悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
03.12
2003.12.31:
いよいよ今年も残り12時間(この日記を書いている時点で)を切った。
今夜は息子と一緒に除夜の鐘を撞きに行く。過去を清算し、新しい気持ちになってみたいと思うのだが、なかなかそう簡単にはいかない。
人間の脳は記憶の取捨選択をして、不要と思われる部分を消してしまうという機能があるとのことだが、煩悩のすべてを消し去り明るい未来だけを描くというのはたやすくない。
とはいえ、「来年はぜひとも経済回復を」などという目先の願望だけでなく、日本全体、いや、世界全体の未来に希望を描けるような、そんな新年が来ることを祈りたい。
では皆様、どうぞ良い年をお迎え下さい。
2003.12.30:
今年鬼籍に入られた方々で、特に3人の方達について書く。
宮脇俊三氏:
私が少年時代の頃から鉄道関係では有名な人物で、雑誌などへの寄稿でその名前は知っていた。没後になったが私がシベリア鉄道を旅行するにあたって、その旅行記は参考にさせていただいた。
旅の楽しさ、また鉄道の魅力について優しく語るその人柄がひとつの魅力だった。
黒田了一氏:
元大阪府知事で、美濃部、蜷川両氏と並ぶ70年代の「革新知事トリオ」を築いた一人である。今でも覚えているが、ボヤキ漫才で有名だった故人生幸朗師匠の舞台のゲストで出演し、「責任者出て来い!」のセリフにを聞く度に「ドキッとした」と笑いながら答えていたのが印象的だった。
不思議というか、それなりの時代背景があったのだが、3氏とも憲法学者の出身である。いずれもコンセプトは「憲法を暮らしに生かす」であったように思う。憲法というのは9条だけではない。戦争放棄もさることながら、基本的人権の尊重、そして国民福祉の根底である生存権の保障ということを地方自治に生かそうというのが支持を得た。
私にすれば、憲法を自衛隊派遣の口実に使う一方で、増税や福祉の切捨てを行なう今の政府へのアンチテーゼとしての革新自治体は、決して意義を失っていないと思うのだが。
青木雄二氏:
漫画「ナニワ金融道」であまりにも有名。現在でも映画はTVで放映されているから知らない人はいないと思う。
普段はなかなか表に出てこないヤミ金融を題材として取り上げたことが脚光を浴びたが、あくまでそれは裏社会の話だった。しかし最近そのえげつない実態が表面化し、犯罪として社会問題になっている。
私は彼の漫画よりも、漫画家を「捨てた」以降の著作に興味を持った。というのも、彼の経験に裏打ちされた資本主義社会への警鐘に若干の共感を覚えたからである。彼は「自称」共産主義者であるという。それも旧ソ連などが目指したものではない、マルクスが批判した資本主義の仕組みそのものへの警告である。
もちろんこれからの社会がどう変わるかは判らない。だが彼が残した言葉の中には、我々の考え方の転換への重要なヒントが隠されているように思えてならない。
2003.12.29:
理髪店に行ったついでに、店員に「中高年に細マユがいないのは何故か?」と聞いてみた。彼曰く「サラリーマンは目立つ格好ができないから」との回答であった。
なるほど、大人の世界にも「目立たぬように」という無言の圧力は確かにある。おまけにどんなにひどいリストラをされても、度重なる増税をされても黙って嵐が通り過ぎることを願っているような態度である。
それが若者に反映しないということはあり得ない。ただ、彼らは現実の生臭い生活ではなく、タレントなどの明るい世界に目を向けるのだろう。
2003.12.28:
何年ぶりかで28日に年賀状を書いた。例年は29日が仕事納めであることと、根が不精なもので元旦に書くことが多かったから、こんなことは滅多にないのである。
息子は今夜も塾通い。学校の休みは何のためにあるのだろうか?
