悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
02.11
2002.11.30:
興味があって時々ウィルス関係のあるサイトを見に行く。そこには掲示板もあるのだが、そこへの書き込みを見て思うことがある。
その中での初心者の書き方にはある特徴があるのである。すなわち「ウィルスにかかったらしいのですが、どうしたらいいでしょうか。ワクチンソフトは入っていません。・・・」というのが意外と多いのである。しかしよく考えるとおかしな話だ。
まずどうしてウィルス「らしい」と判断したのだろう? そしてどうしてワクチンソフトが入っていないと判るのか?
前者は本当にウィルスにかかっている場合もあるが、システムのエラーとか、ダイヤルアップを国際電話に書き換えられたとかの現象も含まれている。ただ、PCの動きがおかしいので、ワクチンソフトではなしにどこかのサイトのオンラインスキャンをしてウィルスと判ったケースももちろんある。しかしワクチンソフトがなくてオロオロする姿は正直見られたものではない。
次に後者であるが、初心者なら大半は大手メーカーのワクチンソフトがプリインストールされいるマシンのはずだが、どうしてわからないのだろう。まあ、どんなソフトが入っているのかも知らないし、マニュアルも読まずにひたすらネットに繋いで喜んでいるだけとも言えないことはないが。
もっともワクチンソフトが入っていてもエンジンもデータもアップデートしない人は結構多いから、入っていないのと同じことではある。2002.11.29:
今日新快速に乗ったら猛烈にスピードを出していた。理由は途中の踏切の非常停止が作動して(事故ではなかったらしい)、遅れを出し、必至に時間を取り戻そうとしていたからである。
明石と神戸の間は速度規制の区間を除いてほとんど130キロ、駅に着いたら床下から抵抗器の焼ける臭いが漂っていた。それで1分ほどは縮めたが、やはり駅での停車時間を縮める方が効果が大きいようだ。
聞くところによると、運転士の自己責任で2分以上の時間遅れ(!)を出すと、成績に響くそうである。真偽のほどはなんともいえないが、ものすごいプレッシャーだろう。
うちの会社でも来年からは利益に連動してボーナスが上下する。それも部門別に差がつくので、「勝ち組」と「負け組」が必ず出る。すると若者の間では特に「勝ち組」への移動を希望する傾向が強くなったそうだ。心情的には判るが、この制度は地道なものづくりを必要とする部署が崩壊するかもしれない。2002.11.27:
過去の日記を調べていたら、1年ほど前に「桃太郎電鉄」の話を書いていたことがわかった。
このゲームの元ネタは多分私が子供の頃に流行した「バンカース」だろう。ゴールなしの一つのループでエンドレス場の金がなくなったら終わりというものだったように記憶している、買うのは家屋だけである。これのまた元ネタはアメリカ(?)のMonopoly(「独占」の意味)である。
他に私の好みのゲームはカードの「ソリテア」、「ピラミッド」、それとPCには移植されていないが「時計」。スーファミでは「桃鉄」、「ぷよぷよ」と「ドンキーコングI&II」である。PCでのゲームでは「マインスイーパ」(これを好きな人は少ないだろう)、「四川省」そして「倉庫番」である。ただし倉庫番はまだ全部をクリアしていない。
そうそう、もう一つ忘れていたが、若い頃にジグソーパズルに凝ったことがあり、1500ピースを延べ50時間くらいで完成させたこともある。最近PC用ジグソーパズルもいくつか出ているが、なかなか使いやすいものがない。2002.11.26:
11月も終わりになってきた。そうなるとそろそろ忘年会の日程調整が始まる。
今年は最低でも3回、ひょっとすると4回目が入るかもしれない。今のところ2回分の日取りが確定している。長期の不景気で年末には倒産騒ぎのひとつやふたつあっても不思議ではないこのご時世だが、その日だけは楽しくやろう。2002.11.24:
昨夜は日曜だというのにちょっとネット仲間と飲んだ。
