悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

02.12


2002.12.31:

ついに2002年も残り数時間となった。
長いようで短い一年。年末になるといつも強く感じる。仕事で毎日追いまくられているせいなのだろう。できれば1日がもう少しあれば、と思うこともある。しかし時間は間違いなく、誰に対しても平等に過ぎていく。
人生は短い。だが与えられた時間の中で一生懸命生きること、昨日より今日、今日より明日がより良い日であるようにと願わずにはいられない。そんな希望を抱きつつ、新しい年を迎えようと思う。

さて、年の瀬も押し詰まってから思わぬハプニングがあった。
その1:いつも使っているショルダーバッグの肩掛けベルトをつないでいる部分が壊れた。慌てて何ヶ所かの鞄店に当たってみたが、どこも時間がかかり過ぎる。さらにあちこち駆け回って、最後に三宮の高架下で1日で修理してくれるところが見つかり、ホッとした。
その2:ヨメハンが熱を出して寝込んでしまった。正月用品は既に買ってあったが、明日はどうやら私が炊事をするはめになりそうだ。雑煮を作るのは10年ぶりくらいか???

2002.12.30:

今年も残り1日と少しになった。
右肩下がりの経済の中で倒産やリストラが続き、失業率が政府統計で5.5%の高水準を維持している。昨年5%を突破した時は大騒ぎになったが、今年はもうニュースにもならない。しかし「企業の生き残りのため」とか「構造改革」を口にしても、職を失った人達がどう食べていっているのか、といった視点で問題を論ずる人は少ない。痩せても枯れても1億2千万人、それを一部とはいえ飢え死にさせてもかまわないという気にはとてもなれない。よしんば職にありつけた人でも、給料は少ない。
これだけ経済が発展した国で、あふれる失業者をどう救っていくのかという観点が欠落しているのはやはり異常だ。欧州ではワークシェリングを取り入れたりしているのに、政府も、また労働組合あたりからも、弱者をどう救済していくのかという提言はほとんどない。自分が犠牲にならなかったことに胸をなでおろすだけで、他人の不幸を自分のこととして考える余裕がこの国からは消え失せてしまったのだろうか。天明・天保の大飢饉の時代ではあるまいし、これだけ発達した経済を国民のために使うことは可能なはずである。破れバケツに水をそそでいるような銀行支援策を考える前に、もっと優先すべきことはいくらでもあるはずだ。
来年のことを考えるとき、「経済とは一体誰のためにあるのか?」ということをメインテーマとして据えるべきではないだろうか。

2002.12.29:

今年の経済は最悪の状態からまた一歩後退した感じがする。
経済成長、株価、失業率、どれを取っても悪くなり、また回復のきざしさえ見えない。その中でひとり小泉首相だけが「改革、改革」と繰り返す。彼の日朝交渉という唯一の功績はまだしも、銀行に対する税金投入や公共事業を補正予算で増やし、その一方で来年4月からの健康保険の自己負担を3割にまで増やしてしまった。そして彼の記者会見の表情を見ていると、何か問題が起こっても他人事のような喋り方になることである。ムネオ疑惑で議員辞職については非常に消極的だった一方で、田中外務大臣を更迭したあの時の彼の顔は能面のように無表情だった。
来年は何とかしてもらわないと庶民は本当に困る。もしこれ以上経済が悪くなるなら国民は黙っていまい。

2002.12.28:

