悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
01.07
2001.07.31:
イギリスの車事情をちょっと書く。
とにかくイギリスの自動車産業の衰退を示すごとく日本を含めた外国の車で街はいっぱいである。唯一目立つのはタクシーで使われているそれもかなりガタがきたオンボロビュイックくらいである。こちらの仕事を手伝ってくれているイギリス人はプジョーに乗っている。
高速道路は日本とかなり事情が違う。レーダーが設置されているあたりは同じだが、何と言っても無料であること。日本ほどに高速道路網が作られているわけではないが、1級国道でも一部は整備されて高速道と変わらないくらいに走りやすくなっている。その中で気付いたのが、一応イギリスは原則としてメートル法が使われているのに、道路の表示はマイルである。車の速度計もマイル表示。最初私は気付かなくて高速で走っているのに最高でも「100」としか表示しないので実際のスピード感と違う感じを受けていたのだが、よく見るとメーターの下に小さな字で"M/h"(時速○マイル)と書いてあるのがわかってやっと納得したのである。
それから高速道路の日本でいう「インターチェンジ」はすべて「ジャンクション」と称する。また各インターは地名で呼ばずに「ジャンクションNo.XX」と数字がふられている。
イギリスの交差点はロータリーがやたら多い。土地が広く取れるためであるが、あれは慣れないと運転がしにくい。韓国の話であるが、田舎の人が都会に来てローターリーを抜け切れずに10周したという笑い話がある。
2001.07.30:
参議院選挙が終わって自民党が議席を増やした。「構造改革」「痛みを伴う改革」がどう具体化されるのか、今後の政策を監視していく必要があるだろう。
今回の選挙の話とは別だが、選挙全般の報道で私はいつも不思議に思うことがある。それは各議員の区分で、政党とは別に「現・新・元」という表示が必ず出ていることである。そういう区分がはたして本当に必要なのか、いつも疑問に感じている。
議会制民主主義、政党選挙として、その議員がどういう政党に所属し、どういう政策を持っているのか、そのことは言うまでもなく重要である。ところが現職かそうでないかということがどれほどの重要性を持つのか、具体的な意味が私にはまったく見えてこない。確かにその候補者がどういう実績を持っているのか、今までの活動実績はどうなのかということは大変重要である。しかしそれはあくまで各個人に対しての具体的検討によってなされるのであって、そういう具体性を一切抜きにして「現・新・元」だけをさも重大なことのように見せる分類になっているのは何か奇異な感じを受ける。
具体的検討を抜きにした表示が無意識に使われているとしたらやめたほうがいいだろう。そうでなくても日本には議員の世襲があまりにも多すぎる。上の分類法は何となくそういう「代替わり」的イメージを残しているような気がする。もちろんアメリカでもブッシュ親子のように大統領の席を占めるということもないことではない。しかしそれはあくまで少数である。しかし日本ではある意味で常識化している。
繰り返しになるが、現職議員(あるいは首長)が次期もその地位を勤めうる人であるかどうかは選挙で決定される。それはまさに彼または彼女の具体的政策によって検討されるのであって、現在の肩書きがどうであるのかをあえて表示する(具体的な記事では触れられることはあっても)必要はないのではないだろうか。
2001.07.29:
きついながらも予定通りのスケジュール、予定通りの仕事をこなして無事帰国できた。まずはほっとしたところである。
往きはがらがらの飛行機だったが、帰りは満杯、それも学生ばかりでなく中年の山歩きの団体もかなり混じっていた。それから何やら学会らしき外国からの客も多かった。これから盆にかけて満員が続くのだろう。
疲れていたせいか機内ではほとんど寝ていた。おかげで時差ぼけは少なくてすむだろう。
ところで今日は参議院選挙、私は不在者投票を済ませていたが、イギリスではほんの少ししか報道されていなかった。しかしびっくりしたのは、ある英字新聞の記事に小泉流「痛みを伴う」の連発を「サディズム的」と評した記事が出ていたことである。なるほど、あれだけ連発したらそう思われても仕方がないのかと妙に感心した。
2001.07.27:
ライブイギリス日記・5
ヨーロッパに来てから一週間近くにになろうとしている。今夜はロンドンに泊まっていよいよ明日は帰国の途につく。週の初めは少し寒いくらいだったが、今日は28〜29℃まで上がって移動の車はエアコンを入れないと汗がどっと出た。
