悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

02.07


2002.07.31:

また今月も末になった。いつもながらバタバタした1ヶ月である。特に今月はHDのクラッシュとPCのリコールというとんでもない話が続いたので、この暑さとともにもううんざりという感じである。
だが嘆いてもはじまらない。とりえず外付けHDをメーカーに送ったので、その結果をまず待とう。

2002.07.29:

開いた口が塞がらない話を聞いた。
ご多分に漏れずウチの会社も分社化が実施されることになったのだが、その分社される職場で管理職と社員の話し合いがあった。その場で社員からこんな質問が出た。「分社する後の経営はどうされるんですか?」
しかしそれに対する上司の答えはすさまじいものだった。「それはお前たちが考えろ!
基本的な経営方針を出したからそれを具体化せよというのならまだしも、その経営方針を一般の社員が決めろというのなら、管理職あるいは経営陣は何をするのが仕事なのだろう?
恐らく他の会社でもこのような会話があるのかも知れない。しかしよく考えたらこんな無茶な話はない。会社の経営権はあくまで株主と経営陣にあるのであって、例え一般社員がいいアイデアを持っていたとしても、それを採用する最終的な決断は彼にはない。もし完全に一般社員にその権利を委譲するというのなら、経営陣も管理者も不要ということになる。
こんなごく当たり前のことが判らずに、何でもかんでも責任を下に振るエライ人たちが目立つ。不景気で切羽詰った状況であるとはいえ、天に唾する発言であることを自覚して欲しいものだ。

2002.07.28:

話を小出しにしてしまった。。。
料金の問題だが、乗り物の料金とは別の原因として、あの従業員の多さがあるだろう。とにかく園内の掃除やアイスクリームをこまめに運ぶ人間がわんさかといるのにはびっくりした。しかも接客態度は非常に丁寧である。恐らくあれだけの人数ながら、マクドナルドのようにアルバイトにマニュアルを棒読みさせるだけではない、正社員としての責任感を持たせるとともに徹底した接客教育がされているようだ。こういうことは日本の企業では希少価値でしかない。
次にひとつの難点を挙げておこう。何かというと、案内板が少ない上に、一部は英語のみの表示になっていることである。案内板が少ないのは風景を崩さないためだろうが、自分が行きたいところを探すのに苦労する。あれこれの市販ガイドブックは別にして、ゲートにおいてある薄い公式パンフレットだけがたよりというのはちょと不親切だろう。それからトイレの場所を探すのに苦労した。それも入口に小さな"RESTROOM"という看板だけしかないのは困る。ヨメハンは難儀していた。英語だけの表示はショップの看板が典型的だ。"STATIONERY"、"CLOTHIER"、"CINEMA"と書かれて瞬時に判る人はほんのわずかだろう。何となくアメリカ人の傲慢さが垣間見えるような気がした。
総合的に言えばディズニーランドは家族でも楽しめると思う。私が特に面白く感じたのはアトラクションの椅子席に意外な仕掛け(詳細は楽しみを奪うので割愛する)をしてあることだ。ただ、比較すれば新しいTDSよりもTDLの方が楽しい。TDSには自然を多く取り込んでいるが、磯や植え込みなどが人工的でないと見せるための精緻な工夫が、かえって胡散臭い印象を与えたからである。

ウォルト・ディズニーは1928年にミッキーマウスを世に送って以来、数々のエンターテインメント作品を作って世界中の人達を楽しませてくれた。その功績は大であるし、またそれは彼の死後も受け継がれ、TDLのような施設として歴史に残った。ただ惜しいことに人生に唯一の汚点を作ってしまった。それは戦後アメリカでの「赤狩り」の時代に、彼はハリウッドでの政府への密告者として活動したことである。

2002.07.27:

昨日「詳細はまた明日」と書いてしまったが、何も旅行記を書くつもりではないことをお断りしておくとともに、誤解を招く表現だったことをお詫びする。
そもそも、私の年齢というかキャラクターとしてディズニーランド観光を喜ぶような性格ではない。子供の頃、親父に連れられて「101匹わんちゃん大行進」の映画を見て、ディズニー映画の出来の素晴らしさをを感じることはあっても、ミッキーマウスで部屋や持ち物を飾るミーハー趣味はない。一度子供を連れて行こうかという夫婦間の合意に基づくものである。それと、ついでにというかばあさまの「鎌倉の大仏を見たい」というリクエストにも応える意味もあったのである。

