悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
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2011.01.31:
月末だから下請からの検収手続書類が一時的にてんこ盛りになる。今日はそれに加えて客からの注文が次々と営業から回ってきたが、いずれもいわくつきで、かつ納期がぎりぎりのものばかり。
とにかく毎日のように毛色の違う話が次々とメールで飛び交う。しかしそれにもめげず仕事をこなす私は、一体何者なんだろう?
2011.01.30:
息子が痛風の痛みを発してしまった。
夏に肝臓がやられていることがわかった時から、尿酸値も高いとの検査結果が出ていたのだが、その時点では自覚症状はなかった。
しかしこの金曜日から足の親指に激痛が走るようになったという。医者に行ったらしっかりと「痛風」の宣告をされてしまった。
プータローでまったく運動をしないために、典型的なメタボ体質が出来上がってしまったようだ。親としては悩ましい。
朝夕の食事は私が作るから糖尿病食になるが、昼はまったく私のコントロールがきかない。
このままではいずれ悲惨な結果を招くことは目に見えているが、どのような手が打てるかまだいい案は浮かばない。
2011.01.29:
友人HPの話だが、私一人がサーバー管理者をいつまでも続けることに問題を感じたようで、後継者を指名して私が育てることになった。
私の余命があとわずかということではなくても、万が一病気で倒れたら代理が絶対に必要ということを口酸っぱく言い続けてきたが、ネットの話には疎いオッサン、オバハンの集団はいずれも腰が引けていて、どうしても新しい血を入れる必要があった。
その結果我々よりも少しだけ若いが、多少話のわかる人間を連れてきた。それで私は作りかけていた50ページ以上もある手作りのマニュアルを完成させて渡した。
幸いなるかな、彼は私に質問することなく、かなりの所まで自力で処理できたとの報告を得た。これでようやく複数管理体制が築けそうだ。
私は安心してあの世に旅立つことが出来る(嘘)
2011.01.28:
どうも最近は仕事の愚痴シリーズ状態になっているが、それだけ忙しいということとともに、自分ではあまり自覚がないがやりがいがあるのかも知れない。
「年取ったホステス」を呼び戻した本人はどう評価しているのか、一度聞いてみたい。
それはともかく、一難去ってまた一難、今日も5件ほど有難くない話を「頂戴」した。
長くなるし専門的なことも含むので、そのすべてを開帳することはできないが、極めつけの話を一つだけ披露する。
大ボケの主は前に書いたこともあるウチの営業マンT。
中東某国からの引き合い案件で受注直前の交渉中、このTは客からの要求として○月○日までに品物が「現地到着」することを確約してくれとメールで言ってきた。国際取引の常識を知っている人なら即座に「ノー」と答える。というか「答えることはできない」というのが正確な表現である。
同様の話はずっと以前に書いたと思うが、数百年の歴史を経て得られた国際ルールでは売主の国の港から船が出る日を契約条件として守る義務は生じるが、それ以降は時間的な約束はしなくてよいのである。理由は船が買主の港へ着く日時の予想が、天候に左右されること、海賊などの不慮の事態などで確約できないことによる。もちろん船会社も保証しない。
しかもTはウチの会社の契約の相手が日本の商社で、貨物を引き渡す場所が港の中の保管倉庫であるということを一切考慮せずに、中東某国の客の要求を右から左に投げることだけしか頭になかったのである。ウチの会社の責任は保管倉庫へ決められた日時までに納入する義務だけである。
はっきり言うが、Tは海外取引を担当する営業マンとしての基本知識を欠いている。
結論として彼に対する回答は「確約は不能。早く欲しかったら、日本の商社や客が考えるべき」としたが、果たしてどんな反応が返ってくることやら・・・
2011.01.27:
5時過ぎに会社の門を出たところで気付いたのだが、冬至の頃は既に暗くなっていたのが、あれから一月を過ぎて日没が遅くなっている。
しかし寒さの方は一向にゆるむ気配がない。
話は変わって仕事のほうだが、ゆるむどころか強化されたのがトラックに積んだ荷物の寸法制限。
最近、法令順守ということが企業の社会的責任の観点からやかましく言われるようになり、その影響で従来なら少々の寸法オーバーは平気でやられていたし、警察も大目に見ていたのが、たとえ1ミリでも許されなくなったのである。
お陰で幅の広い鉄板や大型機械の部品は陸路を利用することが困難になってきた。そこで最近売れ出して生産が追いつかないのが、荷台を傾斜させたトラック。直角三角形の計算をすれば判るが、これで車幅が短くなる。
今私が関わっている仕事で、この車幅制限に引っかかりそうなものを2件抱えている。専門家に相談中で、結果を待っているところである。
2011.01.26:
年末から冷え込んだままの日本列島。神戸でも最高気温が10度を超えることはほとんどない毎日である。
専門家だけでなく、田舎の老人も言っているように、天候は「敵を討つ」ようにできているらしい。つまり去年の猛暑の反動で厳冬が来ているのである。
冷え込んでいるのは天候だけでなく、庶民の懐も冷え切っていて、かつ新卒者も含めた失業者が寒空の下で飢えている。
