悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
03.05
2003.05.31:
2003年度「国民生活白書」の要約をネットから入手したので読んでみた。やはり報道されていたとおり、若年層の失業率は10%近くあり、以前この日記にも書いたように親に寄生する(というかせざるを得ない面もある)若者が増えていることがわかった。当然ながら正社員として安定した生活ができないから、将来に夢が持てず、婚期は遅れる、子供は生まない、さらには働く意欲そのものも失う事態が進んでいるのである。そのことを白書は危機感をもって警告しており、「若年が自立できるような経済的基盤と社会的基盤を再構築していくことが求められている」と結んでいる。
ここまではほぼその通りだろう。ところが今国会には恐るべき法案が上程されている。
労働基準法と労働者派遣法の「改正」案で、明らかな改悪、それも白書が指摘している不安定雇用を促進する内容である。大まかにいうと、
1.例外はあるが、「労働者を解雇できる」ことを基本にする
2.契約社員の契約期間を1年(特例3年)から3年(5年)に延長
3.裁量労働制の範囲拡大(ほぼすべての事務・技術系に適用されるだろう)
4.現業職にも派遣労働を適用できるようにする
というすさまじいもので、これが通れば正社員は激減するだろうと言われている。当然ながら連合や全労連は猛反対しているし、連合は反対キャンペーンのTVCMを流している。
1.に説明の必要はあるまい。現行労基法はそもそも長期雇用を前提として作られており、解雇については手続き的なことの記述のみで、わざわざ解雇できる条件を事細かに記述していない。それを「解雇できる」という文を入れるということだから、解雇のやりたい放題にしようという意図丸出しである。おまけに政府見解は、裁判での不当解雇であることの立証責任を労働者側に負わせようとしている。
2.は労働者に有利に見えるようだが、そうではない。使用者側はいつでも打ち切りできるので、労働者は再契約してもらうために毎日プレッシャーがかかる。逆に労働者が出勤を拒否すれば契約不履行で損害賠償を請求される可能性がある。
3.は言わずと知れた「サービス残業」を合法化するためのものである。というのも現状では労働者に実質的な出勤時間の自由裁量が許されていないからである。
4.は間違いなくモノづくりが破壊するだろう。忙しい時だけ雇われるのだから、仕事をじっくり覚える、あるいは優秀な技能を育てるなどということはもはや不可能になる。アメリカ式の、マニュアルどおりの手順で作業する(チャップリンの「モダン・タイムス」そのものだ)ことになるだろう。要するにあらゆる製品が「マクドナルド」になって、「手作りの味」はこの世から消えてなくなると思えばいい。
以上のごとく、白書が憂慮しているデフレ下での若者の抱える生活苦を、さらに助長する法案になっている。白書の担当大臣は竹中経済財政・金融相だが、彼はこの180度食い違う内容を理解しているのだろうか。もし矛盾を感じるなら、日本経済を破壊するような法律を阻止するために行動すべきだ。
2003.05.30:
2003年度の「国民生活白書」というのが出たそうで、若年層フリーターが増加していることに危機感を述べ、「経済成長が制約される恐れがある」と言っているそうだ。
企業がリストラで正社員を猛烈に減らしていることが原因なのは明らかで、言っていること自体にそれほどの問題はない。しかしである。政府は片方で何をやろうとしているか、そのことを理解して白書を作っているとは思えず、呆れてものが言えない。
どういうことかは明日以降に書く。
2003.05.29:
今夜はお通夜の「はしご」になってしまった。職場の2人のそれぞれの母親が高齢で大往生したのだが、よりによって同じ日になったのである。こんなことは初めてだ。
それともうひとつ初めてだったのは、片方の読経に来た僧侶が天台宗だったことである。書写山円教寺(姫路にあり、弁慶が修行をしたということで有名)の系列だそうで、故人は寺院と親しくしていたらしい。説教の内容は他の仏教宗派とそれほど変わらなかった。
