悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
02.10
2002.10.31:
会社の帰りのバスから外を眺めていたら、海側の方は靄がかかって見えた。多分明日は雨なのだろう。
自宅は山の麓、会社は海に近いという環境だから、季節の変わり目、天気の変わり目が実に良く見える。コンクリートジャングルにいる人達にはその微妙な変化を感じることは難しいだろう。見えるとしても雲の動きくらいである。
先人たちは自然の中で育ち、働くことで自然界の動きや法則を知っていた。物理や数学を知らなくても事実を認識する力さえあればある程度の推測は可能である。もちろん時には訳がわからずに神や仏に頼った。科学が発達していない時代では無理もない。
昔槍ヶ岳に初登頂した播隆上人は今の7月末にトライしたという。恐らく村人たちの意見を聞いて季節を選んだのだろう。現代でも「梅雨明け十日」といって、7月末に安定した天気が続くことを気象予報士も認めている。
「科学は万能ではない」とよく言われる。人間は自然界の現象をすべて解き明かしたわけではないのだから当然である。逆に言うと解明し切れていない事実の裏にあるものを法則化していくプロセスが進化の源であるとも言える。
しかしながら、万能ではないからといって先人たちが得た知識も含めて科学の成果の一切を捨て去ることはもっと愚かしい。
2002.10.29:
少しだけ気持ちが落ち着いた。やはりこうして日記に書いたり職場の仲間と話したりして、外向きに発散させるのが効果を表わしているようだ。おまけに掲示板にも励ましの言葉をいただいた。感謝にたえない。
最近NHKの「クローズアップ現代」が過労死・過労自殺が30代に多いことを取り上げていた。見ているとウチの会社そっくりである。多くの日本の企業では似たようなものなのだろう。
とにかくすさまじい。30代といえばちょうどバブルの時期、多くの新卒者を大企業が囲い込み、青田刈りをした時代である。しかし今や不景気でなかなか仕事が取れない。ところが人減らしで次第に一人当たりの仕事量が増え、さらに上からはすさまじいノルマが課せられる。「この仕事が終ったら何とかなる」と思い必死に努力する。しかしパイが縮小しているこの時世にそう簡単に仕事は取れない。猛烈なサービス残業をしながら頑張るが、結果が出ないと「それはお前の能力がないからだ」と上司からはののしられ、おまけに愚痴をこぼす相手がいない。同僚にも家族にも話せず悶々とした日々が続き、次第にストレスが蓄積されて最後には肉体的にも精神的にも切れてしまうのである。こんな悲劇はない。
何故このようなことになるのか?
もちろんすべての30代がこんなかたちでストレスを受けて死んでいくとは思わない。しかし死者の後に数多くの予備軍が控えていると言っていいだろう。ではその背景は何か? 私が少しだけ感じているのは彼らが育ってきた環境である。以前から私が指摘してきた「孤立化傾向」が彼らの成長とともに強くなっているのではないか。考えてみれば、私が若い頃は学生運動が激しかった頃。だから「世間など何するものぞ」という反発が強かった。もちろん世の中は考えるほど甘くはなかった。だが自分が外に向かって主張をすることに対して尻込みをするような自己規制をすることなどはなかった。だが今の30代は学生運動を知らないし、少人数の仲間を作ることはあってもそこから外に向かって何かを主張するという経験は少ないように思われる。
しかも会社に入ってからも競争を強いられ、労働組合も彼らの不満を充分に取り上げることがなければ内にこもるしかなかったように思われる。ここから先は長くなるので省略するが、要は結果的に彼らの声、特にストレスが溜まっていて「彼は最近何かおかしい」と判っていても、本人からは口にしないし周囲も積極的に近づかない、という傾向が強くなってきていることを私は感じるのである。
