悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

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2011.04.30:

4月末になった。
今月の日記は当然のことながら震災関連が半分以上を占めた。それも原発に関する話が多い。学校の専門が電気だから、原子力発電のことは多少の知識があった。もちろん現在のレベルに達するには、若い頃に大学で高速増殖炉の研究をやっていたという男からもっと詳しい話、特に核分裂の仕組みと何故ナトリウムを使うのかという説明を聞くことが必要だった。その後は私の独学だが。
ただ、今回の事故まで知らなかったのは、使用済み燃料であっても常に冷却しいないといけないこと。
核廃棄物であるヨウ素やセシウムから放射能が出ることはわかっていたが、同時に発熱が続くことには気付かなかったのである。どちらかというと発電には寄与しないウラン238が物騒なプルトニウムに変わることに目を奪われていた。
ともあれ、放出された放射性物質の量はチェルノブイリに及ばないとはいえ、未だに原子炉が冷え切ったいないこと、また汚染された冷却水の処理はおろか、その量はまだ増え続けていて、ゴールが見えないことが、事の重大性を物語っている。
同時に、今回の事故は電力会社と政府の「安全神話」に脳を汚染された連中が生み出した人災であることは明白で、彼等に敗北を認めさせ、最後まで責任を全うさせることが重要である。それには原発優先のエネルギー政策から、再生可能エネルギー中心の転換に切り替えていくことを含むことは言うまでもない。

2011.04.29:

今日からゴールデンウィーク。例年より人数は減ったとはいえ、交通機関は多くの人を乗せた。また合わせるように東北新幹線が49日ぶりに全線開通した。私も今日からぶっちぎりの10連休が始まった。
新幹線の復旧が49日というと、阪神大震災の時の鉄道の復旧を思い出す。JRの在来線が74日、新幹線は81日かかった。在来線は住吉−灘間の高架が崩壊したが、健全だった橋桁を再利用して柱だけを24時間連続の突貫工事で新築した。
私鉄の最長は神戸高速の208日。全線地下だったが「オープンカット」と呼ばれる地面から溝を掘ってそこに線路用コンクリート構造物を建てる工法だったために地中と揺れが異なって大崩壊した。最近の「シールド工法」では壁と地下が一緒に揺れるので崩れることはない。
さて、東北地方の在来線は深刻である。常磐線や気仙沼線などの沿岸を走る線は回復の見込みが立たない。線路丸ごと津波に削り取られたためである。再建するにしても津波対策を考え直さねばならず、そうでなくても赤字路線ばかりだから復旧を諦めることも視野に入る。
大動脈は早く復旧するが、赤字の地方路線は災害でも後回しになる。しかし住民のかけがえのない足が奪われては、生活が成り立たなくなる。

2011.04.28:

国会では第1次補正予算の審議が始まるなど、復興資金の手当ておよび財源が論議されているが、あちこちで増税の話が出ている。
当然のことながら壊れた公共施設の建て直しや個人の住宅、企業を支援するための減税や補助が必要なことは言うまでもない。だが、そのための莫大な臨時の資金をどこから持ってくるかの綱引きはそう簡単に収まらない。
かといって安直な方法での増税、特に消費税で庶民から巻き上げる方法は許せない。この税の最大の問題点は被災者からも減免措置なしで一様に徴税してしまうからである。しかも1%につき約2兆円が吸い上げられるため、個人消費の落ち込みにつながる。以前税率が3%から5%に引き上げられたとき、「消費税不況」が襲ったことはまだ記憶に残っている。
ではどうするか。今主として大企業で大量に眠っている利益準備金などの内部留保の一部を何らかの形で吐き出させることである。
内部留保は企業にとっても使い道のない「死に金」である。何らかの利益につながる設備投資などの使い道がはっきりしないと株主の賛同は得られない、埋蔵金なのである。手持ちの流動資金だけでも総額50兆円は下らないそれを有効利用しない手はない。
それを復興に使えば、やがていずれ仕事として帰ってくる。
例えばウチの会社だが、既に太平洋沿岸地域にある工場設備の取替えや修理の仕事、いわゆる「復興特需」がそろそろ入り始めている。中には瓦礫を粉砕・焼却処理するための設備建設について自治体からの支援要請もある。当然いずれも億単位の仕事ばかりである。会社としても全面支援の指令が出ており、突貫工事ばかりになるが、利益にならない仕事はない。また利益はわずかでも社会的評価は上がる。
内部留保の一時的吐き出しは、このようにいずれ戻ってくるのだから、庶民のなけなしの金を搾り取って苦しめるよりも、はるかに効果的で復興を早める力になるのである。