2003.12.27:
イランでの大地震、マグニチュードはそれほど大きくないが、やはり建物の弱さが影響して沢山の犠牲者が出ているようだ。トルコのときでもそうだったが、あの日干しレンガではどうしようもない。日本でも昔は壊れやすい木造だったが。
早速世界中から支援の手が差し伸べられるようだ。日本からも動きが出ている。それにしてもクウェートへこそこそ出掛けて行った連中と比べて、大手を振って出かける救援隊の姿はすがすがしい。国民の支持を得ているかどうかの差だろう。
2003.12.26:
仕事納めで、今年の仕事は終った。月末処理も済んだし、決算(大企業は来年度から四半期決算を要求されるが、既にウチの会社では今年から試行している)に必要な処理もこれまた終えた。
「のぞみプロジェクト」以外の日常業務は減ったので、のんべんだらりといった感じの年末である。
これから9連休。だからといって今年は目立ったイベントもない。のんびりとした正月になりそうだ。
こんな仕事納めを尻目に、日本から飛び立った人たちがいる。言うまでもなく航空自衛隊ののメンバー。今日イラクへ向かった。
2003.12.24:
今日はクリスマスイブ。だからといって何をするわけでもない。我が家は昔からそういう風習もないし、ましてや夜のネオンに誘われて高いシャンペンを飲まされながらも喜んでいるスケベ中年でもありえない。
学生時代、教会の聖歌隊に参加していて、たまたまクリスマスのミサを歌う機会があったが、信者になることもなかった。未だに「イエスキリストは人々の罪を背負って死んだ」という意味が理解できない。そんな人間にキリストの誕生を祝う資格はない。
がらっと話は変わる。
会社の顔見知りの家族が渡米して心臓移植を受けるつもりらしい。日本では移植の対象にならない幼い子供である。病名は心室中隔欠損。簡単に言うと心臓の左右を隔てる壁に穴が空いているのである。自然治癒もあるが、重症だと心臓移植しかない。
元々生まれる前の胎児にはこのような穴が空いており、肺が使えない代わりに母親から胎盤を通じて酸素と栄養を貰っているので、血液は肺を通らずにこの心臓の穴をバイパスするのである。しかし生まれたら肺呼吸に変わり、横隔膜の筋肉が動くことにっよって同時に心臓の穴も塞がれる。つまり産声は二重の意味で子供が外界で生活するために重要なのである。
ところが程度の差はあれ、100人に1人くらいの割合で穴が残る子供がいるという。多くは成長とともに塞がるが、先に述べたように移植でしか助からないケースも発生する。
人間の体というのはこのように非常にうまく出来ている。産声をあげると同時に肺と心臓が自動的に切り替わるようになっている。子供を生むと母乳が出てくる仕組みも完璧な自動制御だ。生命に無駄な機能はない。
2003.12.23:
腕時計の電池を交換してもらった。これで5回目である。
前回の交換時の日記(99年5月2日)にはこうある。
腕時計の電池が切れて、時計屋に電池交換に行った。最近の時計は太陽電池が主流だからどれだけ古いか想像いただけると思う。さすがに「自動巻き」は持っていないが。
時計屋のおじさんは律義にも蓋の裏側に記録を残していて、89年6月11日、94年6月1日、そして99年5月2日と電池交換をしていることがわかった。製造は78年8月とのこと。たぶんその年か翌年に買っているはずだが記憶はない。確か会社の売店だったことだけは覚えている。1回目の電池交換はこの店ではないが、84年くらいだろう。きちんと判を押したように5年で電池が切れる。店のおじさん曰く「次は4年半くらいで油切れで寿命だろうな」
何でもとことんまで使うのが私の主義なので、天寿をまっとうさせてやりたい。
