悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

02.05


2002.05.30:

午前の便のため、いつも帰国前はロンドンに一泊する。まあホッと一息というところだ。
が・・・である。同行の上司の身にトンデモナイことが起こった。現在のところまだ解決していないので結果がはっきりするまで公表できないが、私もさすがに初めて目撃したことだけにちょっと説明がつかないほど動転している。後日改めて顛末を書くことになるが、今日は心を落ち着かせるためにここまでとする。

2002.05.29:

こちらでの会議は予想に反して半日少しで終わってしまった。周囲の予想は、もめにもめて2日程度は済まず、決裂して仕切り直しになるかもしれないとの声まで出ていたから、あっけない結末であった。
明朝ロンドンに移動する。

2002.05.28:

とにもかくにもイギリスへ着いた。途中ロンドンで急に帰国する駐在員と情報交換をしたので遅くなり、ホテルに到着したのが夜11時。日記更新は翌朝になった。
今回のトピックスは機内の映画があの「ハリーポッターと賢者の石」だったことである。昨年末の一般公開では見るチャンスを失っていたから、さすがにびっくりした。

2002.05.27:

イギリス行きの準備で昼間はアタフタし、家に帰ったらドタバタとパッキング。それでも今回は1社のみ、週末までの短期滞在だから荷物は極端に少ないだけマシである。
明日からはイギリスから日記を更新する・・・・・・つもりである。(以前のようにモバイルを壊さないとも限らないので)

2002.05.26:

いやはや、トンデモナイ話が立て続けに起こった。
その1:
昨日からのADSL切れまくり、昨日昼過ぎから今日夕方まで約30時間に及んだ。4月の週末にも起こったのと全く同じで、繋がってもすぐ切れる。NTTに電話しても埒があかず、結局回復するまで待つしかなかた。
その2:
会社から電話があり、部長からイギリス行きの同行を頼まれた。あさって出発、週末にとんぼ返りとなる予定だ。
その3:
子供のピアノの発表会が7月にある予定なのだが、オアソビで父兄とのアンサンブルをやれと言われた。考えた挙句に押入れに眠っていたギターに出陣を仰ぐことになった。もう20年は触っていない。試しに指を動かしてみたが、悲惨なくらいギクシャクしている。ああ、どうしよう。

2002.05.25:

昨夜は何故か疲れてしまい、日記も書かずに爆睡してしまった。
そして今日、何とフレッツADSLは切れまくりでほとんど繋がらない。繋がってもすぐ切れる。この日記もアップロードするのに苦労した。

2002.05.23:

神戸市交通局の交通調査の日ということで、バスに乗ったら調査票を渡された。3項目の質問に対して該当する選択肢のところにある半月形のミシン目を破るようになっていた。ところが変わった人がいて、一人は鞄からボールペンを出して円を付けていた。しかししばらくして気付いたらしくあわててミシン目を破っていた。
もう一人はおばあさん、こちらは調査票を見もせずにそのまま出口へ向かっていった。
考えるにどちらもまともに説明を読んでいないということである。世の中こういうひとは少なくない。要するに説明を読まないか、読んでもその文章のまま理解せずに自分勝手な解釈をするのである。
PCのマニュアルとなれば尚更で、そういうトンチンカンな行動をする人たちがサポートセンターを泣かせたりするようである。
ところでその説明文がいい加減ではもっと混乱が起きる。
例の有事法制で、武力攻撃事態法案は「外部から日本への武力攻撃が発生した場合(その恐れも含む)」とか「武力攻撃が予測される場合」と、好き勝手に解釈できる文章になっている。ところが驚いたことに「武力攻撃が予測される事態」の定義について、政府は明言を避けているのである。こんなのは読む人の勝手な解釈以前の問題だ。

2002.05.22:

「のぞみ化プロジェクト」の打ち合わせで一泊の集中討議をした。メンバーの数人は顔見知りで、久々の顔合わせに酒を飲みながら談笑した。ネット仲間の集まりとは違い、話題の中心は社内のシステム構築の将来展望とかサーバーとホストとどちらがいいかなど、かなり難しいことばかりだった。それでもPKI(Public Key Infrastructure)というセキュリティー関連技術の話を少しだけ聞けて面白かった。
しかしビールをしこたま飲んだせいで今日は少し頭が痛い。

