悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
2007.04.30:
連休3日目、掃除、洗濯や食料品の買出しはあらかた終わったので、今日は小間物を買いに出かけた。
それにしても外へ出ると暑い。急に1ヶ月は進んだ感じがした。
さて、買い物以外ではサーバー機の掃除。最近動きが非常に悪くなった。それもBIOSから遅い。ということはマザーボード関連が怪しい。そこで内部のほこりを飛ばして大掃除したら、少しは回復した。それでも購入後7年目だからそろそろ寿命か。いずれにせよ、近日中に買い替えの予定だ。ただ、予算が・・・
2007.04.28:
今日から9連休である。世間の大半は分割の連休だと思うが、大企業ゆえに大型連休となった。
9連休といってもどこかに出かける予定はない。せいぜい明日の夜に息子と外食しようということを決めただけである。
2007.04.27:
今日、戦後保障を求める二つの裁判があったが、いずれも原告の敗訴。しかも被害者が補償を求める権利すら認めないという、ちょっと首をかしげる論理には疑問を抱かざるを得ない。
確かに政府間では国交回復と同時に賠償は放棄することで合意した。だか個人レベルでは数々の苦労をさせられ、その結果人並み以上の犠牲を受けたことに「日本政府としてなんとかして欲しい」との気持ちを持ったのは当然ではなかろうか。
被害者すべてに何らかの補償をすることは困難かもしれない。だが彼らが切羽詰った思いで裁判に訴える背景には何があるのか、そこのところを考える必要がある。
私が考えるには、こういう裁判に至った原因として、政府が戦争責任を認めないこと、ならびに心からの謝罪を行わないことにあると見ている。
歴代の首相が先の戦争を侵略戦争と明確に認めないことは以前にも書いた。加えて昭和天皇は「大元帥」としての自らの戦争責任を口にすることはなかった。明治憲法は明らかに天皇が国の頂点にあったのだから、個人的な見解には関わりなくその結果責任は免れ得ない。だからその下にあって戦争を推進した政府も責任を持つことは明白だ。それをうやむやにしたアジア諸国との国交回復は厳密な意味での決着ではない。
しかも謝罪もしない。河野談話も不十分だと私は思うのだが、それさえ否定する首相の感覚は、慰安婦や強制連行された人達にとって「それはないだろう」と怒るに十分な条件を満たしている。
謝罪どころか9条の精神を憲法から抹殺しようという動きは、アジアの諸国民の疑いの目を払拭できないばかりか、日本国民の平和の願いを踏みにじるものである。
裁判の種は尽きることはない。三権分立のひとつの極にある裁判所はこの事実から逃げるべきではない。
2007.04.26:
そろそろベテランの域に入ろうというD君、海外出張は初めてでもないのにホテルで盗難事件に遭った。
出発前に朝食で部屋を空けたわずかの時間に、テーブルに置いたパスポート、カード、現金の入ったケースを盗まれた。ちょっとした隙をつかれたのである。
ここで感じた彼の問題点。
1.貴重品は一瞬たりとも手元から離してはいけない
2.パスポートと金品を一緒に入れてはならない
本人も自覚しているようで、「高くついたけど、いい授業料になった」と語っている。
2007.04.24:
今日全国一斉の学力テストが行われたが、今の文部行政は問題を少しも理解していない気がする。
1回のテストで何かがわかると思ったら間違いだし、その結果の公表がもたらす学校間格差の拡大の懸念にはまともに答えられないのでは、どうしようもない。加えて現在の日本の子供たちの学力低下の原因が学力テストでわかるわけもない。学校の現場の声を聞かずして、何がテストか。
今日の日本の教育レベルは世界の中でもきわめて高い。
私がアフリカの某国にいた時の経験で、5−7の答を書けた人間はほとんどいなかった。息子は、答えられない人間が存在することに驚いていた。
だが、それに反して学力の低下が問題になるのは何故かということを真剣に考えるならば、学力テストが何の役にも立たないことは容易にわかるはずだ。だが、いじめの問題をはじめ、従来の文部行政はことごとく国民や現場教師の声を聞かず、逆に政府による統制を強めるばかり。ついには教育基本法の改悪で乗り切ろうとした。
学力テストも所詮はそういった発想の延長上に過ぎない。だから真の原因はテストでもつかめないだろう。むしろ問題はさらに深刻化するだけだ。
2007.04.23:
最近「内部統制」という話が社内を駆け巡っている。2年後に法律が制定されるとのことで、そのための準備が始まった。
そもそもはアメリカの「エンロン」という会社で起こった粉飾決算。日本でも「日興コーディアルグループ」の問題がマスコミをにぎわしているアレである。
ではその「内部統制」だが、要するに社内に粉飾決算できないようなチェックの仕組みが人間系・システム系で存在することを、証拠の文書と共に政府に申告するものである。もちろん会計監査にもそのチェックが含まれることになる。
ここで私は一種の疑問を感じた。下っ端はこうしたシステムとルールで縛ることで小銭をくすねるような真似はできなくなるだろう。だが、もし上司、それも重役クラスから強圧的に不正を命令されたらどうなるのか?