今回は寿命かも知れないと思ったが、健気にも電池交換だけで生き延びている。ただ、油が次第に劣化してきているのだろう、電池交換のインターバルが少し短くなってきた。前回からは4年8ヶ月弱である。
最近電波時計というのが売られ出した。170万年に1秒しか狂わないという超精密なのであるが、時計屋のオジサンと「そんな精密な時計がいるような生活してへんやろ」ということで一致した(笑)
2003.12.22:
今日もまた酒。忘年会ではないのだが、仲間同士での忌憚ない意見ということで、隣の職場から誘いを受けての談笑だった。
話題の中心はやはり定昇廃止問題。特に我々中高年に対してはストレートパンチ、しかし若者にはむしろ今は殆ど変わらない賃金であっても、後から効いてくるボディーブローであることを私は力説した。そのあたりの落差というか実感が若者に乏しいのはやむを得ないが、互いの言い分を理解し、対立を煽るような真似はしないことが、若者との関係(もちろん若者だけに限った話ではないが)を保つひとつのポイントであることを感じた。
有体な話をすると、私は新しい賃金システムが適用されれば2割近い賃金ダウンとなる。はっきり言ってそれは怒りを超えた絶望と会社に対する訣別を呼び起こすに充分な内容である。
この日記は自分の個人的なものであるのでそのまま自分の思いをストレートに表現できるはずだが、事実に基づかないことを書くのは私の本意ではないので、これまでの定昇問題を感情的に書くことはしなかった。私は2ちゃんねるのような無責任で言いっぱなしの世界を作るほど、冷静さを欠いた人間になるつもりはない。
2003.12.21:
定期昇給廃止を考える:9
現在、日本社会には不安定雇用が急増している。フリーター、人材派遣、契約社員(無期の正社員でなく、有期雇用契約のもの)など、企業が、安いだけでなく、いつでも自由に雇ったり解雇できる条件を望んでいるからである。そのためには法律さえも変えた。
そして今、正社員の賃金も自由に切り下げることのできるシステムを導入しようとしている。それは不安定雇用の増大とともに、要するに一部のエリート以外は「安けりゃ誰でもいい」状態へもってくための戦略である。こういうことを放置すればどうなるか。
まずモノづくりの能力が落ちるし災害も増える。三菱長崎の船火災やダンロップ栃木工場火災、新日鉄名古屋での爆発などに見られるように、職場環境の悪化や人減らし、外注化が主な原因である。現場では経験がものを言う。年齢に関係なく初心者が作った製品はやはり荒い。正社員とは能力と責任感が違うのである。そもそも安い賃金で雇われ、「言われたことだけやっていれば良い」人達に責任感を求めること自体が無理な話である。
しかし、現場の外注化に加えて正社員の賃金さえも切り下げればさらに破壊的となる。「安い賃金でこき使われてまで真面目にやってられるか」となるのは必至である。昔、ウチの会社で「希望退職」という名の首切りがやられたとき、現場は猛烈に荒れた。その頃に出来た製品の品質について、作った当事者が「あれを使うのは恐い」と告白したくらいである。
それと将来賃金が上がらないことに失望した若者が会社を去っていくケースも増えるだろう。
ところで定期昇給の廃止と業績給が導入された場合、もうひとつの問題が生じる。
注目すべきことは、個人の賃金査定を巡ってゴマすりが増えると同時に、賃金を決定する権限はほぼ会社側に握られるため、労働組合の存在価値が急速に失われていくだろう、ということである。現在のようにベースアップ要求さえも抑制されれば、なおさらそれは加速する。簡単に言うと、組合に頼るよりも会社にすがる方が賃金が上がる可能性が高くなるからである。
同時に業績と賃金が連動することによって「儲かる」仕事への異動希望が増え、組合に人事の苦情を訴えるよりも社内の「コネ」が多く利用されるようになるだろう。
