悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
01.03
2001.03.31:
年度末の決算も終えて仕事が一段落した。もっとも週明けにはもう次の仕事をあわててこなさねばならないが。
それにしても2000年会計年度にはうんざりした。なんと言っても会社の赤字騒ぎで、根本的な組織改正、希望退職、そして春闘では史上最悪のボーナス。年収はこの2年間で45万円も下がった。
そして一番腹立たしかったことは、春闘が終結した5日後に2000年度で予想されていた大幅赤字が半分になったと報道されたことである。輸出が多いので最近の円安傾向が影響していることもあるのだが、猛烈な賃下げも寄与したことは明白である。だから安心して公表したのにほぼ間違いあるまい。こんなことが許されていいのだろうか?
2001.03.29:
年度末を迎えて決算の追い込みも最終盤になった。
今日は私の担当分を終えたが、同時に兼任でやっている2人のフォローとチェックもやっているため、なかなか落ち着く間がない。まずいことにこの2人は今の仕事をやり始めてまだ1年そこそこ。おまけにPCが十分に使えないのでチェックリストを自分で作って消し込んでいくということが出来ない。
設計から回ってくる伝票の処理と対応する金額がきちんと記入されているかをチェックするために、全ての伝票(千枚程度だろう)リストをダンプして、未処理のフラッグが出ているものを拾い出して「これだけ残ってますよ」と連絡を入れる。同時に「締切まであと×日ですよ」と告げてねじを巻くわけである。処理が進めばリストに取消線を入れていく。これを毎日繰り返していくのだ。
だが一番困るのは身内よりも設計、それも伝票の切り忘れである。今日も設計からのデータ受け渡し出力をモニターしていたら、決算工事番号で新しい伝票を見つけた。そして一喝。
「こんなもん今から手配も処理もできひんやろが! お前んとこで未計上伝票書いて上司に怒られんかいっ!」
そして「差し戻し」と称してデータがまだ設計から出ていない状態に戻す処理をしてしまった。本当は設計の書き損じを救済するための処理として存在するのだが、決算時には「受取拒否」に変質するのだ。
2001.03.28:
ある日の息子との会話。
子「ねえお父さん、僕ね、大きくなったらなりたいって思ってたことが変わってきたんだ」
私「へ〜、どう変わったの?」
子「う〜ん、まだ内緒にしとこ」
私「そんなこと言わずに教えてよ」
子「だって気持ちが変わるっておかしいでしょ」
私「そんなことないよ。誰だって変わるものさ」
子「じゃあ教えてあげる。前は農業で野菜なんかをいっぱい作りたかったんだけど、今はね〜、先生になりたくなった」
私「どうして?」
子「今の先生みたいにドッヂボールがうまくなって人に教えるようになりたいの」
私「そっか。それじゃ一生懸命勉強して、そして何でもできるようにならなくちゃ。大学の勉強に加えて先生になる勉強もしなくちゃね」
子「え?そうなの?じゃあ大変だ」
私「うん。でもがんばればできるさ」
彼は今度五年生になる。
2001.03.27:
職場の女性一人がまもなく1年間の産休を取る。それでピンチヒッターが先日から入って引継ぎをやっていた。
その際、ちょうど私に海外からの電話があって、前任者が電話をあたしに回したのだが新人に向かって「kmakowさんには時々海外から電話がありますからね」説明していたので、私も「その時はよろしく」と声をかけたら困ったような顔をしていた。
「何もそんな顔せんでええやろ」とは思ったが、やはりまだまだ日本人は国際感覚が足りないというか度胸がないと改めて感じた。
前の事務所では海外との付き合いが結構あったので、女性も電話口で流暢とはいかなくても一生懸命対応しようという姿勢があった。しかし今の事務所では新幹線組が来て初めて日常的に郵便やら電話やらのやりとりがしばしばあるという環境に接したために、非常に面食らっているようである。例えば海外からの郵便や荷物が来ると、中身も確かめずにそのまま私、あるいはもう一人窓口になっている人間のどちらかに渡すという始末なのだ。