昨日は何故か若干ボーっとした状態で、年末の仕事ものんべんだらり、掃除をする時間も十分あってえらく間延びした一日だった。
それと今の事務所では車通勤が主流のために打ち上げで一杯引っ掛けるという習慣がなく、メリハリがないまま定時になると全員一斉に駐車場へ走るのである。前の事務所では二十数年間赤い顔をして正門を出るのが通例で、ひところは麻雀の打ち納めというのもあった。
ということで、昨日何故日記を更新しなかったかという理由、すなわち気の抜けたビール状態だったかということをを長々と書いた。
今日は6時頃(出勤日は5時半)に起床、まずはメールとウィルスデータの更新をチェック。いつもこのパターンである。ヨメハンに言わせると「休みなのに何で早よう起きなあかんの」と言うが、どうも専業主婦はこういう発想になるらしい。私としては永年の習慣で、生活のリズムを崩さないように休みでも早起きするのだが、ヨメハンはこれが不満だという。世の男性、特に中高年の方はどう思われるだろうか?
さて、午前は医者へ行っていつもの薬+αを貰ってきた。ちょうど4週目が正月休みと重なるので早めにならざるを得なかった。「+α」というのは先週の風邪が長引いて、いつもの鼻炎に突入、鼻水と痰が止まらなくなったのに対処するためである。10年前に喘息を患って以来、発作はなくなったものの風邪を引くとほとんど必ず鼻炎に突入してしまい、溢れた鼻水が喉へ流れて気管を猛烈に刺激するのである。

さて、引き続き今年のニュースについてちょっとコメントする。
25日の日記に書いたが、アメリカが「悪の枢軸」と名指しした北朝鮮、何故かその名にふさわしい行動が続いている。日朝交渉までは良かったが、何をトチ狂ったか核開発の再開と合わせてIAEAに対するいやがらせに走った。アメリカとの直接交渉をしたいらしいがこれでは国際世論の同情は絶対に得られない。このあたりに外交交渉がド下手であることを証明する材料かも知れぬ。イラクとは対照的だ。
今の北朝鮮の独断的傾向が始まったのはやはり拉致事件、それとともに象徴的だったのはラングーンでの爆弾テロあたりからだろう。というのもそれまでは韓国に対して経済は比較的優位にあったからである。それが80年代あたりから韓国経済が急成長し始め、それに伴って金日成政権には危機感があっただろうと思われる。しかしそれを孤立主義的に解決しようとしたのはやはり間違っていた。
現在北朝鮮問題で公明党がやっきになって共産党を攻撃しているが、80年頃から日本共産党と朝鮮労働党とは関係が急激に悪化している。それを必至に攻撃しても無駄である。来年の選挙に向けての宣伝だろうが、恐らく大手マスコミは無視するだろう。
さて、拉致問題での帰国した5人の家族問題はどうなるだろう?来年のひとつの焦点である。
私見では第三国での再会が妥当な線ではないかと思う。「家族の会」その他の日本側関係者は現時点では猛烈に抵抗するだろう。しかし北朝鮮側がもしこれさえも拒否するなら、国際世論からは完全に見放されるといっていいのではないか。現在水面下での日朝交渉が引き続き行なわれていると思う。北朝鮮があらゆる側面で勝手な行動を続けるなら、国連を中心とした抑止力を必要とする事態になるかも知れない。イラク問題ではあれだけの努力の末に平和的な方向への一歩を見出した。それは湾岸戦争での教訓が大きく影響しただろう。北朝鮮政府が今の世界の趨勢から何かを学ばないならば、それは国民をさらに苦しめることになるだけだ。

2002.12.26:

年末締めの仕事はほぼ終了、明日は片付けと掃除に専念できそうだ。例年は29日が仕事納めだが、今年は休日と重なるので明日で終わり。
昨年も余裕があったが、昔、前の事務所にいた頃は盆暮れ前というのは悲劇的だった。
どういうことかというと、設計あたりから休み前日の夕方になってドッサリと海外向けの書類を持ち込まれるのである。曰く「この書類を流して、休みの間に返事が貰えるようにしといてくれ」と。
これで何度泣かされたことか。それに比べれば今の仕事は海外とのやりとりは格段に減った。

2002.12.25:

ちょっと今年を振り返ってみた。すると、その中でも特に国際政治の舞台でのアメリカの動きが非常に目立つ存在であったことに気付いた。
そもそもは今年初めの「悪の枢軸」発言である。元を辿れば昨年のニューヨークテロ事件なのであるが、ビン・ラディンをかくまったことを理由にしたアフガニスタンへの政治・軍事介入以来、アメリカ、それも特に現ブッシュ政権、は「自分達がすべて正しく、言う事を聞かないなら国連が何を言おうと軍事力で片を付ける」というスタンスをあからさまにしてきた。これほど露骨な思い上がりは近年まれなことである。
しかし実際はどうだったのか。どうやらビン・ラディンは生き残っているようであるし、アフガニスタンの独裁政権は崩れたものの空爆による犠牲者はWTCの犠牲者の数を超えた。
またイラクの査察問題も、国連決議をイラクが受けいれたことで、とりあえずの軍事攻撃はできない状態になっている。
北朝鮮の核開発は、その挑発的態度が国際的な批判を浴びているが、これとていきなりアメリカが潰しにかかれるような状況にはない。
私の周囲でも「アメリカは自分を何様と思っているのだ」という声がしばしば聞かれる。私自身も少なからず現在のブッシュ政権にやり口には大いに疑問を持っている。それともう一つ私が感じているのは、悲しいことに民間レベルでもアメリカのひとりよがり的な発想を垣間見ることである。
その一つの例は、今年の夏、NHKでやっていた各国の若者の討論会で、アメリカの参加者がいきなり「悪の枢軸国は・・・」と発言して、他の参加者から独断的と反論を食ったことである。また、私も仕事でアメリカの会社と時折商談をするのだが、しばしば自分達の標準があたかも世界標準であるような錯覚をもって接してくることがある。
もちろんこれらはアメリカの歴代政権が、国際政治の中で軍事力を背景にがそういうスタンスで望んできた歴史があるからであるが、今年はその中でも最悪の独善主義を表明してきた年だったように思える。
今年は北朝鮮がまだ入口ながらも国際舞台に顔を出すきっかけを作った。また長年の懸案だったスイスが国連加盟を果たした。世界的な主流はあくまで「国際協調」である。だからこそアメリカの本格的な軍事力行使はアフガン攻撃以降抑えられてきている。もちろんイラクなどの解決すべき問題は山積している。だが平和的解決を抜きに来年を語ることはできないと思うのである。

2002.12.24:

会社の帰り道がえらく混んでいた。あまりないことである。
しかし考えてみると今日はクリスマス・イブだから、早く帰って家族団らん、あるいは恋人との待ち合わせが多かったのだろう。私はどうかといえば七面鳥を食べたりケーキを食べたりなどということは一切しない。唯一クリスマスと関係があったのは、学生時代にカトリック教会の聖歌隊に加わったことだけである。
今年はイギリスの会社とも付き合いがほとんどなくなって、クリスマスカードも4通だけだった。

2002.12.23:

3連休が終った。
今年も残り少なくなって、明日からは仕事も年末の追い込みに入る。もっとも欧米はクリスマス・年末休暇。近頃は会社丸ごとクリスマスから2週間連続休みのところも多くなった。しかし開いていても休業同然というのもこれまた少なくない。

2002.12.21:

会社関係で本音の言える仲間内の忘年会をやった。これで予定していた今年最後の忘年会が終ったことになる。
何となくまだ年末という実感が湧かないが、世間でクリスマス商戦たけなわで、商店街のイルミネーションが輝いている。
イルミネーションといえば神戸ルミナリエ。しかし私はまだ実物を見に行っていない。今年こそはと思いつつも、何故かチャンスを逸している。明日くらいは子供を誘おうか?

2002.12.20:

JR西日本では、救急隊員を死なせてしまった事故以来、人身事故が相次いでいて、おまけに長時間運休が続いている。やはり例の事故が相当こたえたらしく、運転再開がものすごく慎重になった。今夜も人身事故と乗客がホームから転落する騒ぎが重なってダイヤは大混乱。今夜は最終電車まで影響するだろう。過密ダイヤだからちょっとしたことでも遅れにつながる。
話がちょっと違うが、最近の列車事故で翌朝の通勤時間帯にまで運休が続いたという事故が山陽電車であった。原因は深夜に酔払い運転の車が踏切で脱輪、そこへ回送電車が突っ込み車を引きずった。それに加えて脱線した電車が次々と電柱をへし折ってしまい、復旧が間に合わずに翌朝の初発から通勤時間にかけて運転できなくなってしまったのである。恐るべし、列車事故。