このことを本社で担当している課長にぶつけてみたら、「全員を巻き込んで不正をやられたら防ぎようがない」とのことだった。しかし良く考えたら「内部統制」というのは歯止めとしては弱いと思った。というのも、世間を騒がせている会社の不祥事は、電力会社の事故隠しをなど含めてほとんどが会社幹部が指示したことばかりではないのか。
これは私の提案である。真の意味で「内部統制」をやるのなら、会社幹部に対する利害関係のない第三者機関による監査が不可欠ではないのか。またそのこと抜きの法律では、結局耐震強度偽装のようなことが再発する。残念ながらモラルハザードが「エライ人」を中心に蔓延している現状では、そうしたチェック機関とシビアな罰則が必要にならざるを得ない。
2007.04.20:
今年の職場のPC更改が始まった。目標はリース機の一掃。
OA減税がなくなって以後、一時はリースが復活しかかったが、費用が意外とかかること、そして人減らしで比較的新しい買い取り機が余り始めたことが電算からのリース離れ指令に拍車がかかった。
よって今年は5年前のWindows2000が駆逐される。このロットはCDドライブがよく壊れることで有名で、世間の評判は悪かった。代替機は買い取りの中古WindowsXPである。
ちなみにWindowsVistaはまだ導入禁止である。企業マシンはソフトが未対応、それもカスタムアプリの検証がまだできていない状態では許可するわけがない。私個人もVistaは少なくともサービスパックが出るまで待つつもりだ。事実、Vistaが出た直後から次から次へとパッチが出ているようでは安心できない。
2007.04.18:
伊藤長崎市長が亡くなった。哀悼の意を表すると共に許すことのできない犯人への怒りを禁じえない。
至近距離から撃たれて心肺停止状態だったというからほぼ即死である。一般人ならすぐに死を宣告されただろうが、要人だから6時間以上もかけて可能性の少ないことを知りつつ必死の蘇生を試みたと思われる。だが悲しい結末は変わらなかった。
さて、犯行の理由だが、市役所への無理難題が通らなかったこととされているが、それだけではあるまい。本当は誰でもよかったが、右翼・暴力団の心情から想像すると、戦争反対を訴える市長は標的としてひときわ目立つ存在だっただろう。
だがテロや暴力によって何かが解決するか? するわけがない。
2007.04.17:
昨日の日記に対して、息子から事実と違うということを指摘された。
曰く、「バイト先でトイレに行くのはまずいので事前に入っている」ということだった。いずれにせよ、腹痛が気になるということか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、今夜驚くべきニュースが流れた。
伊藤長崎市長が拳銃で撃たれ、重体だということだ。犯人は暴力団員。核兵器廃絶と平和を喜ばない勢力を代表してテロに及んだようだ。
思い出すのは伊藤市長の前の本島市長もやはり銃で襲われたこと。特に本島元市長は「天皇に戦争責任あり」と率直に発言したことから狙われた。伊東市長はそのような発言はなかったものの、非核三原則の法制化を求めるなど、積極的に発言する平和主義者だった。やはり戦争と暴力を求めるテロリストにとっては気に入らないのか。
どんな理由があれ、テロは許しがたい。テロがもたらす結果はイラクの例を引き合いに出すまでもなく、何ら得るものはない。貴重な命がただ失われるだけである。もちろんテロリストが生まれる背景には社会にそのような根源が存在するからであるが、だからといってテロリストに同情すべきものでもない。
テロは民主主義を破壊する愚劣な行為である。
2007.04.16:
息子がアルバイトに行くようになってから1ヶ月が過ぎたが、観察しているとこんなことに気付いた。
出かける直前、決まって軽い腹痛を起こしてトイレに行く。これは不登校の時と非常に似通っている。違うのは学校という、どちらかというと半ば強制的な性格があるのに対して、アルバイトは自分で選んだことである。
彼はどちらに対しても緊張感から腹痛を起こすようである。しかし上のような違いから、痛みの強さ、またそれを乗り越えようとする意思は、全く異なる。ただ、今日は激しい頭痛を訴え、バイトは休んだ。土日も返上で働いたことも加わっているのか、疲れているかもしれない。
とにかく注意をして様子を見るつもりだ。
2007.04.15:
与党、自民・公明が国民投票法案を衆議院で無理矢理通過させた。暴挙というしかない。