昨年などは事務所で上げている英文ホームページを見てコンタクトしてきたイタリアの会社の件がが私のところへ持ち込まれた。これも即座に私に関わりありそうだと気付いたのだが、他の部署では「どこかに翻訳ソフトがないか」と走り回っていたらしい。
考えれば一度もそういう経験がないまま育っている人達にいきなり一人前のことをやれと要求しても無理な話なのだが、少なくとも「じゃあ相手をしてやろうじゃないか」というくらいの度胸が欲しいと思う。いつまでも子供のように「わっ、ガイジン!」と言ってるようでは情けない。
2001.03.26:
マンションの同じ棟に住んでいる人から、CATVを使ったネット接続はできないとの連絡を受けた。
管理組合を通じてCATV会社へ問い合わせていたものだが、やはりマンション入り口のブースターを双方向のものに変えないとだめだということがわかった。私と同じやはりネットライフを楽しんでいる彼が言い出した話で、情報があれば教えて欲しいと伝えてあったのだが、私が予想したとおりだった。CATV経由は、最初からネットに対応した設備を付けていない集合住宅にはほとんど普及しないだろう。
これでいよいよ電話からのADSL以外に選択の余地はなくなった。
ネット友達からは会社で余ったハブを貰えることになったし、LANアダプタ、LANケーブルも入手した。後はモデム+ルータの開発動向を見ながら決断することになる。唯一の懸念は申し込みが多い上にNTTの対応も悪いようで、開通まで長いこと待たされることになるかも知れないことである。
2001.03.25:
リコールの対象になったTAの交換品が届いた。もちろん見た目は変わらない。早速バックアップしてあった設定を入れて試運転をした。旧品には案内に出ていたようなトラブルがなかったからもちろん何の問題もない。
古いものは返送することになるのだが、箱と付属のケーブルとマニュアル一切は元のものをそっくりそのまま使う。私には変な(?)クセがあって、家電品とかPCなどのケースからビニール袋に至るまで買ったときのまま残しておくので、今回はそれが役立った。何故そうするかというと、人に譲ったり引っ越し(今のところ考えてはいないが)の時に傷をつけずに運ぶことを予想しているからである。別に中古品として高く売ることまで考えてやっているわけではない。
ところがヨメハンは、ダンボールケースなどはかさばるからと言ってすぐに捨てたがる。もし私が物置に残しておいても、いつの間にかなくなっていることが多い。今回は小さな箱なので本棚の上に積んであったため、捨てられずに残っていたのである。
2001.03.24:
また地震である。今度は広島県、聞くとやはり50年おきくらいに大きな地震が発生するらしい。
震度6−、M6.4というから「大規模」とは言いがたいが、不幸にも2名の方が犠牲になった。建物や道路の被害も明らかになってきた。驚いたのは新幹線の線路が一部やられているということだ。阪神大震災は始発前で命拾いしたが、今回はたまたまなのか事故になっていないようだが危険きわまりない。
地震のとき私は自宅にいたが、震度2くらいの小さなものにしては揺れている時間がやたら長かったような気がする。鳥取の時は縦揺れと横揺れの2つのピークが明確で、かつその間隔が長かったために震源地が遠くかつ大きな地震だということを感じることが出来た。今回のような特徴の揺れが何を意味するのか、もちろん私は専門家ではないので何も言えない。
2001.03.23:
「ものづくりがおかしい」ということをしばしば書いてきたが、そのことで遂に我が身にも火の粉が降りかかる事態が起こった。
実は現在使用中のOMRON製TA(ターミナルアダプタ)2台の他にもう1台、NEC製のものを持っていたのだが、これがリコールの対象になってしまったのである。知人からNECのホームページに案内が出ていることを教えられて、型番と製造番号を照合したら見事に合致した。
