悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
03.08
2003.08.31:
2週間の旅行から帰ってきた。わずかに不愉快な思いをする場面もあったが、総じて息子との楽しい日々を過ごせた。今日は疲れたのでここまでである。
2003.08.18:
昨日懸念していた事態が起こった。それも今日の午後3時を過ぎてからである。
いきなり工場から本社に繋がるWANが強制的に落とされた。そして社内放送があり、「ウィルス感染のためWAN接続を切りました」とのアナウンスがあった。以後、私がやり残した仕事はストップ、7時頃まで待ったが回復しないまま帰宅となった。明日から旅行のため、やむなく残った仕事は後輩に引き継ぐしかなかった。
感染の原因はまだ公表されていないが、LAN内感染とみてほぼ間違いないだろう。「ふろしき残業」ならぬ「モバイル残業」だ。悪いことにウチの会社ではIGNによる社内サーバーへの接続が可能になっており、また人によっては個人のプロバイダへアナログダイヤルアップしたことも考えられる。
とにかく一般ユーザーのウィルスに関する認識は低い。ニュースを見ていても自分には関係ないと思っている人の何と多いことか。ひどいのは、会社での立ち話から「ああ、あれってウィルスなの」と、自宅のPCが何度も再接続される現象があることを初めて告白する人がいるていたらくである。
これではウィルスの被害は半永久的に続くだろう。
2003.08.17:
今日は京都大文字送り火、盆休みも終わりである。
子供の頃、通っていた小学校の屋上が開放され、夜空に輝く五山の送り火を見た。ただ、右の大文字だけはほぼ真横から見るので「一文字」状態であったが。
今年の夏は本当に夏らしくなかった。ここ一週間もほとんど雨か曇り、まるで梅雨が戻った感じ、というか天気図も明らかに秋雨前線の季節になっている。
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明日は会社に顔を出すが、Windows2000マシンはBLASTERウィルスにやられているかどうか、楽しみ(?)である。社内LANはファイアーウォールでガチガチに守られているはずだが、ひょっとしたらPCを自宅に持ち帰って感染したものが見つかるかも知れない。
2003.08.16:
ふとしたことで息子と話をしていたら、明後日がが何月何日で何曜日かということがピンと来ないということがわかった。中学生になってもこんな調子では困るので、小言めいたことを言ったが、彼はこんなことを言い出した。
クラスでも少なくない人数がそういう実態らしいのである。これには正直驚いた。小学生ならともかく、何曜日が部活動で、何日後が休日、夏休みはいつからいつまで、ということがわからなくてどうして予定が立てられるのか。そこには自分の生活スケジュールに対する自覚が非常に薄いとういことが反映している、としか思えないのである。
息子には何事によらず食いつきが弱いということを感じていたが、他の子供達にも似た傾向があることまでは想像がつかなかった。
極端な言い方かも知れないが、学校なり親なりが授業・部活動・塾などスケジュールの殆どを仕切るために、自分の生活が「他人事」になってしまっているような気がしてならない。
2003.08.15:
ニューヨークを始めとする大停電で大騒ぎになっている。過去には1965年、1977年にも停電があったが、日本ではまず考えられない。アメリカでは「仕方がないこと」で済まされるが、日本では間違いなく社長の首が飛ぶ。だからといって日本でも停電の可能性は完全にゼロではない。
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例年のごとく8月15日について書く。
今年のTV番組を見ていて、NHK以外の民放は報道番組の一部で触れる程度のものを除いて、戦争に関する番組はまったくない。ドラマ・ドキュメンタリーでも戦争を示唆するものはこれまたない。非常に残念である。こんなことだから、腹いせで広島の千羽鶴に火を付ける若者が出るのである。