2011.04.27:

予想される夏の電力不足に備える案が色々出ているが、その中でも個々の企業レベルで採用を予定されているのがサマータイム制度。
欧米では既に国丸ごと時計を1時間今より進ませる方法がやられているが、簡単に言うと労働開始・終了時間を1時間早めることである。
これで夜間の照明を1時間減らすことができる。
表面的には悪くないと思うのだが、日本では定着しにくい。戦後一時期採用されたこともあったがすぐに廃止された。明るい時間が増える分だけ労働時間が増えるからである。ここには決定的な問題がある。
欧米では労働時間の規制が厳しく、簡単に残業をさせることができない。しかし日本では事実上残業は野放しだから長時間働かせても照明代が浮くので、経営者にとっては積極的に残業させようとするのである。
よってサマータイム導入の前提として残業時間規制が必須となる。そうでない限り導入すべきではない。企業だけが節電の利益を独り占めし、労働者は見かけの賃金は増えても過労死につながるような過酷な労働を強いられて不利益を蒙るだけである。不公平の拡大はやるべきでない。

2011.04.26:

今日はチェルノブイリ事故から25年目にあたる。
今回の福島第1原発の事故に比べて大量の放射性物質が大気中に拡散され、多くの市民が被害を蒙ったが、このときの教訓は日本に生かされることはなかった。
事故を起こした原子炉は「石棺」と呼ばれるようにコンクリート詰めにされたままだが、そろそろ風化が始まって対処を迫られる可能性があるようだ。
福島もいかにして炉の温度上昇を食い止めるかが問題だが、公表された工程表通りに進むかどうかの保証はない。その前に増えるばかりの汚染された冷却水の処理をどうするかも先が見えない。
そもそもスリーマイル島やチェルノブイリのような苛酷事故が起こった場合の処置を何も考えていなかったことが被害を大きくした。IAEAはそういう対策を勧告していたが、日本政府は例によって「ありえない」を繰り返して拒否した。
そのツケは住民に対してのみならず、農水産物にも及び、挙句には外国にまで影響を与えるような風評被害をもたらしたのである。
今、改めてチェルノブイリを思い起こすことは無駄ではない。何より安全神話を捨て、心新たに原発の事故対策を見直すチャンスだからである。
ただ、東電も政府も本気で方向転換をするか、現時点では心もとない。そこで決定的なのは国民世論である。原発の事故対策の強化、そしてより根本的にはエネルギー政策の転換を、国民の多数の声で強制することが決定的になる。

2011.04.25:

日本たばこの工場が被災した影響でタバコが品薄となり、私が吸っている銘柄は日替わり状態。普段は「マイルドセブン・スーパーライト」だが、自販機から消えて久しく、数少ない残りの銘柄を選んで吸っている。
どうやらそれも今日あたりから順次出荷が回復するとの案内がHPで出ていることから、この週末くらいから「売切」の表示が消えていくのだろう。
それはさておき、今日で福知山線の脱線事故から6年。
震災の記事に押され気味だが、慰霊祭だけでなく、事故からの教訓をいかにして生かすかという視点での集会などが開かれていることも、記事として取り上げられている。
聞くところによると、JR西日本の安全に対する取り組み、特に社員に対する安全教育がまだ手薄だということだ。事故防止のハードの整備とともに、社員が誇りを持って働ける職場作りは車の両輪だ。

2011.04.24:

そろそろ連休中のスケジュールが入りだしたが、基本的には昼間にちょっと出るだけで旅行などはありえない。
一応30、1、2が予約済み。特に2日は友人がPCの買い替えをしたいというので店に行ってアドバイスすることになった。
私自身でも悩むところだが、本体だけ買ってWinXPを使い続けるか、いっそのことWin7にしてしまうかは微妙なところ。
XPSP3はサポートが2014年まで続く。それだけの名作だった証拠でもある。それまでの個人用WIn9x系列は「リソース」という厄介な制限があって、長時間使っているとメモリ残量が少なくなっていく現象に悩まされた。
それがなくなってからはいくつものソフトを起動しておいて好きなときに切り替える、ということが自由にできるようになった。私の会社のPCでは常に8つくらいのソフトを動かしていて、時にはソフト間のコピー&ペーストをやるのに非常に便利なのである。
友人に対してはXPと7の選択肢を案内しておいたが、問題は価格。今のOffice2000をWin7で動かすことは当たり外れがあって、「問題なし」とは宣言できないので、OSプラスOfficeも買い替えとなる。よって後は彼の奥さんとの交渉に任せることになった。

