悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
06.07
2006.07.31
ハリー・ポッターの6作目、もうすぐ終わりを迎えるが、最終盤になって度肝を抜かれる展開が待っていた。何とダンブルドア校長がスネイプに殺されるのである。
ダブルスパイの役割をしていたスネイプを、校長は知りつつも最後まで信頼していたが、見事に裏切られたのである。ハリーは最初から疑問を持っていたのだが、それは見事に的中した。
作者はここらあたりの人間の性格についてどのような構想を持っていたのかはわからないが、勧善懲悪を正面に出す欧米の童話に比べて、やや複雑な人間の描き方には少し考えさせられてしまう。子供たちはダンブルドアやスネイプの性格をどう捉えるのだろうか?
2006.07.30
今日は実家の電気・ガス・水道などのユーティリティーをすべて停止し、同時に仏壇の魂抜き、位牌の移動を行った。これで実家のすべての活動は停止、主のいない無人の家が残ったのである。
残るは49日法要と納骨。それまでまだ心の緊張は続く。しかしその後がどうなるか、私も予測はできない。
2006.07.29
アメリカ産牛肉の輸入再開を政府が決めたようだが、私としては買う気にならない。
個人的にはアメリカ産「豚肉」を買ってはいる。しかしBSE問題で不安が解消されない限り、「牛肉」を口にすることには大きな抵抗がある。
そもそもBSE問題が発覚し、何らかの解決策が取られることを期待したのに、再び脳・脊髄の混入が行われた。このことはアメリカ側が本気で問題の解決をする気があるのか、またそういう体制がとられるのかが問われていたのである。ところが話は単なる輸出業者や検査官の精神論にすりかえられた。加えて「あまりうるさいことを言うな」と要求するに及んでは、いかに日本政府が屁理屈をこねようともアメリカ産牛肉を信頼できる条件はまったくない。
2006.07.28
梅雨明け宣言はまだないものの、実質的には終わったようで、今朝から雲ひとつない状態が続いている。
天気予報では雷雨の可能性も示唆されていたが、夕方になってもその気配はなかった。
今年の梅雨明けは非常に遅かったが、その分暑さが盆を過ぎても続くかどうか、気になるところである。というのも我が家には金銭的余裕がないためにエアコンがなく、中国製の安物扇風機が必死で活躍中だからである。
2006.07.25
いよいよ梅雨明けのようだ。先日からアブラゼミのけたたましい鳴き声が朝から聞こえるようになった。
本格的な夏を迎えるが、エアコンはまだなく、扇風機を買ったものの息子に独占されて私は滝のような汗をかく。
考えれば、私が若い頃はまだエアコンがそれほど普及しておらず、会社の独身寮で窓を開けたまま、枕元にタオルを置いて寝たものだった。その経験があるから多少の我慢は出来る。
だが、暑さは我慢できても、貧富の格差は我慢できない。OECDの調査では、日本の貧富の格差はアメリカについで第2位。
マスコミでもてはやされている裏で違法行為をしてまで金儲けに走る輩もいれば、自分の地位を利用してそのあぶく銭の一部を受け取る者もいる。一方で増税や福祉にかかる自己負担を増やされて苦しむお年寄りがいる。北九州市では生活困窮の相談に来た来訪者に生活保護の申請書すら渡さなかったという話も聞こえてくる。
弱者に対する思いやりが社会から消えた時から、強者は自らが弱者に転落した時の恐怖におびえ、逆に安穏とした生活ができなくなるという。
2006.07.23
葬儀費用の精算を終えたら、ン百万円が現金・貯金として手元に残った。今の老人の一人暮らしで、年金だけで生活できるような額は貰えない。しかしそれが可能だったのは、持ち家で家賃が不要だったこと、野菜類の一部は廃校となった小学校の花壇を利用した菜園からの収穫があったことだろう。
遺産管理は私に任された。相続税が課税されるようなレベルではないから、着服できるはずもなく、また不正な行為をやる気にもならない。唯一の問題は先日も書いた不動産で、分割できる性質のものではないから、親族の一人に一本化することになるだろう。だから他の相続人が相続権を放棄する旨の書面を作って、相続・所有権移転の手続きを行うことになる。
2006.07.21
昭和天皇がA級戦犯の靖国合祀を嫌っていたということが明らかになった。これは、口先ではあくまで参拝に固執してはいるが、小泉首相にかなりの打撃を与えたであろうことは疑いがない。