今回も連日の会社巡りで滅茶苦茶忙しく、とても息抜きの観光旅行をしている暇がなかった。加えて同行した(アムステルダムは行かずにイギリスで合流)N氏は仕事のことしか頭にないというタイプなので、遅くまで相手を残そうとする暴走を食い止めるのに苦労したくらいである。
ともあれ当初の目的は全部消化できたが、帰国すれば次の出張のための準備が始まる。今回は工場の省エネ休暇を利用して出てきた。そして来月の出張もN氏の意向で盆休みが潰れそうな雰囲気があったが、さすがにこれには釘をさしておかねばならなかった。
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これで今度の「ライブイギリス日記」は終了する。来週からはいつも通りの更新となる。
2001.07.26:
ライブイギリス日記・4
さて、イギリスでの仕事も後1日、今日はイギリスというかあちらの世界のジョークとか笑いについて触れる。
つくづく思うが、彼らのジェスチャーの大げさなことというかジョークの表現は大げさである。
例えば契約の直前の打合せでもめた時に「今更離婚する気はないから適当に妥協してくれ」と言うと「あ〜ら私も愛してるのよ」と切り替えしたりする。
昨日も「国際郵便の遅れで請求書が来ても期日どおりに払えないこともあるので留意してくれ」と言ったら、経理担当重役がぐっと胸を押さえて心臓麻痺を起こした仕草をするのである。もちろん一同が爆笑するのであるが、こういう演技は日本人同士ではまずあり得ないことである。
向こうの人間はこういう会話を楽しむというかその場の雰囲気を必死で和らげて自分自身もリラックスさせようとする。私も含めた日本人はそういう訓練がされてていないのでなかなかついて行くのが難しい。
2001.07.25:
ライブイギリス日記・3
連日の曇り空と違い、今日は晴れ間が多くて気温も少し上がった。それでも23℃ではあるが。
ちょっとソケットの形状に触れる。電源のコンセントは世界的に種類も少なく、4〜5種類もあればまずどこへ行っても間に合う。ところが電話のジャックだけは各国各様その違いが激しくてパソコン用アクセサリーのメーカーの飯の種になっている。
イギリスでは電源用が横長の給電用足が2本、四角いアース用足が1本の計3本足。電話の方は横長の長方形で抜け止めは横の短辺についている。
しかし今泊まっているホテルではモジュラージャックの形状が何と日本と同じになっていて電話用の隣にもう1個ついていた。PC用として使ってくださいとの案内ラベルが貼ってあった。ということは国際的に何ヶ国かが使える形状ということなのだろう。ひょっとしたらこれからの世界標準になるとホテルが判断したかも知れない。
2001.07.24:
ライブイギリス日記・2
アムステルダムで海外ローミングのアクセスポイント(オランダにはないので隣のベルギーのものにアクセスすることになった)に接続が成功し、イギリスのホテルに入ってから、昨日の日記を更新しようとしたらこれがまったく繋がらない。
なんでやねん!と思いながらも設定を変えたりしてみたがまったくだめである。APをベルギーにしてみたり挙句に日本のAPもトライしてみたがこれも駄目。いずこもダイヤルした後に連続トーンが聞こえるだけで、ダイヤルアップのエラーメッセージは「コンピュータが応答しません」と出るし、ネゴシエーション時のピーヒャラ音もしない。ということは内線電話からホテルの交換機の外へ出るルートのどこかでトラブっているかモデムからの信号が途中で化けているとしか考えられない。夜も遅かったので一旦諦めて翌朝にフロントに相談しようと考えながらまんじりともしない一夜を明かした。
そして夜が明けてフロントにわけを話したら一瞬にして「現金払いの方には電話代の前金が必要です」ときたのである。
実はホテル代も前金を払わされていたのだが、電話代も前金とは聞かされてなかったので腰を抜かした。ただし前払いの金額はいくらでもいいというので10ポンドを払ったらコンピュータで外線接続のロックを外し、問題は一挙に解決した。
それにしてもアメリカ式のビジネスホテルチェーンでこんな前金を要求するシステムには正直驚くばかりだった。
2001.07.23:
ライブイギリス日記・1
予定通りアムステルダム経由でイギリスに入った。
夏休みに入ったので学生などがわんさか乗っていてさぞや混んでいるだろうと思っていたら、何のことはないがら空きの便であった。どうやらJALのような人気のある会社ではないためのようである。
今回は旅程も順調で移動時のトラブルがないかと思いきや、最後にまたまたイギリスの鉄道でコケた。予定していた空港から目的地まで行く直通列車がまたもや「運休」ときた。理由は定かでないが、他にも何便かの運休が出ていて、もはやイギリスの鉄道の信頼性は地に落ちた印象がぬぐえない。途中で乗り換えて半時間遅れで着いたが、幹線でもこれだけの状態だからローカル線には乗りたくない気がする。