息子の話を聞いていてわかったが、今はアルバイトの話すらない。あちこち足を運んでも徒労に終わる。いちばんひどいのは、アルバイト募集の貼り紙を見て店に入ったら、「あ、はがすのをわすれてた」というのまであったという。
不安定雇用の拡大で雇う側が圧倒的に有利になり、雇われる側は先を争って雇用主のところへ殺到する。まるで乞食ではないか。
国連では今「ディーセントワーク」(尊厳ある労働という意味合い)というキャンペーンが広く行われているが、日本ではそれに逆行する風潮が蔓延している。
2011.01.25:
国会が始まった。もちろん最大の焦点は来年度予算。
自民党政権時代とまったく変わらぬどころか、さらに一歩進めるというのが菅政権の基本方針のようだ。
法人税は減税する一方で、消費税増税と福祉切り下げは明確。これが「強きを助け弱きをくじく」でなくて何であろうか。
首相の施政方針演説での極めつけの言葉は「負担をお願いするのは避けられない」で、小泉元首相の「痛みを」という言葉と質は同じである。
同じ言葉を、庶民ではなく、うなるほどの内部留保を蓄えている大企業に向かって投げるべきだ。
2011.01.24:
週明けはいつも体がだるい。休みモードが残っていて仕事モードに切り替わるのが遅いからである。
しかし今日は「電子部品行方不明事件」の再手配品が到着するなど、片付けるべき仕事がてんこ盛り。タバコを一服する時間もないほど忙しかった。特にメールは編集したファイルを添付したものを10本以上打つことに。
明日も東南アジアに向けての船積書類作りに振り回される予定である。
2011.01.23:
先週、出来合いの惣菜を買うことが2日連続で続いたので、息子が「どないしたん?」といぶかった。
この頃夕食のメニューに行き詰っているのは確かで、作りなれたものをローテーションさせていると飽きてくるのである。
以前は1週間分くらいをメモして、それに合わせて材料を買うことが多かった。ところが昨年夏からの野菜の高騰で、なるべく安いものということを中心にすると、計画が大幅に狂うことが多く、計画をご破算にして前日または当日にメニューを考えることが増えたのである。
そしてそれでも思いつかなければ、スーパーで惣菜を買うことになる。
新しいメニューに挑戦する意欲もあまりなく、ちょっと倦怠感を感じる。
ダンナが何もしない主婦は、こういう意識をどうやって乗り切っているのだろうか?
2011.01.22:
昨夜は友人に誘われての映画鑑賞。
何年ぶりだろう? しかも息子を連れてである。
映画の誘いにはいきさつがあって、昨年友人が拙宅に遊びに(正確には飲みに)来た時に「いい映画があるから」ということで、その話に乗ったのである。しかも息子はどんな映画なのか期待していたようである。
ストーリーはシリアスなものであったが、私も息子も居眠りせずに終りまで見た。
映画が終わった後は居酒屋で雑談。気が付いたら午後11時だった。この時間まで起きていたのは何年ぶりか。
翌朝は少々眠たかったが、予定通り通院。血糖値も血圧も平日と変わりなく、無事終了。但しカリウムが不足気味とのことで薬の種類を一部変更した。
2011.01.20:
今日は大寒。
寒さの方は最低気温が氷点下になるほどの厳しさはないが、まだまだ防寒対策はしっかりやらないといけない。
今年のインフルエンザの流行は新型が多いそうだ。息子とも話していたが、最大の防御策は免疫力を落とさないように、無茶な生活をしないこと。特に過労はとんでもない結果を生む。
若い頃、私と同い年の男が毎月120時間を超える時間外労働していて、ある日ちょっとした風邪をこじらせて、インフルエンザからウィルスが脳に回るような敗血症を起こして、うわごとをつぶやきながら亡くなった。
私はここ数年風邪も引いていない。危ないと思ったら早く寝ることにしている。
特に私の場合、糖尿病だから血液内に糖分がたっぷりあり、菌が入ったら栄養源は確保されている。だから皮膚のみならず、喉や気管支で炎症を起こすと非常に治りにくい。常人よりも注意を要するのである。
2011.01.19:
昨日の話で今日解決したのはひとつだけ。いちばん最後の、注文書が1本で「信用状」が2本という話は営業と財務が責任を持って処理するということで落ち着いた。「誰かさん」と違ってしっかりした営業マンで、これは信用するしかあるまい。
うって変わって友人からDVDの相談。
TV番組を録画し、それをDVDに焼いたがPCで読めないとのこと。
私はDVDレコーダーを持っていないので保証はできないとの条件でDVDを借り、中身を見たが、ファイル構成はDVDらしく見えるのにプレーヤーソフトを起動させても「DVD情報がない」とエラーが出る。
ダメ元で、DVDを.aviファイルに変換して再度DVDフォーマットに変換する手順を、2つのフリーソフトを使ってやってみたら読めるようになった。
詳しいことは判らないが、DVDレコーダーに特殊な仕掛けがしてあるのかもしれない。
友人にはマニュアルをよく読んでから作業をするように注意しておいた。
2011.01.18:
相も変わらず仕事でのトラブルというかトホホな人達が巻き起こす珍事件に毎日悩まされている。
最近の出来事を列記すると、
−12月に輸出せねばならい部品が、メーカーでの手直しの連続ながらも期限ぎりぎり間に合わせた。ところが客から、「金がないから船積は1ヶ月延期!」となった。どついたろか!