私の場合は上に書いたような形での出口を求める術を知っている(だからといって問題が解決した訳ではない)。だが過労死・過労自殺に走る今の30代にはそういう出口を見つける方法を知らない、あるいは教えれられていない、と私の目には映るのである。
2002.10.28:
相変わらずストレスが大きい。本当に仕事をするのがいやになった。今日も少しだけ早引きをした。要するに仕事をする気がなくなっている感じである。
何故今回だけ、それも私が長年仕事をしていてこうなるのか、ちょっと考えてみた。以前のアホタレ・セクハラ上司とも違う。しかし考えていく内に思い当たる事があった。それは今までやってきた仕事のやり方をことごとく否定されているのである。それも「ルール違反だ」とか「〜ねばならないのを無視している」とか、全面的な攻撃をするのである。おまけに「今すぐ改めろ」である。
確かに仕事を早くこなすためとの理由で規則を端折って簡便な方法を取ることを安易に採用してはいけない。しかし、どこの会社にだって暗黙の「例外処理」はあるだろう。おまけに「陸蒸気組」以外の社内の多くのところでやられている、いわゆる「文化の違い」的な融通の利かせ方にまで攻撃を加えられるのだからたまらない。そしてこれが私の人格を否定されているような印象に聞こえてしまうようである。
アホタレ・セクハラ上司の時は、人格を疑われるような性格で何人からも嫌われていたため、私も同僚も徹底して無視していた。つまり聞くに値しない言動ばかりだし、誰もがそのことを納得していたので後ろ指をさされることはなかった。
だが、今回は私自身が異動してからの日にちが短いためにまだ職場での居場所が狭いのである。おまけに文化の違いがあまりにも大きいのでその差を埋める作業がまだ充分でない。そこへ猛烈な攻撃が来るものだから、さすがの私も閉口している。そんなもやもやがストレスを大きくしているようだ。
ある「新幹線組」の人間と話していて感じたが、今の上司はいずれ裸の王様になるしかないだろう。あちこちで途方もない「原則論」をやるものだから、余裕のある考え方ができなくなってしまうそうだ。そうなると誰もが本当のことを言わなくなる。何かを言う度に「それは規則から外れている」と言われれば反論が困難だから、彼に黙ってコソコソと行動するしかなくなるからである。
2002.10.26:
最近ニューヨークのテロ事件をきっかけにイスラムの教え、考え方が広く紹介されるようになってきたが、未だに誤解の多いのが妻を4人娶ることができるというものである。
一説によると、イスラムの軍団が各国を軍事力で征服した後、戦死した兵士が残した寡婦を救済するのが主な目的だという。今ではそんな必要はないだろう。
しかし現実問題として、妻を4人持つということは簡単ではない。何と言っても大人4人分の扶養家族を養うのだから、並大抵の財力ではできない。日本でも戦国大名が多数の側室を持ったが、同じく巨大な収入があったからである。
それと複数の妻ということは日本人では想像できない問題をもたらす。どういうことかと言うと、妻同士で情報交換がひんぱんに行なわれ、常に夫がすべての妻に対して平等に扱うように圧力をかけるというものである。彼女たちは夫側のえこひいきに対して、される側の妻を嫉妬するのではなく、私にも同じように大事に扱えと団結してしまうのである。だから夫の行状はすべての妻に筒抜けになっているのだ。
ところで一夫一婦制というのは文明が起こった以後の話で、原始時代には多夫多妻制、それもある男兄弟と別の姉妹との集団結婚だったらしい。それが故に、子供たちは親にあたるすべての兄弟に対して「お父さん」と呼んだという。
2002.10.24:
拉致された5名の人達と家族との話し合いが、永住帰国問題でうまくいかないようだ。そこらあたりから家族の強い要求で北朝鮮には帰さないという政府の態度になったと推測される。