ところで関空から出発するときに浦和レッズからオランダチームへ移籍する小野選手と並んで出国手続きをした。彼を取り囲む報道陣は傍若無人で狭い通路なのに人を押しのけて割り込んでくるのに腹が立った。
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アムステルダムにいた同期入社の男、昔と変わらぬ風貌で元気にやっていた。とにかく二十数年ぶりだから互いに話は尽きない。仕事の打合せもうまくいったしこちらの頼みも引き受けてくれることになった。これからもうまくやれるだろう。まずはめでたしめでたしであった。
2001.07.21:
さて、イギリスへ行く準備が出来た。しかし荷造りをしていたらパスポートが見つからなくて慌てた。いつもはトラベラーズチェック(T/C)などと一緒に入れているのだが、今回は地図やパンフレットの間の紛れ込んでいたのである。海外旅行では、パスポート、T/C、航空券のことを「3種の神器」というが、いつも最初にチェックしていて今回のような勘違いは初めてである。
もっとも最近はカードの普及でT/Cは不要になりつつある。そう言えば日本の出入国カードもとうとう廃止になった。
さて、今回は1日だけアムステルダムに寄り道するのだが、何と会社の同期入社の男と二十数年ぶりに会うことになった。ちょっとした仕事を頼みに行くのだが、互いに聞いたことがある名前と思いつつ電話で話していたら同期ということがわかった。不思議な縁である。
2001.07.20:
今週はイギリス出張の準備のための仕事に忙殺されて、日記の更新もままならなかった。
休みになって準備もさることながら、息抜きも兼ねてネット仲間の集まりに顔を出した。焼肉網を囲んでの楽しい語らいは、しばし時間を忘れさせる。
2001.07.15:
従兄弟の連れあいがガンのため亡くなった。享年43歳。明日が本葬なのだが、どうしても仕事の都合がつかいないために通夜だけに参列した。驚くことに従兄弟は晩婚だったのだが、結婚後直後に闘病生活に入り、そのまま最期を迎えたという。
そしてもっと驚いたのは、亡くなった妻に対して「惜しい人を亡くした」というよりも「天寿を全うした」という感じがあったことである。もちろん表面には出せない苦労があったことと思うのだが、そんなことのかけらも出さない、毅然たる喪主の態度だった。
2001.07.14:
昨日の深夜、2008年のオリンピック開催地が北京と決まった。地元では鳴り物入りで宣伝していた大阪は、当然というかものの見事に落選、それも一回目の投票で真っ先に落とされてしまったのである。
落選の理由はいざ知らず、私としてはオリンピックの開催はやらないほうが良かったように思う。
そもそもオリンピックの大阪招致については地元大企業だけが騒いでいたような雰囲気があった。もちろん景気浮揚策が根底にあったのだろうが、国も大阪の庶民もあの東京オリンピックのような盛り上がりはなかった。それと、この不景気でスポーツチームを次々と解散させていたのは企業自身だから、本当にやる気があるのか疑わしいところもあった。
それと長野の時もそうだったが、イベント型とかハコ物を作ってそれでよしとする景気策はもう古いと思うのだが。それによって個人消費も永久的に伸びるというのなら別の話だが、イベント型はあくまで一過性である。神戸空港もそうだが、未だに高度成長・バブル型経済の再来を描いているとしたら、それは日本国内だけでなく、世界からも冷ややかな目で見られるだろう。
2001.07.13:
さてさて、予定通り日本語版「ハリーポッターとアズカバンの囚人」を買ってきて子供に渡した。
息子はどこで聞いてきたのか「本屋さんに行ったら予約しておかないとだめみたいだよ」と言っていたが、どうせ小さな本屋の売上の確保のために宣伝しているのだろうと思っていたら、やはり三宮の大きなところには新刊書コーナーに山積みしてあった。
「息子よ、お父さんは頭がいいのだ!」(爆)
2001.07.11:
またまた今日もジタバタした1日だった。
昨日のイギリスシリーズはまたもや続く。出張前までに片付けないといけない打ち合わせ準備の仕事がわんさか溜まり始めたのである。おまけに日本の会社との打ち合わせや何やらもこれまた出張前に片付けなければならず、てんやわんやである。
そして駄目押しの一撃は「至急アメリカのメーカーにコンタクトしてくれ!」との割り込み。
もうたまらんわい!!!(`へ´)
2001.07.10:
昨日イギリスの話を書いたせいかはわからないが、今日は昼も夜もイギリスがらみになってしまった。
昼間は若い技術者が作ったイギリスの会社に送る書類を「チェックしてくれ」というので、あれこれ考えたりメモしていたらあっという間に時間がつぶれてしまって、他の仕事ができないまま時間切れで帰宅した。
