悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
07.07
2007.07.31:
とうとう7月も終わりになった。
そろそろ雲ひとつない青空が広がるようになった。関東あたりではまだ雷雲が発生することもあるようだが、神戸では昨日あたりから安定してきた。しかし晴れはいいのだが、朝の出勤で駅から会社まで歩くと猛烈な汗でグッタリする。よってここ当分はバスを利用することにした。
ところで今日は梅雨明けから1週間になる。山歩きをする人ならご存知だと思うが、「梅雨明け十日」という言葉どおり天気は安定する。まさに今頃だ。播隆上人もこの時期に槍ヶ岳の初登頂に成功したといわれる。地元の人達から天候を聞いたのだろう。
これからお盆までの約2週間、暑さのピークが続く。
2007.07.30:
参議院選挙が終わり、自公与党の大敗になった。
以前にも書いたとおり、安倍政権は負けるべくして負けた。世論の動向を無視して危険な自論をゴリ押しすることに、国民ははっきり「ノー」を突きつけたのである。
このような結果なのだが、彼はまだ政権にしがみついている。しかもその厚かましさを諌める勢力もいない現状では、自公政権にはもはや未来は無い。解決の出口は180度の方針転換をするか、衆議院の解散総選挙で決着をするしかないと思うのだが。
さて、今後どうなるかの話だが、当面は躍進した民主党の動きに注目しよう。というのも彼らの政策がどこまで現在の与党に対抗して国民の声に耳を傾けるかが重要なポイントになると思うからである。はっきり言って、民主党には自民党と似た体質があり、手放しでは喜べない。とはいえ、今の時点で100%断定的にものを言うのには証拠が不十分。
当面は年金問題などを解決する必要があるが、同時に衆参両院の「ねじれ現象」はなるべく早く解決して、民意を反映した国会にすべきだろう。
2007.07.28:
土日には絶対出勤しないことを信条にしている私だったが、長い夏休みの敵討ちとして出勤日となっている今日は渋々出ざるを得なかった。
来週火曜が提出期限の書類の準備が間に合わなくなったためである。
普段より電話は少ない。何よりも結構休む人が多くて、「のぞみシステム」の「お助けコール」もなかった。余談だが上流システムでのトラブルが私のところへ回ってくることも少なくない。先日も私と同い年のユーザーが助けを求めてきた。情けない声が電話で響いたのだが、彼の一言で笑ってしまった。「苦しい時のkmakow頼み」。
2007.07.26:
柏崎でのライフライン復旧、電気と水道は終了直前だが、ガスがままならないようだ。管内に大量の水が入っていてはどうにもならない。
そこで私の勝手なアイデアだが、水抜きと検査で時間を潰すよりも、いっそのこと新しいガス管を引きなおすのが早いのではないだろうか。材料は柏崎のような地方都市のレベルなら調達は何とかなるはず。慎重に検査しながら進むよりも人件費はずっと少なくなると思う。一度試算してはどうだろうか。
2007.07.25:
PCの音はここ最近ヘッドフォンで聞いていたのを、気が変わって古いスピーカーを取り出したまでは良かったが、PC側のプラグの根本で断線しかかっていて、ガリガリ雑音が激しくとても使えないことがわかった。
仕方が無いので千円以下の安物スピーカーを買ってきて替えた。どうも最近つまらいない出費が続く。
サーバーのコーナーにも書いたが、遂に古いFMVは廃却となり、リサイクルに回す。しかしこれも2000年モデル故に廃棄費用がかかる。オークションで売りに出すことも考えたが、荷造りも面倒なのでやめた。ちなみにメーカーを通じてのリサイクル処分では、ゴミ袋を何枚か重ねたもので包んで郵便局に持ち込んでも引き取ってくれる。
2007.07.24:
梅雨明けにこだわるようだが、今日やっと近畿に梅雨明け宣言が出た。本当のところは前線が弱っているだけで、太平洋高気圧の力は弱い。よって湿度は低く、朝夕は涼しいし湿度は低い。何となくヨーロッパの夏を思わせる。
