悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
02.03
2002.03.31:
今頃になって憂鬱な話が出てきた。フレッツADSLの調子が悪いのである。
現象は有名な「カチカチ現象」である。導入時の昨年12月ではほとんどなかったリンク切れが2月頃から時折出始め、昨日からは午後に1時間程度、夜も9時頃から11時頃まで続いた。モデム内部のリレーが繰り返し動作してカチカチ音を出し、同時にモデムの緑ランプが点滅するのである。当然その間は完全にリンクが切れる。
最初の頃は夜11時頃が多かったのでISDNによる干渉だから多少は仕方あるまいと思っていた。しかし昨日から断続的に切れるし、今日などは早朝からカチカチ音が出るのには参った。どうしようもないのでついにNTTに電話を入れ現象を伝えたが、調べた結果局内は問題なし、従って有料で回線調査をする必要ありとの回答だった。
料金は\7,300、結果によって保安器の交換、回線の振替、ブリッジタップの取り外しなどをするという。やるなら徹底的にやってもらいたいが何せ金がかかる話、1週間程度様子を見てから決断する旨を伝えた。
頭が痛い・・・・(>_<)
2002.03.30:
あるウィルス関連の掲示板でこんな質問が出ていた。
ウイルスにかかったかもしれなくなったんです、、
ヤバイですかね?
誰か対策を教えてください。。
お願いします!!
文章はたったこれだけ。世間広しといえどもここまででたらめというか、理解不能な説明はないだろう。とにかく具体性が完全に欠落していて、なおかつ結論だけを催促しているからである。
同様の話で、教育相談の電話などで増えているそうだが、子供がどういう状態でどこに問題があるかを聞こうとしても「そんなことはどうでもいいんです、どうしたらいいかだけを教えて下さい」と一方的に結論を求めようとする人がいるという。
上記の書き込みでもそうだが、こういう人に限って「私はPC初心者だから」と自分を合理化しようとする傾向がある。初心者でもちゃんと説明できる人はそれなりに話ができる。だから本当は「PC初心者」ではなくて、「コミュニケーションの初心者」ではないかと思う。
2002.03.29:
今夜は部長の送別会だった。しかし大半のメンバーは彼を抜いて雑談。彼も人は悪くないのだが決して下に降りてきて一緒に話をしようという姿勢に欠けるため、そんな結果になってしまった。後任は現課長がそのままシフト。部長が浮いてしまったのをフォローしていたが、もうひとつしっくりこなかった。
海外経験もあり、有能な存在なのだが、いつまでも「俺はエライ」というタイプは好かれない時代になっていることを気付いていないのは残念でならない。
2002.03.28:
決算関係は殆ど終ってしまったのに、他の仕事で昼間は滅茶苦茶忙しい。それもイギリス関係ばかりである。
今年は私のイギリス出張はまずないと考えられるのだが、現在現地に乗り込んでいる連中が苦労していて、そのための増員や物品の手配などで走り回っている。おまけに現地の運転資金が客の嫌がらせで入金せず、ついに資金ショートまで起こしてしまったのである。
今日現地から責任者が帰国して少しだけ話を聞いたが、(本格的対策会議は来週開かれる)いやはやイギリスのモノづくりも地に落ちたという感じがある。今回の仕事で雇っているイギリス人アシスタントも「これほどひどいとは思わなかった」と言ったほどである。簡単にいうと納期・品質ともにノーコン状態になっていて、かつテコ入れしようとしても言うことを聞かないのである。
それを日本側からも支援しようとしているのだが、これまた新幹線組を除く在来の陸蒸気一派は20年以上海外ジョブの経験がなく、単に横文字に弱いのみならず海外がらみの仕事に必要な知識も欠落しているのである。だから資金ショートも客のせいだけでなく、プールしておくべき金額とか運営のやり方が悪いことも原因にになっているのだ。
向こうでは明日から来週月曜まで復活祭の休み、かつ今度の日曜からサマータイムに入る。現地責任者も来週に再度の赴任、仕事はいよいよピークに入る。私も月明けには「のぞみ化プロジェクト」にも集中せねばならず、多忙な生活になりそうだ。
2002.03.26:
物理と数学・4
交流電流のところで書いた「力率」についてちょっと触れる。