ただでさえ大企業の労働組合は「御用化」しているのに、組合の存在そのものが意味をなさなくなれば、間違いなく労働条件のさらなる悪化、会社側のやりたい放題になるのは目に見えている。ひいては日本の労働運動そのものの火が消えることにもなりかねない。
最後に、日本社会全体に与える影響について触れておこう。
そうでなくても高い失業率。低賃金・不安定雇用が増えている現状に若者は将来の不安を感じている。「国民生活白書」はその現状を憂いている。結婚年齢の高齢化、少子化など将来の日本を担う人達が住みにくい世の中になっている。それに輪をかけるように定昇廃止による賃下げが冷え切った景気の足を引っ張る。増税も目白押しだ。GDPの5〜6割を占める個人消費はますます落ち込み、当然企業の売上は落ちる。デフレスパイラルは解消するどころか日本経済全体が破滅への道を進むかも知れない。
「いつかきた道」は考えたくもない。昔はアジアが標的だったが、今度はアメリカと一緒になって「世界制覇」を目指すのだろうか。経済的には軍需産業と他国からの搾取をもって一部の大企業だけが潤い、国民は低賃金と重税に苦しむ。それは悪夢である。だがどこかで歯止めがかからない限りそれは現実化する。しかし私はそんな現実をただ黙って受け入れる気にはならない。
これでこのシリーズは終えることにする。
2003.12.20:
今日は親しい友達同士との忘年会。血糖値にはすこぶる悪い連チャンの酒、しかし我慢できない(笑)
メンバーの一人の自宅で乾杯を上げ、ついでに彼のPC(WinXP)のセキュリティー対策をサポート。WindowsUpdateは若干古く、かつViruScanがあるのにインストールされていない状態だった。だがISDNにもかかわらずブラスターには感染しておらず、ラッキーとしか言いようがない。
一次会が終った後、4人が酒場で二次会。一人(私ではない)が残り3人から攻め立てられるはめになった。原因はこき使われる若者が可哀相だからと仕事のミスを指摘しないことに対して、問題をあいまいにするのは良くない、上司を含めて遠慮せずにはっきり言うべきだと猛反撃したからである。
詳細についてはまた触れることがあるだろう。
2003.12.19:
職場の忘年会があった。結構飲んだから長い話はしない。
ちょっとベテランのY氏が独演会をやったのでしんどかった。悪いキャラではないが昔流のスポーツ万能、仕事もバリバリの話で、若者が入る余地がない。学歴の関係で恵まれた経歴を持たず、苦労人だったから自慢をするようなことはない。また賃下げの問題でも、本音では苦々しく思っているようだが、会社に「盾突く」ような発言は絶対にしない。要するに真面目なのである。
Y氏は来年3月に職場を去る。彼が一生懸命働いてきたことに対して、若者はどういう教訓を得るだろうか?
2003.12.17:
定期昇給廃止を考える:8
ウチの会社の場合、定昇を廃止した後の賃金制度案で試算したところ、若年層では殆ど変わらないが、やはり35歳あたりから次第に現状より減額となり、50歳を超えると最高10万円近いダウンとなることが判明した。当然社員は怒っている。会社は来年4月からの施行を予定しているが、こんなものを簡単にイエスと言えるわけがない。
問題は即刻ダウンになる中高年層だけではない。会社に将来を賭けた若者にとっても深刻である。何故ならどんなに頑張っても将来給料が増えていくという保証がなくなるからである。他人を蹴落とすようなことをやっても、絶対に「勝ち組」になれるとは限らない。もしなれなかった時のダメージはどんなものになるのか、そんな不安を抱えてまで必至に仕事をすることができるのか?