拉致された5名の言動の中に「拉致の事実は忘れて、今の生活に満足してもいいのではないか」とマインドコントロールされているような戸惑いがある、ということを家族は強く感じたようだ。彼らは24年間で知らず知らずのうちに教育されていったのだろう。その理由のひとつに北朝鮮国内では比較的裕福な生活が保証されていたことははっきりしている。そりゃそうだ。一旦拉致した人間を利用するためには望郷の念を持ってもらっては困るのである。
本来なら本人たちを24年前に遡って現状回復をするのが原則だ。しかし時間は非可逆的であって、それが故に現実的な対応をせざるを得ない。そういう原則と現実の間で適切な解決策を追求するのは非常に困難な作業だろう。しかし家族は決断した。「本人が自由な立場で選択をするには、まず家族を呼ばないとダメだ」という前提条件を作ることを。この極めて正当な要求に、政府として反対すべき理由は何もないのである。
2002.10.23:
「のぞみ化プロジェクト」集中討議・3日目:
昨日の討議終了前、今日の議題について話していたら午前中に終るのではないかという予想であった。しかし蓋を開けるとなんだかんだであっという間に時間が過ぎてしまい、結局丸一日を費やした。それも発端は16日に書いた上司の「規則、規則」の連呼を直近の幹部クラス会議にまで出して、こちらのワーキンググループの内容にまでケチをつけたのである。
グループの長は「システムにまで規則で縛る理由はない」と反論したが、とにかく言う事を聞かない。周囲からも「片方で自分に都合のいい規則破りを誤魔化すための仕掛けを要求しながら、そこだけゴネるのはおかしい」と、批判的意見が出たらしい。しかし本人は頑固で説を曲げなかった。その話を今日グループ長が報告した途端、グループのメンバーは全員目が点になった。
私としてはあまり公表されるのを好まなかったが、しかし公けになった以上、今まで抑えていた上司の実態を語る以外になかった。幸い皆私の立場を理解してくれたし、グループの長も改めて反論の文書を出すと確約してくれた。
常識的な判断として、電算システムというのは明白な違法行為をしない限り規則でがんじがらめにするものではない。ワーキンググループでもそれは確認された。また今の事務所で「陸蒸気システム」を使っている若者に聞いても同じ意見だった。そして何よりも「陸蒸気システム」そのものにも一部の人間しか知らない規則逃れのための「裏技」が存在するのである。
それにしても上司は天に唾する発言をして、自分の首が絞ることを恐れないのだろうか?
2002.10.22:
「のぞみ化プロジェクト」集中討議・二日目:
ああだこうだと賑やかな会議が始まった。検討すべき項目の討議、フローシートの見直し、ETC、・・・と続いたが、午後になってちょっと険悪な雰囲気になる場面があった。原因はマスターファイルの作成で、Excelからホスト機にデータを落とす作業を誰がやるかについて開発担当が「そんな時間はないのでそっちでやってくれ」と言い出したのである。
ホスト機というのは原則テキストファイルのお化けだし、Windowsとのインターフェースを考えたツールなどは最初から入っていない。大規模処理をするのだから当然なのだが、そうなるとExcelから一旦CSVに変換して、それをホストのDBで読めるフォーマットに変換するユーティリティープログラムを新しく作らねばならない。このプログラムを誰が作るかが決まってなかったので揉めたのである。
もちろん実務部隊はホストの専門家ではないので作れない。かといって開発担当が派生的な仕事を何でもかんでも取り込んでいてはメインの仕事がはかどらない。だから感情的になったのである。
コンバートプログラムの作成は多分情シスの別の部隊に依頼することになろう。どんな仕事でもそうだが、隙間的仕事はどうしても洩れる。それが後になって発覚するとひどいなすりあいになるのである。怒鳴り合いになる寸前で私が間に入ったが、そろそろ開発担当は本格的に動く時期になったので神経がたかぶってきているようだ。
2002.10.21:
「のぞみ化プロジェクト」集中討議・一日目:
詳細な結果は専用のコーナーで書くが、連日のホットな話題はこちらに書くことにした。しかし今日はSEのキーマンが忙しいということで会議には1、2時間しか顔を見せず、あまり大した話にはならずに終る。
むしろ実務者には悩ましい問題が見えてきた。つまり統合化したあとの組織も統合すればいいのだが、やはりあまりにも違う文化のためにシステムは統一しても実際の運用はバラバラにならざるを得ない。それを頭の固い管理職にどう納得させるかが一つの鍵となりそうだ。つまり「俺のやりかたが正しい」と唯我独尊で他のところの批判をやり出したら収拾がつかないので、そうならないよう実務者レベルで意思統一をしないといけない。幸いにも今の実務者レベルでは歩み寄りの姿勢があるのでひどいことにはならないと思うのだが。
2002.10.20:
うっとおしい週末となった。
秋雨前線の影響で晴れ間が見えない。秋なのだから当然といえば当然なのだが、ちょっと憂さ晴らしに外へ出たいという気持ちになったのにどうにもならなかった。ということで結局ネットに入りびたりの生活である。
明日からは3日間連続の「のぞみ化プロジェクト」集中討議。この間だけはやかましい声も聞かずに済む。うまい具合にエスケープの口実となった。 (笑)
2002.10.17:
拉致被害者が北朝鮮から24年ぶりに一時帰国した。まずは喜ばしいことである。24年間の空白を埋める作業は本人にも、また家族にとっても非常に辛くしんどい作業だろうと想像する。しかしひとつの救いはこの5人が暗くないことである。そのことは羽田でタラップを降りた瞬間に家族の姿を見つけて思わず微笑んだことに象徴されている。
なお、今日の時点で亡くなったとされる横田さんの消息について5人とも同じ事を喋ることについて不信感を感じている向きもあるようだが、ピョンヤンのそれも非常に狭い範囲での24年間の生活ではそういうこともあり得るだろうと考える。勿論北朝鮮側の誘導とか規制も否定はできないが、我々のような自由な環境と違い、ある意味では塀のない監獄ともいえる世界で生活を続けているとそれが当たり前のように変質することは充分考えられるからである。
ともあれ、家族との再会を喜び、将来への恒久的解決へ向かうことを祈るのみである。
2002.10.16:
最近日記が飛び飛びになっている。原因はちょっとした疲れというかストレスにさらされてネタがなかなか思いつかないからである。この頃上司がいやにやかましいことを言いだした。何でもかんでも「規則どおりにやれ」と口うるさい。どうやら背後に彼の出世欲だけでなく、管理職になって上の命令には絶対服従という今の事務所の悪しき伝統に染まることを強制されているフシがある。
昔の事務所だと「努力はするができないことを『イエス』と言って自分で首を締めるより、現状をはっきり言う」という風潮が強かった。そういう世界に長く育ってきた私には、従属的発想には正直ついていけない。だから適当に流すつもりなのだが、毎日「規則、規則」と耳にタコが出来るほど叫ばれてはさすがにストレスが溜まる。
そして人間の体は正直なもので、帰宅して頭の切り替えを行おうとしても心の隅に残ったうっとおしい空気がなかなか消えないのである。つまり主観的には霧を振り払っているつもりなのだが、客観的にはやはり何らかの影響が出ているのである。だからストレスだともいえるのだが。
2002.10.14:
今日は国民の祝日(体育の日)だというのに出勤日だった。
ウチの会社は昔から変な癖があって、夏休みなどは世間よりも長めにしておいて、祝日などに出勤日を設け、年間の出勤日数の帳尻を合わせるのである。だから私が入社して約30年、現在の年間出勤日数は240日程度でほとんど減っていない。中小企業だともう少し多いのだろうが、とにかく大企業としては定時ベースの総労働時間をキープしようと、こういうセコイやり方をするのである。
その一方で日本の労働時間が長すぎるとの批判に対してはえらく敏感なのだが、何を減らすかというと残業時間を標的にするのである。結果としてサービス残業が横行することになる。