どこかで書いたように思うが、ヨーロッパは湿度が低いのでエアコンは基本的に無い。もっともパリの映画館などには特別にエアコンが入っているので、玄関には"SALLE
CLIMATISEE"(エアコンきいてます)という看板が立っている。民家とか病院にはなく、猛暑の時には老齢者を中心に熱射病による死者が出る。今年もすでに犠牲者が出たはずだ。
我が家もまだエアコンは無し。柏崎あたりの避難所でももちろん無し。
子供の頃、夏休みにはうちわであおぎながら「三矢サイダー」を飲んだ。
エアコンがなかった時代を生きてきた世代は私達が最後だろう。
2007.07.23:
今日も梅雨明け宣言はなし。晴天で強い太陽の光が見える限りにおいては夏空になったと思える。しかし太平洋高気圧が弱く、湿度が低い、すなわちカラッとした感じである。でも明日には期待できそうだ。
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さて、遺産相続の話で今日司法書士と連絡を取った。両親の除籍謄本など必要な書類をこれから集め、盆休み前に事務所に出向くことになろう。幸い法定相続人はすべて健全だし、しかも司法書士の事務所は実家の近く。
相続で一番困るのは相続人の所在が不明になるケース。相続手続きを3〜4代にわたって放置すると誰がどれだけの相続権を持つのかわからなくなり、しかも親族がバラバラになって連絡も取れない話は良く聞く。田舎の田畑で両親が亡くなり、発覚することが多い。面倒だが相続手続きは早めのほうがいい。
2007.07.21:
九州南部は梅雨明けしたものの、近畿を含む他の地域はまだ梅雨空が続いている。特に新潟の被災地では、土砂崩れの危険があるところで避難指示が出たりと、まだ夏空の見える季節にはなっていない。とはいえ、家の近所ではセミの鳴き声が聞こえてきている。
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選挙前から問題になっていた年金の記録の不備、私のように入社以来長期間勤続していても記録が抜けている例があると聞いた。
但し問題は本人ではなく、奥さんが被害を受けるというケースである。
例えば転勤をした場合、本人は会社から社会保険庁に管轄の地域が変わる話が届けられる。ところがいわゆる「3号保険者」、すなわち保険金は払っていないがその期間年金に加入しているとみなされる奥さんの所轄変更申請は会社から出ていない可能性があるという。というのも奥さんに関する届出義務は法的にも、また会社のルールとしても義務化されていないからである。
もうひとつのケースは、これも「3号保険者」がらみだが、奥さんが働きに出、その後再び離職して「3号保険者」に戻った場合も、奥さんの就職先できちんと厚生年金に加入しているかどうか、また「3号保険者」に戻る手続きをされたかどうかは保証の限りではないというのである。
いずれも年金加入の申請が本人から無い限り記録されないという、自己申告制になっているためである。
社会保険庁が年金記録にルーズである背景には、この申告制が災いしているように思える。「年金が欲しけりゃ証拠を自分で持って来い」という方針がすべての問題の根源にある。
2007.07.20:
昨日書いた私の指摘が裏付けられるような話が出ている。
全国の原発でも柏崎と同様のレベルでしか防火・消火対策が取られていなかったのである。自前の消防車すらないというのには開いた口がふさがらない。
実はこの消火体制の不備が、北朝鮮の核開発問題で名前が出てくるIAEA(国際原子力機関)から指摘されていた。しかしそのことは無視されていたのである。