2003.05.27:
地震の話で思い出したことがある。
日本ではほとんど可能性がないと思うが、アルジェリアの地震やトルコの地震では「パンケーキ破壊」と呼ばれる建物の倒壊現象が見られた。簡単に言うと積み木細工が倒れるのと同じで、柱と床が折り重なってホットケーキを重ねたように見えることからその名が付いた。原因はごく当たり前、強度不足、それも梁や柱の結合が地震に耐えられないほど弱いからである。
耐震性のない建物を建てる原因は、建築規制が弱いこと、金がないので安普請の建物を安易に建てることが考えられる。1980年のアルジェリア地震では震源地の町がほとんど瓦礫の山になった。60年代にも大地震で一度壊滅したのだが、その時の教訓は生かされずに、相変わらずレンガを積んだだけの建物を再建したからである。私が滞在していたのは郊外にある工場だったが、こちらは80年の地震では一部にひび割れが出来た程度で済んだ。耐震設計になっていたからである。それに対して、町唯一のホテルは4秒で全壊した(日本の学者が現地調査で推測)という。宿泊客の犠牲者には2人の日本人が含まれていた。
日本では建築基準法がしっかりしているので建物の耐震性はアルジェリアの比ではない。しかし、それでも阪神大震災では多くの建物に被害が出た。特に建築基準法が強化される以前に立てられたものには、せん断破壊による鉄筋コンクリートの破壊が激しく、「ピロティー」と呼ばれる1階が吹き抜けになっているビルは柱が座屈してフロアー全体がへしゃげる現象があちこちで見られた。
今回の岩手の地震でも東北新幹線の柱にせん断破壊とも見られる破損(割れ目がX印状に走るので見分けが付けやすい)が発生しているが、これなどは新しい耐震基準による補強が必要になるだろう。弱点が明らかになったのだから、早めに手を打つのがベターだ。こういうことに金を惜しんではいけない。
2003.05.26:
夕方に岩手県で大きな地震があった。ちょうど今日は日本海中部地震(この仰々しいネーミングはある国会議員の横槍で決められたとの噂がある)から20年目にあたる。
本当に近年は日本で大きな地震が多い。それは多くの学者が指摘しているとおり、プレート運動によって溜まったエネルギーが順次放出される現象らしい。次は東海地震とか、南海・東南海地震が近いのではないかと予想されている。
そういう時代に私は生まれたが、大地震にはどうも縁が深いようだ。先日もアルジェリアで地震があり、多くの死者が出たが、過去1980年秋に発生した震源地には地震の半年前まで仕事で滞在していた。その時には会社の同僚が何人か揺れを経験し、なおかつ後阪神淡路大震災でまたもや被害に遭うという経験者が出た。話を聞くと、誰もが「阪神大震災の方が揺れが大きかった」と異口同音に語った。
今日の地震ではM7.0とエネルギーが大きい割には被害が少なかった。震源地が深かったためらしいが、備えあれば憂いなし、自然災害ではあっても被害を軽くするための努力を惜しまないことが肝心なようである。
2003.05.25:
「有事立法」とアメリカの世界戦略・4:
ひところ、日米の貿易収支が問題になって、「アメリカのものを買え、非関税障壁だ」とアメリカからうるさく言われたことがあった。1986年の「前川リポート」で公共事業の拡大などを約束させられた。当時、アメリカは貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」が目立ち始めていた。それを解決するために日本への圧力を強めたのである。
結果として意図的な円高政策が進められ、またバブルとともに日本企業がアメリカのビルを買収するなど円が大量にアメリカへ流れた。しかしバブル崩壊でアメリカへ投資した資金はあっという間に目減りし、アメリカの赤字は救われると同時に日本は右肩下がりの泥沼へなだれ込んだのである。
しかし、そもそも80年代の「双子の赤字」の当時でも、商品の収支は赤字でも資本の収支はアメリカ側が黒字で、差引きしてもアメリカ側が黒字だったのである。現在もそうだが、コカ・コーラのように基本的な技術はほとんどアメリカが握っているとか、アメリカの直接資本が利益をアメリカへ還元しているというのが非常に多いのである。