2002.05.20:

時折メールを下さるK氏から昨日の日記について以下のコメントをいただいた。
−−−−−−−−−−
悪餓鬼日記の話題のお母さんの例ですが、本当のところは、なにかあった時に、だれもたすけてはくれないかもしれない、という根本的なところでの不信感、絶望感に根ざすものである可能性があるのではと思うのですが。
歩きたばこの火で顔にやけどをさせられそうになっても逆切れがこわくて文句もいえないような、状況が普通になった状況では、本来あるべき基本的なコミュニティーの信頼関係に身をゆだねることができないというか、そういう感覚をいだく場合もあるのではと思うのです。
−−−−−−−−−−
K氏の発言に、信頼関係がうまく作れなくて(本人が原因か、社会が原因かは別として)ひとり悩んだ場合はどうしても自己防衛に走るのではないか、というようなニュアンスを私は感じた。それもあるかもしれない、というのが私の直感である。
ずっと以前に私は日本社会の「孤立化傾向」について書いた事がある。確かに個の自立が弱いままでは、何か問題を解決しようとしても自分自身の力ではうまくいかない、あるいはいかないのではないかという不安にかられるのは当然である。また周囲の人たちに対しても信頼していいのかどうかが判らない状況では、確かに言い出しづらいだろう。
昨日の時点では若いお母さんが感じることのその原因は語らなかった。しかし指摘を受けて何となく気付いたのは、その原因についての議論はこれからまだ色々なものが出てきても構わないと思うが、困ったときの対処の仕方として、若い人たちはどちらかというと内向きに考えるようで、そのあたりの本音がなかなか出してもらえない(というかこちらの聞き方が下手なのだろう)ことである。勿論このあたりもK氏が指摘している原因と共通してる面はあると思うのだが。

2002.05.19:

マンションの管理組合の会合があったのだが、ちょっとした波紋があった。
議題のひとつに「ブランコを撤去して新しい遊具に替える」というのがあったのだが、理事側の説明を聞くと「とりあえず撤去、あとは何も考えていない」とニュアンスが違っていた。問い詰めると、よそでブランコでの事故があったので危険だから取り除きたい、という若いお母さんの発案だった。確かに数年前、ウチの息子が問題のブランコで骨折した。しかしその時は誰からも撤去の提案はなかったし、今日のいくつかの発言でも、「その程度のことで撤去だけ先決するのはおかしい」「子供の多少の怪我も経験だ」と否定的な意見が続出した。特に代替の設備を考えていない点に批判が集中したのである。
どうも若いお母さんの傾向として危険なものは子供の周囲には一切置かない、近づけさせないという無菌状態を志向するようだ。それもどこに問題があって、どうしたら解決できるかという具体的なことに絞って考えずに、「危険だ、危険だ」を強調してしまい勝ちである。やはり自分自身も経験がないから味噌もくそも一緒にして恐怖に陥ってしまうせいなのだろうか。

2002.05.17:

最近やたら雨の日が多い。何となく梅雨の走りのような雰囲気、かつムッとするような湿っぽさである。電車の冷房も本格的に動き出した。
つまらぬ話だが私のような大きな体になると傘はあまり役に立たない。体がはみ出し気味になるのと少しでも横風があると背が高いために足元がカバーできないのである。こういう時は背の低い人がうらやましく感じる。

2002.05.16:

帰宅途中の電車の中、隣に座った40歳くらいの男性がやおらノートPCを開けてカタカタやりだした。メーカー名ははっきり見えなかったが、OSはWindows2000であるのはわかった。そしてその次である。
何とデスクトップに表れたのは60個くらいのアイコンの列であった!
私の自宅PCも40個あるからあまり大きなことは言えないが、さすがに負けた・・・
デスクトップアイコンが多いと良くない(メモリー&リソースを食う)という話を耳にした事があるが、真相はどうなのだろう??

