悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

09.01


2009.01.31:

最近政治がらみの日記が少なくなった。麻生政権が何を言っても、何をやっても、もはやまったく話にならないほどひどいからである。
内閣支持率が20%を下回るのに、まだ倒れないというかしつこく政権にしがみつき、しかも消費税アップなどの悪政を未だに出してくることを止めないのでは、建設的議論など出しようがない。
とはいってもこのままでは自公政権のやりたい放題になる。よってここは選挙しか選択肢がないのである。もはやあれこれの政策を考えても仕方がない。ただ、あまりのひどいやり方は放置できないので、必要最低限のことだけは国民の声で猛烈なブーイングをかますことになるだろう。
ということで、実りのない1月が終わってしまう。

2009.01.30:

今朝8時半ごろ、息子の担任の先生から携帯電話が入った。まだ学校に来ていないとの事。学期末試験の最後の日である。
彼の携帯電話は反応なし。自宅の固定電話を呼び出しても出ない。ということは遅刻してでも学校に向かったことが考えられた。
そして夜、彼に事情を聞いた。
私「朝、どないしたん?」
子「目覚ましをかけるの忘れて、ぎりぎりで飛び出してん」
私「先生から電話があって、まだ学校に来てないと言うとったど」
子「そのときは駅に着いたばっかりやってん」
私「そしたら先生が教室から職員室に戻った後で教室に入ったいうことか」
子「そうやと思う。1時間目が終わったら先生が見に来た」
私「びっくりしたど」
子「ごめん。次はちゃんと行けるようにするわ
私「アホか。もう卒業なんやから次なんかあるか
漫才である。

2009.01.28:

何を考えたか、息子は床屋で丸刈りにしてしまった。
小学生の頃、何度かやったことはあるが、中学、高校とほとんど見たことがない。本人曰く、どうも長い髪はうっとうしいと。髪が伸びると目の前にちらちらするのである。
彼は七三分けのようなことはしない。というか、細く硬いのでストレートパーマがかかったように真っ直ぐ伸びる。おまけに富士額。
顔写真はお見せできないが、彼は少し目が吊り上っていて、私に似ているが、従兄弟とはもっと似ている。そして細工しなくても細眉。
以前はやせて細かったが、最近は夜にスナックやラーメンを食うし、運動不足なのでやや太り気味。特に腹が出てきてメタボ予備軍である。
こんな体に誰がした?(爆)

2009.01.26:

NHKニュースによると、東京都足立区の小中学校の給食時間で、実質的に子供が食べるのは10分だという。食べ残しが多いことから調査した結果というが、そもそも10分しかないということを誰もがおかしいと思わなかったことそのものが異常である。
早食いのサラリーマンの昼飯でも最低15分はかかるだろうし、私のように意図的に小食で済ます場合でも10分はかかる。
子供のことだから、早食いもいればゆっくりしか食べられない子供もいる。私が小学校の時にはいつもクラスに1〜2人は30分以上かかっていて、遊びに出られないヤツがいたものだ。
食事でさえ時間に終われる子供たち、これでは栄養上も、また落ち着いて食事ができないという精神上も問題である。
足立区では5分(!)延ばして食べ残しが減ったというが、この程度の延長では子供たちを早食いから解放はできないだろう。
何とか我慢してもせめて20分は必要だ。小さい頃から落ち着いて食事ができない生活をさせているようでは、心も体ものびのび育つわけがない。大人でもそうだが、時間に余裕のない生活は人間性を蝕む。

2009.01.25:

週末から休日にかけて友人HPの話で何度も話し合いをする羽目になった。原因は投稿用のメールアドレスを晒しているために起こったトラブルの解決のためである。
大量の迷惑メールのみならず、なりすまし注文が混じり始めたので、その犯人をどうするかで悩ましい話になったのである。
手っ取り早いのは犯人と思しき相手を表沙汰にすることだが、顔見知りをいきなり犯人扱いすると後でしこりが残る可能性が高い。しかも犯人であるという確実な証拠を素人がつきつけるのはほぼ不可能である。
最終的な結論は私が下すものでもないが、なりすまし注文の仕掛けや契約が成立する・しないの法的根拠を説明させられ、汗だくになった。
ここでややこしい話をすることは避けるが、最近のネットショッピングでは「なりすまし注文が発覚したら犯罪として警察に告発する」という注意書きをするところがぼちぼち出てきている。
迷惑メールも困るが、悪質な行為が横行し始める、いやな世の中になったものだ。
ところで問題の投稿アドレスだが、直接掲示することはやめて投稿フォームに変更した。