細かい事情は省くとして、不具合の原因はちょっと見つかりにくいものであったと私は思うのだが、それでも不良は不良、メーカーが認めたのだからその指示に従って交換の手続きをした。向こうから新しいTAを送ってくるので、不良品を着払いで返送するという手順である。
最近の電子機器は技術革新と競争が激しいので、不良品が最後までチェックされずに残るというケースが起こりやすい。とはいえ以前書いたように携帯電話・PHSでのあまりの不良品の多さ、またあまり表には出ないがPC関連でのロット不良と思われるリコールが目立つのはやはり好ましいことではない。
しっかりしたものづくりを伝承し、日本製は安くてすばらしいという評判を維持する努力、そしてそれを支える多くの技術者たちの働く環境を良くすることが急務であると思われる。
2001.03.22:
陽射しが少しづつ強くなってきて、朝夕もストーブを必要としなくなりつつある。そこでコートを脱ぎ、パッチともおさらばした。
今日の昼間なんかは何となく汗ばむような感じだったので、自動販売機のアイスコーヒーを今年初めて口にした。
それから最近特に季節の変化を感じるのは、退勤時にバスを待つのがまだ明るいうちだということである。
2001.03.20:
「フレッツ・ADSL」および家庭内LANの検討を、他の代案も含めてやってみた。
まず、ヨメハンがメールだけでもやりたいと言うので、試しにPCとTAを一台づつ接続し、2台のTAのS/Tポート間をLANケーブルで繋いで外に出ることができるかやってみた。結果は予想どおりで、TAにルータ機能はないから単独では接続できても同時2台接続は無理である。
それから現在の「フレッツ・ISDN」のままでグレードアップすることも検討したが、これも結論は「×」となった。
やり方は、TAをダイヤルアップルータに変えて完全なLANを組むか、新PCを足場に接続共有するかの2通りあるが、どちらにしてもヨメハン・子供が数年後に本格接続をやりだしたら遅くて使えないだろうということが予想された。またダイヤルアップルータは未だに高価でブロードバンドルータの方が安いくらいである。さらに接続共有はルータが不要だが、常時運転になるべき新PCがまだ不安定なところがあるし、もし昼間にトラブったらヨメハンの手には負えなくなるだろう。
ということでADSLが工事費を含めても初期費用がダイヤルアップルータ方式と変わらないことが判った。
ヨメハンにもそれを説明し、納得させた。
ただ、当面はTA2台の交互接続にしておいて、4月以降に機器の価格動向を見てから加入するつもりである。それまでにLANケーブル(実験に使った会社の中古品は少し短かった)の配線をし、ヨメハンにインターネット接続のやり方を教えねばならない。
2001.03.19:
昨年12月14日の日記に書いたイギリスのメーカーとのトラブルが、今日やっと最終決着を見た。
こちらが被った被害に相当する金額約20万円を請求書から差し引く旨の1枚の紙切れが送られてきた。経理課長のサインが入っていた。
相手に強烈なクレームを書いて以来しばらく様子を見ていたが、今年2月になってまず運賃の2重取りは認め、この分は引っ込めるとの連絡が入った。しかしこちらはさらにひどい目にあっているので、FAXで事の顛末を詳細に説明するとともに日本側で支払った費用の請求書一切のコピーを添付して送りつけ、最後にこう結んだ。「こちらの被害額相当分を差し引いた残りの金額についてのみ支払いはする。今までクレームを通告してもすべて無視したので我々にはこれ以上の金額を支払う義務はない」
そして約束した分の支払いをした。そうしたら最初に書いた紙が返ってきたわけである。
話が割合と単純だったためか、欧州流の屁理屈をこねられることはなかったが、いちばん閉口したのが営業課長の「無視」の態度である。今回も彼からは何の弁明もなかった。代わりに紙には「彼のせいによる」と書いてあった。ザマーミロ!
