悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
01.09
2001.09.30:
黒柳徹子さんのユニセフ活動を紹介するTV番組でアフガニスタンの現状をレポートしていたが、やはりタリバンの政策は異様としか思えなかった。ヤラセとは信じ難い光景である。タリバン支配地域の難民は大人も子供も人間らしい目つきではない妙なリアリティーがあった。
特に女子を学校に通わせないというのは、これはもう完全に人権侵害である。一種の恐怖政治が布かれているように感じる。
昔のカンボジアのポル・ポト政権を彷彿とさせる印象だ。
タリバンがこうなった背景には、ソ連の侵攻とビンラディンを受け入れたことが大きく関与してると言えるだろう。そして長引く内戦で難民が増え、極端な飢餓が国内に蔓延し、それに苦しむ一部の人達の不満と宗教心を利用してテロリストとして育てるようなことが行なわれたのではないだろうか。
それにしてもアメリカが最初宣言していた「戦争」はまだ開始されていない。国際世論も戦闘行為だけでテロが根絶できるものとする議論に疑問の声が大きくなりつつある。泥沼化する戦争の危険と無用の敵対ということが指摘されているからだ。タリバンそのものも問題だが、テロリスト一派をどうするのかということが国際的合意の原点になりつつある。
そんな中、どこかの国はどさくさ紛れに憲法の立場をねじ曲げて、武装した一団を海外に派兵しようと画策している。
2001.09.28:
今週は決算であたふたしていたが、今日はそれに追い討ちをかける話があった。
イギリスの会社のひとつであまり良くない噂が流れ、真相究明と実状を調査するべしとの方向で動き始めたからである。今のところそこの持ち株会社にからんでのことが発端らしく、会社自身はいつもどおり仕事をしているとの工場駐在員の報告で安心しているのだが、客筋でぎゃあぎゃあ騒ぐ下品な日本人がいて、これが御注進!とばかりにあちこちにチクると同時に、こちらに対しては「仕事が停まったらどないしてくれるんや!」と恫喝してきたからたまったものではない。もちろんこちらは極めて冷静に契約書に従って(最悪倒産した場合のことも含む)淡々と対処し、対策を準備するしかない。
国内でもそうだが、一般的に契約書には倒産などで契約を破棄せざるを得ない状態に陥った場合の条項が定められている。ただ国内では数行しかないのに対して、国際契約ではA4で1〜2ページに亘ってこと細かく定義してある。
私個人は今まで国際契約での倒産劇というのを経験したことがない。もっとも国内であろうと海外であろうとそういう経験はしない方がいいに決まっているが。
2001.09.27:
先日NHKの「アリー・マイラブ」というアメリカ製TVドラマの翻訳をやっている人のインタビューを聞いた。曰く「日本語の知識が深くないとやれない」と。まったく同感である。
若い人たちの言葉とか、スラングということもあるだろうが、日本語にマッチしたものを見つけるのに非常に苦労するそうである。私自身は以前も書いたように和訳するということはほとんどない。必要がないということもあるし、正直なところもし日本語にするとしても時間はかかるわ、出来てもせいぜいマイクロソフトの日本語ページ程度の無味乾燥の翻訳しか出来ないと思うからである。
それと翻訳の最大の難関のひとつは言葉の持つ概念の違いだろう。「ハリー・ポッター」を読んでいて感じることのひとつに、なぜwitchとwizardのように魔法使いに性別が存在するのかということである。それから最近疑問に感じたのは、ホグワーツ校の中にあるhospital
wingという表現である。ヨメハンに聞いたら和文は「医務室」となっているという。日本人なら養護教諭がいる学校の医務室を想像するだろう。しかし原文でwingを付けている理由は何か、そこが少し引っかかるのである。日本で「ウィング」といえば空港のターミナルの突き出た部分をイメージするだろう。しかし城砦であるホグワーツ校では少し意味が違うような気がする。つまり城を形作る建物の塊から少し突き出た建屋をwingと呼んでいるという気が私にはするのである。ヨーロッパの城の基本構造についての詳しい知識がないので何ともいえないが、こういう概念の違いをどう表現するか、翻訳を生業とされる方の苦労が見えるようである。