交流には不思議な性質があって流れた電流のすべてが仕事として使われるわけではない。大半は熱や力に変換されるのだが残りはただ電線の中を電子の運動として往復するだけなのである。そのわけは回路中に存在するコイルやコンデンサーによってエネルギーの蓄積と放出が時間遅れで行なわれ、相殺されてしまうからである。実際の電気がする仕事は、数学的には「ベクトルの内積(スカラー積)」として表現できる。しかしこんな無味乾燥な言葉で交流電流のすべてを表わせているとはとても思えない。このあたりが「電気は見えないからわからない」と言われる所以なのだろう。
電気の性質についてはもっとややこしい話が存在する。
マックスウェルという人が発見した電磁波理論で、これによれば電気も光も同じものの周波数による見た目の違いという結論に達する。これの証明は頭が痛くなるような記号が並ぶ高等数学の塊と格闘せねばならず、ここに書けるようなものではない。しかしその式が表現しているものは物理現象の理解をするうえで画期的なものになった。それは別のもののように見える各種の現象を統一的に表わしたものだったからである。その意味では数学の力は大きいといえる。
現在、宇宙物理学の世界では新しい統一理論を作る試みがなされている。一般に「大統一理論」(GUT:Grand
Unification
Theory)と呼ばれているもので、今の宇宙に存在する4種類の力を一つのものとして表現できるはずだという前提で研究されている。このために色々な数式を使ったモデルが提唱されているが、まだ解決していない。しかしその中での数学の役割は決して小さくない。
最後のまとめとしてひとつだけ書いておこう。物理学の進歩に数学が大きく寄与していることは疑いない。また場合によっては数学が先行して新しい理論を構築することもある。だが数学単独で物理現象を語ることができないのもこれまた事実だ。物理学が根底にありながらも両者が補完しあいながら我々の物質の認識が進んでいくものと思われるのである。
2002.03.25:
JRのダイヤ改正で、朝バスを降りてからいつもの電車に乗るまでちょっと走らないと間に合わないような乗り継ぎ時間になった。もう20年以上同じ時刻に発車していたのが突然変わったためである。
それと西明石まで複々線の外側を走っていたのが、兵庫駅を出てから内側に切り替わるようになり、今まで通過していた須磨・垂水・舞子に停車するようになった。
最近の傾向として快速電車が普通を追い越す時のやりかたが変わってきた。昼間のダイヤが典型で、下りの場合芦屋駅から普通は内側線、快速は外側線を同時に発車する。そして六甲道と灘の間にある東灘貨物駅で快速は先回りして内側線へ移るのである。これによって電車の間隔を短くしようという計算だ。電車が追い越す場合、前後各2分の余裕を必要とする。しかし上記の芦屋駅のケースだと発車時の2分は必要なくなるわけである。
列車が遅れた場合の影響を少なくするにはいい方法だが、何となく世知辛い感じがする。
2002.03.24:
物理と数学・3
前回も書いたが、数学は物理現象を抽象化し純粋に数値処理をする。しかし現実の物理現象につきまとう問題、例えば誤差(これも数学理論として確立しているのだが)とか実際のモノ作りなどは一時的に無視していることを頭に入れていないととんでもない目にあう。
工学系を卒業された方は大抵「図学」の教育を受けたと思う。要するに図面の書き方、表現方法を学ぶのである。昔は製図板にT−定規、コンパス、烏口(インク洩れでよくケント紙を汚した)、三角スケールなどの小道具をなれない手つきで使ったものである。もちろん今はCADだから20インチディスプレイとマウスをコロコロ・・・である。
CADは本当に便利だ。綺麗な円も描けるし、何よりシミュレーションに優れている。ライン装置の最適配置の検討などは、何種類の案でも作れる。昔ならいちいち各案ごとの図面を作らねばならず、ものすごく時間がかかった。
コンピュータならではの数値処理の早さが威力を発揮するこのCAD、ひとつだけ忘れてはならないのが高速であるがための盲点が生じやすいことである。例えばどんな寸法・形状でも瞬時に描けるために本当にこんなものが作れるのかということを検討する時間を省略してしまうことである。また最近は強度計算までできるものもあるが、コンピュータの結果を盲信して入力した数値が間違いかも知れないということを忘れることもある。
事実、最近の若者は苦労して図面を書く経験をしていないために、バーチャルなCAD図面に思い入れが強くなる傾向にあるようだ。特に材質・寸法の違いでどういう差が出るかを認識できない、また現場経験が浅いとそれはさらに甚だしくなるのである。最近もこんなことがあった。