ウチの会社では一部に裁量労働制が導入されているが、一部の大企業では主任クラスに対して20時間程度の残業代を一定額として上乗せし、残業代を請求させないシステムをやっているところもあるようだ。しかしこれはサービス残業の合法化でしかない。財界では、まだ一部しか適用できない裁量労働制を事務職全体に広げようと目論んでいるらしい。もっとも中間管理職は主任クラスよりちょっとだけ給料が多いだけで、すでにサービス残業の巣窟になっている。(法律上は中間管理職も残業代を請求できるのだが)
労働時間の短縮を根本的に解決するには、賃下げなしの定時ベース総労働時間の引き下げ(一日の所定労働時間短縮または所定出勤日数の削減)が最もドラスティックで効果がある。しかし会社側はここに手をつけることには徹底して抵抗する。ワークシェアリングについても同じ態度だが、ヨーロッパでやられたような法的強制力でしか問題を解決できないようだ。
2002.10.13:
掲示板の方で私と同様に不愉快な思いをされた人からの書き込みがあった。要するに傍若無人な振舞いをする若者が多すぎるのである。
「親の顔が見たい」と思うのは至極もっとも、というか公共の場での身のこなしかたをほとんど教えられていない気がする。そしてその原因として、子供部屋とマイカーの存在が大きいというのが私見である。
何も子供部屋とマイカーを否定しているのではない。その中での基本的なしつけの欠如が根底にあると言いたいのである。まず子供部屋だが、部屋の中での行為を放任していることである。特に鍵をかけて親が入れないというのは問題だ。私物検査をせよというのではない。プライバシーの尊重と必要な指導とは両立できる。万引きしたものの発見は注意せねばならない。それを遠慮していては教育にならない。昔驚く話を聞いたのは、子供を「自由に」させるという理由で食事は家族一緒にせずに子供には部屋で食べさせて平然としている例である。これでは家族の存在を親が拒否しているのと同じ効果を生む。
次にマイカーだが、車の中で好き放題に遊ばせていておもちゃもゴミもほったらかし、親がすべて後片付けをしているのもこれまた問題だ。かつずっとマイカーで外出(学校も塾も)していては公共の場での実践的教育はまたくできない。最近の新入高校生を見ていると見るに耐えない。中学生まで電車やバスに乗ったことがないというのが多いのである(そういう彼らの会話を聞いた)。そんな調子だから彼らの満員電車での身の置き場はチョード下手である。入口に集団で固まるし、最もたちが悪いのはもみくちゃになりながらもドア付近で体を硬くしてしまって降りる乗客の障害になっている。少しだけ車内の方向に体を動かせばいいのに絶対に譲らない。ものすごく身勝手な行動に固執する。
結論的にはたとえマイカーでも意識的に教育することはできる。しかしマイカーでない子供と比べて、親は小さい時からそういう公共の場での態度について注意深く教えねばならない。ところが現実にはあまりにも無神経な親が多すぎるのである。だから子供もいきなりわけのわからない大人の社会に放り出されて困惑し、「自分の個室」が確保できないので当り散らすのだろう。
ペットボトルを握って授業参観に出てくる親に育てられる子供は、車内でペットボトルが邪魔だと言われると泣き喚いて怒るのである。
2002.10.12:
以前から苦々しく思っていたが、本当に最近のケータイの害には辟易する。
相変わらず車内で大声を出して会話するし、満員のプラットフォームで画面を見ながら突っ立っているし、歩きながらの会話&画面覗きは邪魔なことおびただしい。
いちばん頭にくるのは快速電車のクロスシートで座っていると、横の通路で画面を見ているバカがいることである。ちょうど私の頭のすぐそばで電波の垂れ流し状態をやっていることになる。あまりに腹立たしいので睨みつけたら、やめるどころか別のところに移ってまだやっている。別の誰かが犠牲者になるのがわからないのか。