基本的に、政治・軍事・経済のあらゆる側面でアメリカに主導権が握られている。前にも書いたように日本の経済進出はアメリカの息がかかった地域、例えば中国を除くアジアやアフリカへ行なわれた。ちょうど戦争でアメリカの戦車の後から日本の歩兵がついていくような感じである。日本にすれば、自前で軍隊を持って世界中に出て行く方法もあったであろうが、戦前のような侵略を許すような世界情勢にはもはやない。さらには共産圏と対峙するのに一国だけではできるはずもなかった。そういう意味でアメリカにくっついて自らの野望を実現することが日本の支配層にとって最も適切だったのである。
ただそうした中で、彼らは次第に自主性を失っていった。国内世論を押さえつけるのに「外圧」ということを利用したり、外交は何でもかんでもアメリカ任せにするということを繰り返した。そしてついにはアメリカに逆らうことは絶対に許されないという固定観念にまでなってしまったのである。そのいい例が、「えひめ丸」事件での抗議すらできない対応であり、沖縄嘉手納基地の代替施設を知事が15年期限付きにしてくれというのを米側との交渉議題としては絶対に取り上げないという態度である。つまり「黄門様の印籠」状態なのである。
これはアメリカにとって非常に都合が良い。とにかく歴代の首相はすべて「イエスマン」だから、交渉は不要である。"Show the
flag"とでも脅かしておけば何とかなる。だからアメリカ側も慢心することになったのである。
最近アメリカは再び「双子の赤字」になりつつある。アメリカ自身の「ITバブル」もピークは過ぎた。そしてそれまでも拡大を続けてきた軍事費の負担が非常にこたえてきたのである。9.11以降、それはさらにひどくなった。加えてイラク戦争の膨大な戦費をどうするかの問題がいよいよ切実になってきている。
次回はアメリカの軍事力の問題に突っ込んで最後とする。
2003.05.24:
「有事立法」とアメリカの世界戦略・3:
本題とはやや離れた話を書く。
日本でのSARS問題が表面上収束した。しかしこの問題を通して、日本の行政の危機管理に対する認識も行動もまったく頼りない、ということがまたもや露呈した。厚労省、大阪府、関空の検疫所など、折角医者が通報した内容の重大さを、理解できないというかする気もないし、そういう人材を育てていないのである。
これで私が何を言いたいかというと、もし有事立法が出来てもアメリカの要求には即応するが、肝心の日本国民の生命や財産を守るという能力は皆無だろうと思うからである。米軍を支援し、そのためには自衛隊が真っ先に治安出動するとか、基本的人権の制限に走り回るとかはあっても、それ以外のことはほったらかしにされるだろうというのが私の予想である。
明治以来、というかそれ以前からも、日本の行政機構は「お上」というスタンスで作られてきたし、戦後もそれまでの高級官僚がそのまま横滑りしたから、「行政は国民に対するサービス業である」という感覚はこれぽっちもない。だからいきなり有事だということになったとしても、180度発想が転換するとはとても思えないのである。国会審議では口先だけ勇ましいが、有事立法の本質は言葉とはかけ離れたところにあるとしか考えられない。
2003.05.22:
昨夜は新入社員の歓迎会だった。不思議なことに今回の職場の宴会は予定の開始時間よりもかなり早く人が集まり、15分前には新人と部長を残して全員が集まった。そんな具合だったから「乾杯の練習」というこじつけで、私を含めて我慢しきれない連中がビールを飲み出した。
これがまずかったのか、私は途中で目が回り始め、宴会の後半は畳の上に寝転がっていた。何とか自宅にはたどり着いたが、今朝は頭が痛かった。空きっ腹でビールを立て続けに飲むのはやはりよそう(笑)
ところでこの新入社員は私よりも二回り以上年下。すなわち親子ともいえる年齢差である。私もそれなりの年齢に達したということをまたもや思い知らされた。