2009.01.22:

最近朝寝坊が多くなった。もちろん毎日ではないが、月に数回やってしまう。しかも目覚まし時計は必ず鳴っているはずなのに、どうやら無意識でベルを切ってしまうようだ。
夜更かしはしない(23時までには必ず寝る)し、酒の飲みすぎもあり得ない。というか最近はほんど飲まなくなった。新年も日本酒をコップ1杯程度。ただ、最近は出勤時の駅から会社までの徒歩は中断しているので、運動不足による眠りの浅さが影響している可能性はある。しかも夜中にトイレのために起きることがほぼ毎日。
だが真の原因は一体何なのか?
ここが一番難しいところだが、ストレスということも考えられる。だが何のストレスか?
これには私自身も答えられない。自分で自覚できるストレスならとっくに解決している。しかしストレスの進行というのは自分自身でも感じることはまれであると思ったほうがいい。寝坊の一方で目覚ましが鳴る以前に起きてしまうこともあるからだ。
かなり支離滅裂なことを書いたが、こういう調子で日記を書いていることそのものがストレスの表現なのかもしれない。

2009.01.20:

アメリカの新しい大統領が間もなく誕生する。
それほど期待をしているわけではないが、少なくとも今までの彼の言葉を聞いている(もっとも和訳だが)限り、従来のように必ず軍事力に触れるようなものではないようだ。実際のところ、世界的にも軍事力を前面に押し出しての解決には反対するスタンスが主流になってきている。また、経済も強いドルという神話は崩れただけに、新しい政策を打ち出す以外に選択肢はない。アメリカ国民もそういう「何かやってくれる」という大きな期待を持っているようだ。
ともあれ、これからどうなるか、注目していきたい。

2009.01.18:

震災後の復興で今も気になるのは復興住宅での孤独死が減らないこと。
とりあえず人を「ハコ」の中に入れたけれど、以前のような住民間のつながりは薄くなったためである。特にぬくもりのない高層住宅はドアを閉めれば部屋の中は密室となる。
このようなことが起こるのは、復興計画をあわてて作らされ、しかも高層耐震ビルでないと補助金が出ないという条件を無理やり飲まされたためである。新長田や六甲道の駅前はその典型である。このような条件で孤独死が起こること、これは一種の政治災害ではないのか。
震災直後、当時の村山首相が国会で「個人補償はしない」と演説したことが今も記憶にある。これも復興がなかなか進まなかったひとつの原因となった。これも政治災害である。
政治災害はその後も続く。特に小泉政権時代は格差社会を生み出し、ついには大量の非正規社員が丸裸で街に放り出される事態まで起こっている。国民に困難な状況が生じたとき、手厚い保護をせずに放置することは民主国家、先進国の看板に泥を塗ることでしかない。

2009.01.17:

今日は14年目の1.17。
あれから14年。身近な人を失うこともなかったわが身には、日々の生活からは震災の影はほぼ失われた。
少しだけ面影が残るのは、瓦礫が片付けられた後も再建されずに放置されたままの家の基礎くらいのもの。しかしこうして年に一度、あの時の自然の驚異の前で、人々がどう動いたか、助け合いながら生き延びたかを思い起こすことは決して無意味ではない。
亡くなった人が残した、人と人との絆の大切さ、犠牲を出さないような防災・減災システムを作れと言う教訓を、この日に改めて思い起こすことには極めて重い意義がある。
それにしても、あの「しあわせ運べるように」という曲を聞くと思わず涙がこぼれる。今日も小学生の歌声にしんみりしてしまった。それは私がオルゴールにアレンジしたものをバックに歌うときも同じで、途中で声が詰まって先に進めなくなるのである。あの日歩きながら見た多くの倒壊した家屋のシーンを頭に描いた瞬間、還らぬ魂が私の涙腺を緩めるようである。

2009.01.16:

ニューヨークで飛行機が川に着水するという事件があったが、条件がそろっていたとはいえ、奇跡としか言いようがない。
以前、高知空港で滑走路に胴体着陸した話を思い出した。いずれも機長の的確な判断と操作が死者を出さなかった大きな要因として挙げられるだろう。
バードストライクと着水の話は、「古びた本棚」のコーナーで紹介した"Airport International"から予備知識を得ていたが、まったく教科書どおりのプロセスを経ている。鳥を吸い込んだエンジンが2つとも停止、そしてグライダーのように滑空しながら着水。また乗客は浮かんだ機体の上から次々と救出されるというのは、絵に書いたようなシーンである。
離着陸の時に鳥がエンジンに吸い込まれるのは珍しくない。特に滑走路周辺の草むらに巣を作ることは良くあること。餌となる虫がたくさんいるし、しかもエンジン排気のぬくもりは居心地がいいのである。だから空港では草を刈ったり、空砲音で鳥を追い払ったりする。もっともそれでもなかなか鳥は減らない。決定的な名案はまだないので、イタチごっこはまだ続く。

2009.01.15:

昨年11月頃から会社のPCの動きがおかしかった。
まず、不定だが起動時にCとDドライブが勝手に共有する設定になってしまうこと。もちろんすぐに共有は外すが。それとテンポラリファイルは本来自分のユーザープロファイルの中にあるはずが、いつの間にかC:\tempに変わっていたこと。
あれこれやってみたが改善しないので、Windowsのリカバリに踏み切ることにした。ちょうど職場のC子のマシン(デスクトップ機)のHDが破損して代替機と交換したために、情シスでHDを交換してもらって余剰機となったので、それに乗り換えることにした。
それにしても不思議な現象だ。

2009.01.13:

よく考えたら息子の卒業式まであと一月と少し。でもその後彼は4月までどうやって過ごすのだろう?
私自身の場合は入社まで遊びまくっていたが、会社によっては卒業式が終わったら顔を出してくれというのが少なくなかった。今でそういうところはあるようだ。
休みの間について彼が少しだけつぶやいたのは、スーツを買ったりあれこれ入社準備のための買物。そういえば私の母は彼のために私名義の学資保険を残していったから、それを使わせてもらおう。
それにしても勤務場所がどこなのか未だに連絡がない。東京の可能性もあるのに、引越の準備が何も出来ないのは困ったもんだ。

2009.01.12:

今日は成人の日。外出して乗った電車の中には振袖姿の新成人がチラホラ。
でもその歩く姿はどうもしっくりこない。やはり着物を着慣れていないせいで、裾の動きがぎこちないのである。仕方がないのだが、やはり見ていて時代の流れを感じる。
かくいう私も、もう20年くらい着物を着ていない。昔は正月用にちゃんとした羽織を着て下駄を履き、実家にあいさつに行ったものだが、そのうち面倒くさくなってやめた。
何だ、これじゃ若者のことは笑えないじゃないか。

2009.01.11:

この冬一番の冷え込み、雪もちらついたし、洗濯物が一日で乾かない。明日も雪のようだ。しかし明日は用事で朝から出かけねばならない。
ちょっと辛いな〜。

2009.01.09:

学校の新学期が始まって、通勤電車の社内にはにぎやかな声が戻ってきた。
息子は真面目に登校しているが、生徒によっては就職が決まってからはまともに出席しないという。考えたら、息子は中3になって3学期はほとんど登校しなかった。友人が「3学期なんか出席しても意味がない」とけしかけたらしい。他にもいじめとか、精神的なものからくる腹痛も重なって不登校を続けたのである。それに比べれば、今は最後まで学校生活をまっとうしようという気持ちに変わったようだ。

2009.01.07:

年末からずっと黙って見ていたが、「年越し派遣村」に対して坂本政務官が、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」という発言だけは絶対に許すことができない。謝罪など今頃手遅れである。
自力で住居が確保できないほどの低賃金で働かされ、いきなり解雇と同時に単身寮を出て行けと言われたらどうするのか。野垂れ死にしたくなければ「派遣村」に頼るしかないと集まった人達の気持ち、さらには支援するボランティアに対する最大限の侮辱的発言は人間性のかけらもない。
何とか「派遣村」にたどり着いた人以外にも餓死寸前の人はもっといるだろう。そこに思いがいかない、さらには自分が所属する自民党が作った解雇自由の法律が、大企業の身勝手とあいまって大量の失業者を生み出したのではないか。そのことも頬かむりした上に事実を確かめもせずに暴言を吐く神経はもはや人間のものではない。
政務官も議員も辞める以外に選択肢はない。もし首相を含めて自民党が彼をかばうならば、彼と同じ思想の持ち主との烙印を押す以外にない。
ところで、これだけの大問題になった派遣労働の問題について、財界が世論の声に押されて見直しを検討しているようだが、これも真面目に解決する気がないもののようだ。
最大の問題は「多様な働き方」と「国際競争力」という論理に固執し、やりたい放題の派遣労働を改善する気がないことである。
「多様な働き方」と言うが、働き口が少なければ労働者の選択肢はほとんどない。現在はまさに大量の失業者があふれていて、働く場そのものが少ない。それを無視して、逆にあたかも働く場が多種多様にあるような虚構の前提条件を出して自分たちを正当化するものである。
次の「国際競争力」であるが、洪水のような輸出を前提にし、国内需要の重要性を無視するものである。しかも賃金を下げ、人を減らすことがものづくりの能力を落ち込ませる、二重の意味で日本経済を破壊する論でしかない。国民がどれだけ疲弊しても企業だけは生き残るという、自らの足元を掘り崩す行為を平然と主張するのだから、救いようがない。
これには法律の改正など、国民的反撃で答えるしかないだろう。但し坂本政務官のような人物にそれを期待することは絶対にあり得ない。