先日友人に聞いた話だが、本当に心臓ペースメーカーを入れている人がいて「ペースメーカーを入れているのでやめてくれ」とクレームしたケースを目撃したという。おそらく日本で数十万人を下らない人がペースメーカーを入れていると思う。
マナーの問題ということもあるが、やはり危険なリスクを冒すことはやめるに限る。無用の電波を垂れ流すことは省エネの観点からも好ましくないと考える。
2002.10.10:
ブラジャーの話で思い出したが、同じ霊長類でもサルなどと違って何故人間の場合は乳房が盛り上がっているのかという疑問がある。確か以前「たけしの万物創世記」というTV番組でやっていたのを覚えているが、男に対する性的アピールではないかという話だったようだ。
では何故アピールする必要があるのかという疑問にまでは突っ込んでいなかったと思うが、私の考えでは人類独特の生物学的特徴、すなわち発情期からの解放ということが背景にあるように思う。
大方の動物には必ず発情期があり、その間はすべてに優先して交尾の相手を求めることが雌雄両性の行動基準となる。しかし人間にはこのような期間は存在しない。逆に年がら年中、特に若いときは盛りがついているとも言える。しかし考えてみると、もし発情期が存在したら人間の活動にはものすごい制限がかかることになるだろう。すなわち1年のある時期にはすべての仕事がストップするというとんでもないことが起こってしまうことになる。これでは人間社会の進化に大きな障害が生じただろう。
そう考えると発情期がなくなったことは合理的であると言えるのではないか。ただその場合、年中発情できるということが新たな問題を生み出す。つまり発情をどうコントロールするかということで、これは男性の場合「生ませる性」という攻撃的な性質のためにやや厄介になる。だいたい10代後半から20代にかけては非常に性欲が強く、それをいかにうまく乗り切るかということがひとつのポイントになるだろう。そのための重要な手段として「自分で始末する」ということが生まれてきたように思える。他の動物にはこのような行動は基本的にない。
一つだけ断っておくが性欲のはけ口としての痴漢行為を奨励しているのではない。痴漢というのはある意味で現代特有のものである。古代ギリシャなどでは性はおおらかで明るいものというイメージが強かったことが知られている。したがって男尊女卑がある程度克服されていけば痴漢は自然に消えていくように思える。
やや断片的だが私が得た知識はこれだけで、これ以上詳しく書くことはできない。もし間違いがあればどなたか指摘いただきたい。
2002.10.07:
株価が連日下がっている。簡単に言うと景気の出口がまったく見えないということなのだろう。この現象を見ていると、「痛み」ばかり訴えて「小泉不況」になり、次にはこれまた後向きの政策しか出せないままの内閣改造による「竹中不況」になっている感がある。
要するに開いた穴を埋める(それも底なし)話ばかりで、財布の紐をゆるめるような政策がないからである。健康保険の本人3割負担、増税を前提とした「先行減税」、そして発展途上国でもやらない銀行保有株の買取、いずれもこの先良くなるという保証がないものばかりである。
やはり根本的には個人消費の伸びるような話でなくてはいけない。イベント的なものは一過性、しかし福祉などで生活のための金が毎日回るものは途切れることはない。そのことに早く気付くべきだ。
2002.10.06:
会社の友人と話していたら三菱長崎での客船火災のことになった。
何故あそこまでの大火になったのか、消火設備の不備などが考えられること、また自力での消火に(大抵の企業は警察や消防の立ち入りを嫌う)執着して消防署への連絡を遅らせたことなどが挙げられた。船火事は恐ろしい。陸上の火災と違って壁はすべて鉄板だから、あっという間に熱が伝わって大火災になるのである。過去の例として現役を退いたばかりのクイーンエリザベス号が香港で火災を起こして全焼、あえない最期を迎えたことが思い出される。