正直な感想を言えば、TDSもTDLもアメリカナイズしたコンセプトで貫かれていると痛感させられた。というか日本の遊園地とはまったく異質な存在ということと、何故あんなに高い料金を取るのかという理由が見えたような気がする。
とはいえ、あまりに無味乾燥な感想を書いても始まらないので、TDSの夕暮れに行われたアクセント的風景の写真を掲載する。ご覧のようにTDSの真ん中にある火山から大音響とともに火が噴き出す仕掛けがしてあった。一切の予告なしなのでさすがにびっくりした。ここらあたりは後に述べるアトラクションにも含まれている「意外性」ということを強調するいかにもアメリカらしいエンターテインメントに笑ってしまった。
料金の問題だが、TDS・TDL園内の乗り物はすべて無料、それに対して一般の遊園地は入場料は相対的に安くても乗り物料金でしこたま取られる。どっちがいいのか、それは読者の判断に任せよう。続きはまた明日。

続きにしたのはわけがある。
旅行している間に富士通から腰が抜けそうな連絡が入った。今使っているDESKPOWERのHD不良でリコールがかかったのである。
夏の高温高湿で故障する例が出たらしい。早速窓口に電話を入れたら「本体を即刻送り返して欲しい」とのこと。しかしいきなり言われても困る。HDの中身をそっくりそのまま新しいHDにコピーするとの方針だが、万が一のことを考えるとバックアップなしでは恐ろしい。外付けHDのクレームと重なってしまい、実際に送り返すのはお盆以降になるだろう。
いやはや、とんでもないことが続くものだ。

2002.07.26:

無事帰宅した。
24日早朝出発。正午頃より夜まで東京ディズニーシー(TDS)観光。幕張のホテル泊。
25日朝より夕方まで東京ディズニーランド(TDL)観光。横浜のホテル泊。
26日朝より15時頃まで鎌倉観光(私の母親の希望)。夕方新横浜より新幹線に乗り、帰宅。
80を過ぎた年寄りを連れての結構な強行軍であった。
詳細はまた明日。

2002.07.23:

明日から家族で東京ディズニーランドへ行く。その間は日記の更新もそうだし、「HD回復プロジェクト」もお休みだ。
金曜か土曜には再開できそうだ。

2002.07.21:

HDが死んだばかりにどえらい目に合っている。18日に書いたように、ファイルを”Cut”で入れたためだ。
PCを使い慣れている人ならこれだけで合点がいくだろうが、Windowsファイルの仕組みを知らない人のためにちょっとだけコメントしておく。
”Cut”は、実際にはコピーした後ファイルの削除を行っている。おまけにこの操作はごみ箱を経由しないので見た目でのファイルの痕跡は消えるのである。だから特殊な操作というか、ファイル回復用の特別なソフトを使わないと消えたファイルは見えないのである。おまけにデフラグをかけていない場合は回復の可能性も低くなる。今回はたまたま小さなHDから大きなHDへファイルを移すつもりだったし、幸いなことに最近デフラグをかけていたので、99%復活できたのは不幸中の幸いである。現在、不要なファイルまで回復したものを整理中である。
昔、FDを何枚か壊したことはある。しかし今回のようなHDでGB単位のクラッシュは初めてである。まさか使って間もないハードがすべて壊れるとは想像もしなかった。
それにしてもDOS時代なら”UNDEL”という単純なプログラムで簡単に回復できたものだが、現在はソフトを買わないといけないのには驚いた。DOSのファイルシステムは実に簡単だった。ファイルはすべてディスクに収められている「ディレクトリ」と「FAT」で制御していた。考え方は今のFAT16に受け継がれているが、FAT32は少し違うようだ。DOSの「ディレクトリ」には、ファイル名、属性、日付、先頭クラスタが書いてあり、「FAT」には全クラスタのテーブルがあって、そこには次のクラスタ番号が書いてある。これでファイルは紐状に繋がっているのである。デフラグはこの紐を連続したクラスタになるようにするのである。さらに、DOSではごみ箱は存在せず、ファイル削除の操作を行うとディレクトリにあるファイル名の先頭1文字を特殊なコードに書き換える。だからこれがファイル回復の手掛かりになったのである。昔はディスクの中に直接アクセスして、無理矢理この1文字を書き換えることもやった。
ファイル回復ソフトはこのあたりのややこしい検知と回復操作をFAT全体に対して一瞬で行う。税務当局などは昔からこれを使って消したはずの二重帳簿を見つけ、脱税告発をやっていた。最近中古PCから企業の情報が洩れた例があるのも、この手のソフトがあるからである。