杉田玄白、新井白石による「解体新書」もそうだが、現在の辞書の基礎を作られた方々はなおさら苦労されただろう。私がやっている仕事など、足元にも及ばない。
2001.09.26:
最近気になるTVCMがある。NTT西日本の「マイライン」の宣伝であるが、まだ加入していない人に対して「え〜〜っ、まだなの?」と多数派がびっくりするというシーンである。
昔からこの手のCMをたまに見るが、はっきり言って不愉快である。少数派に対して、軽蔑とは言えないまでも異端者扱いするこの表現は「いじめ」の萌芽を含んでいるように思う。もし他人に対して危害を与えるとか犯罪的な行為ならばそれは社会の中で孤立するか、孤立して貰わねばならないだろう。しかし「マイライン」はあくまで個人の好みであり、選択の問題である。これを少数派だからとしていかにも風変わりというレッテルをその人間に貼るのはいかがなものか。
こういう無神経さは一日も早く払拭したいものだ。
2001.09.25:
イギリス点描・5
イギリス風景ではないが、爆破テロ事件で思ったことがある。11日以来、イギリスの報道はもちろんこの事件が中心で、アメリカの状況、そしてそれを真っ先に支援すると表明したイギリスに関するものが圧倒的に多かった。当然と言えば当然だが、14日の日記に書いたとおりドイツやフランスの姿勢の違い、あるいは中東諸国の動きもわずかながら紹介していた。しかし日本の動きはまったく出ることがなかったのである。
それもそのはず、彼らにとって遠い東洋の国ということもあるし、だいいち日本はアメリカにべったり(湾岸戦争で証明された)だから最初から注目する必要がないのである。もし日本の動きが他国に対して大きな影響力があるなら注視しないはずがない。
逆に日本に帰ったらアメリカ側ばかりの報道で、ああこんなものかとつくづく思い知らされた。
2001.09.24:
子供の運動会、少し暑いくらいの晴天、多くの赤とんぼが飛ぶ中で行なわれた。
うちの子を見ていてふと失笑したことがある。とにかくクラスというか学年全体でも1、2を争う背の低さなので、フォークダンスを踊ると相手の女子にぶら下がるような格好になってしまうのである。こりゃ将来が見えるようだ(爆笑)。
それと一年生の玉入れだが、今年は少しルールをひねっていた。第一戦は全部の玉を入れ終わるまでどちらが早いかを競うもの、第二戦は籠を背負った先生が走り回り、それを子供たちが追いかけて玉を入れる「動く標的」にしたものである。制限時間内にどれだけ入ったかというマンネリルールをやめた学校の工夫が出ていた。
2001.09.23:
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、この3連休に入って急に涼しくなった。
ところで会社は明日は本来出勤日である。年間カレンダーで夏休みなどの長い連休を作るために他の祝日・土曜日などを犠牲にするのである。だから年間総労働日はここ10年以上ほとんど減っていない。多くの大企業がこの手法を使っている。しかし私は明日休暇を取った。明日は子供の運動会である。
2001.09.22:
「ニムダ」ウィルスによる影響は昨日の会社でも続いた。引き続きネットは終日出入禁止。全社のウィルスデータ更新(当たり前だが)と、スキャンをかけて感染していないことを報告せよというものだった。この「報告せよ」という指示は定時退社時間の直前に行なわれ、職場は皆むくれていた。確認できるまではネット接続不可ということなのである。そりゃそうだろうが何も金曜の退勤時直前にやることはなかろう。
おまけに私は決算の準備に入らなくてはならないから、いきおい長時間残業、最後の戸締り役になってしまった。