そしてこの火災を通じて、三菱の社会的信用がガタ落ちになることを無視してはならない。よその会社の話だとはいえ、企業への信頼が一夜にして崩れるひとつの典型として何かが見えるような気がした。雪印、日ハム、東京電力など人命にかかわるパターンとは違うが、安全管理、危機管理などが疎かにされる傾向が最近目立つ。
今回の火災ではもちろん保険が下りる。しかし客先からは納期遅延の違約金を請求されるだろうし、焼けた部分を取り替えたとしても豪華客船としてのイメージダウンは避けられない。また三菱自身の造船技術にも大きな傷がついた。
詳細な原因はまだはっきりしないが、ここまでのひどい火事になったことに、真に受け止めなければならない大きな要因があるのではないかと想像する。
2002.10.04:
「日本女性ブラジャー不要論」と言ったら怒られるだろうか。あくまで平均的日本人の場合という意味だが。
そもそも白人系およびセム・ハム族を含めた人種の体格はアジア系人種と比べて縦にも横にも大きい。当然女性の胸もやたら大きく、あれでブラジャーがなかったら上下左右の揺れは相当に激しいと思う。しかしブラジャーを着けていても乳の肉塊がはみ出しているような例もこれまたいるのは確かである。これに比べて日本人の場合はおしなべてかわいいものである。スリップで押さえてしまうだけで十分な感じがする。
何やら最近は胸を高く見せるブラというものがあるようだが、それほど太ってもいないのに胸だけが目立つという図はやはりアンバランスに見えて仕方がない。白人系の骨格とはまったく違うのに、無理に真似をして大きく見せても意味がないと思うのだが。それが私の意見の根拠である。
実はズボン(今は「パンツ」と言わないと馬鹿にされるようだ)、特にジーンズにも人種の差がはっきり出る。日本人のお尻の肉はやや垂れ下がり気味なので、腿の付け根に必ずくびれができるが、白人系は絶対にこのくびれはない。さすがにこの差を埋める方法はないようだ。
ナニ? 余計なお世話だ? ・・・コリャマタシツレイシマシタ!!!
2002.10.03:
今日は例のイギリスでのトラブルに絡んで、問題点の洗い出しや訓示のために重役が来訪した。
あまりきつい言葉ではなかったが、小言を貰ってしまった。今冷静に考えれば当然といえば当然の火種を作ってしまっていたことは明白だった。私自身の力不足もあって何事によらず失敗はなくならない。しかし裁判沙汰寸前かつ多額の出費をするはめになったとあれば怒られても仕方がない。
その一方、最大の問題となったのはプロジェクトマネージャー不在(名前だけのM氏はいたが、正直なところまったくの役立たずであったことは万人が認めている)で、リカバーできる人間がいなかったことである。かつそれがわかってからも怒鳴ることだけしかしなかった設計部長の責任は重大ということで重役は苦りきった顔をしていた。
彼は怒りに狂って机を叩くような真似はしない人物である。海外経験も豊富だし、英検1級、問題点を見抜く力も相当だった。だから今日の20名以上が呼ばれた「査問委員会」はきわめて冷静だった。しかし設計部長は別のところで責任をきつく追及されるに違いない。そもそもM氏をプロマネに据えたのは彼だったし、プロジェクト開始後の重大なトラブルが発生しても怒鳴りまくるばかりで、その対策がことごとく後手に回ってしまったからである。可哀相なM氏は部長の前ではいつも萎縮、今やノイローゼ寸前である。
2002.10.01:
二百十日ならぬ二百四十日に猛烈な台風が来た。戦後最大級らしく、瞬間最大風速51.5m/sというのは戦後2番目の記録らしい。
関西では大きな影響はなかったものの、関東では川崎市に上陸ということで被害が出ている模様だ。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げる。
そう言えば部長は千葉県に出張しているが、今夜は帰れないかもしれない。(喜んでいるわけではない、念の為)