そしてまた驚いた話だが、彼の入社の動機というか、ウチの職場を選んだ理由がすごい。実は今私がやっている仕事の過去の栄光話がTVで放映されたことがあり、それを見て「ぜひ参加したい!」という気になったというのである。やはりモノづくりに憧れる青年はなくなっていない、というか何か世のため人のために役に立ちたいという気持ちは失われていないという印象を受けた。ただ、残念ながら現在の日本にはそういう製造業の底力を支えるような方向での経済運営がなされていないために、若者に希望を与えるような環境にはない。株価対策だけとか、貴重な税金で銀行だけを救っていればいいというような社会を克服できれば、何も言わなくても若者は付いてくる。
2003.05.20:
「有事立法」とアメリカの世界戦略・2:
安保条約の成立を考える上で、アメリカの世界戦略、すなわち当時の対ソ・対中国戦略に日本が組み込まれていったプロセスは前に書いたとおりだが、では何故日本の支配者たちがアメリカの意向に積極的に加担していったのだろうか。
「占領軍には逆らえなかった」という一面はあるにせよ、抵抗するどころか安保条約調印を秘密裏に行なってまで積極的に成立させた事実は、「押し付け憲法論」とは明らかに矛盾する。
私は従来の軍事的理解だけではなく、経済的な側面をもっと重視しないといけないと考えている。つまり当時のアメリカは日本に軍事的利益と経済的利益を見出したと同時に、日本政府や財界はアメリカにくっついたほうが経済的利益が大きいとふんだのではないかということである。というのも、現在のイラク戦争問題と北朝鮮問題を比較すると、アメリカの対応が全く異なる原因が見えてくるからである。
何といってもイラクには石油があるし、周辺のアラブ諸国にある石油にもこれまたにらみを利かせることができる。だが北朝鮮がどれだけ挑発しようともアメリカは軍事的手出しをせず、鼻であしらうだけである。その気になれば北朝鮮のような小国はあっという間に攻め落とせる。しかし占領しても経済的利益は「ゼロ」に等しい。資源もなければアメリカ製品を売る市場としても小さすぎるのである。
話を戻そう。アメリカとしてはアジアでの軍事的拠点にできることと、安い労働力がありかつ魅力ある市場としての日本を支配下に置くことは必然の戦略であった。
そして日本の側では、アメリカの軍事的経済的支援をテコに国内外の左翼勢力を押さえつけ、さらには安い日本製品をアメリカ本土ならびに、アジアなどへ市場を拡大していくことが可能になると判断したのではなかろうか。原料の輸入はアメリカの影響がある国から輸入することができた。教科書で教えられた「加工貿易」の本質はこのような背景があったからではないかと、私は考えている。
戦後、このような体制がずっと続いてきているが、では日米のこのような支配・被支配の関係が年とともにエスカレートし、特に日本側のアメリカべったりの姿勢がますますエスカレートしていくのは何故か。「有事立法」で敢えて自衛隊が海外の戦闘に参加できる危険な道を歩もうとする理由は何か。次回はそのあたりを考察してみる。
2003.05.19:
「のぞみ化プロジェクト」で1週間席を空けたので、さぞや書類が溜まっているだろうと思っていたが意外と少なかった。それよりも余り気分の良くない話が舞い込んでいた。
イギリスの仕事でサービスマンが常駐しているのだが、この人たちの飛行機代やトラベラーズチェックの支払がどうしたわけか滞っており、それも旅行代理店からの請求書が大量に発行されていないままになっていたらしい。そのために代理店の担当者が左遷されたという。
しかし不思議なことに本人の旅費精算と支払うべき請求書の総額とが合わない。ひょっとしたら同じ件なのに金額の違う請求書が2本出ている可能性もあり、調査に時間がかかりそうだ。こういう場合、双方の書類を全部洗いざらい照合するのが確実な方法だが、旅行代理店がそこまで協力してくれるかどうか・・・
2003.05.18:
「有事立法」とアメリカの世界戦略・1:
「有事立法」を成立させた自民党政権、ならびにその裏にあるアメリカの世界戦略について書く。
このことについて語るためには、まず第二次大戦後直後に遡らねばならないだろう。