そして今日は子供に回した旧NXマシンの再インストールとなった。HD内のいくつかのシステムファイルが脱落したからである。HDはいよいよ物理的寿命を迎えつつあるようだが、何とか1〜2年は生き残ってほしいと、実に虫のいい願望を抱いている。
2001.09.20:
今日は、予想されたことだが大変な一日だった。もちろん「ニムダ」ウィルスのせいである。
18日にアメリカで発見されて以来猛烈な勢いで蔓延し、今朝のニュースでもFBIが犯人検挙へ動き出したことを伝えていたから出社したら何かあるだろうとは予測はついた。そしてそれは的中した。
実は昨日朝、出勤前に自宅PCを起動してネットに繋いだらreadme.exeという名のファイルのダウンロードを確認するウィンドウが開いた。一瞬の勘でキャンセルをかけたことは言うまでもない。後で判ったことだが、IE5.5SP2のために検知できたらしい。どこのサイトから拾ったかは明確でないが、いつもアクセスしている「ふりっぽ」のような気がする。「ふりっぽ」は現在ウィルスのために閉鎖されている。
そして今日、情シスからワクチンソフトのデータ更新の指示があったので職場内に緊急のメールを出した。しかし事態は既に進行しており、別の事務所で一件の感染が発見されると直ちに本社情シスはインターネットサーバーを停止した。午前11時くらいだったろうか。
その後E−Mailはサーバーの駆除ソフトデータ更新で「ニムダ」を撃退できることが確認され回復されたが、インターネットサーバーは終日停止となった。本社情シスは対策に頭を痛めているらしいが明日になったら解決しているかどうか、帰社した時点で見通しは不明のままだった。
とにかく今回はそのメカニズムのせいで感染の確率が高くなっている。撃退はしたものの、会社には午前中だけで200通もの感染メールが届いたそうだ。テロにも等しいこの荒業、ネットの盲点を完全につかれたかたちである。
2001.09.19:
イギリス点描・4
観光ガイドにも書いてあるが、イギリス料理はいつ食べても不味い。とにかく塩と油の味がそのまま出ていて、フランスとかイタリアに比べると同じようにカロリーが高くてもマイルドさが完全に欠けていると感じる。今回オランダの会社で夕食に招待された時もイギリス料理の話題になって、「あれほどひどい食い物はない」とこきおろすことしきりだった。
それと並んで不味い料理はドイツである。料理方法が「焼く・茹でる・揚げる」くらいしかない。そろそろ鯉のシーズンなのだが、うろこも内蔵も取っていない姿揚げがドンと皿に乗って出てくる。これをドイツ人は「うまい」と言って食うのである。デリケートさも何もありゃしない。それと並んで「茹でた牛肉」も一度食って二度と食すまいと思った。
ところがそのドイツ人がこきおろすのはアメリカ料理である。チェーン店の画一した味には個性がないし、ワインでも種類を楽しむようなことはせずに「はい、次」という調子で瓶を空けるからだという。
私はアメリカに行ったことがないので何とも言い難いが、ドイツ人が言うくらいだからかなりひどいのではないかと想像する。誰かイギリス料理とアメリカ料理を比較した人はいないだろうか(笑)
2001.09.18:
イギリス点描・3
今回初めてテムズ川の遊覧船に乗った。空から見てもそうだが、ヨーロッパの川というのは泥で汚れていて結構汚く感じる。また川幅は広い(テムズはそれほどでもないが)くせにスピードはかなりある。ライン川の遊覧船などは上りと下りで所要時間に大きな差があるのである。
テムズ川から眺める国会議事堂とビッグベンは地上から見るよりも小さく感じた。ビッグベンの実際の時報も初めて聞いた。それも15分おきに鳴るということも。テムズ川の最近の名物は大観覧車とミレニアムブリッジであるが、後者の方は振動が激しく(専門的に言うと「共振」)、未だに通行禁止、かつ対策工事が行なわれている。イギリスとしては世界に恥をかいた形になっていて、ガイドの声も残念そうに聞こえた。
2001.09.17:
イギリス点描・2