2011.04.23:

今日は丸一日の雨。億劫だがそれでも洗濯はせねばならない。そうでないと月曜日に着ていくものがない。兼業主夫は辛いが仕方がない。
そして濡れながらも買物に出た。何のはずみか息子が私の作るカレーが食いたいと言ったので、やめるわけにはいかない。やはり私も親馬鹿である。
最近は毎日のメニューを考えるのが面倒くさくなってきた。ローテーションで鶏肉、豚肉、牛肉、そして休日のどちらかは魚と決めていたが、それさえもワンパターンでは、息子ならずとも私自身が飽きてくる。
しかも最近は仕事が混んできて残業をすることもある。残業だと惣菜か弁当を買って帰ることになる。世の多くの父子家庭はそういう例が多いだろう。母子家庭では収入が低いから、手作りでないと家計が持たないだろう。
だがもう一つの問題は、子供に家事を身につけさせること。
一人の人間が独立するということは、経済的独立、精神的独立、そして身の回りのことが一人で出来る生活の独立である。

2011.04.22:

元キャンディーズの「スーちゃん」こと田中好子さんが亡くなった。享年55歳。若すぎる死である。
「普通の女の子に戻りたい」と解散したキャンディーズだったが、彼女は今度は女優として復活した。しかもアイドルっぽくない、普通の「お姉さん」、「お母さん」役がはまっていた。
それにしても癌は怖い。彼女は乳癌が再発したようだ。年齢としてはまだまだ癌が活発に増殖することが多い。しかも再発した癌は薬も効きにくくなって、猛烈な勢いで増殖する。やがて増殖した癌は人が摂取した栄養を横取りしてもっぱら自らの増殖に使う。だから末期の患者はやせ細って衰弱していくのである。
私とあまり年齢の違わない人が一人、二人と早くこの世を去っていくのは本当に寂しい。誰もが天寿を全うしてほしいと思うばかりだ。

2011.04.21:

ゴールデンウィークまであと1週間、休みに入るまでに仕事の区切りをつけうようと誰もが急ぐようになる。
かく言う私も休み前にいくばくかの貨物の船積をしようと考えていたが、下請の数社が相次いで不良品を出してしまい、納品が船に間に合わなくなってしまった。
もはや諦めるしかないので、関係先には「慌てる必要はない」とアナウンスした。
さて、私自身は相も変わらずゴールデンウィークにやることは何もない。もしあるとしたら、友人からPCの買い替えに付き合ってくれというくらいだろう。まあ、何も考えずにごろ寝をするのがオチか。

2011.04.20:

今夜はあるベテランの送別会。昔現地で一緒に仕事をしたことがあるので時々会話をすることもあったし、気心の知れた人だけにやはり一抹の寂しさを覚える。
もちろん誰しも年齢には勝てないわけだが、ベテランが去った後に若い人がその穴埋めをするという図式にはなかなかならない昨今である。
さて、宴席の中で気付いたのだが、ベテラン以外で横文字に精通した人がほとんどいないこと。私自身も自慢できるレベルではないが、少なくとも抵抗感はない。しかし若手でそういう抵抗感が抜けた人は今の職場にはいない。
これから先、どうなるかは判らないが、欧米のキリスト教的感覚やそれに似通うイスラムの世界を肌で感じることが出来るだろうか。少し気になるところである。

2011.04.19:

最近、原発事故をきっかけに福島県人に対する風当たりが強くなっているようで、今日も官房長官が釘を刺した。
川崎市が福島のゴミ処理を引き受けると発表したら抗議が来るなど、行きすぎが指摘されていたが、被害者であるはずの福島県人をホテルに泊めないなどの加害者扱いは差別でしかない。
無知のなせるわざなのだろうが、こうした行為は害悪でしかない。
それはさておき、相変わらず増税、わけても消費税増税をやれという声が聞こえるが、これも間接的な被災者へのいじめではないのか。
消費税は何にでも無条件に税がかかり、被災者であろうがなかろうが容赦なく徴税される。これでは援助金の一部を政府が減額していることになり、百害あって一利なしである。これくらいのことは素人にもわかる話で、もし気が付かない政治家がいるとすれば、それは物事を正しく見ないうつけ者でしかない。
困ったときに親身になって助ける、それが人間としての基本的な姿勢ではないのか。差別をしたり弱い者いじめをするのは畜生にも劣る。