2002.05.15:

日本外交の無能ぶりを示す事件がまた起こった。言わずと知れた中国総領事館での事件である。
こういうことが起こる根本的背景は、日本政府が基本的に亡命を認めない政策を続けているからである。特殊な事情がある場合(例えば犯罪を逃れる目的)以外、先進国でこのような政策を取っている国はない。今回も色々領事館の失態や大使の非常識な発言がボロボロ出てくるが、根本にはこの政策があることは明白である。要するに「トラブルに巻き込まれかねない厄介者は来て欲しくない」という姿勢が外務省に染み付いているためにそうなるのである。当然亡命の場合のマニュアルなんかあるはずもない。
今世界がこの事件に注目している。日本と中国のどちらの言い分が正しいのか、また今後の両国の外交姿勢がどうなっていくのかをきちんと見据えるためである。しかし両国ともに極めてアジア的な曖昧な決着をしようとしているように見える。両者の言い分の食い違いをそのままにして、亡命者を第三国に移送するようだ。
しかし真相はどうだったのだろうか。私には、外交知識のない中国の田舎警官が不法侵入と誤認したことと、これまた対応の仕方がわからない領事館側の厄介払いの態度が、このような事態を招いたものと想像する。

2002.05.14:

昨日の話を引っ張る。
昨日は「関西の反体制・本音むきだしの歌」と書いたが、それは特にアメリカから持ち込まれた曲の日本語歌詞に典型的に表れていた。そのあたり、具体的にどうだったのかの一例を挙げる。
作詞:アレックス・コンフォート、作曲:ピート・シーガーの「ひとりの手」(One man's hands)と言えば大抵の人は本田路津子の「ひとりの小さな手・・・」しか知らないと思う。さて、これを1番だけに絞って原作(英語)、直訳、本田路津子訳詩、それと当時関西で広まっていた詩(誰が訳したのかは知らない)を列記してみよう。

(1)原作(英語):
One man's hands can't tear a prison down
Two men's hands can't tear a prison down
But if two and two and fifty make a million
We'll see that day come round
We'll see that day come round

(2)直訳:(kmakowが歌らしくないものを勝手に作ったもの)
一人の手で牢屋は壊せない
二人の手で牢屋は壊せない
でも二人と二人 50人が百万人になれば
その日が来るのが見えるだろう
その日が来るのが見えるだろう

(3)本田路津子訳詩:
ひとりの小さな手
なにもできないけど
それでもみんなの手と手をあわせれば
なにかできる
なにかできる

(4)関西フォークの詩:
ひとりじゃ断ち切れない
鎖は断ち切れない (注:牢屋から苦し紛れに鎖をイメージさせたようだ)
でもみんなの力でなら
きっとできる
その日が来る

ごらんのように本田路津子訳のものだけが「お嬢様」風のやんわりしたイメージになっている。日本でアメリカのフォークソングがレコード化されるときにはこういうぼやけた訳詩になるものが多かった。ジョーン・バエズの「ドナ・ドナ」でも原文の最後には屠殺(slaughtered)という言葉が出て来るのだが、これも削られたりしている。これらの多くは安井かずみの訳詩である。彼女のことを悪く言うわけではないがレコード会社は意図的に「過激」な言葉狩りをしたせいなのだろう。
関西ではそんな「遠慮」はなかった。コンサートなどを通じて口コミならぬ「歌コミ」でストレートな歌詞が伝わっていったのである。それがまた学生運動などと結びついてフォークソングは若者たちの共感を得た。もちろん私自身もそうだったし、その頃の雰囲気をこの年まで引きずっているといった方が正確かも知れない。
ともあれ関西フォークの勢いはものすごかった。一時はURCレコードなどという自前のレーベルを作ったことさえあった。しかしその後、吉田拓郎や井上陽水などの台頭でラブソング風とかやや厭世的なものが主流になった。そんな中、ついに森山良子も「流行歌手」のひとりになっていったのである。

2002.05.13:

久々に森山良子の「さとうきび畑」を聞いた。最近ちょっとしたリバイバルになっているようだ。
寺島尚彦作詞・作曲の沖縄戦を題材にした反戦歌で、静かなメロディーながらもその情感が少しづつ伝わってくる。このを聞いていたらフォークソングに入れ込んでいた昔の自分を思い出した。
60年代後半、ビートルズブームも下火になってきて、そのあとにアメリカのフォークソングがやってきた。細かいことを言えばウッディー・ガスリーやピート・シーガーがその元祖なのであるが、それは後になって知ったこと、日本ではもっぱらジョーン・バエズの「ドナ・ドナ」、ボブ・ディランの「風に吹かれて」、ピーター・ポール&マリーの「パフ」などを良く聞いた。
そして私もギターを持って真似事を始めたのは60年代の終りから70年にまたがる時期の関西フォーク全盛時代だった。同じ頃に小室等と六文銭や森山良子などが関東では有名だったがやはり「流行」的な傾向が強く、関西の反体制・本音むきだしの歌とは違っていた。関西生まれの私は当たり前のように関西フォークにのめりこんだ。高石ともや、岡林信康、高田渡、五つの赤い風船、等々、当時の学生運動と連動していたような感があるその曲々には思い切り心引かれた。今でも「遠い世界に」は全曲そらで歌える。
今、神戸の小学校では赤い鳥の「翼をください」と中島光一の「大きなうた」を教えているが、当時の名曲である。特に中島光一は若いときに一度会った事があり、当時から障害者施設で働く温厚な青年であった。最近もわずかにその名前を聞いたのだが、今でも地道に活動しているそうだ。

2002.0512:

ちょっとした電気の疑問・2:「TVはどうやって写るの?」

まずラッパの形をしたブラウン管の後と画面の間に数万ボルトの電圧をかけ、後から電子が飛ぶようにする。電子が画面に塗ってある蛍光物質に当たるとそれが光る。蛍光物質は赤、緑、青の三色が交互に並んでいるのでカラー画像が実現できるのである。
ただしこれだけでは点しか出ないので、画面全体に表示させるには電子を所定の場所に衝突させねばならない。そのために電子銃の直後に上下・左右に2対のコイル(偏向コイルという)に電圧をかけて電子の向かう方向を制御するのである。その際、まず画面のいちばん上で左から右へ1本の線を引くように電子を出し(これを走査線という)、次はその下というように合計512本の線を画面に引くのである。現在宣伝しているハイビジョンは倍の1024本になる。
基本は以上なのであるが、実は一般のTV受像機とパソコンのディスプレイでは走査のやりかたが違う。一般TVで上から順に512本走査すると上から滝が流れたように見えてしまう。それを避けるために走査線は1本飛びに256本づつ2回に分けて飛ばす(インターレース)のである。逆にパソコンでは静止画像が中心なので同じ事をやるとかえってちらついてしまうので512本を一気に走査(ノンインターレース)するのである。
ところでTV受像機の寿命はほとんどの場合電子銃の電源回路で決まるといってよい。数万ボルトを出すための変圧器(フライバックトランス)と、それを整流したあとの平滑コンデンサの絶縁が次第に劣化してくるからである。こまめに掃除すれば長持ちするのだが、最近のTVはモールドされていて裏を開ける事ができない。昔に比べれば寿命が長くなったのだろうが、点検すらできないのは大いに不満である。

2002.05.11:

ちょっとした電気の疑問・1:「どうして電線に止まった鳥は感電しないの?」

私が電気科卒というので時々素朴な疑問を出してくる人がいる。そんな中の一種の「FAQ」を紹介したい。
さて最初の質問、専門的に答えるなら「体全体が同電位になっているから」ということだが、この「同電位」ということが一般の人には理解し辛い言葉のようである。簡単に言うと鳥の両足の間に電圧がかかっていないし、他の体の部分も空気で絶縁されていて電気を通さないからである。ただ、少し付け加えるなら街中の電柱の上を走る電線には絶縁がされているが、高圧鉄塔を走るものは剥き出しである。
人間の場合は綱渡りでもしていない限り地面と接触しているので、電線と地面の間に電圧がかかって感電するのである。但し靴などが高圧に耐えられるような特殊な材質で絶縁されていれば感電しない。実際変電所で作業する場合などでは絶縁された作業台に乗ることもある。
ところで日本ではないが、立小便をして感電死したという本当の話がある。
どういうことかというと、架線からパンタグラフを通して集電せず、レールの横にトロリー線を這わせてあるタイプの地下鉄で、ホームからちょうどこのトロリー線に向かって小便をした酔っ払いがいたのである。小便は塩分もあるし明らかに導電体の役目をする。電気は小便から酔っ払いのイチモツを通じて体を流れたのである。
賢明なる男子諸君は地下鉄で立小便をしないように!(爆)