敗戦直後に日本が行なわねばならなかったのは、ポツダム宣言にもとづいた武装解除、戦争犯罪人の処罰と、軍国主義を排除した新しい憲法の制定であった。その際、憲法制定議会の構成は民主主義のかけらも知らない戦前のままだったために、草案は国民主権ということが欠落したままだった。しかしこれではポツダム宣言に反することから占領軍は書き直しを要求した。このことが「押し付け憲法」の根拠になっている。簡単に言うと、ポツダム宣言で民主主義を受け入れたのに、片方でそれに反する憲法が存在できるわけがない。が、ここではそれ以上の憲法論に深入りすることはやめておく。
占領当初のGHQ内部では、日本を民主主義の先進的実験場として育てようという傾向が強かったため、憲法前文や第9条に見られるような戦争放棄の条文が盛り込まれることになった。だが一方で象徴とはいえ天皇の存在は残された。マッカーサー元帥は「天皇は9個師団に匹敵する」と述べたそうである。
憲法制定の問題をはじめ、占領政策には戦後解放された中国で毛沢東が率いる共産党が勢力を伸ばし、国内においても合法化された共産党や組合運動が台頭し始めたことに対するアメリカの危機感が反映していた。またその後も、アメリカの対ソ戦略は次第に日本の占領政策に大きく反映していくことになる。
1949年、中国では共産党による政権が確立し、国民党の蒋介石は台湾に逃げた。日本国内では下山事件、三鷹事件、松川事件など謎の事件が発生するが(現在ではGHQの謀略という説が有力である)、それらはいずれも共産党員が犯人とされ、事件をきっかけにレッドパージの嵐が吹くことになる。アメリカ国内でもマッカーシズムによる「赤狩り」が行なわれた。
1950には朝鮮戦争が起こり、米ソ冷戦は強まった。その中で日本は共産主義を食い止める「防波堤」の役割をアメリカから担わされることがますます強くなった。それが日米安保への布石となっていく。だが日本の支配者たちは何故安保によってアメリカの戦略に組み込まれることに反対しなかったのか?
そのことは次回に書く。
2003.05.15:
「有事立法」が衆議院を通過した。まことに残念である。
これについてはさすがに中国がコメントを出した。控えめな表現ながら懸念を持っているのは明らかで、他のアジアの国にとっても不安を隠し切れないだろう。私の予想どおりである。
アメリカの戦略の話だが、まだ整理がついていないので先へ延ばす。
2003.05.14:
子供のパスポートを取りに行った。子供の場合は顔貌の変化が激しいので、5年間有効のものしか取れない。表紙は濃紺。私のものは10年タイプだから表紙は赤である。
親子の写真を見比べたが、似ているといえば似てるし、違うといえば違うという感じで、明確ではない。
親子の関係というのは父親にとっては非常に曖昧である。血液型だけでは確定できない。それが故に法律でも「父親と見なす」という表現しかできないのである。
もし息子のパスポートを再発行するならば、次は5年後、高校3年生になった後になる。どんな顔になっているだろうか?
2003.05.13:
戦後最悪の法律が通されようとしている。歴代の自民党政府が何度も挑戦しながら突破できなかった壁が、民主党のいい加減な妥協案によって崩されようとしているのである。
「有事立法」、これが成立すれば自衛隊は堂々と武器を持って海外へ出動できる。もちろん必要ならば民間人も機械のメンテなどで駆り出される。拒否はできないだろう。
何故海外派兵が可能か。それは防衛のための出動範囲を厳密に定義していないからであり、またそのことがアメリカの軍事行動に加担するためには絶対に必要だからである。
北朝鮮のミサイルに備えるためには有事立法が必要だとの意見もあるが、アメリカを含めて着弾前に打ち落とす技術は世界中どこにもない。だいいちもしミサイルを発射すれば、それは北朝鮮という国の破滅を意味する。日米韓三国で反撃すれば1週間ともたないだろうし、世界中の世論は北朝鮮の政権を擁護するまい。
戦後の日本国憲法の存在は、確かに米ソ冷戦構造の中であってもある程度の存在意義を示してきた。それは特にアジアの人たちにとって意味があった。たとえ歴代の首相が靖国神社を参拝したり、侵略戦争を美化する発言を繰り返しても、憲法9条が現実に破られることはなかった。日本の官僚がいかなる反動的発言をしようとも、国内外の世論はそれを許さず、結果として侵略戦争を繰り返すような方向での解決はできなかったのである。