「安全神話」の悪影響が国内の原発に蔓延している典型といえるだろう。毎日新聞の取材で、北海道電力は「原発は十分な耐震性が確保されていることが前提で、地震による大きなトラブルや事故は発生しないことになっている」と答えている。このことが示すように、原発での重大事故が発生することもありうるということを前提にすると、周辺住民から原発立地の合意が得られないので、意図的に問題に触れないようにするために「安全神話」が作り出されているということになる。
「安全神話」を作り出した責任は国と電力会社双方にある。この作り話によって原発建設を加速させ、国内電力の3割にまで電力供給を膨らませておいて、安全性に疑問を投げかける議論を押さえ込もうとした。しかし一方で今回のような事故が起こると、逆にシェアの大きさが裏目に出るのである。
「安全神話」はこの際全面放棄し、徹底した安全対策を取るべきだ。原発の廃止にまで議論が進むかどうかはこれからの話としても、当面の緊急課題は耐震性を高め、事故に対する万全の体制を備えることにある。
2007.07.19:
柏崎原発の問題は、現在の原発のあり方に大きな問題を投げかけていると思う。
以前にも書いたが、「安全神話」があらゆる面で最大の障害になっている。
地震の加速度が設計の想定より2倍以上のものがあったことなど、なるべく大袈裟にしたくないという意図が裏に見える。
微量ながらも放射能が一部空気中に出たし、水にも含まれたことも、「想定外」になっている現実が現れている。それと変圧器の火事など、周辺設備の耐震性がそもそも軽視されているとしか考えられない。耐震性のレベルが原子炉以外の設備と全く同一になっているようだ。しかし万が一のことを考えたら、「たいした影響のない機器」という観点は許されないだろう。
変圧器の場合、
−油が外へ漏れないようにする
−変圧器のそばで火花が飛ばないようにする
−もし火が点いたら、すぐに消火できるよう放水ノズルを設置し、すぐに動作させる
−消火体制を構築する
これだけのことが必要なのだが、いずれの条件もすり抜けて長時間にわたって火災が続いたのである。
テレビでの映像を見た瞬間、電気が専門の私には瞬間にして変圧器の火事とわかった。また、そばの建屋は原子炉ではなく、電気関係だとも判断できたが、何故変圧器がああも激しく燃えたのか不思議でならなかった。だが、報道されている原因を聞いていると、原発内の設備とは思えない対策しか取られていなかったことに非常に驚いたのである。
2007.07.17:
地震による死者はやはり増えている・・・残念なことだ。
私が関わっている仕事で、柏崎に工場を持つ会社が被害を受けた。ここは3年前の中部地震でも被害があり、ダブルパンチ。当たり前だが、今日は社員が半分しか出社できなかったそうだ。加えて設備もやられているだろうから、今発注しているものの納期はまず守れないだろう。
もちろんこういう場合は「不可抗力」が適用され、損害賠償は免れるが、我々の会社もあおりを食うので頭が痛い。
2007.07.16:
新潟県中越沖地震が起きた。北陸で大きな地震が続くのは、プレート境界にたまったエネルギーが限界になって放出されることと繋がっているようだ。我々は大変な時代に生きている。
今夜の時点で7名が亡くなられたとの報道。犠牲者は古い家に住む老人ばかり。過疎地の問題を象徴している。天災は避けられないが、犠牲者は減らせる。今回の場合は地震対策と過疎地問題が同時に解決できるチャンスではないのか。
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昨日の一周忌法要、朝には風が吹きながら晴れ間も見えて、時間に間に合うことができた。
そしてこの機会に親族と相談し、残されたささやかな土地・家屋を甥のひとりの名義に集約することを決めた。もちろん相続手続きや司法書士との打ち合わせは、「遺産管理係」である私が走り回ることになる。
2007.07.14:
どうやら台風は近畿南部をかすめて通過しそうだ。しかし陸地にぶつかっていなので暴風域が小さくならず、自宅あたりは明日明け方に域内に入りそうだ。