また、よしんば「勝ち組」なったとしても、いつまた「負け組」に転落するかわからない。つまり勝ち負けに関係なく、常に自分の成績・他人よりも多い賃金だけを求めようとしても、常に「これで大丈夫か」と思わねばならない不安定さが付きまとうのである。
これは人間の人生ではない。
おまけに生活が安定しなくなるので、将来の生活設計は立たなくなる。独身者ならばいつ結婚できるかわからない。結婚できても子供を育てることができる給料が貰えるかわからない。ましてやあこがれのマイホームは最初から断念せざるを得ないかも知れない。
これではいい仕事、いい家庭ができるはずがないのである。将来への展望が見えないまま毎日を暮らすことは、猛烈なストレスになるだろう。そういう子羊の集団が日本国内にあふれる状況、それは想像するだにおぞましい光景だ。
2003.12.16:
硬い話が続いているが、ここらで閑話休題。
会社最寄の駅の改装工事・新駅舎が完成した。最近流行りの橋上駅であるが、どうもデザインがワンパターンになっている。似ているのはJR芦屋、住吉、尼崎駅である。
それでも新しい設備は気持ちがいい。特にトイレは旧駅舎の強烈な臭いが消えた。
モルタル造りの旧駅舎と、廃棄されたレールを使った跨線橋は間もなく撤去され、昔の面影は消えていく。ただ、駅の南側は工場跡地を整地してバスターミナルになるが、北側にある古い商店街は変わることがない。
2003.12.15:
定期昇給廃止を考える:7
昨日の賃金モデルだが、グラフでは表わしきれない問題が存在する。すなわちラッパの出口の上と下とでどのような分布になるかである。結論的に言うと、右肩上がりはほんの僅か、残るは横這いかややプラスだけ。会社が×印を付けると右肩下がりになる。現在ウチの会社が提案しているものは、図とそっくりそのままである。
何人にも右肩上がりが保証されているわけではない。「肩書き」が付く人は数えるほどしか必要ないから、残った人たちは横這いのままダンゴ状態になる。それが何を生み出すかというと、エリートを目指しての猛烈な競争である。若者の間では既に「ゴマスリが確実に増えるだけ」と、その意図を見抜いている。会社としては競争による効果で、社員が必至になって奴隷のように働くことと、全体として賃金が減るので一石二鳥、笑いが止まらないだろう。
ここでひとつ視点を変えたい。これまでの賃金の考察は企業内で起こることのみを問題にしてきた。だが、人間の人生はそれだけではない。働くことは同時に個人の生活を支えることでもある。
そう見たとき、年功制度が崩壊し、安定しない賃金が重大な問題を引き起こすことが判ってくる。それは将来の生活設計が立たなくなることである。そこが理解できたとき、次なる問題が見えてくる。
2003.12.14:
定期昇給廃止を考える:6
さて、社会への影響ということに進む前に、一体賃金はどうなるのかということを見てみよう。まず右の図を見ていただきたい。新入社員から定年まで右上がりの線が従来の年功賃金である。それに対して財界が目論む「ラッパ型賃金」は、35歳からの賃金に幅を持たせて、右肩上がりの「エリート」と右肩下がりの「働きの悪い」連中との大きな差をつけようというモデルである。
ではどのようにしてこの差を作るのかというと、経営側の一方的査定があるだけで、極めて恣意的なものである。おまけにその時の利益に応じて賃金全体を上下させることもできると、非常に虫のいいことを考えている。
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ここまで書いたとき、突然のニュースが流れた。イラクのフセイン元大統領が拘束されたという。イギリスのブレアー首相も確認した。ティクリット近郊の地下室に隠れていたという。
今後の動きがどうなるかまだ予断を許さないが、ひとつの曲がり角に来ている。ただアメリカがどう動くのか、また日本の自衛隊の派遣がどうなるか、心配なところではある。
またテロ活動がどうなるのか、これもまた気がかりなところだ。
2003.12.13:
たまたま"9/11"というビデオを手に入れたので鑑賞した。もちろんテーマは200年9月11日、ニューヨーク飛行機テロ事件である。
ご存知の方も多いと思うが、何度もTV報道に出てきた1機目がWTCに突入した瞬間を撮影したシーン、その元ネタとなったビデオを編集したドキュメンタリーである。
撮影のいきさつもこれまた有名だが、新人消防士を追跡するつもりだったものが偶然9月11日の事件に遭遇、奇しくも題材ががらりと変わってしまったものである。
全編をじっくり見たが、当日のことがまざまざと思い出された。そのあたりの経緯は2年前の日記に書いたので細かくは繰り返さないが、オランダからイギリスへ移動する時、アムステルダムの空港トランジットで見たCNNニュースでは、まだ漠然としか私は理解できなかった。そしてイギリスに着いてから事件の全貌を見て、愕然としたのである。その後、あの消防の映画で偶然撮影された突入シーンは何度も見たし、いきさつも聞いた。
今回はそのすべてを見たが、涙というより深い溜息が出た。それはあの時とまったく同じ気持ち、すなわちもう涙も出ないというか沈んだ気持ちになったのである。
しかしこの沈んだ気持ちは再び繰り返される。アメリカがイラクを攻撃した時である。そしてこれはまだ繰り返されるのだろうか?