だが、一方で世界第3位の戦力を持つ自衛隊を海外へ派兵しようという目論みは続けられ、カンボジア和平以降、武器を使用しないというかたちでの派遣がやられるようになった。そしてそれではまだ不十分だとするアメリカの圧力をてことして、「有事立法」が現実のものとして持ち出されることになる。
アメリカの意図、ならびに日本の権力者たちの海外派兵に対する執念については次回に書く。
2003.05.12:
5月8日の日記で書いた、工事屋の奥さんが亡くなった。それも「ダンナと年が近い」というのは間違いで、彼よりも一回り近く年下だった。若いのに・・・というのが率直な感想である。それと健康診断をほどんど受けていなかったそうだから、相当血圧が上がっていたものと推察される。
2003.05.11:
小泉内閣というのは本当に恐ろしい。
不景気を回復させるどころかさらに悪化させ、健康保険の個人負担を増加させるなど、次々と国民をいじめる。そして周辺事態法を通し、ついには有事立法にまで手をつけ出した。まさに悪法製造マシーンである。
他には労働法制を改悪して、いつでも首切りできる環境にしようとしている。
こんなに急激な国民生活を悪化させる政治を続けることは、歴代の自民党政治の中でも初めてではないだろうか。特に有事立法は日本の歴史を逆戻りさせるものだけに、空恐ろしい気がする。
それにしても今なぜ有事立法を慌てて通そうとするのか、そこにはイラク戦争にからんだアメリカの世界戦略の影が見えるように思う。そのことの詳細はまた書く。
2003.05.09:
最近仲のいい同僚と会社帰りに飲みに行く。
昔から顔を知っていたのだが、3年ほど前に一緒に今の事務所に移りなおかつ1年前から同じ職場になって、ふとしたことから「ちょっと一杯」ということになり、飲みながらああだこうだと職場の批評に花が咲いている。というのも彼も「新幹線組」の一員で、「陸蒸気組」と摩擦を起こすということでは私と同じ立場にいるからである。
彼は私より1歳下。だがどうしたことかPCは不得手で、キーボードにはどうしても馴染めないようだ。しかし彼は私と同じく「常識」とか「上には絶対服従」という文化に染まっていない。それがために互いに不満を洩らしたい雰囲気になるのである。
本来から言えば、こういう派閥は良くない。文句があるなら違う文化を出し合って相互理解をすべきなのだが、どちらかというと「陸蒸気組」は封建的で、先に相手の言い分を聞くというスタンスが弱いために相手を否定する傾向が強い。従ってそれに耐えられない二人が酒を飲みながら愚痴をこぼすことになるのである。
2003.05.08:
早朝から強い雨と雷だった。雷はすぐにおさまったがちょうど出勤時間と重なり、土砂降りの中を歩いたためにズボンの裾が濡れてしまった。
出社するとこれまたとんでもないニュースが入ってきた。
いつも電気工事を頼んでいる親方の奥さんがくも膜下出血で倒れ、意識不明。自発的呼吸もなく、どうやら植物人間になってしまったようだ。従って彼は看病に専念してもらうことになった。
当面の仕事は手下でしっかり者が一人いるし、親方の面倒を見ている電気会社が事務処理の全面協力をしてくれることで乗り切れそうだ。
親方は早生まれで私と同学年、奥さんもそれほど年が離れていないということだから、他人事ではない。そろそろ高血圧などのリスクが高くなる年齢だということをつくづく痛感させられる。
2003.05.06:
昨日の補足をしておく。
周波数の管理に厳しい理由は技術的側面もある。というのも同じ周波数で2箇所から発信されると、干渉のために正常な通信が行なわれなくなる。これはSOSなどの緊急事態には明らかに有害だ。だから電波の強弱にかかわらず周波数の割り当ては非常に厳密に行なわれる。それは世界共通である。
電波を発する機器(受信専用は警察無線などの一部を除いて自由)については電波管理局の許可あるいは届出を必要とする。さらにユーザーが勝手に周波数を変更できないように発信回路の基板の保護がなされている。