昨年の支払い停止通告から3ヶ月、全面勝利で終わったこの事件、「辛抱強く待つ」という言葉が身に染みた出来事であった。
2001.03.18:
最近倒産に関する話をしばしば書いていたが、ついに政府も「デフレ」を認めた。戦後初である。
これだけのデフレというと1929年のニューヨーク株式大暴落に始まった大恐慌であろう。今回のデフレ宣言はそれに相当すると考えでよさそうだ。とにかく1990年バブル崩壊以降、政府は不景気を覆い隠す言葉を使って事態を誤魔化すことに終始してきたが、銀行の不良債権処理に失敗し、なおかつ株価がどんどん落ち込んでしまってはもうウソの上塗りができなくなったのであろう。
アメリカの景気は峠を越え、ヨーロッパも上昇に向かうという見通しが立たないのであるが、日本だけがこれほどの悲惨な状況に陥る原因は何だろうか。その違いを明確にしない限り真の解決はない。
デフレに至る直接的原因は勿論バブルの後始末の失敗である。しかし戦後の高度成長が終わりを告げた後、日本経済の舵取りを大きく誤らせた転機は、1985年のプラザ合意とそれを受けて打ち出された1986年の前川レポートであろう。それは私だけでなく、多くの心ある人達が指摘しているとおりである。
当時、アメリカは貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」によるドル安で苦しんでいた。赤字の原因は「産業空洞化」による輸入の増大と、「スターウォーズ構想」など軍事予算の増大である。しかしアメリカはこのドル安の解決をマルク・円高で乗り切ろうとした。だがドイツは抵抗したが日本はプラザ合意で要求を丸呑みしたのである。
おまけに円高誘導の市場介入のみならず「内需拡大」が足らないとして、「前川リポート」で超インフレの公共事業拡大策までをも約束させられた。これによって日本の金利は下げられ、国内的にはバブル経済の引き金になると同時に、大量の資金が相対的に金利の高くなったアメリカの債権投資に流れたのである。この時、アメリカは自らの赤字の原因は頬かむりするとともにもう既に解決したようなを発言をし、日本側もアメリカ側の問題をはっきり指摘しなかった。日米間には互いに言いたいことを言い合うという対等平等の関係がなかったからである。
デフレで何がもたらされるか、経済の縮小、すなわち資本の引上げとそれに伴う生産設備の廃棄、さらには企業倒産であろう。庶民にとっては失業の増大と賃下げのさらなる進行である。失業率は5%を超える可能性が増している。
しかしこの責任は誰が取るのか?
当面の対策は不良債権の税金投入をやめ、銀行自身による処理をさせることだろう。また株価は市場にまかせるしかない。「金庫株」などもってのほかである。
それとここまでひどい経済状態へ陥れた政治の責任が問われている。世間では首相が辞任することが回復の必要最低条件とまでする声もある。この点については言いたいことが山ほどあるが、これ以上は長くなるのでまた改めて取り上げることにする。しかし、とにかく「世間の声を聞け!」とだけは指摘しておく。
2001.03.16:
2000会計年度もあとわずか、仕事も最後の追い込みに入って来た。
私個人も今年度消化した有給休暇の勘定をしていたら、既に20日を使っていたことがわかった。それもそのはず、今の工場では「操業調整」と称して、今年度は社内でも突出した土日の出勤日を設定したのだが、私はそのすべてを有給休暇を使って休んだからである。但し、これだけの休暇にはそれ以外に病院通いのための休日も含まれている。ついでに言えば、前の事務所では会社の帰りに病院に立ち寄ることができのだが、今では休みを取らないと通院できなくなったことも休暇が増えた原因になっている。
こういう世間の常識を無視した出勤カレンダーのため、私と同様社員の半数近くが土日出勤には多くの休暇を取った。それに懲りたのか、来年度(2001年)は土曜出勤がわずか2日に減った。
ところで来週の20日も出勤日に設定されているが、当然私は休みを取る予定である。仕事柄対外的な折衝が多いから休みに出勤してもすることがないのである。これで21日目、入社以来の新記録だ。
2001.03.15:
陸蒸気組の人達と机を並べるようになって1年以上になるが、不思議なことに全員が参加する会議は今まで一度も開かれたことがなかった。途中で課長が入れ替わったのだが、それでも課長と数人のリーダーが不定期で集まるだけで、ヒラも含めた会議は一切なかった。「知らしめるべからず、寄らしむべし」という風潮が強い風土もあるが、ちょっと常識では考えられないことである。
それで今日たまたま全員が参加しての重要な勉強会があったことを機に、私から「全員参加の情報交換や意思統一のために定期的な会議をやるべき」と切り出した。互いに何の仕事をしているのかを知ると共に、意思統一がなければ組織としての仕事ができない。こんな基本的なことをなぜ今まで理解できなかったのか、また誰も疑問に思わなかったのか信じられなかった。
最近「ナレッジ・マネージメント」(Knowledge
Management、略称:KM)ということが注目されている。要するに個人が持っている情報を整理・共有化して知識データベースとして有効利用しようとするものである。
昔は事務所での雑談や帰りの一杯を通じて同僚の情報交換がやられ、無形の共有データベースが自然に構築されていた。ところが最近は大企業でも人減らしで管理職も含めた「一人仕事」がものすごく増えている。それに伴ってお互いがどんな仕事をしているのか、失敗したのか成功したのかすらもつかめないようになってきているのである。そんな状態で会議すら開かないならどうなるか、当然組織は自滅する。
これは友人に聞いた話だが、最近アメリカではこういうKMを重視するようになってきていて、個人がどんな能力や知識を持っているかを把握し、チーム造りに役立てているという。それもそのまとめ役は「人事部」であるという。
どこかの国の人事部と言えば、労務対策だけが仕事であるのとえらい違いである。
2001.03.14:
アフガニスタンのイスラム原理主義勢力による仏教遺跡の破壊に対して国際的非難が高まっている。
今までもこのような各地のイスラム原理主義勢力がテロや破壊活動などを起こしているが、今回は他の宗教に対する八つ当たりが明白だけに誰も擁護はすまい。
そもそもイスラム教はユダヤ教を下敷きにしているから偶像崇拝を嫌うのだが、その上に偶像崇拝を行なう宗教に対しては「邪教」として徹底的に排除しようとする。だがそういうところが根底にあるとしても、彼らの行為が正当化されるものではない。
現代においては個人がどの宗教を信じるかは近代民主主義の基本であり、例え多数を占める宗派が国内に存在していても、宗教の自由を認めない国はごく少数である。ましてや他人が信じるものを暴力的に破壊し、貴重な文化遺産を失わせる権利はない。
私は少しだけイスラム世界と接する機会があったのだが、彼らは過酷な生活条件で生き延びる術を数千年に亘って得てきており、一方では非常に我慢強いところがある。しかし一旦生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされると、死に物狂いになり、相手を徹底して抹殺するまで暴走してしまう傾向がある。そしてそれを支えたのはイスラム教であったのではないかと思う。つまり砂漠の真ん中で限られた食料を確保し、生き延びるには、相手を生かして奴隷にする余裕などなく、殺すしかなかったのである。そのための精神的支柱としてのイスラム教は彼らの生きるための知恵だったのだろう。ちなみにイスラムの教えでは4人まで妻を持つことが許されているが、これは贅沢でも何でもない。戦いで死んだ男が残していった妻を救済するというのがその始まりだと言われている。
さて、時代は現在に戻るが、そうした宗教的規範を特別に重視するのはいいとしても、それを政治よりも優先させるのはやはり日本人としてついていけないところがある。また政治の宗教からの独立、これも歴史の苦い経験から得た民主主義の知恵ではないだろうか。イラン革命のとき、パーレビ国王の支配する時代で激しい貧富の差があったとはいえ、いきなり宗教の最高指導者が大統領を指名するという発想には違和感を覚えたことを思い出す。
「信じる者は救われる」と教祖は語る。しかし「信じないものはこの世から抹殺せよ」と語ったのは一体誰なんだ?