2003.12.12:
定期昇給廃止を考える:5
企業の利益を上げる、あるいは確保するには通常どのような方法が取られるか。ひとつは売上を上げてその絶対額を増やす方法であるが、現在のようなデフレでは、よっぽどの売れ筋商品を開発できない限りほとんど不可能である。それに競争も激しい。すると当然コストダウンが主流となる。生産規模を縮小する方法もあるのだが、それだと非常に苦しい経営を強いられ、場合によっては倒産することもある。
さて、コストを下げる方法だが、どれをどう下げるかが問題になる。コストは大別して原料や生産のための機械・建屋などの生産手段と、賃金に分類できる。その際、生産手段については新しい生産方法の導入や安い設備の購入、例えば中国製の機械を入れるなどの方法がある。だが相対的に見て生産手段のコストを下げるよりも人件費を下げる方が手っ取り早い。労働市場は常に買手市場であり、また生活水準の最低線には非常にフレキシビリティーがあるからである。
従来からも新入社員を抑制し定年退社者の補充をしない、あるいは正社員を派遣社員に置き換えるなどの手法が取られた。またサービス残業の蔓延で賃金を掠め取ることもやられてきた。だが根本的には正社員の賃金そのものを切り下げることを財界・大企業は目指したのである。旧日経連が95年頃からそういう計画を明らかにしてきている。そして去年あたりから本格的な実現を目指して動き出したのである。
最近企業の儲けを表わす指標としてのアメリカ式ROEとかROICとかを導入するところが増えてきた。従来のような経常利益では株の売買損益とかの影響を受けるため、本業での正確な利益を評価しようという動きでもあるのだが、片方で常に利益が出ない企業は評価を下げられるという側面を持っていて、これが賃下げへの大きなインパクトになっているように見受けられるのである。
つまり景気が良かろうと悪かろうと一定の利益を得るためには、賃金を変動費化してしまおうという発想なのである。そこには株主と経営陣だけが贅沢な生活を常に確保し、残った金で賃金を払えばいいという考え方がある。実際、年功賃金の廃止とともに役員報酬を上げようという会社も出てきていると聞いた。
金持ちの生活を支えるために庶民が犠牲になる、それも許しがたい話だが、社会的にも致命的な打撃を与えるのではないか、というのが私の意見である。そのあたりは次回に続く。2003.12.10:
この際だから率直に言わせて貰うが、戦後日本の歴代政権は対米従属で彩られてきたように思う。敗戦後に連合軍の代表として日本にやってきたのがアメリカであったことが不幸の始まりだが、日米安保による縛りの構造から抜け出すどころかとことんまで追随し、ついには日本人の命まで捧げるところまで来たという感じがする。恐らく自衛隊に犠牲者が出ることはほぼ確実だと言っていいだろう。
ところで日米開戦は12月8日。
小泉首相がどう思ったかは知らないが、何となく三国同盟は今の日米安保、敵に回した米英は現在のアラブ世界、といったイメージが浮かぶ。
2003.12.09:
もはや言うべき言葉がない。小泉首相の自衛隊派遣の理由である。
とにかく「国際貢献」を連発する。しかしこれはこじつけであり、イラクでの実状に反する。恐らく彼は国連安保理決議1151号を拠り所にしたいのだろうが、あれは国連が妥協の産物として米英軍の位置付けを国連活動の一部として認めただけのことであって、元からイラク戦争に反対だった仏独ロは支援を拒否した。また国連加盟の国、地域のほとんどは協力に参加していない。実態として米英を中心とした占領軍の居座りを容認しただけのことである。
安保理決議は、無条件の居座りを続けさせない歯止めとして「(イラク統治)評議会は、新憲法起草や民主選挙実施の日程を12月15日までに国連安保理に提示する
」との文言が付け加えられているが、現在のようなテロが蔓延しているイラク国内で、そのような正常化への動きはまったくない。かつ国連自身が、混乱を避けてイラクからの撤退を余儀なくされている。