直径が10mもあるような筒状のものを作るのに図面上での誤差を指示していないということがあった。どうやら誤差をゼロと考えたらしいのである。通常機械ものに誤差はつきものでそのためのJIS規格さえ存在する。また特別に精度を要求される場合はそれを図示する。ただこれも限界があって10mもの直径だと直径、真円度ともにミクロン単位の誤差を要求することはまず無理である。それともっと厄介なのは直径が小さいときにはある程度許容される、自重による垂れ下がりが表面化してくることである。普通鋼などでは筒を横に寝かせると上部の自重で丸い円がたわんで必ず楕円に変形する。このたわみ量が径が大きくなると無視できなくなり、一緒に組み立てる他の部品との寸法関係が狂ってしまうのである。
実際に起こったトラブルでは管理職も図面にメクラ印を押したまま製作をしてしまい、2重になった筒を組み立てたら内筒と外筒の間の必要なすきまが小さいどころかこすれあってしまったのである。おまけに担当の若者は何故こういうことがおこったのか最初は全く理解できなかった。曰く「円は円でしょ?」
抽象化というのは必要なプロセスである。しかし抽象的概念が一人歩きして現実を無視したらとんでもないことになるのである。
2002.03.23:
どうやら各地で桜の開花が最も早いという新記録が出ているようだが、団地の桜もつぼみが膨らみ始めた。来週末には満開になっているかもしれない。
職場では四月に入ってから近所の城跡で毎年恒例の夜桜見物を予定しているのだが、この調子だと葉桜を眺めることになることも予想される。ここ数年は寒くて鼻水をすすりながらの花見だったが、今年はそんなことにならないだろう。
いつも書いていることだが、南極の氷山が崩れたり、今回のように桜の開花にまで影響が出るほど温暖化傾向は進行しているようだ。
2002.03.22:
物理と数学・2
そもそも物理と数学の関係はどうなのか。そういう疑問に対して私の見解はこうである。まず数学は物理なくして成り立たない、というか数学理論に対応する物理現象が存在しないということはあり得ないと考える。もちろん数学が先行して、こんな公式がなんの役に立つだろうかということは一時的にはあるだろう。
数学は物理現象にある具体的事象や単位をすべて捨て去り、そこから得られた公式や法則を再び物理現象の解明に戻す、という操作をする。例えば、丸い池の面積を知る時、半径rを測れば公式πr2によって計算できる。この場合公式はあくまで2次元の面の上で描かれた一般的概念として使われるだけで、具体性はまったくないのである。
これも電気の話だが、少し高等な数学の概念を使わないと解けない問題が存在する。
各家庭に引き込まれている交流100V、これは何故100Vなのか?そういう疑問を持たれたことがあるだろうか。まず単純に考えてみよう。交流は一種の振動波形、正弦波なのだが、これを積分するとどうなるか。一つの周期について積分すると波のプラス部分とマイナス部分の面積が同じなので結果は”0”となる。あれ?100Vという値ははあくまで正の数なのに・・・??
実は交流の消費電力計算を行なう場合にこの困難が出てくる。交流の電力は直流の場合と同じく電圧×電流で計算できるはずなのだが、厳密に言うと電圧と電流の各瞬時値の積を一周期について積分しなければならない。ところが先程の正弦波の性質が邪魔をしてしまい、単純な積分だと結果は”0”になってしまう。実際にはエネルギーの消費が行なわれているのに計算上は”0”になるという矛盾が生じる。これを解決するにはどうしても数学の助けが要るのである。
そこで交流電流を表現する方法として「実効値」が使われる。実効値は数学的に言うと「瞬時値の2乗を積分した結果の平方根」である。従って交流100Vというのは正弦波電圧を2乗して積分し、さらに平均したものの平方根を意味するのである。これを使えば交流の電力は単純に電圧×電流(他に「力率」という係数が必要だが話が長くなるので省略する)で正しく計算できるようになるのである。
普段は気にもしない100Vという表現、その裏にちょっとした高等数学が秘められている。
2002.03.21:
物理と数学・1
えらくアカデミックで難しい話・・・と思っていただいては困る。頭の痛くなるような微積分の数式を並べるつもりはない。ただ元電気エンジニアとして物理と数学の相互関係について知った興味ある事実を簡単に書くだけである。
まずはコンピュータと数学の話。