夜は夜で旅行スケジュールを見るために航空会社とか鉄道のサイトを巡回していたら、これまた時間ばかり食ってしまった。よりによって田舎の町ばかりを回ろうとするので飛行機にするか列車にするか迷うのである。しかし考えたらロンドン市内にある会社の事務所に呼びつける手もあったと考えるに及んで、結局何のために時間をかけてネットを巡回したのか・・・実に馬鹿馬鹿しい結論になった。
2001.07.09:
再々のイギリス行きがほぼ決まった。
今回も契約打ち合わせが主である。それとうちの会社のアムステルダム事務所にも途中下車しないといけないような雰囲気。数十年ぶりのドサ回り続きであるが、昔のようにどこかの町を拠点にして長期滞在ということにはなりそうもない。ヨーロッパでの助け舟が確保できそうだし、だいいち私は日本での仕事を長期間空白にはできない事情があるためである。
今回も1週間程度の滞在、かつ駆け足である。都合によってはニューキャッスルまで足を伸ばすことになるだろう。しかしもっと恐ろしいのは来月の盆休みを潰してイギリスからフランス、ドイツにまで飛ぶことも考えられるのである。
今年の夏は私の休みを利用しての家族サービスができそうにもない。代わりに普段の日に休んでどこかへ行くことも考慮中である。
2001.07.08:
沖縄での米兵による婦女暴行事件は来るところまで来た、という感じだ。
戦後アメリカが沖縄へ駐留しして以来、日本へ返還されて以降もそれは実質的な占領軍そのものだったことを物語っている。日米地位協定は駐留米軍が日本憲法の埒外に存在することを許している。簡単に言うと、大使などの外交官など特別な肩書きを持つ外国人にしか与えられない外交特権を、米軍だけに対しては一般兵卒にまで適用しているわけである。
おまけに彼らの生活はすべて本国並み、なおかつそのための費用は「思いやり予算」として義務付けられないのにわざわざ政府予算が使われているのである。
こういう実態が日本のことさえ良く知らない一般米兵にどういう影響を与えるか、言うまでもなく我が物顔の占領軍気取りで町を闊歩することになるわけである。そして犯罪を犯しても逮捕さえされない。その事実は帰還米兵によって次の駐留兵へ伝えられたのだろう。「少々のトラブルがあっても心配しなくていいよ」と。
日米安保の存在の是非はともかく、今のような地位協定では何も解決しないだろう。犯人の引渡しについては95年に条文の改定をしたが、アメリカに対する「お願い」ベースプラス精神論だったゆえに、これはもう屁の突っ張りにもならなかったのであるから。
2001.07.06:
「ハリーポッター」シリーズ第三作、「ハリーポッターとアズカバンの囚人」を読み終えた。別に意図したわけではないが、日本語版が出る12日までに終わってしまった。
このシリーズ、本当に読んでいて飽きない。飽きないどころかもう一度1作目から読み直すとストーリーの流れがよりはっきりしてくるという不思議な魅力がある。
ところでどの作品もハリーが行くホグワーツ魔法学校の新学期が始まる直前の8月末から、夏休みになって帰宅する途中、キングズクロス駅で家族と再会するところで終わるようになっている。そして私が注目するのはハリーの唯一の家族であり、保護者でもある叔父・叔母達ダズリー家の描き方である。
はっきり言って、彼らのキャラクターは極悪非道の人間として、これでもかと思える書き方になっている。要するにどんな悪人でもちょと見せるはずの人間臭さとか優しさとかいうものを、作者は一切持たせていない。日本の小説、ましてや子供向け作品では絶対にあり得ない人物像である。
それが故に「アズカバンの囚人」では、バーノン叔父の姉妹であるマージ叔母が家を訪ねる前に、バーノン叔父はハリーに対してホグワーツ魔法学校へ行っていることを隠すのに「お前は少年院に行っていることにする」と宣言するのである。そしてこのバーノン叔父を始めとするダズリー家の面々は徹底してハリーを辱める。
それが故にハリーもついにはブチ切れ・・・というのが「アズカバンの囚人」の導入部になっている。
こういう悪人の描き方については実は他にも例がある。あるドイツ人の話だが、グリム童話の中でも有名な「赤頭巾」の最後はおばあさんを食べた狼が罰として腹に石を詰められて転げ落とされるという残酷な結末になっているが、これは彼らにとっては自然な流れであると言う。つまり悪人はあくまで悪人であり、その報いは必ず受けるということを子供の頃から教えるためであるという。さすがにこういう考え方はあくまで日本人である私にはチト解せないところである。
さて、ブチ切れたハリーがどうなったか・・・・・・おっとっと、その先は12日までナイショ、ナイショ。