2002.05.10:

ウチの会社の社長がとんでもない発言をした。東京都知事がカジノを開設したらどうかという発言に同調して、「カジノはリスク管理の練習台になる」と言ったのである。また、「日本人は貯蓄ばかりしてリスクの高い金融商品に手を出さない」とも語っている。
冗談じゃない!! ここ数年、社員の給料は立て続けにカットされ、ギャンブルにつぎ込むような金はこれっぽちもない。そのことに頬かむりして、ふざけるなと言いたい。
そもそも日本人の貯蓄が高いのは福祉政策が低レベルであることに起因している。それを知ってか知らずか、都知事もそうだが(大阪府知事もカジノ構想を提案している)ギャンブルで景気浮揚をしようというのは最低の提案だということを知るべきだ。加えてその尻馬に乗る一部の成金が、庶民の財布に無理矢理手を突っ込むような発言をするようではお先真っ暗としか言いようがない。

2002.05.09:

TV人気番組の「筋肉番付」で事故が起こった。さもありなん、というのが私の第一印象である。
こういう挑戦ものとか「TVチャンピオン」のような出演者を競わせるものは内容がエスカレートしやすい。笑いを取るためとかあっと驚かせるために、「もっと、もっと」ということになり、歯止めが利かなくなってくるからである。
この手の番組をすべてやめてしまえと言うつもりはない。しかしどこかでブレーキがかかるような基準を作らない限り同じような事故が起こるだろう。今のTV局にそういう抑止力を求めるのは難しいかも知れないが、自らの力でそういう仕組みを作っていくべきだと思う。

2002.05.06:

遂に連休が終った。2度も会社に呼び出されてしまったので休みらしい休みの感覚がないままである。それと同時に明日出社したら何がまた起こっているか、その方が心配だ。
さて、連休最終日の今日、TVですさまじい話をやっていた。ある中学生が「ネットで月18万円使っている」というものだった。接続の電話代、プロバイダの料金、そしてゲームもやっているというからその有料サイトの料金も含まれるのだろう。場合によってはケータイの料金もあるかも知れない。そこらへんははっきりした説明がなかったが、よしんばケータイまで含まれているとしても法外である。それと彼の言葉に「国際電話に繋がっていたかも・・・」というのには言葉を失った。親の神経が疑われるからである。
私も親馬鹿だから子供に新しいXPマシンを買ったりもした。しかし「できるだけ安く」という思いは頭から離れることがない。この少年の親はよっぽどの金持ちであると同時に金の使い方を知らないのだと思う。そしてこの少年、ホームページも作っているというが、最近のプリインストールマシンならHP作成ソフトも入っているのでそれを利用しただけだろう。だからPCの経験は殆ど身につかないと思われる。月18万円も投資するならそれなりの意義を考えても当然だと考えるのだが、この親にとってはペットに餌をやる程度の認識なのだろう。

2002.05.04:

いやはや、とんだところで出勤となった。結局管理職を含む数名のイギリス派遣がほぼ決まりとなった。但し私はメンバーに含まれていない。話が複雑だし、法律の専門家を含むことになるので私が行っても役に立たないからである。

というところでまったく別の話題。
職場の若い女性と話をしていたら、ケータイのあのキー操作、非常にしんどいそうである。それもPCのキーボードと比べてみたらその差が非常に大きいという。そりゃそうだろう。ちゃんとしたアルファベットが揃っているのと、テンキー程度のものを何回も切り替えるのでは操作性が格段に違う。と同時に話していて気付いたのは、のべつまくなしにケータイのメール・チェックをしている彼女たちの多くは、家でPCを使うことが少ないということである。もちろん女性だけではないが、家では滅多にPCを見ないしアナログ接続というのが圧倒的に多い。かつ、PCの本当の使いやすさを実感していないと思われる。ケータイでの情報量とPCを通じてのネットからの情報量では量・質ともに圧倒的な差がある。しかしケータイにこだわり続ける大きな理由は、何と言ってもケータイでのおしゃべりの延長としてのメール交換が存在しているからだろう。
ヨーロッパでもi-モードの本格的導入が始まった。しかし私は日本とはまったく違った市場になるだろうと思う。ちょっと説明がし辛いが、ヨーロッパの若者とアジアの若者のキャラの差が出るだろうというのが私の直感だからである。その直感を表わすひとつの例として、「ポストペット」がアジアではそこそこ売れても、欧米ではさっぱりという現象を挙げておく。