2002.12.19:

「どうやら」どころかしっかりと風邪を引いてしまった。それで今日は会社を休んだ。
しかし人が休んでいる時にも自宅にメールを送ってくるヤツがいる。も〜、やめてくれへんか! (怒)

2002.12.17:

どうやら風邪を引きかかっているらしい。眠気と鼻水が続いている。今夜はぐっすり休もう。

2002.12.16:

今月始めにLANの講習を受けた成果が試されるときが来た。
ウチのサブ職場で全マシンがファイルサーバーに接続できないというものだった。おまけにここの上司がパニックになってチンプンカンプンな言葉を喋るので、仕方なく緊急出動となった。
昔からここはトラブルが多いのだが、サポート幹事長が主に担当、しかし生憎と彼は入院中で一切がこちらに回ってきている。さて、それはさておき、行ってみるとファイルサーバーどころかホストのアプリ、Notesメールもことごとくアウト。つまりLANが完全に死んでいるのである。
ところが不思議なことにここのセグメントを受け持つHUBの各ポートは緑ランプが点灯。ほへ??
しかしテストでクライアント機からPINGを飛ばしても自機以外には反応しない。ということはHUBから先に障害が・・・との判断で情シスにルートの調査依頼をするために電話した。ところがである。
もう彼らは馴れっこになっているらしく、いとも簡単にこう答えた。「HUBの電源を切ってみて」。
結果は書くまでもない。だが今回のサポートで得た成果は、この職場のセグメントにはWAN側から光ケーブルが引かれていて、光リピータ→SWHUB→クライアント機と繋がっていることが判ったことである。講習を受けるまで、こういうことに注目したことはなかった。

2002.12.14:

昨夜の忘年会、それほど飲んだわけではないが、2次会まで話がはずんでしまい、店を出たら終電はもうなかった。しかし唯一の望みは西明石からの上りがまだ間に合うかどうか。それで同僚とともに西明石までタクシーを飛ばし、何とか0時過ぎ発の最終電車に乗れたのである。
ここまでぎりぎりの離れ業は初めて。帰宅したのは午前1時だった。だから今日はめちゃくちゃ眠い。

2002.12.12:

今日も寒さが続いていて、ついにチョッキからセーターに替えた。電車・バスを待つ間の寒風に耐えられなくなってきたからである。
だが、まだパッチは穿いていない。手袋もまだ。しかし年末までには我慢できなくなるだろう。
明日は職場の忘年会。幹事は中華料理を選んだ。

2002.12.10:

寒波の影響で関西でも冷たい風が吹いた。
そんな中、10年ぶりくらいだろうか、しばらく見なかった大型船の進水式を見た。
神戸には2つの大きな造船所があり、時折進水式をやる。比較的新しい造船所だとドックに水を張って知らない間にぽっかり浮かんでいるという味も素っ気もないものだが、やはり船台の上をビル一つくらいのものが滑っていく姿は壮観である。
ちょっと技術的な話だが、船の一生のうちで進水式の時が最も過酷な荷重を受ける(専門的に言うと、一瞬だが船台と海面との2点支持になるためである)。船もまた産みの苦しみを味わうということらしい。

2002.12.09:

関東では珍しく、ちょっとした積雪で交通機関が混乱したようだ。何しろ12月初旬の雪は15年ぶり、千葉県では観測史上最も早い雪だそうだ。確かに温暖化の傾向が続いている最近の気象から見ればえらく早い感じはする。
しかし赤穂浪士の討ち入りが12月、桜田門外の変が3月、いずれも雪の日だった。江戸時代に比べればその違いが歴然とする。
関西でも明日は冷え込みそうである。

2002.12.08:

次第に12月らしくなってきた。
お歳暮が届いたし、子供も冬休みのことを心配し始めた。そして昨夜はネット仲間との忘年会?(予定外で急に集まる話になった)。さらに明日は「のぞみ化プロジェクト」の忘年会である。
私は「師」ではないが、何だかんだと走り回る月になりそうだ。