2001.07.04:
2日のサーバー統合でまだ尾を引く話があった。
ドメインサーバーにログインし、ユーザーIDとパスワードを入力すると、直後にサーバーから「ログオンスクリプト」というバッチが実行されるのだが、これが情シスの手で一部書き換えられていて「Pause」と「Hit
Any
Key」というメッセージが出るようになった。ここでクライアントPCは一時停止し、何かキーを押すと問題なく進むのだが、これが思わぬ波紋を呼んだ。
多数のオジサンユーザーが「エラーが出る!」と騒ぎ出したのである。これまではこんな「Pause」などというコマンドはなかったし英語であったので、オジサン達はパニックになったのである。
これには参った。慌てて情シスの担当者に「人心を惑わすメッセージは外せ!」と叫ぶことになったのは言うまでもない。どうやら移行するときのテストで入れたものらしかったが、余計なことをしてくれたものだ。
2001.07.03:
先月から問題になっていた2箇所の食堂の集約話が白紙撤回された。それもうやむやのうちである。
会社側は一方的に事を進めようとして裏で組合に提案した。ところがそれを知った現場の職員や班長たちから総スカンを食ったのである。当たり前だ。一番遠いところになると食堂まで徒歩で10分もかかるのだから、昼休みは実質的に短縮される。それを我慢せよなどという論理が通じる訳はないのに、強行しようとした会社は敗北した。
しかし問題はそれだけではない。組合幹部も最初は「経費節減だからしょうがない」というスタンスで処理しようとした形跡が見られる。というのも集約話は委員会で議題になったらしく、委員の一部から話が既に組合員に漏れていた。ところが会社と組合幹部の思惑に反して猛烈な反撃を食ったものだから提案があったことさえ隠して、結局7月からの食堂集約は実施されなかったのである。
「会社から提案があったが、組合員からの抗議で引っ込めさせた」と何故言えないのか、そこには組合員を代表し、民主主義として正々堂々と議論を戦わすと言う姿勢は微塵も見られない。
2001.07.02:
週明けで出社したらちょっとしたトラブルが待っていた。
月が明けたらファイルサーバーを統合するという予告があって、今朝はサーバー名だけを変更すればいいと思っていたら新しいサーバーにアクセスできない。何のことはない、WINSサーバーも変わっていて、そのことの連絡が来るまで1時間強もロスすることになった。
私のマシンはそれだけで良かったのだが、他のマシンでは同時に変な設定が見つかるなど少しドタバタになった。
ドメインサーバーをNTに変更していたはずなのにNetwareのままだったり(それでも動いていた)、とっくにTCP/IPで統一されているのにIPX/SPX互換が残っていたりと、クライアントによってばらばらになっている。
それもこれも職場サポート幹事長がユーザー任せにしていたからで、トラブルがなければそれでもいいや、という態度だからほったらかしになっていたのである。
いちばんひどかったのは、サーバーとは関係ないが、ついでに見つかったインターネットエクスプローラーの不調である。「インターネットに繋がらない」というので見てみると、マシンを再起動する度にプロキシ設定が飛ばされる。確認したら社内メール・掲示板用として使っているLotusNotesがIEをコントロールする設定になっていた。
今までインターネットを見たこともなければ(トラブっていたのに何も言わず、諦めていたらしいが、IEを使った出張申請の専用アプリを動かすことになって初めて気付いた)、E−Mailを読み書きしたこともないユーザーもユーザーだが、環境設定くらい統一しとけよという思いが残った。
2001.07.01:
ある友人と話をしていて、子供(高校生と中学生)のことでケータイーをどうしているか聞いたら、「勝手にやれ、但し電話代は自分持ち」という答えだった。それから電車でのトラブルとか、社内での化粧、ケータイを眺めながら横断歩道を歩く姿のことなどの話になったら、「とにかく最近はみな幼児化している」と一刀両断だった。
そうかと思うと別の友人は、これも高校生の子供を持つのだが、子供にケータイをせがまれた時に「みんなが持ってるから」という言葉に反論できず、買い与えたという。
私の世代の子供の頃は、何もかも配給というほどではなかったが、欲しいものが買ってもらえなくて辛い思いをしたいという経験が多少ともある。それが親になって、子供には淋しい思いをさせたくないという理由で何でも買い与える傾向が多少見られる。言い換えるとそれだけ甘くなっていると同時に、親自身が子供と同様「他人と同じでないといけない」という論理にのっかっている傾向が見られるようだ。
学生時代のあの反骨精神はどこへ行ったのだろう?