2002.05.03:

久しぶりに散歩に出る気になり、息子に六甲山か2号線を大阪(梅田)までかどちらがいいと聞いたら、2号線というので片道20Km以上はあると思われる道のりを歩き出した。いつもなら元旦に私がやる行程なのだが、今回は子供の体力を見るつもりもあったので今の時期にしてみたのである。
しかし今日は暑かった。それと長距離の歩き方に慣れていない子供にはやはりこたえたようで、尼崎で敢え無くダウン。それでも十数キロのアスファルト道を歩けたのは成長した証しだろう。私自身も子供に合わせてゆっくり歩いたので却ってこたえた。
さて、そのあと帰宅したら・・・
会社からメールが・・・またまた緊急事態・・・明日・・・(ううううう)・・・会議をやるので会社に出てくれ・・・ (☆-◎;)ガーン

2002.05.02:

最近のKlezウィルスは非常に手が込んだものになって来ている。今までなら発信源になったアドレスの前に_(下線)がついたものや、でたらめのアドレスになっていた。しかし最近は実在するアドレス・サーバー名を偽装しているものが見られる。
こうなるともう悪質な犯罪を超えて文字通りの無差別テロと言えなくもない。
どうやらホームページとか掲示板に書かれているアドレスを収集して、それを元にヘッダーを偽造するらしい。このあたりのやり方、私は詳しくないので何とも言えないが、知り合いの実在するアドレスを発信元としたウィルスメールが来たときには本当にびっくりした。
こういうことをやられては何も知らない初心者はパニックになるだろう。知らないうちに「あなたから来たメールはウィルスに感染しています」という身に覚えのない警告が来たらのどうしていいかわからなくなる。場合によっては恐くてメールが打てなくなる人も出るだろう。最近は「ウィルスなんて単なるいたずらの類でしょ」などという御仁が平然とネットに出てくるくらいだから、無防備なPCはますますウィルスの踏み台になっていく。ましてやウィルスを作る連中にとってはそういう人達こそが格好の標的になるのである。
これが弱者を主な目標とする無差別テロでなくて何であろうか。

2002.05.01:

月が変わって5月、これで今年も3分の一が終ったわけだ。仕事で走り回っていると1年は本当に短い。
息子も6年生になって1ヶ月、最近は少しづつ大人の体に変わり始める兆候が出てきたのか高い声が出にくいとか乳首が少し痛いとか言っている。もしこのまま思春期に入ってしまうとなると、背があまり伸びないまま大人になるのではないかとマジで心配になってきた。
さて、設定も落ち着いた息子用XPニューマシンを公開する。
ディスプレイは17インチ、画面はまだカスタマイズ以前の買ったときのままの状態を写したもので今は壁紙はない。本体の右にあるひょうたん形のものは右スピーカー。最近はコンパクトモデルでも本体は縦置きが基本になった。
プリンターの右にある地球儀はおばあちゃんからの誕生日祝い。
今頃になって気付いたのが意外と大きいHDの回転音。CD−RW兼DVD−ROMはそれよりもまだ大きな「ヒューン」という音がする。
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今日、遂にムネオ君の秘書が逮捕された。「今回も秘書か」という声もあるようだが、今までの例よりも若干意味合いが異なるようだ。というのもムネオ君から秘書への指示はほぼ間違いなく、かつそのことを証人喚問の時に明確に否定したものだから偽証罪に問われる可能性が濃厚になっているからである。こういう状態で秘書の逮捕ということは、外堀どころか内堀を埋められたに等しいものがあると見てよさそうだ。
しかしもしムネオ君に対する決着が曖昧になるようなら、日本の民主主義はまたひとつおかしくなる。まだ憲法改悪が実現していないから死んではいない。しかし一方では背筋が寒くなるような法律が準備されて今国会で強行突破されようとしている。もしそうなれば日本の民主主義の内堀が埋められるにことになると言っても差し支えないのではないか。