2002.12.05:

「のぞみ化プロジェクト」の今後に備えて、LANの講習を受けた。今日は前半戦である。
内容はLANの概説とTCP/IPの階層構造である。使ったOSはNT4.0 Server SP6。NETBeuiとかIPX/SPX、TCP/IPのセットアップをやってみたりの実習もあった。サーバーマシンを触るのは生まれて初めて、やはりちょっと緊張した。でもW2Kサーバーでも良かったのにとは思うのはゼイタクか?
生徒は私も含めて8人。しかし予想通りというか、オッサンは私だけであとは全部若者。だがこちらはキーボードを叩いた年数だけは負けない(?)し、マシンの設定とかは場数が違うように感じた。それと驚いたことは、もうNetWareを知らない世代が出てきていることである。
明日はサーバー構築とイントラネット、インターネット、LAN機器、ルーティングなどである。
一つだけ断っておくが、だからといって実際の社内サーバー立ち上げをやらされることはない。職場サポーターに情シスの仕事をやらせるような無茶は、さすがに大企業ではやらないからである。

2002.12.04:

やはり12月と思わせることがあった。
今年初めてのクリスマスカードがイギリスから届いた。毎年10通程度は来ていたが、今年は外国との付き合いがほとんどなかったので例年よりは少な目になるだろう。
カードが届いたことで、こちらから出す分の手配を忘れていたことに気付いた。

2002.12.03:

いつもの薬を処方して貰うために病院に行ったら、今までと変わった手続きになっていた。
これまでは診察券を窓口に出したら会計が終るまで帰ってこなかったが、受付に出して一度返却、採血で提出してまた返却、診察でもう一回、会計でまたもや提出と返却、都合4回出し入れした。
以前ニュースでもやっていたが、外来でも患者を間違えたケースがあるのでその防止策である。病院側も患者側もやたら手間のかかることになってしまったが、やむを得ないというところか。

2002.12.02:

12月になってしまった。
今年もあと一月足らず。しかし今年中に景気が上向くというような気配はとうとうないままだった。むしろ年末にかけて倒産の不安が高くなるだろう。今日もある会社が明日にでも会社更生の手続きを取るだろうとの噂が流れた。
我々の生活も回復の兆しはない。むしろ税金アップや健康保険料の負担増が来年に待ち構えているなど、逆にデフレが進行するような動きになっている。
そろそろ今年一年を振り返り、来年に向けての何かを模索してもいい頃なのだが、毎日ドタバタ過ごすだけで、一向に余裕のある生活にならない。ボーナスが出たが、これもまた例年よりもガタ落ちになったままだ。

2002.12.01:

昨日のウィルスの話の続きを。
最近の新しいウィルスは本当に始末が悪い。システムファイルを壊したり、ワクチンソフトを動かなくしてしまうのである。ところが初心者の中でウィルスを駆除し損ねたりシステムが狂わされたりしてOSの再インストールが必要になっているのに、小手先の作業に固執する人がいる。
多分その手順を知らない、面倒臭い、あるいは個人データのバックアップ方法ををこれまた知らない、面倒臭がるようだ。原因や教訓など煩わしい、とにかく目先のトラブルだけ解消したい、という非常に近視眼的発想なのだろう。何故かこれは圧倒的に女性に多い。
それから「お金がないからワクチンソフトが買えない。他にいい方法はないか」という問い合わせも見られる。
この話で昔私がプラント建設現場にいたときのエピソードを思い出した。
あるとき、必要な部品だけを取り出すためにわざわざ大きな梱包を開けることになった。そうすると部品を取り出した後、再度蓋を閉めるのだが、切り裂いた防水シートだけは元に戻せないので梱包の上に雨水が入らないようブルーシート覆う必要が生じた。かつ、こういうことが度重なるので現場事務所長が会社にブルーシートを送るよう依頼したのである。
ところが会社からは「予算がない!」とつれない返事が来た。これに怒った所長は再度書いた。「予算はなくても雨は降る!
これと同じ事だが、「お金はなくてもウィルスは来る」のである。