そもそも合祀を決定した瞬間から、批判を浴びることは必然だった。そのことは昭和天皇の目には明らかだったからこそ、不快感を覚えたのである。
それにしても、昭和天皇の発言には一種の疑問を感じる。
というのもA級戦犯をのさばらせた責任は誰にあるのか、それは明らかに彼自身だからである。それを他人事のように言うのは問題がありはしないか。彼は「大元帥」として好戦主義者を排除できる立場にあった。なのに御前会議で戦争の最終決断をしたのである。それをブレーン達に転嫁することはできない。
ところが靖国問題ではそのことは完全に頬かむりされている。こんな不合理はないだろう。
アジアからの批判を待つまでもなく、国民からの批判も彼は想像できただろう。ところが天皇は自分自身の責任逃れの立場でのみしか発言していないように思える。もし本気でA急戦犯の問題を考えるならば、自らの責任にまで言及すべきであろう。
2006.07.18
葬儀も終え、遺品の整理や各種手続きを始めた。いちばんうっとおしいのは預貯金と家の処分である。
母は一人暮らしだったために、同居人が在宅のまま気が向いたときに外へ出掛けるということができない。一週間程度は子供たちが寝泊りしてやれるが、各自帰宅後以降はいちばん近距離にいる私が主役にならざるを得ない。
手続きの中で最もうざいのが土地・家屋の相続と登記。狭い土地だし家屋はボロで価値はゼロに等しいから相続税はかからないと見てよいだろう。むしろ所有権移転登記の手数料の方がバカにならない気がする。
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さて、母の臨終や葬儀ではわずかな涙しか出なかった。父や兄での経験がそうさせたのだろう。遺骨を拾った際もその体がいたく小さいことに気付いただけで、何の感慨もなかった。
むしろ今日あたり、好き勝手なことを話せる相手がいなくなったことの方に寂しさを感じる。そんな中、遺品の中から家計簿と旅行日記を見つけた。わずかな年金でつましい生活の一端を物語るものだ。幸いにして自宅は持ち家だったから家賃負担はない。また父が農地を借りて野菜作りをやり、母も学校の花壇を改造したわずかな場所で野菜を植えていたから、食費は節約できていた。
私が興味を持ったのはむしろ旅行日記である。近いうちにメモ書きしたものを整理しようと思う。
2006.07.15
昨夜、母が他界した。享年満85歳、波乱に満ちた生涯だった。
その物語は1冊の本になり得ると思う。しかも人生の末期には世のため人のために役立ちたいと一生懸命努力した。
と同時に、それは私を含む子供たちにも大きな影響を与えた。特に物事に対して「事実をありのままに見る」という観点は、私のこのホームページを作る上で、受け継がれてきた。
彼女が死んだ今、もはや家族としてのコミュニケーションならびにそこから受け継ぐべき教訓の源泉は絶たれた。だが、十分とはいえなくとも、私が得たものは決して少なくない。
私がいつも思うのは、世代から世代へ伝えられる人間としてのやさしさとたくましさである。それはWilliam
Saroyanの小説Human Comedyに出てくる"Love is
immortal"という言葉に集約されている。ひとりの人間の人生には限界がある。だが人類全体として見れば、それは人類が持つ属性として保たれる。
私が感じたこととは別として、息子には臨終の席に立ち合わせ、人の生死の違いを実感させた。それをどう解釈するか、それは息子自身の問題である。幸いにして彼は事実から目をそらさずに一部始終を目撃した。後は骨拾いを経験するだけである。
母は兄弟姉妹の中での最後の生き残りだった。私はこれで両親ならびにその先達たちすべてを亡くした。ということは、これから私を含む世代が次の世代へ何かを伝える役割を負うこというになる。
悲しみは葬儀によってけりをつけ、自らの人生を次の世代へ引き継ぐ作業の第一歩とすべき時が来た。
2006.07.11
今日、驚く話があった。実家の母の命はこの先長くないという。
詳細な検査の結果、脳が腫れ上がっており、もはや回復はあり得ないらしい。決定的宣告である。
家族は覚悟を決めなければならない。
2006.07.10
実家の母が倒れた。脳梗塞である。