元々が9条改悪という腹黒い意図で作られたもの。それを過半数の議席を占める今がチャンスとばかりに強行突破した。これは民主主義的な議論、わけても改憲と言う国民の圧倒的多数の合意が必要な案件を、単なる多数決で処理しようというおまけに法案の内容も致命的な欠陥を持っている。それは最低得票率を定めていないことである。例えば4割の投票率で過半数の得票ということになれば、有権者の2割で改憲が可能になってしまう。しかも最低限度はないから一割でもそれ以下でも改憲ができることになる。
現実の世論調査では、改憲賛成派は日を追うごとに低下し、5割を切ったという。しかも賛成派でも9条については変えるなという声が圧倒的に多い。こういう背景にありながら、議論を尽くさずに多数決だけでものごとを決めるやりかたは民主主義の根本的精神を踏みにじるものである。民主主義は最終的には多数決だが、少数派の意見をどれだけ尊重するかに本質がある。
イラクを見てみるがいい。抜き差しならない宗派対立の中で無理矢理政権を作っても、何一つ前進はしていない。
この国民の多数派合意については、公聴会では賛成派でも「慎重な議論を」という意見が圧倒的に多かった。それは憲法という日本の現在と将来を左右する重要な方針であるからこそである。その時の自公政権のゴリ押しで決めるものではない。
さて、マスコミが絶対に触れない、ある重要な動きについて書いておこう。
それは全国に広がりつつある種々の「9条の会」の存在である。この会の基本的趣旨は「憲法9条を守れ」という一点にある。政権を支持するしないを問題にはしていない。だから大抵の人は賛同できるものである。だがマスコミは徹底して無視する。その理由は単純。共産党がもっとも熱心に支援しているからである。昔からマスコミの共産党無視の姿勢は有名であるが(そのことはいずれ触れる)、今回は憲法の話であるだけに、なおさらその傾向は強い。だが世論はそんなけち臭い了見を乗り越えて「9条改悪ノー」を突きつけている。それが参議院での審議には必ず反映されるだろう。
2007.04.11:
本格的な春の日差しになった。
時として風が強い日もあるが、最寄り駅から会社まで片道20分弱の道のりを毎日歩くようになった。冬はどうしてもバスに乗ることが多かったが、多少の我慢をして体を動かすのが健康の秘訣。
能登半島地震でもそうだが、避難所生活での最大の問題は体を動かすこと。人間に限らず生命というのは運動しているのが一番。エコノミークラス症候群だけでなく、体を動かさなくなった老人が急激に体調を崩す傾向が指摘されている。
ご存知の人もあるだろうが、宇宙飛行士は無重力状態で過ごすために筋肉が衰え、地球に帰還しても直後は立てないくらいなるという。地球の重力の逆らって立っているには鍛えられた筋肉が必要なのだ。
糖尿病患者にとっても大切なのは「適切なカロリーバランス」。「入」の抑制に加えて「出」も大切。私もどちらかというと「出」が極端に少なかった。
2007.04.10:
統一地方選が終わったが、再選された石原都知事の言動には選挙で選ばれているという謙虚さが感じられない。
そうでなくてもタカ派として知られる彼のことだが、自論は自論としてもそのすべてが承認され、政策を強行してもかまわないということにはならないという、民主主義の原則が理解されていないのではないか。
もちろん民意の反映としての議会は存在する。だから執行者としての自治体首長は議会との調整を図りながら、何が住民にとって重要なのかを見極め決定する義務がある。
しかしながら、彼は自分の意見をゴリ押しして日の丸・君が代に消極的な教師を処分の対象とするなど、個人的イデオロギーに固執する。一方で豪華ホテルに泊まったり、身内への優遇も指摘されるなど、公正さを欠いた行動もあった。
さすがに選挙では一定の「反省」を見せることもあったが、当選直後のインタビューなどではオリンピックの見直しを記者に質問されたのに対して「対案を持って来い」などと言葉を荒げるなど、頑固さ丸出しの姿勢が見られた。
言っておくが、自治体の首長は独裁者ではない。それは大統領にしても同じで、どれだけ権限を与えられていてもそれを行使するにはそれなりの民を納得させる道理がなくてはならない。道理を欠けばそれは独裁者に変質する。
似たような傾向は長野県の田中元知事にも見られた。「脱ダム宣言」のようなパフォーマンスを見せながら、県民に飽きられたのには理由がある。いくらいいことを言っても、県民の大多数が支持できるようになるには時間がかかる。それを忘れて特定の政党の幹部になるなどの自分のイデオロギーに熱心になった。これでは庶民がついていけない。