うちの会社は不思議な傾向があって、電線がつながっていればそれはすべて電気屋の範囲ということでコンピュータに関する仕事もこちらに回ってくる。機械を動かすためのセンサーの調整も、実際に動かす機械屋は「それは電気屋の仕事」と、すぐにこちらへ振ってくるのである。
愚痴はさておき、とにかくコンピュータは電気(厳密には電子か?)で動く。そのコンピュータは基本的に2進数の数学の世界である。スイッチのオン−オフと2進数の'0'、'1'が見事に統合されているのである。CPUのICの中は数百万個のスイッチの塊が超高速で動いている。ところで何故2進数がいいのか?それは基本的に前述のスイッチという物理現象と2進数という数学の概念が見事に一致するからであるが、では何故3、4、・・・10進数とかではないのか、という純粋に数学的な疑問について書いている本は少ない。
一般的に言って、数の表現は進数の小さい方が桁数が増える。逆に大きい方は桁数が少なくなるかわりに1桁当たりの区別を要する数は増えてしまう。例えば10進数を電気で区別するには電圧あるいは周波数の違いを10種類作らねばならない。これでは回路が複雑になってしまうのである。では最適値はいくらか。実はこれを計算した人がいて、結果はe=2.71828182、つまり自然対数の底と出たのである。数学的には3進数が最適と出た。しかし経済性、つまり回路の作りやすさから2進数に落ち着いたのである。
この経済性を理由とした話で有名なのは、電気の世界にもう一つある。それは特殊なケースを除いて電線に銅が使われていることである。金属の電気の通しやすさ(導電率)は、1位が銀、次に銅、金、アルミ・・・と続く。1位の銀が使われないのは、産出量とコストで銅が圧倒的に勝るからである。
2002.03.20:
昨夜は飲んでいて日記は更新しなかった。
ご存知のように人事異動のシーズン、私個人としては移動しないのだが、今の事務所に移転してきた新幹線組の一部が解体されることになった。私は既に所属として陸蒸気組になっていたのだが、残っていた連中もバラバラにされ、それぞれ陸蒸気組の組織の中に吸収されることになったのである。
もともと新幹線組の仕事は社内でもちょっと異質のところがあって、いわば何でも屋の集団というか小企業のような状態だった。それが幹部には気に入らなかったらしく、解体と同時にほとんど手付かずだった人減らしを強行したのである。
2002.03.18:
チェック機構と日本社会・6(終わりに代えて)
政治の世界、それも長期にわたって政権を握ってきた自民党には自らも、また互いに批判し合い、切磋琢磨するという発想はまったくない。それが鈴木・加藤両議員のスキャンダルに良く表れている。奇しくも両名は公表された政治資金でも上位にランクされている。
そもそも「離党」で決着したつもりになっていることに国民が怒っていることを全く理解できない(あるいは理解するつもりもない)ことに、いかに腐った生活を送っているかが如実に示されている。それは無表情の小泉首相も同じである。「自民党」というヤクザ顔負けの集団にあっては、税金を食い物にしていかに大きな利権を握るかを争うことが基本理念(?)だから、有権者・国民に対する責任感というものはかけらもないのである。
故田中角栄が利権あさりで批判を浴びたが、その本質を鈴木宗男は見事に引き継いでいる。「北方領土が返らなくてもいい」という発言は非常に明確で、彼にとってはネタは何でも良かったのである。(外務省がこれを出したことには別の問題があるが、ここでは割愛する)
また、地元での利益誘導も自民党の看板である。彼らは地元での公共事業を餌に票を掠め取る。地元民、特に過疎地域での産業振興は切実な問題である。地元民が美味い話に飛びつく体質を批判する向きもあるようだが、それがすべて正しいとは言えない。私の経験では田舎で選挙になると演説会に町長などが出てきて、「○○先生を当選させなければ町の予算はないと思え」というような恫喝を加えることがしばしば見られるからである。
民主を主義もなければ国民に対する責任感もない政党が政権を握っている日本の政治。今回の事件でまたもや国際的な恥をさらした。それを正すには国民的なチェックをかけ、曖昧な決着には「ノー」を突きつけるしかあるまい。
2002.03.16:
NTTがADSLを使えるかどうかなど、ユーザーが参考にしたいデータである局からの線路距離と損失を調べるサービスを開始した。早速自宅から最寄の神戸御影局までのデータを見ると距離=3740m、損失=48dBと表示された。ADSL加入するときに告げられた「約4km」というのは正しかった。というか116が使っていたデータを一般公開しただけのことなのだが。