もちろん私の誕生祝いも兼ねてのことである。
その中でちょっとした鉄道模型の話になった。私自身も元鉄道少年だったから突っ込んだ話になったが、ひとつだけ時代の変遷を感じることがあった。恥ずかしい話だが、昔はHOゲージが圧倒的に多かったのに、今はNゲージが主流になったことを全く知らなかった。確かに家庭でHOゲージを走らせるのは非常にスペースを食う。だから押入れにレイアウトを作って、動かしたい時だけ箪笥の引き出しよろしく部屋にスライドさせる工夫が流行ったこともある。しかしNゲージだとぐっと狭いスペースでも楽しめる。
昔従兄弟がドイツ・メルクリンのHOゲージを持っていた。あれはものすごく精巧な技術、ドイツならではという作品だった。今は模型のことにあまり興味がなくなってしまったので良く知らないが、メルクリンはどうなっただろう。もっとも今の狭いマンションで走らせるわけにもいかない。ただ息子が幼い頃、「プラレール」で一緒に楽しんだことはある(笑)2002.11.23:
昨日書き足らなかったことを補足したい。
会社生活が残り10年ということを書いたが、もちろん私の人生がそれで終るわけではない。今でもそうだが、会社以外に家族があり、この頃はちょっと疎遠であるが地域との繋がりもある。そして何よりも私には仕事で知り合った友人たちがいるし、またネット世界を通じた親しい人達がいる。ここの表紙にも載せているが、「サポートセンターの秘密」のホストであるHIROMIさんならびにそこに集まる「サポセン・フリーク」の気さくな連中もまた貴重な存在であることは疑いない。
世のオトウサンたちが仕事にまみれ、定年で気付いた時には仕事以外の趣味も人脈もないまま「濡れ落ち葉」になっているという話を聞く。私はそんな状態にはなりたくない。別に定年に備えてという考えは毛頭ないが、現時点でも四六時中ずっと仕事だけに生きるような生活はしたくない。だから「濡れ落ち葉」予備軍に比べれば私は恵まれているのだろう。
それとこれからもPCと戯れる日々が続くことは間違いないだろう。確かに若いときのように一気に上達、というわけにはいかない。しかし意欲はまだ衰える気配はない。仕事でも「のぞみ化プロジェクト」は続く。
というわけでこれからも私の好き勝手な人生は続く。まさに「文句あっか!」である。2002.11.22:
ゲストブックで書かれてしまったが、今日50歳の誕生日を迎えた。
生まれでてから50年、よくもまあ生き延びた、と同時にまだしつこく生きているとも言えるが、ともあれ半世紀の時を刻んだことは間違いない。
最近、会社生活もあと10年ということに思いが行くようになった。もちろん私自身が残りの10年を首をうなだれながら過ごすということでは決してない。しかし私が仕事で覚えたことを後輩に伝える時間は少しづつ減っていくのである。私が個人的に会社の中で得た技術・知識をどう生かすか、それは会社の問題であるから私自身としては何の痛みも感じない。けれども「それを活かさないのはもったいない」とも思う。最近の企業の技術伝承に関わる問題を見るにつけ、あまりにも高齢者の処遇がひどいというのが実感である。一種の使い捨てのような扱い、特に50歳を過ぎると出向や転籍を強要され、また給与を下げていく制度が蔓延しつつある。そういう環境があるから私のような発想が出てくるのかも知れない。
私個人としては会社に未練があるわけでもない。また反対に自分を磨いていくことをサボろうということでもない。けれども企業が高齢者を軽んじていることは天に唾しているようなものだ、とだけは強調しておきたい。2002.11.21:
帰宅する電車の中、隣に座ったオバチャンが紙を広げた。見るとドイツ語、すなわち年末恒例の「第九」の歌詞である。
ちなみに全員が合唱する「サビ」の部分はこんな歌詞である。
Freude, schoener Goeterfunken,
Tochter aus Elysium!
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum!