2001.03.13:
またもや倒産があった。今度はホームセンターの「ベターライフ」、関西ではちょっと名の知られたところである。
震災以降、阪神間の経済の落ち込みが特にひどいと言われ続けていたが、やはり長期にわたる不況は中堅どころまでも苦境に陥れているようだ。株価も1万2千円を割り、失業率も5%を超える寸前のまま推移している。
ここまで来ると、「カジノ経済」の影響もあるが日本経済の土台の部分がおかしくなっていると断言して差し支えないだろう。そしてその土台に関わっている経済と政治の両方のシステムが現時点での最大の足かせになっていることが読み取れる。きわめつけは談合と癒着の構造から抜け出せないことだろう。それは官民を問わない。
今日もある国内大型プロジェクトにまつわる談合の話を聞いたし、一方である商社の人間から4月以降の景気見通しの話からある業界のヤミカルテルの話を聞いた。「自由競争」と声高に叫ぶ裏で、強い者同士が自分たち「だけ」の生き残りをはかるために画策している構図が目に浮かぶ。
2001.03.12:
子供が10歳の誕生日を迎えた。
思い起こせば生まれた直後は私の二の腕くらしかなかったが、さすがに10年経つと随分と大きくなる。でも不思議なことに私は小学生の頃から背が高かったというのに、子供はいつも前から数えて1、2番を争っている。なんでこんなことに??といつも思うのである。
2001.03.11:
久しぶりにInternet
Explorerの「お気に入り」を整理した。
半年ぶりくらいなのだが、ドメイン名の変更や別サーバーへの引っ越しなどがちょこちょこある。しかし一番びっくりしたのがプロバイダの閉鎖(恐らく倒産だろう)である。料金返済の案内が出ていた。
インターネット関連の事業がここ数年爆発的に伸びているとはいえ、中には倒産の話も聞こえていた。しかしそれを直接ウェブページで見るとは思わなかった。
2001.03.10:
また冬型の天気になって、昨日は雪が積もるなどちょっと寒い日が続く。
わけても春の雪は太平洋側から回り込んだ雲から落ちて来るので、湿った大きなボタン雪になる。そして積もったらめちゃくちゃ重く、場合によっては季節外れのドカ雪になる。10年以上も前のことだが、4月1日に大雪が降って交通が大混乱したことがある。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるが、逆に言うと彼岸までは油断ならないということか。
2001.03.09:
そろそろ「フレッツ・ADSL」に乗り換えようと考えている。理由は「フレッツ・ISDN」と料金がそれほど変わらずにスピードが格段に早くなること、および家庭内LANを考え始めたからである。
まずはNTTに聞いたら、神戸市内は今月21日より事前予約したものから順次工事をしていくとのこと。ただ、工事費用がもうひとつ明確でないこと、それから開通までの期間が明確でないことである。「フレッツ・ISDN」で2.5ヶ月もかかったと言ったら恐縮していた。
技術的・価格的検討をしていたら、友人の助けを借りていろいろ勉強できた。ハード的にはそんなに金がかかるとは思えない。スプリッタとADSLモデムはレンタルとして、ブロードバンドルータとLANカードが2枚で2万円プラスアルファを投資すればよさそうだ。LANケーブルは会社に行けば束になってある。
ISDNのままLANを構築してもいいのだが、TAをダイヤルアップルータに変えるか、あるいはS点ユニットを増設しなけばならない上に、現在でも電話線がPCとモジュラーコンセントの間を往復しているところへさらにLANケーブルが走るのは見苦しいと思ったからである。
ADSLだとモジュラーコンセント→スプリッタ→ADSLモデム&電話機までは一緒の机に置いて短い電話線で済ませる。ルータもすぐそばに置いて、モデムからは短いLANケーブルでOKだ。ルータ→PC2台まではLANケーブル1本づつですっきりするだろう。
家庭内LANを引くのは、最近ヨメハンがメールを使いたいと言い出したからであり、子供にはまだインターネットを使わせるつもりはない。