隣人がTVの音が急に大きくなったのに気づいて見に行ったら、仰向けに倒れていたという。救急車を呼んで即入院。最初はぐったりしていたそうだが、私が駆けつけたときは朦朧としながらも時々目をきょろきょろさせて、何やら言葉にならないことを喋ろうとしていた。従って回復の方向にはあるとのこと。ただ右の手足の動きが悪いらしい。
リハビリで元通りに回復できればいいが・・・
2006.07.08
昨日のバリウム、やっと今日本隊が出てきて無事問題は解決した。
さて、6月12日の日記で書いたW杯のドイツ戦について、ラジオでこんな話を聞いた。
話題の主は元プロテニスプレイヤーの沢松奈生子さん。彼女は小学校の時に両親とともにデュッセルドルフに滞在していたから、当時のドイツ戦の雰囲気を覚えていて、やはり私と同じような感想を語っていた。ドイツ国民はこぞってTVにかじりつき、ドイツチームが得点した瞬間に雄たけびが町中に響くというシーンは、他国民、特に日本人にとっては今まで聴いたことのない音なのだ。そしてそのインパクトは時間が経っても耳から離れないのである。
2006.07.07
今日は七夕だが、笹飾りとはもはや縁がなくなった。
それよりも、私の現実は便秘との戦いだ。というのも、今日は年に一度の健康診断でバリウムを飲んだからである。
時として気分は悪くなるし、何よりもバリウムが早く排出されないからだ。バリウムが腸の中で長期間残ると固まってしまい、最悪のケースは手術だから、気にはなる。私の場合、最高は確か4日間滞留で、出たときは肛門に激痛が走った。
今夜はアルコール、下剤、大量の水、のコンビネーションで必死になってバリウムを駆逐するつもりである。
2006.07.05
遂に北朝鮮はミサイルを発射した。
稚拙な技術だからまともに飛ぶわけがない。それは百も承知なのだろう。だがその影響は彼らにとってはるかに大きなマイナスになる。
日本だけでなく、国際的な批判は免れない。そのことはわかっているだろうが止められない、まるで子供である。この程度の指導者しかいないこの現実、明らかに戦後の北朝鮮の歴史が生んだ結果である。その中でのキム・イルソンの責任は重く、彼は最悪の指導者として名を残すだろう。もちろんキム・ジョンイルも同罪である。
さて、アメリカはどう出るか、私はいきなりの軍事行動はしないと思っている。アメリカにとって北朝鮮を殲滅するのはたやすい。だがこれ以上戦線を拡大するのは金がかかりすぎるからだ。今は国連に下駄を預けるだろう。
ともあれ、日本が経済制裁を加えるのは当然の成り行きだ。
2006.07.02
梅雨空の下で不安定な天気にはうんざりする。
今朝は突然の風雨、そして午後には晴れ間が見える天気となれば、傘の居所はなく、邪魔者扱いとなる。
最近ラジオを聴く機会が増えた。夕食を作りながらテレビを見ることはほぼ不可能だからだ。そんな中、NHK第一の朝のニュースの後の経済情報に注目している。特に内橋克人氏のコメントにはいつも感心させられる。彼は今の日本経済を常に批判的立場から述べるからだ。
その昔、元経済企画庁長官の故高原須美子氏が「主婦も財テクをすべきだ」みたいなことをあちこちで語っていたことの対極として、彼はいつも日本経済が持っている弱点を警告し続けている。
NHKが彼を起用する根拠は不明だが、「勝ち組バンザイ」を叫ぶ日経のような論調を諌める立場はぜひ必要だ。
2006.07.01
いつの間にか半年が過ぎた。もう7月である。
それはともかく、北朝鮮といい、日本といい、世界で孤立を深める国の存在には呆れるほかない。もっとも日本は自分が住んでいる国だから何とかしないといけないのだが。
北朝鮮はミサイル発射をちらつかせた「瀬戸際外交」に相変わらず固執するし、拉致問題での「やらせ」にはうんざりする。彼ら支配層は国際感覚ゼロと判断するしかない。
一方で訪米した小泉首相は、これまた国際感覚はない。というかアメリカにべったり従属して「世界の中の日米同盟」を打ち出す感覚は、靖国参拝と並んで、日本の国際的立場を危うくするもの以外の何ものでもない。
これは私の怒りでもある。もし憲法改悪、それに先立つ教育基本法の改悪が成立したら、私の息子は戦争に駆り出されるかもしれない。これは決して思い過ごしではない。彼はイラク戦争を想定させるゲームを買ってきた。こういう土台の上で「愛国心」を植えつけられ、「国際貢献」をマスコミから垂れ流されたらたまったものではない。
「戦争に送り出すために子供を育てたのではない」、それは私の実感である。それを阻止するために、私は死に物狂いで闘うだろう。