Deine Zauber binden wieder,
was die Mode streng geteilt,
alle Menschen werden Brueder,
wo dein sanfter Fluegel weilt.
和訳としては、
歓喜よ、美しい神の閃光よ、
楽園からの娘よ、
われらは情熱に満ち、
天国に、なんじの聖殿に踏み入ろう。
なんじの神秘な力は、
引き離されたものを再び結びつけ、
なんじのやさしい翼のとどまるところ、
人々はみな兄弟となる。
と、こういう感じである。
ところがあるサイトで見つけたドイツ語の発音を表記したものを見ると、こんなことになっていた。
フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン
トッホテル アウス エリーズィウム
ヴィル ベトレーテン フォイエルトルンケン
ヒンムリシェ ダイン ハイリヒトウム
ダイネ ツァウベル ビンデン ヴィーデル
ヴァス ディ モーデ シュトレン ゲタイルトゥ
アレ メンシェン ヴェルデン ブリューデル
ヴォ ダイン ザンフテル フリュゲル ヴァィルトゥ
ドイツ語を耳にしたことない日本人だと、素直にカタカナ読みをするのだろうが、ひとつだけ気になるところがある。それは”シェーネル”に見られるように”er”の部分をすべて”エル”としているところで、私が耳にしたドイツ語の感覚では”シェーナー”に近い。今のドイツ語の教科書でも後者を基本としているはずだ。
前者のように”エル”と発音させるのは戦前のドイツ語教育の悪しき遺産としか思えない。
ドイツ語というと何か硬い言葉のようなイメージでとらえる人が多いようだが、実際のドイツ人の喋り方を聞いているとリズミカルな印象を受ける。北朝鮮の絶叫調アナウンサーのように、あのヒットラーのアジ演説がドイツ語を代表していると思ったら大きな間違いである。2002.11.20:
会社最寄の駅の改装工事が始まった。沿線のほとんどの駅の改装と駅前の再開発が進んでいるのに、ここだけはずっと取り残されていた。原因は駅前商店街の真ん中が3市町の境界になっているからである。
よくあるパターンだが、新しい駅舎は橋上に作られる。しかし駅前商店街の再開発は境界がモロに絡むのでここ当分はやらない。だから駅舎だけ新しくて、町並みは30年以上も前という異様な光景になるだろう。さらに線路をはさんだ反対側は小さな製油工場があるのだが、これは近いうちに閉鎖され、解体されるので、ますます殺風景になることは間違いない。
さらにひどいのは、線路を跨ぐはずの道路は片側で行き止まりになっている。これも原因は線路の反対側が違う自治体であるためだ。
行政の縄張り争いで道路が寸断されたり開発が進まない話はどこでもあるが、駅前で三つ巴になっているというのはなかなかないだろう。いつも思うのだが、この駅に降りると一昔前に戻ったような気がする。2002.11.19:
ヨーロッパ系言語で不思議に思うのは、単数と複数の違いを厳密に区別することである。日本語はこの区別が曖昧である。
英語に詳しい人に聞いたが、何故かはわからないとのこと。もちろん歴史的な背景があるからこのようなことになったのだろうが、日本人の感覚では理解しがたい。ただ「犯人は逃走中」などと表現する場合、日本語だと「単独犯」か「複数犯」と面倒な区別になるが、例えば英語では’s’が付くかどうかだけで即座に判る。それから「消息筋」という場合も、複数だと確実性は高まる。
ところで英語には"ratial"と、日本語にはない言葉・概念がある。「人種間の〜」という意味だが、アイヌの人たちなどごく少数を除いてほぼ単一民族である日本人からは非常に想像し辛い言葉である。しかし民族間の戦争や植民地支配をずっと続けてきたヨーロッパの人達にはごく普通の言葉として使われる。イギリスでは"ratial
equality"といって、人種差別撤廃の運動を政府主導でやっている。