ただすぐにADSLにするかどうか決めかねていることがある。それはADSLモデムにルータ機能をつけたもの(ブロードバンド・ダイヤルアップルータとでも呼べるもの)がほとんど世に出ていないことである。恐らくこれから各メーカーからリリースされて、価格も下がっていくだろう。そうなるとモデムとルータが分離している現在のものはあっという間に陳腐化しそうである。
もうひとつの不安はルータから各PCへローカルアドレスを割り振る設定で、これはさすがに会社でもやったことがない。まあ、マニュアルや設定ユーティリティーの助けを借りることで何とかなりそうだが、初体験はいつも緊張するものである。
2001.03.08:
最近の倒産騒ぎで特に衝撃を感じたのは、工作機械の「池貝」と運送業の「フットワーク」である。
「池貝」と言えば、業界や工場で働いている人なら知らぬ者はない、旋盤の老舗である。それが架空資金の話をきっかけに破滅の道を辿ったのだが、もし資金繰りが苦しくなければこんなことにはならなかっただろう。つまり工作機械が売れなくなるほどに工業生産が不信であるという証拠のように思えるのである。
一方の「フットワーク」も兵庫県内では有名な企業である。しかしそうでなくても宅配を始め運送業界は過当競争で値下げのプレッシャーは強かった。そして遂には中堅どころでも脱落する企業が出たのである。やはり不況のせいである。
株価の下落を待つまでもなく、消費・生産の両面で底の見えない状況が何年続いているだろうか。それにも増して政治的無策が日本経済の断末魔的状態を後押ししている感じである。
今日もある商社マンと話をしていたら、「少なくとも首相が辞めることが株価低落を食い止める最低条件だ」とぼやいていた。そりゃそうだろう。支持率10%を切っても居直り、なおかつそんな内閣をを平然と支えている連中がいるのだから。
経済を立て直すことも大事だし、加えて民意を反映させることももっと大事だ。
2001.03.06:
世間でよく聞く話に「電気は目に見えないから怖いし、よくわからない」というのがある。
私は学校で電気工学が専門だったから当然電気に対する違和感とか恐怖はまったくない。もしあったとしたら電気でメシを食ってはいないだろう。当たり前である(笑)
では電気のことというと尻込みする人と、我々のような専門家との違いは何だろうと考えてみた。
まず基本的には「先入観」、すなわち雷のように轟音と閃光を放つものというような印象が植え付けられているように思える。それから「目に見えない」、これも結構影響している。力学のような一般物理学だと確かに目に見える運動として表現されることが多いからとっつきやすいようだ。ところが電気は直接触れることができない(触ると感電する、当然だ)ために特別な測定器を使用する。これがまた研究者のように偉く見えることもあるかも知れない。
厳密に言うと、電気は数学の世界であるとも言える。こんなことを言うと「ホラ、言わんこっちゃない」という声が聞こえそうだが、大げさな話ではない、店で買い物をするときに電卓を叩いたり、負の計算をするのと同じ事なのである。つまり計算をする時は現実の物理量を一瞬だけ忘れる。これと同等のことをやるだけなのである。
ただ電気が他と違うのは、数学的概念を用いる機会が相対的に多くなるということである。目に見えない分だけちょっとした既成観念からの飛躍をしないといけないのが難点だろうか。
もっとも電気でも直流回路は比較的理解しやすい。流体力学と非常に似ているからである。流体力学で使う公式と直流回路の公式にはかなりの相似性がある。初級者向けの解説書でもイラストなどを使って解りやすく解説できるのが直流回路の性質である。ところが交流、それも家庭用の単相ではなく、送配電や工場で使われている三相交流になるとガラッと概念が変わる。そもそも何故電線が2本ではなくて3本なのか、普通の常識のままでは絶対に理解不能である。
三相交流を素人向けに説明するとなるとかなり困難なのだが、大雑把に言うと「原点が同じで長さも同じベクトルが120度の角度をもって回転する」、つまり3枚羽根の扇風機がクルクル回るような状態で、3本の電線の中を振動しながら伝わるエネルギーであるとでも言えようか。