−クリスマス前にヨーロッパから送られてくるはずだった電子部品が届かない。年明けに訊ねたら「輸送途中で紛失」との返事。捜せど見つからずで結局再手配。1ヶ月のロス。
−大手商社のオネエチャンが、外国から輸出する品物に対して日本の法律に基づく禁輸物資でない理由を書いた「非該当証明」を出せと言ってきた。もちろん一蹴したが、輸出を手広くやっている大手商社とは思えない稚拙な質問だった。
−中東某国からの機械部品の注文だが、注文書と銀行が支払を保証する「信用状」とでウチの会社の名前が違う。注文書の方が間違っているのだが、それをウチの出来の悪い若手営業マンに指摘して客に直してもらうように指示したら、あれこれ屁理屈をこねて嫌がる。実は間違っている社名は昨年吸収合併された子会社。しつこく食い下がる営業マンに私は「存在しない会社の名前で書類を作られたら後で困る。俺の仕事を妨害するな!」と一喝。
−1千万円以上する1台の機械の注文がアジアの某国から来た。注文書などの書類はすべて1本。ところが銀行の「信用状」だけは金額を分けた2本に分割してきた。機械をバラして分割出荷するなどできないから常識的には受注拒否。だが、可哀相だから営業が財務部や銀行と協議して善後策を捜すことになった。
下らないことに時間を取られるのはいやだが、やはり言うべきことは言う。そうでないと仕事は進まないし、いい仕事は出来ない、とつくづく思うのであった。
2011.01.17:
週明けは例によって事務所のビルは冷え切っていて、暖房が入っていても寒かった。
さて、注目の阿久根市長選は反竹原派が勝利した。もっとも僅差であるが。
敗れた竹原前市長は「市職員組合に負けた」とうそぶいているようだが、結果についてあれこれ八つ当たりするのは品がない。
ただ、この結果について竹原氏に投票した市民の真意は何なのか、市議会や市民の声を良く聞く必要がある。もちろん違法な専決処分を市民が望んでいたとは思えないが。
2011.01.16:
天気予報の通りの猛烈な冷え込み。それで昼食は余っていた素麺を使っての味噌煮込みにゅう麺。
さて、「伊達直人」現象は全都道府県にまで広がったようだ。困っている人を見たら救いの手を差し伸べる、これは人間である限り変わらぬ真情である。しかも人前で披露するのでなく、人知れず匿名でやるところは日本人の気恥ずかしさが反映している。
この現象を見ていると、震災の頃にボランティアが大挙して神戸に入ったことを思い出す。ボランティアの募集をしなくても人が集まり、一部では集まりすぎて収拾がつかなくなることもあった。
明日は震災から16年目。本来なら何も言わなくても行政が真っ先に動くべきところを、かなりの部分をボランティアに頼ってしまった。そのことは今の福祉政策に如実に現れている。数多くの「伊達直人」の出現はそのことに対する警告である。
2011.01.15:
いつもと違う寒さに震えながら洗濯をしたが、やはりあまりの水の冷たさで手が痺れた。
昼間も雪こそ降らなかったが、ファンヒータを入れていても部屋は暖まらない。これまでこんなことはなかった。
天気予報を見ると、明日はもっと冷え込んで、神戸の最低気温は氷点下、最高気温も3度。これでは洗濯物も乾かないので部屋に入れ、最低限の買物で外出する以外はずっと家にこもることになるだろう。
2011.01.14:
菅新内閣の顔ぶれだが、何といっても注目されるのは自民党を離党し、「たちあがれ日本」に加わりながら、今度はそこも離党して菅内閣に加わった与謝野氏。
菅首相が与謝野氏を指名したのは消費税増税に対する布陣だ、という説が聞こえる。もちろん消費税だけでなくTPP推進という方針をもにらんだ内閣人事とも言われる。
いずれにせよ、自らの野心・野望のためには政党を渡り歩いても構わないという節操のなさには、人間としての品性が問われるだろう。しかも彼は自民党の比例代表として当選しているから、自民離党の時点で議員辞職をすべきだとの批判もある。
「君死にたまふことなかれ」と書き、政府ににらまれながらも反戦、女性の人権運動に尽くした祖母の晶子が聞いたら、与謝野馨は「喝!」を入れられただろう。