実は明日、母の一周忌法要がある。もし電車が動かなければ延期かも。
2007.07.13:
台風が近づいている。どうやら3連休に近畿に近づきそうだ。
梅雨末期で雨量が多いところへ台風が突っ込むと大変まずいことになる。どうか大きな被害が出ませんように。
2007.07.12:
選挙戦に入った。
最大の焦点は年金問題だが、そのほかにも政治資金や憲法、消費税アップの是非も問われる。
マスコミは「政権交代」にばかり目を向けるが、真の争点は個々の政策、そして誰が大多数の国民のために働いてくれるかだろう。
2007.07.11:
梅雨前線の停滞で雨の日が続く。いよいよ終盤か。
だが一部の地域ではこんな呑気なことを言っている場合ではない。熊本や宮崎では被害が出ている。時間当たりの雨量が50ミリを超えるようになっては地盤や河川がもたない。
セミの声を聞いたとの話もあるが、何はともあれ適量の雨が降って、その後に青空が広がる季節に換わって欲しい。梅雨の終わりを告げる祇園祭はもうすぐだ。
2007.07.09:
「内部統制」の文書化で、私が担当している部分のささやかな一次原稿が完成した。
通常業務のどこにどんなミスや不正が発生しうるか、またそれをどのように防いでいるかをリストアップするのだが、やっていてこれがどの程度役に立つのか、疑問を感じることがしばしばある。
「談合」などの場合、一担当者が不正行為を働いてできるものではない。マスコミを賑わせている例でもわかるとおり、「官製談合」の色彩が強いケースがほとんどで、それらは会社幹部が関与しなければ成立はしないものばかりである。
だから「内部統制」とか「コンプライアンス」(法令順守)と口やかましく言われても、冷ややかな目で見るしかない。いくら文書を作っても効果があるとは思えない。
2007.07.08:
安倍首相はどうやら選挙に負けたいと考えているようだ。
今度も赤城農水相をかばう姿勢だ。国会運営といい、閣僚の政治資金問題、自殺、原爆に関する問題発言、そして従軍慰安婦、いずれも批判に耳を傾けず、一種の居直りに終始している。
それに加えて、消費税問題では内容をあいまいにしたまま、「上げないとは言っていない」などという庶民の気持ちを逆なでする発言をして平然としている神経には、もはや次の言葉が出ない。
彼は国民の動向について、感覚が麻痺しているようだ。これでは選挙に勝てるわけがない。もっとも、勝ってもらっては国民が困る。
2007.07.07:
大手企業の株主総会のピークが去ったが、最近の株価の動きや決算を見ているとこれでいいのかという感じがする。
報道でも見られるように、投資ファンドが企業の支配を強めているように見える。だが、これだけでなく、今の日本企業に押し寄せる大きな流れ、すなわち短期的な利益重視、わけても株主配当が急激に増えていることには問題がある。
以前は日本企業の内部留保の高さが問題になった。貸倒引当金などを不当に膨らませて利益を蓄積し、株主配当や賃金へ回すことを渋っていた。それが国際会計基準などを通じて不透明な内部留保ができなくなると同時に、欧米並みの配当を求められるようになった。そして最近は外資系の投資ファンドが殴りこみ、今の企業買収をめぐる攻防が目立つようになったのである。
株主配当が増えることは一見不自然には見えない。だが、とにかく目の前の利益追求をすることが問題を生み出している。
ひとつは資本準備金のような必要な内部留保まで取り崩して配当に回すこと。例えばソフトバンクやグッドウィルグループなどは、配当の原資となる最終的な利益剰余金が連結でマイナスなのに配当をやっている。これでは、企業が人材を雇ったり新たな設備投資、開発費などにかける費用を圧縮することになり、企業は弱くなる。
もうひとつは猛烈な利益追求の中で、性急なコストダウンを強いられることで品質が低下すること、業績給になってから人件費が抑制され、企業の利益が上がっても賃金は増えないことが起こっている。株価が上がっても配当のおこぼれにあずかる庶民はほとんどいない。よって「勝ち組」ばかりが利益の山分けを喜ぶだけで、経済の底辺を支える庶民は疲れ果て、ひいては技術力も低下する状態になりつつあるのである。