現在800Kbps台〜900Kbps台が出ているが、48dBというのは妥当な線なのか私にはもうひとつ理解できないでいる。
2002.03.15:
出勤したらウィルスバスターのエンジンもデータも更新されていた。そしてしばらくしたらメールサーバーも再開された。まずは安心である。
ところがその一方で職場の一人のHDがクラッシュしてしまった。もっとも幸いなことに3日前までのデータはサーバーに置いていたというので不幸中の幸いである。
しかし午後は午後でイギリス人が朝の4時から(日本時間の13時)慌てふためいた電話をかけてきた。
どうも今週はドタバタと過ごした感がある。決算に向けての準備にかかろうとしたが来週までおあずけとなってしまった。
2002.03.14:
またまた新しいウィルスの洪水が流れている。今までのウィルスデータになかったものでワクチンソフトを作っている会社は慌てて対応データの更新をしている。とにかく混乱しているので名前もまだ統一されていない。
特徴はメールにpatch.exeというファイルがあること。今朝会社では早速このウィルスが送り込まれ、かつあまりに大量だったので本社情シスはやむなくメールサーバーを閉鎖した。やれやれ、明日はどうなっていることやら・・・
2002.03.13:
どうも最近は倒産にまつわるネタを書くことが多い。下請会社の倒産を良く聞くし、私自身も昨年から2件の倒産劇を経験、今年1月は進行中の仕事が一時中断する羽目になったからやはり神経質になっているのだろう。
さて、その1月に自己破産を申請した会社の後始末が最終盤を迎えた。具体的には倒産した会社から引き取った品物に対する支払いである。
倒産した会社の場合、金の振込みはどうするかというと、その会社の銀行口座は既に閉鎖され、破産管財人が新しい口座を開設してそこに振り込ませるのである。その口座名はこんな風になる。「破産者××株式会社破産管財人弁護士凹山凸夫」。とにかくやたら長い。
さて、破産管財人から支払依頼と振込口座の連絡があった。そこで私は電話をかけて「では請求書を送ってもらえますか?」と言ったら驚くべき答が返ってきた。「あのー、請求書なんて書いたことないんですけど・・・」さすがにこれには腰を抜かした。海外との取引でそういうことを言う鈍臭い経理に当たったことはあるが、日本では初めてである。いくら倒産の話だとはいえウチの会社の経理にそんなことは言えない。もし正直に伝えたら「お前は底抜けのアホか」と馬鹿にされるだけである。しかし相手がそう言うのだからまず事実なのだろう。で、最後に向こうから「そちらの書式で結構ですから請求書の原稿を書いてもらえませんか。こちらで判を押しますから」と頼まれることになった。仕方がないので経理にサンプルを見せて貰ってそれらしいものを作り、ワープロで書いたファイルをメールした。
しかしこの話には次のズッコケがあった。送った添付ファイルを開いても文字化けするというのである。はは〜〜ん、これはファイルの相性が悪いのだと思い、ファイル形式をリッチテキスト(拡張子.RTF)にして再送し、「こちらはWord97です」と書き添えた。そしたら早速返事が来てこう書いてあった。「今度は読めました。こちらは一太郎です」
役所とかの「官」は一太郎が圧倒的に多い。そのことを私も失念していた。
2002.03.12:
本当に春先の天気になってきた。コートも脱いだしパッチも脱いだ。昼間の陽射しも高くなり、朝夕の冷え込みももうほとんどない。
仕事の方は結構ドタバタ、「のぞみ化プロジェクト」はちょっと中休みにして明日からは決算中心となる。
そんな中、今日も倒産というか民事再生を申請したある専業メーカーのニュースを聞いた。顧客は電力会社がほとんどでシェアも高い。理由は定かでないが借金が売上高を上回るという悲惨な状態である。しかしシェアが高いということは周りが必死になって救済策を探るだろう。同じものを作れる競争相手がいなければたちまち客筋は仕入先に困るからである。だからといって資産の売却や人減らしは免れないのであるが。
現在一時的な円高に向かっているようだが、これから月末に向けてまた何があるかわからない、一寸先は闇である。これから年度末まで、そうした緊張感を味わわうことになるだろう。私としては決算まで何事もない日々が続くことを祈るのみである。
2002.03.11:
事務所内のある職場で若者が仕事中に倒れた。明らかな過労である。
夜遅くまでの仕事を何ヶ月以上も続けていたらしい。幸い命には別状なかったが、その職場では自殺、在職死などがちょくちょくあるという。となると管理職が無能であると私は思いたい。