2011.01.12:
最近は仕事の話が多いが、何せ毎日のようにトンデモナイ話が湧き上がるので疲れるのである。
今日もまた一つ開いた口が塞がらない話をば。
営業から、ある機械の部品の注文が来たのですぐに手配してくれとの連絡が入った。話を簡単にするために部品名を「鍵」と仮定する。
早速どこに作らせるのか、納期はどれくらいなのかを見るために、送られてきた書類を見ていたが、大変なことに気付いた。ウチの見積は「鍵。但しロッカー用」と書いてあるのに、客の注文は「鍵。但し事務机用」となっていたのである。何故か注文金額は見積と同じ。しかし実際の価格は「事務机用」のほうがはるかに安い。
このまま注文を請けたら大変なことになるので、見積を作った担当者に聞いたら、客からの事前引き合いでは曖昧ながらも「ロッカー用鍵」となっていたという。しかし念のため見積書には「ロッカー用鍵」の図面を付けて「要求のものはこれで間違いないかご確認ください」という添え書きまでしてあった。
ところがどこでどうすり替わったのか、客の注文書は似て非なるものが書かれていたのである。
営業には、見積書と違う注文は受諾できないと客に伝えてくれとメールを入れて、今日のところはおしまい。
明日はどうなることやら・・・
2011.01.11:
会社の私の日付印を見ていて気付いたのだが、今日は"11.1.11"。これもゾロ目の内なのだろう。
それはさておき、今日の寒さは昨日ほどではなかった。どうやら今週はこの程度の寒さで落ち着きそうだ。これに対し、いちばんこたえるのが、最低気温は氷点下、最高気温は5度以下である。ここまで冷え込むと帽子に手袋、マフラーをしっかり首に巻いて完全防備で通勤となる。ただ幸いにして蛇口を閉めていても水道管が凍ることはない。
2011.01.10:
今日はこれまでとは違う耳が痛くなるような寒さ。それでも伸びた髪の毛を刈りに理髪店に出かけた。
私の髪の毛は妙な癖がある。短い間は目立たないが、伸びてくると耳の後あたりからピンと逆立つ。まるで小泉元首相だ。これが嫌いで早めに刈りに行こうと思うのだが、何故か忘れて、気が付いたら3ヶ月経っていたというのがざらである。
息子は少し癖毛で、伸びるとヤマアラシのようになってくる。これは明らかに元ヨメ譲りである。元ヨメは1本の髪の毛の太いところと細いところの差が極端で、見ただけでその差が分かるという極端な癖毛だった。
それにしても私の額の後退はかなり目立つようになって来た。
2011.01.09:
正月休みの後の3連休なので、休みばかりになっている気がする。
こうなったのはもちろん、以前は15日固定であった「成人の日」を法律で「ハッピーマンデー」方式にしたためである。「1月の第2月曜日」だから、毎年8〜14日の間で変動する。だから正月との間が実際に短いのである。
これが喜ばしいのかどうか、・・・それは何ともいえない。
2011.01.08:
今日の午後は少し寒さがゆるんだので、マフラーなしで外出した。昨年からの寒さがずっと続いているが、ほんのわずかだけ寒波が一休みしたお陰で少しだけ楽をさせてもらった。だが明日からは再び寒さが戻る。この冬は温暖化の合間の一休みでもあるのだろうか。
2011.01.07:
ついに来るべきものが来た。「今月からン千円給与を下げます」という「赤紙」が。
年取ったら仕事をこなす能力が落ちるからという名目だが、単なる屁理屈。現実問題として私の仕事量が減ったわけでもないし、能力も問題ない。私が神戸に呼ばれたのはまさに「昔取った杵柄」を期待されたからで、多少年取ってくどくはなったものの、能力は決して衰えていない。
仕事が減らないのに給料だけが下がるという不満は職場のあちこちから聞こえてくる。しかも「そろそろしんどいから辞めたい」といっても辞めさせてもらえないというケースもある。新人を入れないからである。
今回の賃下げから何年かしたら、次はそのまた6割にまで下がる。年金が貰えるようになるからで、「下がった分は年金で補填せよ」という思想である。こういうやり方は日本国内で蔓延しているようだが、おおよそこんな仕組みを作っている先進国はどこにもない。