日曜日のヒースローはまったく普段と変わらぬ光景だった。わずかにチェックインの時に「危険物はないですね、途中で検査をお願いすることもありますがよろしくご協力を」と言われたくらいだった。
表紙でお知らせしたように、「ハリーポッター」でお馴染みのキングズクロス駅の光景を撮影したのでアルバムを準備している。南ヨークシャーの田舎町からロンドンへ出るのに、今まで使っていた非電化路線よりも早い電化された幹線を試しに利用することと、終着駅のキングズクロスに立ち寄ることを兼ねたのである。問題の「93/4番線」(存在は定かでないが)はほんとにこじんまりした場所だった。本の上ではいかのも人通りの多い場所として描かれているが、実際はそれほどでもなかった。詳細はアルバムで紹介する。
−−−−−−−−−−−−−−−
さて、帰国の途中アムステルダムで乗り換えをしたのだが、空港ロビーで面白いものを見た。ひとつはカジノ。会社の人間からその存在を聞いていたが、実際にあるかどうかは半信半疑だった。
次は「すし屋」。小さな露天になっているものだったが、最近出来たようだ。メニューはいずれも日本の価格の倍くらい。だから食う気はしなかったが、日本人が結構たかっていた。
そして大阪までの直行便に乗ったら、今度はなかなか動かない。そのうちに案内があり、「ヨハネスブルグからアムステルダムを飛行していた途中で落雷に会い、尾翼の一部が壊れていて修理が済むまで飛べません」というかなり強烈なアナウンス。「代替機を探していますが、アムステルダム空港には同型機がおらず、これもまだ見通しがついていません」とさらに追い討ちをかけてくるので、乗客はどよめいた。しかしまたしばらくして、「機長です。機体後尾を見てきましたが、修理が終ったというので今から出発準備を開始します」ということで、結局3時間遅れになった。昔、ジェット機がエンジン故障で飛べないため、プロペラ機2機に分乗した時は2時間遅れだったが、今回のようなケースははじめてである。一泊にならなくてよかったとは思ったが。
2001.09.15:
イギリス点描・1
ホテルでネットに繋げないという現象の原因が何となく見えてきた。前回の出張では何ら問題なかった。しかし今回はいずれのホテルでもだめだった。要するに電話が繋がらない(電話代の請求がない)のである。それでふと思いついたのが手動接続。ダイヤルアップ接続をスタートさせておいてからアクセスポイントに電話をするのである。それも電話が繋がってから実際にPCの接続を行うときのピーヒャラの音が出る前か後かのタイミングがずれて失敗したりするのである。
詳細は知らないが、恐らくイギリスの構内交換機(PBX)に癖があるように思われる。しかしこれがわかった時点で、もう帰国せねばならないのは残念でならない。
さて、今日田舎の町からロンドンへ出たのであるが、市内にあるアメリカ国旗はすべて半旗になっていた。ユニオンジャックも、そしてちょうどテムズ川に停泊中のフランスフリゲート艦の三色旗も半旗であった。
ロンドン市内のセキュリティーチェックもあらゆるところでやられていて、私は駅の手荷物預かり所と交通博物館の入り口で鞄をしっかり調べられた。
この調子では明日ヒースロー空港から出発するときもこってりと調べられるだろう。聞くところによると日本でも相当シビアらしいから覚悟せねばなるまい。
2001.09.14:
日本を出てからは連日の冷たい雨にさらされていたが、今日は久しぶりの晴天である。イギリスではさる会社の2階建てビルの屋根裏にある会議室で連日の打合せに忙しかった。「かった」というのは今日ですべての予定が終了し、ほっとした一瞬を感じているからである。
明日は帰国への道をたどることになるわけだが、どうせ空港では徹底したセキュリティーチェックがあるはずで、それを考えると気が重い。しかし日本も含めて世界中の空港が過敏になるのもやむを得ない状況になっている。多くの犠牲者の話を聞くと胸が痛むし、それに比べれば時間を食うのは仕方のない事、と自らを慰めるしかあるまい。