以前ウチの会社でラジコン操作の機器をとあるメーカーから買ったときに、たまたま向け先の違うものが工場内で隣り合わせで使われた。その際、メーカーとしては向け先が違うので周波数が同じでも問題がないとして作ってしまったため、試験中に隣の機械が動くという事件が起こった。こういうことがあるから電波は恐い。
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ゴールデンウィーク明けのため、今日は体がだるかった。
書類がてんこ盛りというわけではなかったが、まだ体が寝ている。というわけで早めに仕事を切り上げて、帰ってから酒をチビチビやっていた。
2003.05.05:
何か「スカラー電磁波」とかいう、マックスウェルの電磁波理論とは似ても似つかないたわごとを並べた連中が、住民に嫌われ続けて落ち着く場所がない状態に追い込まれている。嫌われたくなければフツーの格好でフツーの言葉を喋れば済む話だが、自己暗示から抜け出せないで立往生している。
で、それとは別の真面目な電波の話をする。
TVでやっていて初めて知ったのだが、地下の喫茶店などでケータイの電波が届かないところが、地上にアンテナを設置して客寄せにしているという。多くが許可を取っていないようで、明らかに電波法違反である。
電波というのは非常に管理が厳しい。というのも、歴史的に長距離通信、とりわけ船舶など国際的ルールを必要とする分野で発達したからで、国際的な周波数の割り当てがされるなど、非常にシビアになっている。船舶・航空機の安全に絡むから当然そうならざるを得ない。
しかし最近のケータイのようにアソビで電波が使われだしてから、そういう厳密な運用を知らない人間がとんでもない違法行為をやるようになってしまった。おまけにこのモグリのアンテナは、地上から結構強力な電波を出すために、近くにいる地上のケータイを「圏外」にしてしまうこともある。
電波管理局は警告を出して、改善されない場合は告発、すなわち刑事罰も考えているそうだ。イージーな客寄せが招く結果だが、それと同時に電波がどのように管理されているのか、ケータイで遊んでいる連中にも教育が必要ではないだろうか。
2003.05.04:
予告したとおり、釣りに行った。息子とその友達一人の計3人で朝から出かけたが、結果は・・・俗に言う「ボーズ」である。まったくのゼロは近年なかったことである。
今回は結果をある程度予想していた。それでも決行したのは子供たちの経験のためである。つまりへこたれずに次回も挑戦する気があるかどうかを観察していたのである。友達の方は一定の知識と経験があったのでOK、息子も刺激されたかやる気が出てきたようである。今回で餌のつけ方をマスターした。次回は仕掛けの選定と糸の結び方を伝授せねばなるまい。
2003.05.02:
ブッシュ大統領が「戦闘の終結」ということを大宣伝した。実質的な勝利宣言であるが、勝利という言葉を使うと捕虜を解放せねばならない。相変わらず狡猾な手口だ。
フセインはいなくなったが、大量破壊兵器はどこへ行った? 戦争の口実に使った「目的」はいつ達成されるのだろう。
時を同じくして小泉首相が欧州での会談を終えた。「国際協調体制」について合意したことを誇っているが、これまた注意が必要だ。マスコミははっきり言わないが、国連の位置付けについてトリックが隠されている印象を受ける。
というのも「国連の役割が重要だ」とは口にするが、「国連主導」とは言わないからである。独仏側はあくまで国連を中心にした復興を考えている。しかし日本政府が実際に取っている行動は米政府機関であるORHAへの参加であり、国連での決議によるものではないからである。従って訪欧の真の目的は、日本、英国、豪州、スペイン、デンマークの5カ国しか参加していないORHAへの誘いかけだろうと思われるのである。
2003.05.01:
今日から会社は5連休に入った。
それを聞いた息子(こちらは3連休のみ)が「釣りに行こう」と言い出した。どうやら友達に釣り好きがいて、けしかけているらしい。
今頃はもうひとつと思うが、日曜日あたりにでも行くか。