言葉にはこのような歴史的、社会的背景が色濃く出るので、語学を勉強される方は同時に歴史を学ばれるのがいいと思う。2002.11.18:
このホームページを作り始めてから4年が過ぎた。よくもまあ飽きもせずに毎日のように更新してきたものだ。というか次から次へネタが出てくるものだと自分でも感心するくらい。
そして実は・・・近く齢50を迎えようとしている。
もちろん体力は次第に落ちてくるし、持病の糖尿病は治る見込みもない(というか生理学的に糖尿病に「治癒」という概念はない)。しかし何故か、会社の書類作りについては超ド下手な癖して、好き勝手なことを書かせると洪水のように言葉が出てくる。一体私の脳味噌はどうなっているのだろう? (爆笑)2002.11.15:
大相撲九州場所、ついに横綱がいなくなった。これでは相撲人気が落ちるばかりだ。
これに対して理事長が「自己管理」と力士自身の責任を言っていたが、これは一方的すぎる。何より怪我をしやすい最大の原因は太りすぎにあり、これを規制しなくては改善の糸口は見えない。事実から目をそらさず、問題の本質と正面から取り組むべきだろう。2002.11.14:
「のぞみ化プロジェクト」の討議が終って、明日から通常出勤。恐らく机の上は書類の山だろう。そしてまた誰かの「規則、規則」のやかましい声が聞こえてきそうだ。よく考えたら討議は格好の逃げ場になっている(笑)2002.11.13:
今日も寒い一日、それも終日冷たい風が吹いていた。どう見ても「初冬」の気候、ついに帰宅してからストーブを出してきた。
ここでついに告白するが、私ももう50歳に近く、次第に年齢の重みを感じるようになった。2002.11.12:
北朝鮮という国は本当に不思議なところだ。とにかく世界から孤立してしまって50年、時代が変わっても相変わらずの不遜な態度には呆れる。
しかし日本人もこの国を知っているかと思えばそうでもない。先日会社のある人間が「あのTVアナウンサーの絶叫調の喋り方を聞いていて、南北ともにあのような口調だと思っていた」と言ったので、開いた口が塞がらなかった。
絶叫といえば金日成の死去した時の報道を思い出すが、同時に私は14年前に「日本の誰かさん」が亡くなったときのことを思い出す。あの時、NHK教育以外は四六時中CM無しの逝去報道で埋められていた。
戦前のことと合わせると、単純に北朝鮮の無法さを批判するだけではなく、昔の日本が取った態度からの教訓を今一度考えられずにはいられない。2002.11.11:
今日は小ネタを2つ。
1.いつも乗っている通勤の路線バス、どうしたことか運転手がコースの途中で右折すべきところをそのまま数十メートル直進してしまい、慌ててUターンして元のコースに戻った。運転手の名札を見ると初めて見る名前。まだ慣れていなかったようだ。
2.古いモデムを今朝玄関脇に置いておいたら、「ペリカン便」の集荷係が持って帰ったらしく、受け取りの伝票が郵便受けに入っていた。NTTはこういう集配をまとめて日通に頼んでいるようだ。それにしても日本はまだまだ安全な国だと思った。2002.11.10:
土日はまたもや冷え込んで、外へ出るのが億劫だった。六甲の紅葉も急激に進んできている。県北では雪も舞った。
来週も冬型の天気が続くようだが、11月にしては寒すぎる。何とかしてくれ〜ぃ!2002.11.08:
すさまじい話がある。
身体的虐待ではなく、食事を与えられないなど親にネグレクト(neglect)=無視された赤ちゃんがいるらしい。乳児院でも「泣かない、笑わない」という。つまり大人が信頼できなくなってしまっているのだ。
こんなに傷つけられた子供が大人になったらどうなるのだろうと考えるとぞっとする。2002.11.07:
ADSLモデムを新しくしたついでにファームウェアも更新した。確認のためリンク速度を見たら、結果は上り512K、下り1216Kと予想通りのものだった。