ニュースを見るとブッシュ大統領が「21世紀最初の戦争」と宣言したようだが、独仏は「テロリストに対する対抗手段は必要だが戦争にはあらず」と言っている。この温度差がどこから来るのかは判らないが、多少のギクシャクした関係は残るのかも知れない。もっとも、では日本はどうするのかと問われたときに、いつもどおり「アメリカがはっきりしないと判断できません」と言う可能性は高い。しかしもうそんなことを続けることは出来ないだろう。事実、こちらで我々と同じ仕事をしている連中で「日本はどうするつもりか」と湾岸戦争の時と同じ質問をされた人間がいる。
2001.09.13:
イギリスのホテルからのアクセスがうまく行かず、少してこずったが何とかネットに接続できた。しかしその間に事態は次第に明らかになり、「世界を変えた9月11日」を眼前にしてますます唖然とならざるを得ない。
日本ではもうかなりなことが報道されているだろうから繰り返すことはすまい。ただ、こちらでの報道を注目していると「真珠湾」とか「神風」という言葉が散見されるのが少し気になる。もちろんこれらの言葉が第二次大戦当時と同じ意味で使われているわけではない。むしろ今回の行為がそれを上回る尋常ではないものとみなされてはいるが、やはり「普通の考えでは発想できっこない」という意味では同質かもしれない。
「真珠湾」とはアメリカ本土に対する、それも奇襲攻撃を受けたという意味合いであり、「神風」とは自爆攻撃を意味する。
それにしても今回の行為が当時を上回る異様さに包まれていることは間違いないだろう。それは非人間的・反民主主義的と私は断定する。それはいかなる手段を使ってもかまわず、問答無用で無実の民間人を襲う無差別テロであり、自らの生死の選択に多くの無実の人々を道連れにするという独断である。それにしてもこんなことができる人間に育てられたこと、また育てた人間がいることは驚きである。報道によるとパレスチナの自爆テロを実行しているのは19から22歳までの若い男性ばかりだという。彼らは生まれながらに憎しみと人殺し合戦の中で育ち、親族が殺される経験を経るという。また両親もイスラエルを憎み、もし息子が戦死した場合には多額の援助金が支給される。こういう環境がテロリストを再生産するし、その指導者は次々と志願者を募ることができるのである。世界的にはマイナーだろうが、第二次大戦の日本かそれ以上の神経を持つ人間がなくならない。一体これは何故なのだろう?
2001.09.11:
大変なことが起こった。
第一報はオランダでの打合せを終えて、相手先から空港へ車で送ってもらう直前だった。飛行機がニューヨークとワシントンに落ちてビルが壊れているというものだった。そしてアメリカへの飛行機の乗り入れが禁止されているという。
私はアムステルダムからイギリスへ行くのだから問題はないだろうということでとにかく空港へは走ってもらった。空港に着くと確かに張り紙が出ていて、アメリカへの便はキャンセルということだった。しかし空港にあるテレビには人だかりができていて、みな悲痛な顔をしている。当然画面の映像は悲惨なものであったことは言うまでもない。
そして私にも影響が出た。出発便のセキュリティーチェックを強化するとのアナウンス。具体的には搭乗時のパスポートと搭乗券の名前の照合、チェックインした荷物を一旦地面に並べて乗客に確認させてから積み込むというものだった。これで1時間のロス、加えて機体の一部故障でさらに1時間遅れた。
いかなる理由があろうと、テロを正当化する理由は何人も持ち得ない。何の罪もない人たちに対する攻撃は世界に対する挑戦状だ。
2001.09.10:
アムステルダムからイギリスへ行く間の空き時間を利用して、同行している若者のために息抜きの時間を取ろうと(私も便乗)目論んでいたら、何のことはない打合せが長引いて翌日の延長戦に突入することになってしまった。
残念じゃぁぁぁぁぁぁぁ!
2001.09.09:
とりあえずオランダに着いた。
飛行機は満員。何故今ごろ混んでいるのか不思議だ。しかしよく見るとジャンボ機の後部10列ほどが閉鎖されている。充席率を高めると同時に乗務員の数を減らす目的なのだろうか?