まず部下が長期にわたって遅くまで残業していることを知らないことがあり、同時にそれは部下の仕事量が多いのか少ないのか判断できていないことがある。あるいは知っていても人がいないということで見て見ぬふりをしていたのかも知れないが、これはこれで許されないことであろう。私が若い頃は誰かの仕事がパンクして問題になったときは上司も周囲も寄ってたかって手伝い、火を消しにかかったものである。そうでないと出図遅れとか納期遅れとかで管理職が叱責されるから必死になっていた。
ただもうひとつの問題として最近の若者は白旗を揚げて「まいった」という声をなかなか上げない。言うと自分が無能と思われることを極端に避けようとするようである。これもまた気になる。仕事で人生を潰されることなどまっぴら、というスタンスが欲しいところだ。
しかし根本的には人減らしをやっておいてあとはお前らで勝手にやれという幹部のスタンスが最大の障害である。
2002.03.10:
実家の母が子供の誕生日にかこつけて我が家へ遊びにきた。80歳を過ぎて歩く速度は極端に遅くなったものの、杖も突かず元気なものである。
しかし最近は話す内容がかなり固定化してきた。年を重ねると次第にひどくなるのはわかっているが「その話はもう何度も聞いたよ」と言うわけにもいかず、適当に相槌を打つしかなかった。私自身もいずれ同じ事になるのだろうから文句を言ってはいけない。
それと母は年中どこかに旅行に行っており、4年前に私と海外旅行に行った頃の元気はまだ残っている。本音を言えば、寝たきりになることに比べれば家族には本当にありがたい。あちこちで話を聞くが寝たきり・徘徊になると周囲はへとへとにされて悲惨なことになってしまうらしい。もちろんこれは日本の劣悪な福祉のせいなのであるが。
2002.03.09:
今年初めから考えていたことをやっと実行することになった。日記帖の整理である。
昨年あたりからここのウェブスペースが残り少なくなってきた。また過去の日記についてはごく稀に記事の検索をするくらいで殆ど振り返ることもなくなり、お蔵入りさせることにしたのである。
また頭のリンク部分も見辛くなったのでテーブル化した。
懸案の一つが一段落したような気分である。
2002.03.08:
そろそろ年度末に向けて忙しくなるが、その一方で組織変更の話が出てきた。ウチの会社は半年に一度必ずどこかで組織変更をやって印刷屋を喜ばせる癖がある。
今回は私の職場でも少し大きな入れ替えがあり、その中で私は名実ともに陸蒸気組の一員になることになった。ただ、業務システムだけはデータやプログラムの移植・変更が大変なために相変わらず新幹線組のものを使うことになる。
しかしこの組織替え、明らかに上の人間のポストを割り当てるためと、これが最大の問題なのだが、2年半前に引っ越してきた新幹線組の組織を陸蒸気組の組織と仕事の範囲に無理矢理組替えることと、そのドサクサに紛れて人減らしをやることが目的である。
4月からはしばらく混乱の波が続くだろう。そしてもしうまくいかないとなればまたもや組織変更をやるだろう。私自身も予算管理をやっている連中との連携が悪くなるようだ。
2002.03.07:
あるウィルス関係の掲示板でのこと、サーバー管理者らしき人物の書き込みで「いまだにWordやExcelをメールに添付してくる営業マンがいる」というのがあった。そして「添付しないように指導しろ」という結論だったが、「そういう発想をするのは驚き」と書いたら「そう発想しないのが驚き」ときた。おまけにこの人、ExcelはCSV形式にせよなどとも主張していた。
どうしてこういう発想ができるのか私としては納得できず、しばらく気になっていたが、今日ネット仲間に問いかけてみたら私の考えを「おかしい」と批判する人はいなかった。
確かに2〜3行のデータをいちいちExcelで送られるといやになるかも知れない。もっとも私自身は下らない添付ファイルを送られることに慣れてしまい、少々のことでは驚かなくなってしまっている(笑)。しかし何より問題に思うのは次の2点である。
ひとつは、事の発端はウィルスに感染した添付メールを送られてその後始末に苦労したことに対して、ウィルス対策の指導・警告という本質を問題にせずに添付ファイルの存在に八つ当たりしてる点である。
まず受信側の対策としてウィルスなどをチェック・駆除できるようなソフト(いくつも市販されている)をサーバーに入れればマクロウィルスでも防御できるし、クライアント機には駆除ソフトのメールチェックをする設定をすれば何ら問題ないはずである。