2009.01.06:

実質的な初出勤と四半期決算が重なって、本日は大忙し。よりによって部長は年初の会議を設定したのだが、私は出席拒否。とてもじゃないが尻たたきだけの年頭訓示なぞ聞きたくもないし、決算スケジュールが決まっている経理へのデータ渡しがある。時間は待ってくれない。
そもそも決算明けの第2労働日に会議などもってのほか。前回も部長に釘を刺して日をずらさせたたはずだが、もう忘れている。
会議などやってられるか!

2009.01.05:

休み中に冷え切り、薄ら寒い部屋で仕事をするのもいや。何の新鮮味もない、ひたすら社員に危機感だけをあおって「がんばれ、がんばれ」しか繰り返さない社長挨拶。それをまた寒空で立ったまま聞かされるのはうんざり。
ということでいつも初出勤は休み。
そこで自宅でフリーソフトなどのバージョンアップやら何やらやっていたら、あっという間に一日が過ぎた。
明日はいよいよ本物の初出勤である。

2009.01.04:

急に変なことを思い出した。
息子が生まれてから風呂に入れるのはずっと私の役割だったが、時としてウンチに見舞われることがあった。
妙に力んだ顔をしたときがサインで、気が付くと床のタイルに塊が落ちていた。幸いなことに湯船の中でやられることはなかったが、後始末をせっせとやる羽目になった。しかしその時、私はついぞ汚いと思ったことがない。不思議なことである。
親というものはそういうものだ、と達観してはいるが、もしそれが私にとって疎ましいものと感じられたならば、正常心は失われたと言っていいだろう。
今、息子は私の言うことを素直に聞く態度ではない。独立した子供がいつまでも親の言いつけを素直に聞くようならば、逆に恐ろしいことと思わねばならない。実はここが問題で、親の子離れが難しいのは小さい頃の記憶をいつまでも引きずることあると思っている。
子供は何も言わなくても自然に親離れする。しかし人間の親が子離れするには特段の努力を要するもののようだ。動物は次の子育てのために先の子供を放り出そうとする。人間は子育てが終わった次がないのである。

2009.01.03:

三が日の雑煮も今日でおしまい。今回やっと気付いたのは、餅の量が体調に大きく影響すること。
多いと腹にこたえるし、血糖値もどっと上るのである。今年は直径3センチくらいのを2個雑煮に入れただけ。もはやドカ食いはできない体になったようだ。

2009.01.02:

今日は正月2日恒例の国道ウォーク。去年は足が重かったので西宮戎までだったが、今年は調子が良かったので行けるところまで行こうと先に進んだ。
若い頃のように梅田まで行ける自信はあったが、余力を残すためと小雨が降ってきたので阪神尼崎で中断した。無理して足がガタガタになって梅田までたどり着いてもいいが、もうそんな年齢ではないと自粛した。もし敢行するなら普段から鍛えておかないと危ないのである。

2009.01.01:

皆様、明けましておめでとうございます。本年も「落書帖」をよろしくお願い申し上げます。

新年早々あまり芳しくないことが起こった。
ひとつは、どうしたことか朝食後から頭痛が続き、鎮痛剤を飲んでもなかなか治まらない。ようやく落ち着いてきたのは日が暮れてからで、それまで布団の中にこもったきりだった。
もうひとつ、この日記を更新していて気付いたのだが、06年6月の日記が完全に消滅していたこと。こういうことは初めて。しかも消えたのは昨年12月の初めで、かつバックアップは毎日ミラーリングしているためにもはや回復はきかない。よって過去ログも6月抜きになった。