こちらは最高気温でも12〜13℃。もう秋の気配だ。
2001.09.08:
海外出張へ出発する日が明日に迫った。いつものようにスーツケースにあれこれ詰め込んで準備をしたのだが、いつも思うのは書類がやたら重たいということである。荷物を詰めてみると判るが、紙の見かけ比重は非常に高い。それに比べたら衣類は空気を運んでいるに等しい。
昔海外現地工事で出発するときに、よく設計関係の図書を入れたスーツケースを数個託送させられた。1個が20キロを超えていたような記憶がある。またこういうことは当時常識化していて、超過手荷物の料金は旅行代理店の人間に同行してもらって発券カウンターで名刺だけ渡し、会社へ請求書を回すというシステムが出来上がっていた。
今回は現場ではないからスーツケース1個だけだが、打ち合わせで使う図面や資料を貰う方なので、持ち帰る荷物の方が多くなるだろう。
2001.09.07:
今週は海外との電話・FAXで猛烈に忙しい。特にヨーロッパとやっているから4時頃から仕事をやっているようなものである。それで職場の誰かが英語の電話の犠牲(?)になる。もちろん外線電話はアシスタントの女性のものが優先して鳴るようになっているから、彼女達(2人いる)は最大の被害者になる。
ところが最近そのうちの一人が勇気をもって相手の言葉を聞こうという態度になってきた。それも年上の二人の子持ちのお母さんで、たどたどしくても一生懸命である。もう一人は、これが問題で、若い(新婚ほやほや)くせに横文字と判った途端に無言で私に電話を回すのである。私はいみじくも言った。「ちょっとは彼女を見習いなはれ!」
2001.09.06:
「職場サポーターのつぶやき」に登場させたY氏、新造語でいつも困らせるのだが、それだけでなく自分だけにしか判らない言葉で人に説明するのというかなりひどいキャラを持っている。「Windows97」程度は他にもあるので珍しくはないが、例えばいきなり「掲示板にうまく書き込めない」と来る。面倒だが「どの?」と聞かないと会話が続かない。他にこれはMSWordだが、その前提抜きにいきなり「書式の設定がおかしい」となる。俗に言う「宇宙人」の範疇に入るのだろうか。
こういう自分中心で他人を振り回しても何とも思わない人物はどこにでもいるのだろうが、私はいつも苦手である。個々の問題に対応する形で虫潰ししていても同じことを繰り返すのでしまいにイヤになるからである。う〜む、まだ修行が足らんか。
2001.09.05:
ちょっと腹立たしい話。
朝の通勤電車が4分ばかり遅れてバスが間に合わない可能性が出てきた。そして駅を降りて早くバス乗り場まで行こうとしたが生憎踏切の遮断機が下りていて渡れない。しかも向かい側にはバスが停まっている。すると何を考えたのかバスの運転手はさっさと発車させてしまった。時計を見ると定刻よりも1分以内で早目。線路を見れば電車が遅れていることは見えたし、いつもの乗客の大半がいないことは判っていたはず。えげつないったらありゃしない。次のバスは1時間後。仕方がないのでタクシーを飛ばすことになった。
てめぇ〜〜〜、損害賠償請求したろか〜〜!!!
2001.09.04:
イギリス出張がほぼ確定的になった。先週末からそのための連絡や日程調整を行なっていた。そして昨日現地駐在員との電話で明日(5日)の出発を準備してほしい旨の発言を受けて90%覚悟していたら、今朝になって来週の方がベストとのメールが入り、ドタキャンとなった。しかし仕事そのものがなくなった訳ではないので日程がずれて日曜日の出発となる予定である。
それにしてもここ数回のイギリス出張はいつも休日に移動するスケジュールばかりで、現地での息抜きがまったくできない。ただ今回はオランダへ寄り道する可能性が高いので、ついでにアムステルダムを散策しようかと考えている。「忙中閑なし」ではやりきれない。
2001.09.03:
失業率がついに5%になってしまった。関西では既に6%を超えている。月が明けても確かに新しい仕事が入る気配はとんとない。このまま中間決算の期限だけが迫ってくるようだ。すすり泣くようなしとしととした雨の一日だった。
2001.09.01:
どうやら子供に回した旧マシンがまたもや悲鳴をあげはじめたようだ。それも以前から癖のついているHDのトラック”0”(FATやディレクトリが入っている)のクラスタが次々に脱落するのである。
始終ハングするので子供も悩んでいるようだ。半年振りにOSの再インストールをせねばなるまい。