより戦争に反対したがために軍隊・警察に虐殺された人達も入っていない。靖国神社のこの目的は戦後国からの資金がなくなってからも変化していない。だからA級戦犯も合祀されているし、またそのことが国内外からのきびしい批判を浴びていることもご承知のとおりである。
さて、ここまではすべて事実を書いたのであるのだが、唯一「お国のために戦って死んだ」ということの意味を巡って靖国神社が戦争犠牲者を祀るにふさわしい場所であるかどうかによって賛否両論に分かれるのである。昨年も書いたように私は「お国のために戦って死んだ」という概念そのものを否定する。
だからといって私は戦争で死んだ多くの兵士がこれまた戦争の犠牲者であることを否定するものではない。実際に戦争の時代を生きた多くの人達の素朴な感情として、「戦争で死んだ人達がかわいそう」ということで靖国神社の存在を容認する意見があることを知っている。しかし残念ながらこれらの人達は靖国神社の目的、あるいは現在胸はって参拝をするエライ人達の真の意図を正しく知らされていない。先日も義母と靖国問題について少しだけ会話したことがあるのだが、やはりそういう素朴さだけで靖国問題を理解しているようだった。考えてみれば戦争直後に侵略戦争の清算をきっちりせず、また靖国神社を曖昧な形で残したことも正しい理解を妨げたとも言えるだろう。
本論に戻るが、「お国のために戦って死んだ」人達というのはいかなる人を指すのか?
一言で言えば、教育勅語で戦争に行くことを喜ばしきこととして教育され、軍人勅諭で生きて帰ることを恥として教えられ、天皇のために死ななければならなかった人達のことではないのか? そういう人達を特別視することに何の意味があるのか? ましてや何故今日に至るも特定の場所に祀り、一国の代表である首相や要人が参拝するのか?
まさにそのことを日本の心ある人達や多くのアジアの人達が問題にしているのである。

2001.08.13:

お盆の法要の予定が狂って明日一つ追加になる。
本当は12日のもう一方とダブっていたのだが、都合で予定変更、そうなると知らない顔をするわけにもいかなくなった。
お陰で毎年楽しみにしていた落語会にいけなくなってしまった。ううう、残念。

2001.08.12:

盆の行事を終えた。そして今週はぶっちぎりの連休である。19日まで仕事も忘れてのんびり過ごせる。しかし実際は暑くて何もする気が起こらないこともまた例年のごとくである。今年はまた格別暑く、怠惰な生活を送る言訳にはもってこいの状態だ(爆笑)

2001.08.09:

とにかく暑い。先月半ばに梅雨明けして直後に少し降ったきりで、あとは殆ど晴天続き。四国も水不足が言われているし琵琶湖も水位が下がってきている。
明日あたりは前線の影響で降水確率が高くなりそうではあるが。

2001.08.08:

特別休暇が明けて出社したら机の上は書類のてんこ盛りだった。おまけに不用意に昨日の来客をOKしまっていたことに気付き、あわてて謝罪の電話を入れる羽目にもなった。
再々のイギリス出張、幸いにも盆休みは99%あり得なくなった。向こうでの仕事がやや遅れ気味であるために月末にずれる。次回からは一人旅になりそうで、スケジュールもある程度私の自由がきく。ついでだから土日を挟んでやろう。(笑)

2001.08.07:

泳ぎから帰ってきた。泳いではいなくても少しだけ焼けている。
泊まったところは公営のキャンプ場でちゃんとしたバンガローもあり、炊事もできるようになっている。定番のカレーとかバーベキューが楽しめる。もうかれこれ7〜8回目くらいなので完全に手馴れた。炊事ももう苦にならない。ただいちばん厄介なのが燃料で、薪はなくてその代わりに「オガライト」というおがくずを棒状に固めたものしか売ってないことである。これは極端に着火が悪い。慣れていても苦労する。しかし火力はやたら強く、火を強くし過ぎるとバーベキューが真っ黒になってしまうのである。
このオガライトにてこずる連中はガストーチを持ち込んで着火させることもやっている。確かに文明の利器であるが、私は伝統的な(?)新聞紙と木切れの焚き付けにこだわる。
文明の利器といえば、炊事場の隅にコンセントがあるのでそこへ電気ポットを繋いでいるヤツがいた。一番驚いたのは昨年に電気炊飯器を持ち込んだヤツがいたことだった。キャンプ場に現代生活を持ち込む神経が私には信じ難い。当然のことながら去年くらいからはケータイが幅を利かせるようになった。キャンプ場に俗世間を持ち込む是非は個人の問題だろうが、若いときは例年キスリングとテントを担いで仲間と一緒にワイワイやっていた身には、新聞もテレビもさらにはラジオさえない数日間を過ごすことに何の抵抗も感じない。

2001.08.04:

とにかく暑い。休日で家にいても何もやる気がしない。PCのある部屋にはエアコンがなく、よって集中力は完全に失せる。
明日から家族を連れて泳ぎに行く。実は先日のイギリス出張は会社の省エネ(別名:電気代ケチり)休暇中だったので、その代わりに8月に入ってから休みを貰う約束を上司と交渉していたのである。
もっとも私自身はすぐに日焼けするので(泳げないわけではない)もっぱら炊事係を担当する。

2001.08.03:

またまたハリーポッターの話。
1作目を再度読み直したのも終えて、今度は先日のイギリス出張のときに買ってきた4作目「炎のゴブレット」を読み始めた。ちょうど向こうでもペーパーバックは出たばかりで新刊コーナーに山積みしてあった。日本でも同じ英語版ペーパーバックが大きな書店で、それも向こうと変わらぬ価格で入手できる。それと今回初めて気付いたのだが、私が持っているのは"Adult Paperback"というモノクロの表紙というだけで中身は全く変わらないものであることだった。何故子供向けカラー表紙と違っているのか理由は不明である。
さて、4作目ということでいつもと同じパターンと思いきや、出だしは普通の(?)殺人事件。そしてその裏には闇の世界の「ヴォルデモート」が関わっていることがわかってくる、というちょっと変わった展開・・・ではなくてこれはハリーの夢だったのである。そして夢から目覚めたら額の稲妻のアザが痛んでいた・・・というのが本当の始まり、つまり新学期直前のダズリー家での生活という、いつものストーリーに戻るようになっているのである。
それからどんな物語が続くか・・・それはまだ読んでいないので私にもわからない。

2001.08.02:

昨日の騒ぎ、私が帰宅して1時間後くらいに解決したらしい。情シスの人間がダメ元のパチ当てプログラムを作って何とかデータをもとに戻し、再度コンバートをかけたらしい。
これとは別な話だが、私のほうは全社の会計システムが変わったのが本番に入って、初めての入力にてこずっている。こちらはひたすら慣れることだけが当面の課題だが、入力用シートの設計がもうひとつで、ホスト機の時のほうが扱いやすい感じがしている。それと通常の入力の他に基礎データのマスター登録が必要で、こちらは何とExcelで作られたフォーマットに記入しなければならず頭が混乱している。アシスタントのC子もぶつぶつ文句を言っていた。

2001.08.01:

月初めはいつも先月データの処理ということで情シスは忙しいのだが、今日は皆顔色が変わっていた。陸蒸気組のシステムからコンバートしたホストDBにエラーが出て先へ進めなくなっていたのである。こちらの職場の担当者も駆けつけていて深刻な顔をしていた。どうやら昨日、月末なのでデータを無理やり突っ込もうとして裏からマスターファイルを書き換えた時に手が滑って触ってはいけないデータをいじったらしい。犯人は何となくわかるらしいが、証拠がないので追及できないとのことだった。
残念なことにDOSで作ったシステムだからセキュリティーも完全ではないし、非常の場合の裏からスクラッチする方法も公開(するなっちゅうねん!)していたので、可哀相だが起こるべくして起こったのである。
関係者は大変だろう。私が退勤する時もまだごちゃごちゃやっていた。徹夜にならないことを祈るのみだ。