もっともNHKでも完璧ではない。昨年などはニューヨークテロ事件に関する世界の若者の討論会に変質した。第2次大戦の原因と現在のテロ問題とを混同してはならない。
民放TVで戦争問題を取り上げないのにはそれなりの理由があると思われる。その大きな原因のひとつは視聴率問題にからむ商業主義である。そうでなくても大手マスコミからはジャーナリズムとしての姿勢は消え、芸能リポーター的ゴシップ記事が蔓延していて失望のあまりにマスコミ職場を去る若者が多い。そういった状況下で大手マスコミに戦争に関する報道を期待するのは無理なのかも知れないが、私としては、スポンサーがつかないなら、自費でやるだけの気概が欲しいと思うのである。
ドイツでは今も5月7日(降伏の日)前後にはアウシュビッツ特集をやり、予定時間をはるかに超えて延々と討論会を放映する。それは戦争の悲劇を経験した人たちのためだけではなく、次世代にヒットラーを作らせないためでもあるのだ。
私の頭の中には、高知県須崎から出航した輸送船が米爆撃機の攻撃を受けて一昼夜板切れ一枚で海上をさまよった父の話を聞き、それを子供に伝えていくという意義を忘れてはならないという思いがずっとある。
2003.08.14:
イラク戦争で米軍が報道陣のいるホテルを砲撃した事件、アメリカ政府はその正当性を主張する文書を出した。それが正しいかどうか、まだ裏付けははっきりしないが、報道陣襲撃はイラク戦争の性格を物語るひとつの現象といえよう。
それはまた、現在米軍がイラクで歓迎されていないこととも一致する。すなわち、誰が敵なのかわからなくなった状況下では、無差別的に発砲しやすいということである。敵が報道陣に紛れ込んだと思ってしまう、あるいは町の中でいきなりテロ攻撃を受けるということになると、恐怖心によって一般人全部が敵に見え、ちょっとしたことが引き金を引くきっかけになるようである。
実はこういう現象はベトナム戦争でも見られた。映画「地獄の黙示録」などでも示唆されているが、ベトナム戦争では、何度か村民全員を虐殺する事件が起こった。ジャングルでベトコンを掃討しようとするが、顔や服装では殆ど差がない。それとこれがポイントなのだが、明らかにベトナムの田舎では米軍は歓迎されていなかった。だから兵士も自分たちが孤立していることを肌で感じ、なおかつベトコンからはゲリラ襲撃を受ける。こうした緊張した状況では何が起こっても不思議はなかったのである。
今回のイラク戦争でも明らかに同様の傾向が見られる。ましてやイラク人の神聖な場所であるモスクで軍服の米兵がうろちょろしたりするから、尚更嫌われるのである。
こうして長期化する戦争で、米兵が次々と死んでいく。アメリカ国内でも「撤兵せよ」という申し入れが行なわれたりもしている。このまま米軍が居座れば、イラクもベトナム化していくだろう。
2003.08.13:
世間ではまた新しいウィルスで大騒ぎになっている。その名も"BLASTER"。
昨日未明から拡がり始めて、個人・企業・役所を問わず猛烈な勢いで蔓延している。特徴はWindows2000、WindowsXPなどのNT系カーネルが感染し、短い時間でPCが自動的にシャットダウン・再起動させられる。我が家は子供マシンがXPだが、1ヶ月前に出たパッチは入れてあるし、ルーターでポート135は閉じられているので問題は起こっていない。
いつも思うことだが、ウィルス対策についてまったく無防備な個人、あるいは団体がいかに多いかがよくわかる。もちろん日本だけでなく、世界的傾向でもある。
何度も何度も感染騒ぎがマスコミを賑わすが、それでも同じ失敗が繰り返される。あるウィルス専門の掲示板を見ていると気付くが、BLASTERウィルスに感染したのでどうしたらいいかという同じ質問がゾロゾロ並ぶ。他人の例を見ないまま自分のことだけを次から次と書くからである。パニックになっているからでもあるが、もう少し冷静になれないか、またウィルスに関する情報を勉強して欲しい、といつも思う。