そんな場所へ出て行くことが「国際貢献」にならないことは明白である。同時に小泉首相は「日米安保」を強調しているが、結局はアメリカ「だけ」への貢献だけが表に出ていることだけのことに過ぎない。おまけに憲法を不当に引用して、無理な口実を与えようとしている。
もうひとつだけ付け加えておこう。記者からの質問で自衛隊の犠牲者が出たり、日本でのテロが起こったらどうするるのかと問われて、ニューヨークテロなどで既に日本人の犠牲者が出ていることを引用した。どう考えても「犠牲がでるのはやむを得ない」と受け取れる発言である。侵略された自国を防衛する戦争ではあり得るかもしれない。しかし他国が起こした戦争のために命を失うことが不可抗力などと言える神経は尋常ではない。アメリカのためだったらそれも仕方のないこと、という論理は国民を愚弄するものである。
2003.12.08:
定期昇給廃止を考える:4
戦後の賃金制度を考えるとき、業績不振による個別企業のケースは別として、こぞって名目賃金までをも切り下げるというようなことはなかったように思う。
またベースアップ交渉で額を値切ったり、賃金に差を設けて労働者間の競争を煽ったりすることもあったが、それはあくまで合理化・生産性を上げることによる利益の拡大であって、総労務費の縮小ではない。
「日本の賃金が高い」という声が出始めたのは90年代に入っての円高の頃からだろうか。単純なレートによる欧米との比較をもって「高い」と論ずるのはおかしな話だが、考えてみると日本経済は非常に輸出比率が高いために為替レートの変動に対する影響が非常に大きいことが原因になっている。戦争直後は1ドル=360円で、日本の安い労働力が洪水のような輸出を可能にし、高度成長を遂げた。そういう時代だったから賃上げ交渉では毎年1万円を越える額の回答が当たり前だったし、年功序列の賃金は何も問題なかった。
だが、先に述べた日本の低賃金は、為替レートの問題だけでなく国内では経済の脆弱性をさらけ出す。それは個人消費の市場が非常に狭いということだ。国内の生産力の伸びに対して個人の低い購買力とはすぐに衝突する。そうなると輸出に走らざるを得ないか、あるいはバブル経済のように実態のない投機に金が注ぎ込まれてしまうのだ。
日本における生産力と購買力との衝突は戦前からあった。富国強兵と政府主導による産業振興で日本経済はあっという間に欧米列強と並んだ。しかし日本国民のあまりにも貧しい生活ではあり余る物資を消費できない。そうなると軍国主義と結びついて海外侵略への道に走ったのである。朝鮮に満州に、「八紘一宇」は日本によるアジアの経済支配のための政治の側からの旗印であった。
もちろん戦後はそんなことは不可能になった。だが矛盾が解決したわけではない。特に今回のデフレスパイラルではその矛盾が以前よりも鋭くなった。国内にはもはやバブルのネタはない。かといって集中豪雨的輸出は海外からの目が光るし、そもそもアメリカの景気も良くない。そんな八方塞の中で企業が収益を上げるにはどうすれば良いか。向けられた攻撃の矛先は賃金だった。2003.12.06:
定期昇給廃止を考える:3そもそも定期昇給とはどんなものか。右の図1にように、新入社員から定年まで、毎年'A'の分だけ賃金が上がるしくみである。個人から見ると左から順に毎年坂を上がるので、途中で退職しない方が有利になる。
会社にとっては賃金の総額は変えずに人材の確保ができる。この「賃金の総額は変わらな」というのはどういうことかというと、仮に各年齢の社員が一人とすれば定年で右端の一人が定年退職し、その穴埋めを次の年齢が行ない、その空席をまた次の年齢が埋め、最後に新入社員が2年生がそれまでいた場所を占める、ということである。
ただ、定期昇給だけだと賃金総額は増えないので社員全体の購買力は増加しない。そこで労働組合がベースアップを要求し、全年齢にわたって底上げを図るのである。