我々は選挙で独裁者を選んでいるわけではない。何から何まで白紙委任したわけでもない。そのことを逆に実証したのがヒットラーとナチスドイツではなかったのか。
自分の意見がなかなか支持されないことに対して、石原知事のように取材記者に対して噛み付くするような傾向は安倍首相にも見られる。苛立ちをこのように表現するのは、民意を民意として素直に受け止められない謙虚さが足りないことの現われではないのかと思う。
2007.04.06:
今週は決算を含めてやたら忙しかった。
とにかく連日データとにらめっこ。昨日書いた問題の原因追求はあるし、決算データの整理もあった。加えてSEから月末データの自動処理がコケて再起動したら一部で倉庫の受け入れ入力ができなくなっているとの報告まであり、もう頭の中は大混乱である。
よって昨日予告した「のぞみプロジェクト」の更新は申し訳ないが一日延期とする。
2007.04.05:
今まであれこれ「のぞみシステム」のトラブルを書いてきたが、今日も重大な問題が発見された。
要するに在庫金額が正しく下流に伝えられていない可能性が出てきたのである。
きっかけは決算のデータを集計した紙に打ち出したこと。何故か入庫と出庫の数値に狂いが生じていた。これまではそのようなことはなかった。倉庫の担当者が指摘したことから発覚した。とりあえずは経理にずれの金額を申告しておいたが、このずれの蓄積は数年前から生じていたらしく、原因がはっきりするまで関係者は口を閉ざしている。財務諸表に問題があることがわかったら大変な事件になる。だから中途半端な報告でパニックにしたくはない。よって正確な数値が確かめられるまで不安を与えるようなことを言わないように、私も含めて緘口令を敷いた。だからといって嘘を隠し通すつもりはない。嘘は次の嘘を呼ぶからだ。私はこれを「嘘の自転車操業」と呼んでいる、
ともあれ、これまでの「のぞみシステム」のトラブルをまとめて、明日から「のぞみプロジェクト」のコーナーに書こうと思う。
2007.04.04:
プロ野球の「希望入団枠」が生んでいる弊害が明らかになってきたが、「希望」といいながら、結局は選手本人がその球団に行くしがらみを作るための買収工作であったと断じざるを得ない。
最近「モラルハザード」ということがしばしば問題になるが、この話もルールをねじまげ、実質的なルール違反をやっていることになるだろう。
しかしもっと問題なのはルール違反を、違反でなくなるようにルールを改悪すること。
その典型が「ホワイトカラーエグゼンプション」だろう。さらに今、天下り問題でもっとひどい話が出ている。政府が自身の官僚の天下り先を斡旋するというものである。高級官僚が省庁の利権を引っさげて、コソコソと天下りすることが問題なのは言うまでもない。しかし政府が斡旋したらそれが合法化されるというのは許されるべきでない。
これから民間では大量の定年退職者が出るが、再就職先を探すのは並大抵の苦労ではない。また、それは一般の公務員にとっても同じだ。何故高級官僚だけが優遇されるのか、また権力を傘に着て特権的に高給を確保できるというのも庶民感情を逆なでする。
自民党議員の多くが官僚出身であることがこういう発想を生むのだろうが、国民を馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたい。
2007.04.02:
昨日あたりから黄砂が空を舞い、今日などは昼間でも太陽が黄色くかすんで見えた。中国大陸はもちろんのこと、韓国でもかなりひどい砂塵が舞っているようだ。
今年は桜が例年よりも早く開花する傾向が強いが、何故か神戸は昨年並み。とはいえ近所の桜はそろそろピンクの花びらがそろい始めた。天気が良ければこの週末には満開直前になるだろう。ということで親子で花見に出かけたい気もするが、無粋な息子は花を愛でるようなロマンは持ち合わせていないし、どうしたものか。日向ぼっこ気分で一人で行ってもいいが、一升瓶を抱えて桜の下で赤い顔をしているオッサンの姿、これはどう考えてもホームレスにしか見えないだろう(爆)
2007.04.01:
4月に入った。これでもう今年の4分の一が過ぎたことになる。年齢がそうさせるのだろうが、時の流れは速い。
そして季節も完全に冬を抜けた。どこで感じるかというと、湯沸器のガス量を微妙に下げないと熱い湯が出るし、風呂が沸く時間が短縮するなど、水温の上昇によるのである。
さて、明日は会社で決算の整理がある。また例年通り新入社員の群れが通勤電車に溢れる。ここしばらくは新年度にからんだ色々な動きが出るだろう。