それと同時に、このような状態を放置せず、PCメーカー、特に初心者が買うプレインストール機を作っているところはマニュアルにウィルスの危険性を書くことと、購入最初の起動時にウィルス対策をしないとネットに繋げないような仕掛けを作るべきだと思う。
そうでないとウィルスの被害者(かつ加害者)は常に再生産されていく。
2003.08.12:
日本航空ジャンボ機が墜落して今日で18年になる。航空事故(現在は航空・鉄道)調査委員会のHPに掲載されているボイスレコーダーの記録を見て、あの悲劇をがどんなものだったか、想像を絶するに余りあるものを感じた。
私も数え切れないくらい飛行機に乗ったが、離着陸の際の緊張感は最初からずっと抜けない。またヒヤリとさせられることも何回かあった。例えば、
1.千歳空港の手前、津軽海峡通過中に座席から尻が浮くほどのエアーポケットに入った。
2.デュッセルドルフ空港着陸寸前でゴーアラウンド。
3.同じく雪が舞うデュッセルドルフ、タッチダウン手前でエンジンを切った瞬間に横風にあおられて機体が浮き上がり、次いで車輪が滑走路に叩きつけられた。
4.ベルリンを離陸してフラップを引っ込める途中、急に左下へ傾き始めた。窓から直下に畑が見えるまで降下。
飛行機は嫌いではない。自動車事故の距離あたりの確率は飛行機よりも高い。しかし一旦事故を起こしたら致死率は高くなる。だから安全については万全を期してほしいものだ。
2003.08.11:
旅行の詳細スケジュールが決定し、切符の手配とホテルの予約も済んだ。後は切符、ビザなどの実物を入手するだけである。
それと並行して持っていくものを準備せねばならない。その場合、天候が気になるところだが、今年のヨーロッパ方面は猛暑、ベルリンでも最高気温が30℃近くあるので夏服でいくかどうか悩ましい。大陸は夜昼の温度差が大きいので重ね着で対処するのが常識的なのだが、夏の終わりになると急激に気温が下がるのでセーターがいることもあるのだ。
2003.08.09:
今年は8月6、9日の話をする。
今まで原爆のことを取り上げなかったのは、大抵が平日だったので落ち着いて考える時間がなかったためである。しかし今年は私が連休に入っているためと、そして例年にはない特殊な情勢がある。それはイラク戦争である。
広島、長崎の両市長はイラク戦争を批判した。平和の観点からは許せない暴挙だからである。それも戦争を起こしたアメリカは世界最初に原爆を広島に落とし、かつイラクでは劣化ウラン弾を使用している。おまけに攻め込んだイラクに対しては、あるかどうかさえ怪しい「大量破壊兵器」の存在を開戦の理由にした。自分たちは人道上許されない核兵器の使用をフリーハンドにしておき、相手には所有の疑惑だけで「制裁」を加える、こんな無謀が通っていいわけがない。
21世紀を平和な世の中にするためには、核兵器の存在は大きな障害である。広島・長崎は人類が過ちを犯さないための記憶を永久に残すため、平和の敵と対峙するための重要な記念日である。
2003.08.08:
昨日の話を少し続ける。
大企業の常として、盆休みを長く取る傾向があるが、これには一種のトリックがある。例えば10連休だとしてその内の4日は通常の土日、そして3日分は有給休暇を強制的に取得させるという方法を使う。だから残り3日が本当の盆休みなのである。
それから、前にも書いたが、7月末の連休は他の祝日や土曜日を出勤日に振り替える。だから年間の所定労働日はちっとも減らない。私が入社して以来、年間の所定労働日は数十年間250日前後で、祝日の増加によるもの以外は殆ど削減されていないのである。
それと「祝日や土曜日を出勤日に振り替える」という方法は思わぬトラブルを招くことがある。確かトヨタ自動車だったと思うが、地元の秋祭りの土曜日を出勤日にしてしまい、後でそれを知った市民のブーイングで慌てて出勤日を変えたという話がある。