ところで古いレンタルのモデムを返却するためにNTTに電話したが、「こちらから取りに行くので玄関に置いておいてくれ」とのことだった。この話はあちこちで聞いたので驚きはしなかったが、やはり盗難のことを考えるとあまり気持ちは良くない。けれどもそれだけ日本はまだせちがらくないということなのだろう。2002.11.06:
LAN講習を前に配られた市販のテキストを読んだ。
しかし頭が痛い。カタカナの連続はこちらとしても抵抗がないはずなのだが、それでも初めて目にする用語はやはり辛い。専門用語というのは、その概念を掴むことがポイントなのだが、技術の進化で若いときに習った概念を捨てないといけない場合があるのが最大の難関である。
説明は省くが、「ルーティング」という考え方は学校で習った電話交換機のネットの考え方に近い。しかし微妙なところで違うので一旦頭の中をご破算にして考える必要があるのだ。
それからこれは違う例だが、普段使っている英語の意味とは異なるものがある。Windowsが出た頃「プロパティー」という言葉に違和感を感じた。PCの世界では「特性」という意味に使われるのだが、貿易・商業の世界では「所有物・所有権」としての意味を持つ言葉である。私にはこの言葉の使い方に慣れるまで苦労した経験がある。2002.11.05:
社内の講習でLAN技術を教えて貰うことになった。
自分で本を買って読んだこともあるが、やはり自分でLAN構築をやったことがない(家庭内LANでは規模が違いすぎる)ので、どうしても実感がない。そこで専門講師に頼むのがよかろうと思い、社内の生徒募集に応募した。12月に開講される。
そもそも私はPC関係の講習などほとんど受けたことがない。それだけに知識は薄っぺらである。いくらキーボードと20年戯れてもそう簡単には何でもかんでもOKとはならない。
しかしLANについてはこれまで最も手薄な部分だっただけに、「のぞみ化プロジェクト」でのシステム構築と、その後のサポーターの仕事を考えると、どうしても専門知識を得ておかないといけないだろう。
2002.11.04:
連日の寒さに震える日が続いている。風も強い。いきなり冬になったような気候の急変、昨夜は「雪おこし」ともいえる雷も鳴った。
あまりの違いに体もまだ慣れず、毎朝何を着ていくか迷っている。ヨメハンは毛布を出してきた。
2002.11.03:
昨夜、久しぶりにネット仲間と飲んだ。
そしてメンバーの一人から、わけあって不用になったADSLモデムを貰った。私としてはモデムを変えたからといってスピードが上がることもあるまいと思っていたのだが、今日試しに古いものと交換したところ、何と800Kビット/秒だったものが1Mになったのである。
モデムの電源を切ってリセットするとスピードが上がる例があることとの違いを明確にするため、念のために2回切り替えをしたがやはり新しいモデムの方がスピードアップした。
このモデムの違いによるスピードの差はケース・バイ・ケースなので期待していなかったが、私の場合はどうやら「当選」だったようだ。Dさん、感謝感謝である。これでモデムのレンタル料が助かる(笑)
2002.11.01:
最近とある公共の会館へ行ったとき、小学生の書道・絵画展をやっていた。別に展示物そのものに興味はなかったが、見ていると子供の名前が昔とずいぶん変わっていることに気付いた。特に女の子の名前は洋風のものがわんさかある。
しかし考えてみると洋風の名前、例えば「リカ」とか「リサ」、「エミリ」とかは若いときはいいのだが、年を取ったときにこんなのでいいのだろうかと疑問に感じた。もし名前の後に「おばあちゃん」をつけたらどうなるか。「リカおばあちゃん」、「リサおばあちゃん」、「エミリおばあちゃん」、何か日本の老婆には似つかわしくない違和感を覚える。「きんさん」「ぎんさん」のようないぶし銀的響きとは程遠い語感である。
昔、役所で出生届を受理されなかった「悪魔」という名前は極端だが、子供に名前を付ける時には注意が必要だ。年を取るまで子供の将来を考えた名前にしたいものだ。
ところで「エミリおばあちゃん」は白髪になっても相変わらず髪を茶色に染めているのだろうか?