目先の利益を追うがあまり、足元を掘り崩している日本の企業のありかたが問われている。
2007.07.05:
通常国会が終わり、政局は選挙モードに移る。
安倍首相は国会での「実績」を自慢しているようだが、これまでの経緯から考えてあまりにひどい内容だったと判断せざるを得ない。
何故なら、各種の世論調査では内閣支持率が30%を切っているような状態だからである。例えば年金問題に対する国民の不満は、法律が通ったかどうかに関係なく、本当に解決するかどうか国民がどう見ているかによって決まる。
2007.07.04:
久間防衛大臣の辞任問題、辞任で済まされる問題ではない。彼の言い分は「選挙に響くから」というものではあっても、原爆投下を「しょうがない」とする見解について謝罪をしたものでもなければ、誤りを認めたものでもない。
被爆者をはじめとする多くの国民は「しょうがない」を批判する。いかなる理由があろうと、核兵器を使っても良いという論理は許しがたい。アメリカ政府を中心に「戦争を早く終結させるため」とか「ソ連の進出を防ぎ、ドイツのように国が分裂するのを防いだ」とかいう論調が一部にあるが、真の理由は「俺たちは核兵器を持っているぞ」という示威行為でしかなかったことは既に明らかになっている。
そうでなくても被爆者はむごい人生を強いられた。被爆直後に死亡した人達は犬死をさせられ、生き残った人達も死の恐怖と背中合わせになった。
被爆によってDNAはズタズタに切断され、ちぎれた遺伝子の一部が他の染色体と入れ替わる(フィラデルフィア染色体)ことまで起こった。そして常に白血病などによる死の恐怖と毎日闘わされることになったのである。今も生き残る被爆者にとっては、いわば戦後60年以上にわたって毎日背中に銃口を突きつけられた状態のまま生きているのである。こんな残酷な人生はあるまい。
何人にもこのような人生を強いる権利はない。だから核兵器は廃絶する他に選択肢はないのである。より多くの死者を増やさないなどという比較で論ずるものでもない。だいいち被爆による犠牲者よりも多いという試算に根拠があるとは思えない。
ところで小池新大臣のことだが、彼女も安倍首相に負けず劣らずの「靖国派」である。安倍内閣の顔ぶれについて「論功行賞人事」ということをマスコミは強調するが、本質は「靖国派」といわれるように、戦前の政治体制を復活させようという思想の最右翼の集団である。
2007.07.02:
マスコミではあまり大きな扱いではなかったが、自衛隊が一般国民に対する諜報活動を行っていたという。
警察の場合でも、犯罪に結びつく捜査以外の活動は禁止されている。ところが自衛隊は、自分たちが「敵」とみなした人達、特にイラク戦争反対をとなえる人達を尾行したり、その動きを逐一つかんで、報告書を作っていたのである。明らかに戦前の憲兵と同じだ。
自分たちが気に入らないからといって、憲法に定められた人権を無視し、監視する活動は警察であろうと、自衛隊であろうと許されない。民主主義の下の個人は、束縛を受けない自由な人間がその思想信条に基づいた自由な行動を享受すべきものである。軍隊の干渉などもってのほかだ。
2007.07.01:
いつの間にか一年の半分が過ぎた。
ここしばらくは曇り空の多い、じめじめした梅雨独特の天気が続いている。
史上最悪の国会はほぼ終了し、街は選挙を控えた宣伝カーが行き交う。最近はがんじがらめの制限選挙にししまっているので、選挙期間中よりもにぎやかだ。街角には候補者用看板も設置された。ただ、投票日の日付は出来上がった看板に29日と訂正された紙が貼られている。出来上がった看板をボツにするのはもったいないので、そうしたようだ。
だが、その張り紙こそが今国会の異様な運営を如実に物語っている。