大企業にいると、そういう世間の動きに疎くなることがある。
2003.08.07:
明日から盆休みの11連休が始まる。10連休ではなくて何故11かというと、会社が急に仕事が暇だからと8日を休みにして、冬の土曜日を出勤日にしたからである。
本来なら年度始めに年間スケジュールを決めてしまうのだが、今の工場・事務所は社内でも不思議がられている、年度途中で休みを突然変更するのである。こういうやり方はいつも嫌われる。過去には、年度が始まろうという矢先に突如4月1日と2日を、これまた工場が暇だからと突然休みにするという暴挙に出た。当たり前のことだが、この日は経理を中心に決算処理の真っ最中である。本社のホスト機もそれに合わせて運転スケジュールを組んである。関係者は「休日出勤」となった。
こういう馬鹿なことをここの総務は平然とやってのける。もちろん決裁した幹部も同罪である。当然の結果として不評を買ったから、二度とこんなことはやらなくなったが。
明日は台風が来そうだ。
2003.08.06:
1日に急遽決まったPCの更改、いくつか見積を取った結果NECのPC-MA21X/R(通称MATE
R)に決めた。似たスペック同士での価格で比較するとこの機種が安かった。
会社のマシンだからといって余り高いものを買うわけにはいかない。加えてスペック自身も贅沢できるわけがない。もし高性能のサウンド機能とか、17インチのTFTを選んだら、上司から何のために使うの?と指摘されるに決まっている。
ともあれ旅行から帰った9月初めには届いているだろう。
2003.08.05:
「のぞみシステム」が一段落したことで、上流側メンバーと合同での打ち上げ会をやった。総指揮をしてきた会社幹部は挨拶の中で「マラソンで言えば40キロ」と述べたが、実務サイドではラストのトラック1周と感じている。
確かに「のぞみプロジェクト」の全体像から考えると、来年4月を期限とした最終目標からは40キロという評価は無茶ではない。しかしそれは全ての目標を100%と前提とした場合であって、システムの基幹部分は完成していて実用に耐えるものになったという観点ではほとんどゴール目前になっったのである。
だから幹部が我々を批判したというのではないが、この認識の違いはなかなか埋まりそうにない。
2003.08.04:
やっと夏らしくなってきた。朝からけたたましいセミの鳴き声、入道雲、そして朝目覚めた時には首にべっとり汗がまつわりつく。
この暑さ、いつまで続くだろう。
2003.08.03:
息子の財布が見つかった。
2003.08.02:
息子とその友達と一緒に釣りに行った。
釣果はもうひとつ。それでも親子で何かするのは楽しい。
しかし息子は4千円入りの財布を紛失した。
2003.08.01:
今朝会社でドタバタしていると、突如として電話かかってきた。
「貴方のPCはリース切れでなおかつWindows95なので新しいものと交換してください」
え"・・・ ?(。゜)(゜。)? ・・・
驚きでしばらく声が出なかった。
というのも今年初めに今年度の更改予定PCで、ドケチ幹部の意向から私のマシンはリストから除外されていたからである。ところが秋に来る4年のリース切れリストを管理している担当者から、リース会社との合意でサポートの切れたWin95マシンはすべて回収ということが決まったのである。
これは驚いた。しかし私としては不満があっただけに願いかなって嬉しくなった。
機種は自由に選択できるそうで、早速メーカーサイトを物色。但し会社のPCなので無難なものを選択するつもりだ。今のところ、NECのValuestar
Lが第一候補である。理由はただひとつ。FD付きだからである。会社のPCだと何が起こるかわからない。その時にFDがないと自分自身もそうだし他人のPCをサポートするのに困るからである。
なお、ノートPCは最初から候補に上げなかった。年齢のせいで小さい字は辛いからである。またOSはWinXPではなく会社標準のWin2Kになる。