こういう定期昇給とベースアップの組み合わせが戦後日本の基本的な賃金体系であった。戦前にはこのような安定した仕組みはなく、賃金は千差万別、首切りでも何でもありだった。
ただ、財界を中心とした大企業としては定期昇給の問題として能力に関係なく長く勤めるだけでは労働意欲を高められないとして、後に昇給に一定の幅を持たせた「能力給」を導入して競争関係を持ち込んだ。だが、「能力」といっても客観的な基準は何もなく、差別的な「ペケ社員」を作る以外は年功的な運用にならざるを得なかった。それが財界にはこれまた不満だったようで、新しい「業績給」の持込みをはかり、利益に連動してボーナス額を決めるということをやりだした。こうなると年収は右肩上がりではなく、下がる年も出てくる。
この年収が下がる現象は何も最近始まったことではない。私個人の場合で言うと、10年ほど前から「サービス残業」が蔓延しだして、実質的な賃下げは行なわれていたのである。だが、賃金総額を現状維持したまま優秀な人材を確保できる定期昇給のシステムですら不満を抱き、賃下げの意欲を燃やす財界・大企業の意図は何なのか。
それは次回。
2003.12.05:
定期昇給廃止を考える:2
順序は飛んでしまうが、今日ある小企業の社長と話していてふと気付いたことがある。
よっぽどの独立系でない限り、多くの中小企業は親となる大企業の発注量に依存する。ということは安定した発注がなければ会社の存亡に関わるのだが、逆に言うと安定した発注量があれば「薄利多売」で価格を下げることができるという。要するに先行きが見えることが安定経営とコストダウンの基礎だということである。
これは個人の場合でも当てはまる。現在のウチの会社の定昇廃止案には毎年の年収が前年よりもマイナスになることも含まれているのだが、そうなると将来の生活設計は意味をなさなくなる。
それと個人の場合は企業と違って「赤字経営」は死を意味する。そうでなくても年収が安定しなければ先行きの見通しが立たない。すなわち、独身であればいつ結婚できるのかわからなくなるし、結婚していても子供を生むことに躊躇することになる。ましてやマイホームの計画は諦めざるを得ないことも考えられる。
このような収入の不安定がどういう結果を生み出すか、そのことはまた後で触れる。
2003.12.04:
定期昇給廃止を考える:1
最近色々考えていたが、どうしても整理しておきたいことを書くことにした。テーマはタイトルの通り大企業がこぞってやろうとしている定期昇給廃止の動きである。もちろんウチの会社も非常にドラスティックな提案を出してきた。
戦後、雇用形態としての終身雇用と定期昇給はセットとして実施されてきた。目的は安くて若い労働力をその企業に囲い込み、引き抜きを防ぐためである。しかし最近になって急に財界主導で定昇廃止が大企業で始まった。きっかけはデフレスパイラルで企業収益が急速に悪化したためだが、本当は一時的な対策だけでなく、恒久的な賃下げが最終目的だといっていいだろう。
そのあたりを解明してみたい。詳論は明日以降に書く。
2003.12.02:
昨日書き忘れたこと。
ADSL8Mから1.5Mに戻した。そしたらまた元通り1.08Mくらいの実効速度になった。結論的には、メタル線の距離3800mで48dBの損失では1.5Mしか使えず、あとは光またはCATVしか期待できないということだ。
低周波技術で設計された設備に高周波を流すことの限界と言えよう。
2003.12.01:
今年もまた12月がやってきた。残る2003年もひと月を切り、やがて慌しい年末になろうとしている。
私の仕事は年末とは関係ないのだが、それでも暮れ正月の休みがからんで、納期に注意が必要となる。特に海外とのやりとりでは、クリスマスから年明けまでの1週間は何も期待できない。
今日からJR西日本の近郊線ダイヤ改正。TVでは地上デジタル波放送が始まった。しかしハイビジョン受像機を持っていない私にはデジタル放送は何のメリットもない。