この「回転するベクトル」ということを理解するためにはかなりの概念の飛躍を要するようである。実は数学そのものもそういう概念の飛躍がなければ発達しなかった。数学ではあらゆる物理量、「1個のリンゴ」とか「100mのヒモ」のような実在から純粋に数値だけを取り出すという学問だからである。その代わりに一旦数学的命題を得たならばそれをすべての物理量に適用できるのである。まとめれば、「物理量を一度捨て、数を簡単に整理して再び物理量に戻す」のである。例えば球の体積のような複雑な計算を、積分を使って簡単な計算式に導くこと、これが数学の役割なのである。
電気の場合でも交流電力の計算では同様のことを行う。もし単相交流を単純な正弦波関数としてとらえるとその積分値はプラスマイナス・ゼロになってしまう。これでは消費されるエネルギーの実際値と合わない。ところが正弦波を二乗して積分し、これを再度開平してやると、不思議なことに電力=電圧×電流×力率(力率の説明は長くなるので省く)という単純式で表現できるようになるのである。
我々の普段の生活と直接結びつかない概念を使うには確かに困難がいる。しかしその克服がなければ人類は発達しなかった。電気に関して言えば、19世紀の終わりにドイツのジーメンス社がモーターを発明して以来、電気は我々の生活とは切っても切れないものになっていった。同じ頃、19世紀後半にマックスウェルが導いた電磁波理論は、電気・磁気・光を統一したものとしてとらえる事に成功した。この時も概念の大ジャンプが必要だった。
原始の人達は雷を「神の仕業」として恐れた。しかし現代人は前記のような人達の偉業を受け継いで、雷が自然界の静電気現象であると理解できるようになった。だから普段の表面的現象だけではわからないが、電気をのことを理解するのは決して困難なことではないのである。
2001.03.04:
若いときはそうでもなかったが、40代になったあたりから休日でも朝早くから目が覚めるようになってきた。長年の習慣からだろうか、あるいは歳を取ったせいだろうか、朝寝坊をすると月曜日の朝が辛くなるような感じがしてならないのである。
ヨメハンは「休みの日くらい寝かせてよ」と不満をもらすが、私は逆の意味で不満である。だがこういう違いが出る原因は何だろう?
これは私の推測だが、長期間に亘って決まった時間に出勤するような規則的生活を続けているとリズムが狂うような行動が次第にやりにくくなるのではないかと思っている。もちろん専業主婦だって毎日夫と子供のために朝早く起きて家事をこなさねばならないなどのことはある。しかし根本的には、時間を決めて仕事をせねばならないのと、ある程度自分の裁量がきく家事との違いではないかと思う。
正確なところはどうかわからないが、兄夫婦も似たようなものらしく、義姉がやはりヨメハンと同じ不満を漏らしていた。
2001.03.03:
最近になって通勤電車の時刻表が頭に入るようになった。毎日ほとんど同じ電車に乗るので各駅の発車時刻まで覚えてしまったのである。
さらに運転士や車掌にもいろいろなタイプがあることが次第にわかってきた。組み合わせによっては遅刻しやすい場合もある。例えば遅れかかった時でも決められた運転パターンでしかノッチ(車のアクセルと同じ)を入れない運転士と、ダイヤどおりの停車時間(15秒刻みになっている)きっちりにドアを開けている車掌の組み合わせだとあっという間に遅れる。遅れると駅で待ってる乗客の数が増えるのでさらに乗降時間が長くなrり、さらに遅れがひどくなるという具合である。
本当は何分か以上遅刻すると始末書を書かされるはずだが、それでも遅れを取り戻そうという気持ちが感じられないこともある。運転士も車掌もきつい仕事である。乗客数とか信号、踏切などずっと神経を集中しなければならないから、同情する気にはなる。でもプロなんだから上達心は忘れないで欲しいと、乗っている方は自分勝手なことを考えているのだが。
2001.03.01:
気分一新で掲示板「ゲストのための落書帖」を変えてみた。
広告入りの借り物から「自作」(とは言ってもフリーのCGIを改造しただけのものだが)のものに切り替えた。URLからお分かりだと思うが、昨年11月にプロバイダをフレッツ対応のWAKWAKにしたので、使っていないウェブスペースを利用したものである。
要望があれば手を加えることも可能になったので、まずは一度ご覧いただきたい。