一方、発信側にはウィルスが送られたことを通告し、駆除・対策を要請すればいい話だ。それを添付ファイルの存在にすりかえる議論にした上に一般ユーザーを攻撃するのであるから、これは筋違いも甚だしいと思えるのである。
もうひとつ、CSV形式の問題だが、これは一般ユーザーには殆ど馴染みのないものである。DOS時代にはWindowsのようなOLEの考え方がなかったために違うソフトの間でデータをやりとりする場合には多用された。しかしWindowsが一般化した時代からPCを使い始めた人が圧倒的に多い今日、CSVの存在を知っている一般ユーザーは少数派だろう。サーバー管理者の立場としてはウィルス対策のひとつとして知っておくことは重要だが、必要性も薄れ、その意味もわからない一般ユーザーに強制しても馬耳東風にしかならない。
結論として私が最も言いたいこと、それは「一般ユーザーの立場で考えよう」ということである。
2002.03.06:
某国の仕事で後輩が上司から英文契約書の作成を任された。68ページもある元ネタを修正すればいいのだが、彼は入社4年目でまだ自分で契約書を作ったことがない。それで彼から出来上がったもののチェックを頼まれた。
私が今まで自分で作ったものはいつも30ページ前後。しかし今回は理由があって細かい条文を並べたものでかなり歯ごたえのある作品である。だからちょっと不安になった。
まずは全文に目を通すことから始まるのだが、何せ長文だから昼間に時間をかけて読むとなると他の仕事ができなくなる。そこで通勤途中に広げることにした。
車内でハリーポッターを読むことに慣れているから苦にはならない。それよりも自分で驚いたのは意外とスラスラ読めることである。ハリーポッターは50〜60%くらいなのに、契約書だと90%の打率である。改めて考えたら私の英語力は非常にいびつであることがわかった。
2002.03.05:
チェック機構と日本社会・5
今日たまたまウチの会社とは切っても切れない関係にある下請け企業の社長と久しぶりに顔を会わせ、ちょっと雑談していた。その中でこんな話が出てきた。
どこにでもある話と言えばそうかも知れないが、彼の会社にはヌシとも言える経理担当の女性がおり、社長が出す領収書を細かくチェックしてから金を渡す。もう何十年もこの仕事をやっているから社長の性格もわかるし、場合によっては奥さんから社長の居所を即座に答えることのできる貴重な人材である。
そして極めつけは社長から差し出された領収書を、それも時系列に並べてからチェックを入れるのである。そして時として「しゃちょ〜、昨日の空白の4時間、どこに行ったはったんですか?」と上目遣いで尋ねるという。それで社長は一瞬ドキッとする。
種を明かせばこうである。
夕方、「接待」と称して車に乗り、駐車場へ留めてから(駐車場の領収書)「客」と食事に行く(料理屋の領収書)。いつもならこの後クラブで2次会となる(クラブの領収書)のだが、その形跡はない。そしていつもなら代理運転手を呼んで(代理運転会社の領収書)帰宅するのだが、その日に限って2次会も行かず、深夜自分で運転して帰った(領収書を出さない)というのである。ということは一緒に食事をしたのは客ではなく「特定の」女性かも知れないと疑われたのである。
確かに領収書を時系列で並べると人間の行動がすぐにわかる。おまけに人間にはそれぞれの習慣があるから、長期にわたって見ていればその癖をつかめるし、いつものパターンと違うとストレートに領収書に反映するのである。
社長が言うには、彼女はそういうしっかりした目でチェックをしている。おまけに何か変な行動をしてないか社長を問い詰めて困らせることに楽しみを覚えている、というのである。だが、こういうチェックは非常に重要である。何故かというと今度は逆に税務署から査察を受けた時に申し開きができるかどうかにかかわるからである。税務署はいい加減な答では許してくれない。そのことは社長も経理女史も良く知っているから帳簿の操作と受け取られるような無茶は絶対できないのであり、ちゃんとした歯止めになっているのである。だから社長は彼女に辞められたら大変なことになると言っていた。
2002.03.04:
チェック機構と日本社会・4
今のマスコミ特に新聞に特徴的なのは、欧米では考えられないことだが、政府・与党が使う表現や物言いをほとんどそのまま受け入れることと言ってていいだろうか。「付加価値税」を「消費税」とごまかし、「盗聴法」を「通信傍受法」と言い逃れる手法に無批判で追随すること、これはチェック機能の放棄に値する。