2002.07.18:

買ったばかりのHDが死んだ。
バックアップというか、PC本体に負担をかけないという目的で入れ、早速”Cut & Paste”でやったのが不幸の始まりだった。
あまりにもダメージが大きいので、今日はここまでにしとうござりまする。

2002.07.16:

またまた新しいウィルス騒ぎである。その名もFrethem。
会社ではウィルスバスターを導入しているが、昼間にパターンファイル317が上がったもののその後になって亜種には効かないことが判り、急遽夕方からメールサーバーを停止した。今朝には319を入れた後にサーバーを回復させたが、やはり数台のマシンが既に感染していた。そしてこの日記を書いている現在、321がもう出ている。
それとは別な話だが、会社の帰りに電車を待っていたら、出張中と思しきオジサンが携帯で、事務所に「何とかいうウィルスが出回ってるみたいだけど、どう?」と聞いていた。しかし相手はもうひとつ飲み込めないらしく、オジサンはいらいらしながら「とにかく英文のメールは開けるな!」と怒鳴っていた。
人騒がせなウィルスである。

2002.07.15:

ちょっと気が向いて、60GBのHDを1台新調した。資金源は出張旅費で少し浮いた分である。今までみやげ物を買っても1万円を超えることはなかったから小銭が次第に貯まっていった。
HDは外付け、USB接続である。しかし予想通りというか、SCSIに比べて実に遅い!
やっぱりUSB2のボードを買わされるはめになりそうだ。オトウチャンのヘソクリはまたもやPC道楽に消えていくのであった。

2002.07.13:

先月に少しだけ匂わせておいたが、今日は息子との共演(そんなエエもんか?)を行なった。
種を明かせば、息子のピアノの先生のほか、合計3人のピアノの先生とその生徒たちのピアノコンサートが開かれたのである。第一部は主に子供たち、無論息子も含めて、プラス数人のお年寄りまでも交えた生徒の練習の成果を競った。このコンサートは毎年あるのだが、今年は何故かどの生徒ももうひとつだった。いつもは非常にアグレッシブな演奏をする青年(高校生の頃からめちゃうまかった)までもが演奏の途中で数回ずっこける始末で、どう見ても練習不足の印象であった。
第2部は家族との共演を主としたオアソビ。そこで私も誘われたのであるが、息子のピアノにギターの伴奏を付けるというごくあっさりしたもの。息子は何ヶ所か詰まってしまい、こちらはそれをフォローするのに冷や汗をかいた。もっとも私にも責任はあり、一緒に練習する機会が数回あったきりで、問題があるのを知りつつそのまま本番に突入したので、予想通りの無様な結果が出ただけである。
私もギターを触らなくなってから20年、最初は両手ともまともに動かず心配したが、何とか簡単な演奏はできるようになった。幸いなことにチューニングの感覚は失われていなかったので、崩れた音にならなかったのは不幸中の幸いであった。
子供たちにとってアンサンブルはやはり難しい。ピアノの独演は何とかなっても他人の音を聞きながら合わせていくという楽しさよりも、付いていくのに必至というパターンが多かった。その中で一人のピアノの先生の家族はひときわ目だって息が合っていた。ダンナがギター、娘がチェロという組み合わせで、楽しみながらやっているという余裕が感じられた。ただ惜しむらくは娘のチェロの音が所々ずれること。一体感のある演奏は聞かせるものだっただけに、奮起が望まれる。
・・・と、ここまで来て、評論家気取りの内容を書いている場合でないということをすっかり忘れていた (爆)

2002.07.12:

イギリスとの会社とのトラブルが峠を越えた。向こうの親会社の指示があったらしく、裁判沙汰は避け、金で決着という方向で収まりそうである。しかしこちらとしては、予想の金額よりも少なく済みそうであるとはいえ、億単位の出費を余儀なくされる。
金で済むならそれでいいではないかとの考えもあるが、幹部連中は憂鬱な面持ちである。

2002.07.10:

台風が接近して大荒れの天気になるかと思ったが、兵庫県ではそれほどでもなかった。近畿では和歌山県、奈良県、それに滋賀県の一部で被害が出たようだが。
それよりも東海道新幹線が暴風雨圏に入る前の始発からアウトになったのはびっくりした。今朝一番の「のぞみ」で東京に出張する予定だった部長が昼前に会社に戻ってきた。
開業当初から冬の関が原で不通になる「雪に弱い新幹線」は有名だが、今回のような「雨に弱い新幹線」というケースはちょっと珍しい。

2002.07.09:

会社の新婚の男と話をしていてふと気付いた。結婚してから太ったという男性は結構いるようだ。私も糖尿病が発覚する前に結婚して、確かに体重が増えた。
原因は主として独身時代の不規則、かつ栄養バランスの崩れた食生活である。それが結婚して規則正しい生活になることが大きい。しかし同時にもうひとつの重要な原因があるように思う。何かというと、嫁さんの「私の料理、おいしい?」という無言のプレッシャーである。
一生懸命作ったのだから評価して欲しい、という気持ちがその目から感じられる。気弱な(?)私なぞは、食べないと悪い気がしてついつい箸が進む。テキは当然ニコニコするので私もほっとするのである。
しかし調子に乗って「うまいうまい」と言い続けるとテキが図に乗るだろうから、私はこう答えるのを常としていた。「いや〜、寮の飯は冷え切ってまずいから、暖かいものは何でも美味い」と。実際、独身寮の夕食は午後2〜3時に出来上がっており、食べる頃には完全に新鮮さを失っていた。特に鶏肉は冷え切ると救いようがなかったのである。
ところでこう書いていたらあるTVの時代劇を思い出した。
内容は捕物帳で、若い同心が事件を次々に解決するパターンである。そのシリーズの最終回だっただろうか、同心が事件を落着させて結婚した。そして新婚の夕食のシーン。食膳には茄子の漬物が置いてあった。彼は漬物を挟んで口に入れると、そばにいた新妻がこう訊いた。「おいしい?」
これに対して若い同心は少し戸惑いながらも答える。「う、うん」
直後にナレーションが流れた。「その後半年間、食膳には毎日茄子の漬物が出されたのであった」

2002.07.08:

職場サポート幹事長が今年度に更改する新しいマシンのセットアップをしていた。機種はNECのVersa Proである。誰に回るのか聞いてみるとK氏である。彼の現マシンはCPUが200M、HDは2Gと、もう博物館行き寸前のモデルである。それにしてもうちの「陸蒸気」職場は伝統的にノートPCばかり入れている。私のマシンは来年更改になるが、今から「デスクトップ(コンパクトモデル)にして!」と牽制球を投げてある。
うちの会社は今年度から新機種にはWindows2000を入れることになった。理由はOracleなどの対応アプリの関係で、WindowsMeでは問題が多く、かといってWindowsXPではまだ未対応のものが多いことからである。大企業ではどうしても互換性の関係でOSのバージョンは古めになる。
さて、職場サポート幹事長はWindows2000を触るのは初めて(私も人のことは言えない)、それでセットアップの違いやドライバの入れ替えで汗をかきながら悪戦苦闘していた。そしてドえらいことにぶつかってしまったのである。
職場のプリンターは最近入れ替えたばかりのRICOH Ipsioが2台LANにぶら下がっている。ところがプリントサーバーはメルコのLSPというTCP/IPを使わない滅茶苦茶古い製品で、もはやWindows2000には対応していなかったのである。彼は慌てて情シスに電話し、対策を協議した。すると向こうでは既に予測がついていたらしく、LSPの代わりにLPVという新しいプリントサーバーを用意していた。というわけでLPVを情シスからかっぱらってきたまでは良かった。しかし職場のマシンは全部で22台もある。これらのプリンタドライバを一斉に替えるとなると丸1日はかかるだろう。それで幹事長と私が手分けして2回に分けてやることになった。
どうもLANプリンター関連の作業は職場全員を巻き込むので、いつも頭痛の種になる。

2002.07.07:

ちょっとした電気の疑問・3:「直流と交流って何が違うの?」

2ヶ月ぶりにこの話を書く。
直流は水道やガスの圧力と同じ原理と考えてよい。難しい概念で言うと「ポテンシャルエネルギー」だが、水が高いところから低いところへ流れるように、電圧の高いところから低いところへ電流が流れるようになっている。
これに対し、交流(ここでは50・60Hzの商用周波数を前提とする)は「数学と物理」で書いたように低周波の電磁波である。ただここから先はそういう物理的な違いよりも、実用面からの比較を中心に書く。
電気の歴史から見ると、最初は静電気の研究が先行したので、いきおい直流による電気の実用化が進んだ。モーターも1号機は直流で、1867年のパリ万博に出展された。日本でも明治の初期は直流による送配電が行なわれたのである。
直流はモーターの制御が非常にやりやすい。だから鉄道では主として直流が使われる。交流の新幹線でも車両の中で直流に整流され、モーター自身は直流になっている。しかし送配電、それも長距離になると直流では厄介な問題が生じるのである。
ひとつは電圧を下げるためには回路の途中に抵抗器を置かねばならず、これが大きな熱損失になるのである。またこれにからんで電圧を上げるには、原理的にモーターと発電機を直結する必要があり、これは設備が高くつく。
だが交流ではこの電圧を上げ下げするのに変圧器だけあればよく、自由に電圧を変えることができるし、損失も非常に小さいのである。
もうひとつ、送配電の場合は送電線の損失が低いことが要求されるのだが、これは電圧が高いほどよい。どういうことかと言うと、電力はW=EIの式で示されるように電圧と電流の積であるから、同じエネルギーを送る場合電圧が高いと電流は少なくて済む、一方送電線の損失は電線の抵抗をRとするとIRであり、これは電流が少ないほど小さい。だから送電線は高圧にするのである。
こう考えると送配電は交流で、需要家のレベルでは直流でということになるのだが、現代の技術では工場から家庭に至るまで交流の機器の方が安く作られるようになったため、鉄道などどうしても必要なところだけ直流にするようにしている。
なお、交流モーター(誘導電動機)はそのままでは速度制御がほとんどできない。幅広い速度制御にはインバータが必要だったが、それには高電圧・大電流の半導体製造技術が完成する20世紀遅くまで待たねばならかった。

2002.07.05:

みずほ銀行のコンピュータトラブルは本当にひどい話だ。先日もNHKでやっていたが、合併元の銀行がそれぞれ自らのシステムに固執し、妥協点が見出せないままに時間だけが過ぎていった、ということである。そこには顧客に対するサービスという観点は完全に消し飛んでいる。現代の銀行というのは、もはやコンピュータ抜きでは考えられない。業務の主流がコンピュータ処理と言ってもよかろう。その事実に対する認識がなくてはどうしようもない。
それとそういう甘い認識の頂点に経営幹部がいたようである。多くの会社で見られることだが、経営陣にはコンピュータ投資に対しての効果には興味を示しても、「コンピュータの話は難しいから専門家に投げておけ」といった、他人事のような態度を示す傾向がある。しかしこれは間違っている。ましてや銀行のようなところで、システム構築の陣頭指揮に立たずして何が経営者か。
中間管理職のオジサン達がキーボードと格闘する後姿は笑い事ですまされるが、会社の大事なシステムに背を向ける経営陣の感覚は罪悪ですらある。

2002.07.04:

飛行機の空中衝突、それも1万2千メートルの上空という非常に珍しい事故が起こった。原因はパイロットのミスかとも言われたが、管制の問題もあるようで、次第に色々な事実が出てくる。
こういう事故の時によく使われる言葉が「パイロットミス」。もちろん人間は時折とんでもないミスを犯す。だからミスに対する要因を断ち切る、というのが最近の航空界の主流になりつつある。その点では柳田国男氏が昔から航空事故についての著作をいくつも出している。私もかなり影響を受けた。
そう言えば、昔の鉄道事故の原因を追求するマスコミの論調はおしなべて「たるみ」だった。残念ながら今回の飛行機事故でも、日本のマスコミは「人為ミス」「たるみ」を先行させている。

2002.07.02:

忙中閑あり、というか今まで整理できなかった資料を片付けたり報告書の作成、メール連絡など久しぶりで落ち着いた仕事ができた。だがそれも月初めの今週だけだろう。その後は「のぞみ化プロジェクト」のマスターファイル作成や条件処理ルーチンの確定など、虫つぶしにかからねばならない。

2002.07.01:

今朝は雨上がりのどんよりした曇り空。先月のカラッとした暑さとは違い汗が肌に粘りつく。やはり本格的な梅雨である。夾竹桃の花は既に満開、いかにも7月になった感じだ。