2011.01.06:
本日も脱力感が漂う話。
昨年12月中旬にドイツから送られてくるはずの品物がいつまで待っても届かない。
クリスマス前に問い合わせメールを入れたがなしのつぶて。クリスマスを過ぎて年末に督促メールをしたら、自動返信で「年明けまで会社はお休みです。それまでお待ちください」との反応。少々頭にきながらも昨夕再度メールを入れたら愕然とする回答が返ってきた。
「品物が行方不明になっています。ただいま調査中です」
というだけのそっけない返事。エエ加減にせんかい!!( - _ - メ ;)
2011.01.05:
今日は今年の初出勤。予想通りビルは冷え切っていて暖房がかかっていても寒い。
それほどシャカリキになる仕事はなかったものの、午後になって某大手商社のオネェチャンからわけのわからない電話がかかってきた。
年末に三国間貿易(例えばアメリカからオーストラリアへ輸出する場合で、日本の会社が仲介するようなケース)で船積みをしたのだが、その品物について「非該当証明」を出せというリクエストである。
「非該当証明」というのは日本の外為法で規制された禁輸物資ではないという証明書を、日本の会社が発行するもので、あくまで日本から輸出する品物で税関に輸出申告するときに提出するものである。
しかし今回の場合、日本から出したものではないし、そもそも日本の法律の適用外である。だから証明書を出す必要もないし、品物を作った外国の会社が作るはずもない。「自国で作って輸出するものについて、なぜ外国の法律を適用するのか」と拒否されるのがオチである。
どうやら商社のオネェチャンはどこかの部署から言われたことをそのまま私に伝えただけのようで、私から反撃されて電話口で面食らっていた。
誰が言い出したのは知らないが、貿易の初歩的なことすら知らない人間が大手商社で輸出の仕事をやっているとは信じがたい思いがする。
2011.01.04:
今日から食卓は通常のメニューに戻った。
考えたら昔は三が日に店を開けているところはまずなかったから、その間はおせち料理と買い置きの材料で食事をする他はなかった。しかし今は元日から開店するところもあるから、わざわざ我慢して3日間同じメニューでは確かに飽きる。さすがの古い人間である私も「2日間が限度かな」と思うようになった。
明日からは仕事も通常ペースに戻る。
2011.01.03:
今年の箱根駅伝は面白かった。
「新・山の神」柏原のV3もさることながら、各校の実力伯仲が目立ったレースでもあった。中継点での繰り上げスタートがひとつも出なかったし、シード校争いは熾烈を極めた。ゴール寸前で3つのシードの席に4校が争う中、国学院大の寺田がコースを間違えて万事休すの場面があったのだが、気を取り直して復帰し、城西大を再度抜いて10位に滑り込むハプニングもあった。可哀相だが城西大は来年の予選会から復帰をはかることになった。
正月はスポーツ番組くらいしか見ないのだが、駅伝の後に見た「ライスボウル」は社会人チームが強すぎて実につまらない試合だった。
2011.01.02:
2日は恒例の「国道ウォーク」だが、今年の足の調子は最悪で西宮でギブアップ。
もはや大阪梅田までの完歩は今後とも無理と判断せざるを得ない。それだけ足の筋肉が弱っていることの表れである。いつまでも若いつもりで無理をしても意味はない。中高年の登山でトラブルを起こすことと同じである。
ということで、今夜は足に「タイガーバーム」をすり込んで寝ることにした。
2011.01.01:
皆様、明けましておめでとうございます。本年も「落書帖」をよろしくお願い申し上げます。
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雪は降らなかったものの、風の強い寒い一日だった。
今年の雑煮はこれまでより少なめ。我が家は当然関西風の白味噌仕立てだが、量が多くて息子がいやがったし、私も次第に少食になることから、思い切ってミニサイズの即席ラーメンくらいにした。確かにこれだと腹にずっしり来ない。
厚切りハムもやめた。これで正月に打つインシュリンの量は平日並みとなった。