日本のマスコミが権力に弱いことは今に始まったことではない。しかし今のような権力への追随姿勢が大きく進んだのは80年代、それも84年の読売新聞元旦社説ではないかと私は思う。文章ははっきりと覚えていないが、「今の世の中不満や批判をならべた運動をしても何も変わらないのだから、黙って現状に甘んじるべきだ」というようなニュアンスだった。当時の読売新聞主筆は現渡辺恒雄社長である。それ以降読売と産経は一般国民を攻撃してはばからない姿勢を取るようになった。朝日・毎日はそこまで行っていないが、肝心なところに目をつむる点では他紙と変わらない。
それ以来私は大手新聞をあまり読まなくなった。タイトルで凡その内容が読める、つまり論調のパターンが私のような単細胞でも理解できるほど単純化してしまったからである。今では新聞を読まなくても速報性はTVが早いしネットではしいろんな見方があることを知ることができる。当の新聞でも記者や論説委員が書いたものより、外部の人間の投稿やインタビューの方がその主張するところがはっきりしていてわかりやすいのである。
それと今のマスコミはまったくツッコミを欠いている。政治の問題で国論が二分しているような話でも十把ひとからげに「与野党の攻防が予想されます。今後の国会審議には紆余曲折があるでしょう」とワンパターンで締めくくり、その先は触れない。これでは国民にとって何が問題か、どこで議論が分かれているのか知ることができない。これでは権力の思うつぼである。
最近では健康保険の本人負担を3割にする法律をめぐって、マスコミは「いつから」スタートするかの話に完全に歪曲化し、3割負担が本当に必要かどうかの議論は脇に追いやられている。小泉首相の「三方一両損」についてもセンセーションナルに取り上げるが、肝心の「得」をしているのは誰かも触れられていない。本来なら論じていいはずの、欧米よりもべらぼうに高い薬価に手付かずなことを批判すべきだ。しかしマスコミは絶対に語らない、なぜか。製薬会社からの広告収入がなくなるからである。
2002.03.03:
チェック機構と日本社会・3
「大久保彦左衛門」の名前は殆どの方がご存知だろう。「天下のご意見番」としてのストーリーはもちろんフィクションだろうが、その直言は庶民の喝采を浴びている。
また、昨年のNHK大河ドラマ「北条時宗」では、時宗がことごとく反対する御家人の一人を排除しようするのだが、その意見は尊重すべしと諭されて思いとどまるのである。
今の企業でも同じようなことが言えるだろう。経営陣にそういう辛口の人間を入れることは重要である。それとともに労働組合が違法行為などに注意喚起することも同じく重要である。山一證券が不祥事で潰れたとき、当時の橋本首相が思わず「労働組合は何をしていたのだ」と怒鳴った話は有名である。
私の会社でもワンマン社長が10年間ほど君臨した。彼が支配する時代には彼のキャラクターの良く似た、部下に対して「死ね」とか「頭を剃れ」とかの下品な発言をするような人間ばかりが上に行ったのである。また自らが会長に退いても「忠実な息子」と称される社長を後釜に据えた。そして彼が名実ともに表舞台を去った後、残していったのは売上高の半分ほどにも達する借金だったのである。
次回はマスコミのチェック機構としての役割について書く。
2002.03.02:
今日右の写真のものが宅配便で送られてきた。
「フレッツ・ロボ」という品物で、目はカメラ、USBでPCに繋ぐと何やら家電のコントロールやビデオの録画もできると書いてある。
何でこんなものが送られてきたかというと、昨年NTT西日本のADSLを申し込んだ時、加入キャンペーン商品としてタダでもらえるからと軽い気持ちで応募していたものである。しかし私は根っからのくじ運の悪さで定評があり、どうせ当たるはずがないと今日まで申し込んだことさえ忘れていたのである。
で、貰ったのはいいが考えたらこれの使い道がない。子供のマシンにでも繋ぐかとも思ったが生憎Win95には対応していない。だから置物にしかならないだろう。
ところで私はくじ運が悪いと書いたが、ヨメハンは滅茶苦茶いい。何年か前に商店街の一等賞で松茸を当てたし昨年末は神戸ワインを1本せしめた。
何でこんなに差があるのか不思議でならない。私は占いとかこういう運不運を信じないのだが、ヨメハンを見ていると彼女は千里眼でも持っているのかと思うくらいである(笑)
2002.03.01:
予告どおり「のぞみ化プロジェクト」のコーナーを新設した。
今日はこれだけ。