2011.04.18:

桜が散り始め、そろそろツツジの蕾が膨らんできた。季節は人間の身に降りかかった災難には関係なく変わっていく。
仕事では「のぞみシステム」を終了させて「新・のぞみシステム」に移行させる作業が最後の追い込みに入った。
私がシステムの仕事から抜けた後、後継(?)者が軟着陸の段取りをしているが、やはり能力不足で色々悶着を起こしている。私は上流側で準備をしているが、職場のキーマンはこれまたもたもたしていて話にならない。仕方がないので私が裏でデータの監視をし、未完データの消し込みが成功しているか見ている。残りは約100件で2週間足らずの間にすべて完結せねばならない。
残された時間のカウントダウンが始まった。

2011.04.17:

この週末はやや風が強かったものの、おだやかに晴れていた。
昨日は予定通りの通院だったが、話題は夜中に起こるこむら返り。
実は先月から「芍薬甘草湯」という薬を半分に減らしたのだが、結果は無残にもこむら返りの連発。
減らした理由はこの薬の典型的な副作用で血圧上昇と低カリウム血症が出てきたことによる。しかし夜中に突如起こる激痛はさすがに耐え難い。よって量を元に戻すことにした。主治医曰く、「芍薬甘草湯」に代わる副作用の少ないものはないとのこと。仕方がないので副作用を覚悟で元の量に戻した。
そして本日は息子用の礼服の買出し。
近々に冠婚葬祭があるわけではないのだが、年齢から考えて礼服がないのはよろしくないと思った次第。
ふと思ったのだが、被災地では連日のように犠牲者の葬儀を出しただろう。実は阪神のとき、私が実家へ避難していた間にある神戸の犠牲者の葬儀が実家の近所の寺で営まれた。犠牲になったのは喪主である高校生の両親。何ともいえない気持ちになったことを覚えている。

2011.04.15:

田舎の工場・事務所から神戸に帰ってきて半年が経った。
幸いにして昔馴染みの人間と仕事に囲まれて、仕事が変わったことによるストレスもほとんどない。
ただ、昔に比べて小さなトラブルが多いことを感じる。特に設計でも製造でも、信じられないようなミスが多いこと。その背景には一人の担当者がすべてをまかされていて、気が付いたら猛烈な火の手が上がっているというのが散見されることである。
先日も下請で物を作らせて、ウチの会社の検査員がチェックに行ったら、全数寸法誤差が許容値をはみ出ていて、作り直しになった。聞くと製作途中や仕上がり時点での自主検査をやらずに、いきなり完成検査を受けたとのこと。
コストを切り詰めるために中間検査を省略したので後戻りもきかず、結局作り直しでその会社は大損した。たまたま私の方での船積みまでの時間的余裕があったので、作り直しで解決したが、一時は冷や汗が出た。もちろん工程表を見てどれだけ余裕が残っているかを計算しながら下請にぎりぎり妥協できる時期を指示したのだが。
こういう場合、どれだけ冷静さを保って判断できるかは経験がものをいう。しかし私とて人の子。冷静さを装ってグループリーダーに問題点を話して「何とかなるさ」と言ったが、心の中は不安だらけだった。

2011.04.14:

一応薬は飲んでいるがなかなか回復しない。
さて、震災がらみ、わけても原発事故の問題は色々なところに波及している。
私の身近なところでは、機械部品についても日本からの輸出品には放射能汚染に警戒を強めるのではないかとの憶測が流れ始めた。
農産物は既に水際での検査とか、汚染されていないという証明書を要求する国が広がっていて、なかなか収まらない。
そんな中、国内でも信じられないような話が流れた。
川崎市が福島県のゴミ処理を引き受けるということを表明したら、2000件を超える抗議があったというのである。これはどう考えても過剰反応。低レベルであっても放射能を含んだ廃棄物は他のゴミとは一緒にできない。法律で規制されている。
それくらいのことは川崎市も福島県も弁えているはずだから、あえて「放射能に汚染されたもの含まない」とは付け加えなかった。しかし過剰なくらいに神経質な人は冷静さを欠いた発言をしてしまったようだ。
こういう事態になる背景には東電や政府が、事実を隠蔽するようなことを何度も繰り返していることがあるのだが、だからといって善意でやっていることを、端からの決めつけで攻撃するのはどうかと思う。

2011.04.12:

昨日あたりから鼻水が激しく、喉に流れて痛めてしまった。よって熱っぽい。
普段からアレルギー性鼻炎なのだが、最近増えたということはヒノキの花粉が影響しているのだろうか?
いずれにせよ、調子が良くないので今日はこれだけ書いて寝ることにする。

2011.04.11:

東日本大震災から今日でちょうど1ヶ月。各所で追悼の催しが開かれた。
そんな中、東電の社長が福島県知事に面会を求めたが断られ、それでもなお県庁に押しかけるという無様な茶番劇が行われた。
もちろん知事には会えず、職員からも冷たい視線を浴び、記者会見だけやって帰っていった。
本当に彼は「空気が読めない」人間である。知事以下、すべての県民は謝罪などいらないと言っている。最優先でやるべきことは放射能の流出を止めること。それは前回訪問を断られた時から明白であり、また事態は一歩も前進していない。
それでもなお「義理と人情」のような手法を使って謝罪の行脚に向かうというのは、正気の沙汰ではない。しかもそのことの自覚がないこともこれまたどこか狂っている。もはや彼を救う者はいないだろう。
というか徹底して恥を晒すことしか残された道はない。

2011.04.10:

神戸では県議選と市議選が行われ、息子は初めての投票をした。
「投票をした」ということは棄権しなかったということである。若者の選挙離れは我が家ではなかった。喜ばしいことである。
それと彼は候補者名ではなく、政党を重視していた。意中の政党がまずありきで、投票所に行ってから候補者名を確認した。都会育ちの若者にはそれが普通なのだろうと思った。
昔の田舎の選挙ならば、自民党が圧倒的に強く、しかも公共工事を取ってくるとか就職斡旋が議員の主要な仕事だったカから、「投票は世話になった○○先生」が当たり前だった。
しかし都会では個人よりも組織的な締め付けでの選挙戦が主流になる。よって組織と縁のない、特に弱体化している労働組合しか知らない若者は独自の観点で投票を考えるのではないか。あまり明確な根拠はないが、最近無党派層が多いことのひとつの原因にはなっていると思う。

2011.04.09:

神戸の朝は弱い雨が降ったものの、午後は晴れて桜の花が満開。気温も上がったのでついにパッチを脱いだ。
最近足のこむら返りの回数が増えた。どうやら夜の気温も上がったので、酒を飲んで布団に入った後に汗をかくようになったのが原因のように感じる。汗で水分が抜けて血液の濃度が上がり、毛細血管の血流が悪くなっていることが考えられる。そこでこれまで被っていた毛布も片付けた。
明日はファンヒーターも仕舞うつもりだ。
季節はもう後戻りすることなく春に向かって進む。
被災地では冷たい雨が降ったようだが、近いうちには桜も咲き、暖かい日がが必ずやってくる。
そういえば暖房が要らなくなったからとして、東京電力は計画停電を中断した。

2011.04.08:

震災以後、この日記も震災に関することをずっと書き続けてきたが、やはり阪神の記憶がまだ残っている影響もあって他人事には感じられないという思いが強い。ただ唯一、津波のすさまじさは生々しい動画をいくらに見ていても実感がない。鬼気迫るシーンを見て「えらいこっちゃ」とは思うが、経験がないだけにどうしてもインパクトが弱いのである。
その代わりに、ビルの1階が崩壊して2階が玄関になっているとか、民家が全部潰れて単なるゴミの山になっているような例は記憶から消えることはない。
震災から間もなく1ヶ月だが、被災地の人達はそれこそ四六時中生活再建のために出口を模索している。そのための支援として、個人的には義捐金を送るぐらいしかないが、国民一人一人が思いを共有し、買い急ぎなどせず、例えささやかであっても何か行動をすることが必要である。
そのことを忘れて為替や株価の変動に一喜一憂している人間は、多くの国民と乖離した存在でしかない。東電の株価が急落したのは経営陣の責任であり、またそれを許した株主もその一部分を負っている。それが「企業の社会的責任」というものだ。

2011.04.07:

震災による影響は被災地だけでなく、大小に関わらず日本中に及んでいる。
典型的なのがJR西日本で使われている電車のモーターのブラシ。最近のインバーター駆動では使われないが、古い直流モーターでは必需の消耗品。その多くが日立化成製であるが、工場が被災して出荷できなくなりたちまち品薄となった。そこで電車の間引き運転を余儀なくされたのだが、どうやら他の工場で代替生産の目処が立ち、数日後には通常ダイヤに回復する運びとなった。
私の仕事関係では、農産物を中心に日本から輸入している貨物の輸入禁止とか放射線検査を行う国が増えている。
ウチの会社では農産物は扱っていないが、梱包で使っている木材が汚染されていないかチェックするという噂が流れていて、農産物以外でも規制の動きがないか調査を始めた。
ひと頃は東京湾に入ることを拒否する方向で船会社が検討を始める動きまで出たが、これはすぐに撤回された。
それでもこういった風評被害はここ当分続くだろう。
確かに細かいことを言えば、私が住む神戸でも空気中の放射性物質の量は微量ながらも増えていると思う。もちろん人体に対する影響は無視できるくらいのものだろう。だが、短期的な被爆の影響、例えば広島・長崎の原爆とか、各地で行われた核実験、チェルノブイリなどでの原発事故によるものの研究は進んでおり、どれくらいの被爆量が致命的になるかはある程度わかっているとしても、微量でも長期的に被爆した場合の影響はほとんどわかっていない、というのが実情である。
こうしたことを踏まえたうえで、国民に対する説明責任ならびに万が一の事態に対する責任を東京電力と政府は負っているということをもっと自覚すべきである。

2011.04.06:

ようやく被災地の復旧が始まったようだ。何より鉄道や道路の不通区間が開通する目処が立ち始めたこと。
輸送ルートの確保がされるということは、人や物資を投入する上で不可欠の要素であるから、復旧・復興のスピードは速まるだろう。
ただ、太平洋沿岸地域はあまりにも巨大な津波によって打ちのめされたことから、後片付けすらままならない。瓦礫の量が多すぎるのである。
とは言っても何とかしないと先には進まない。しかも手がかりの少ない行方不明者の捜索も急ぐ必要がある。
こうした中でも季節は何事もなかったように進み、神戸でも桜の満開シーンがまばらながらも見られるようになった。自然は人間界の騒ぎには関係なく季節と共に進む。
だからといって桜を愛でる気分にはなれない。私が人間である限り、仲間が苦しんでいる姿を「私には関係ない」と知らん顔をすような人生を歩んだことがないからである。友達と飲むことはあっても、控えめに、静かに時を過ごすことになるだろう。

2011.04.05:

東電のやり方はいつもチグハグだ。
ほとんど説明なしの汚染水の海水放出に続いて明らかになったのが、避難指示の出ている自治体に対しての一律2000万円の補償金仮払い。これを断った自治体もあるようだ。
何かの目的に使ってくれというわけでもなく、とりあえず渡したというだけ。つまり、今何をすれば良いかがわからなくて、後は自治体で考えてくれということである。
しかし考えたら、仮に2万人の人口の自治体なら一人当たり千円。これで何が出来るというのか。
それと東電は今何をすべきなのかということを全くわかっていない気がする。副社長が避難所に頭を下げに行ったこともそうだ。
今最も必要なのは放射能漏れを一日も早く止めること、これ以外にない。
補償交渉や原発の今後のあり方はその後の話だ。ただ福島第一の6基全部は廃炉ということだけは首相以下、国民の総意としてもいいだろう。
もうひとつ、この問題の責任は政府にもあることは明らかであること。すなわち東電と一緒になって補償交渉や対策を考えることである。その際、原子力安全保安院は解体して、経済産業省とは独立した組織が政府の窓口になるべきである。

2011.04.04:

今夕になって急に、低レベル放射能が混じった水を海水に捨てる作業が始まった。高レベル放射能に汚染された水を溜める場所がなくなったために「玉突き」で出さざるを得なくなったためである。
こうなるとまさに泥縄式対処である。核廃棄物の処理を考えずに原発を増やし続けた結果、未だに稼動できない六ヶ所村の再処理工場では処理できないことがわかり、行き詰った挙句に地中深くに埋めて放置するという計画と似ている。
汚染された水の放水については、半分はやむを得ないとも思いながら、今後順調に炉を冷却する道筋が見えるという確信があるのかという疑問が生じると共に、海に出た放射性物質の一部が海底に溜まって海洋生物に影響しないのかどうかということも心配になる。
安全神話に汚染された東電を始め、安全保安院などのエライ人達の脳は「安全神話」で汚染されているために事故の対処方法がわからなくて戸惑っているだろう。しかし現場で命を賭して頑張っている作業員がもし犠牲になったらどうするのか、そのあたりの「最悪のシナリオ」を想定して行動していないように見える。
冷静に見ると、「安全神話」は彼等にとって麻薬の働きをしているのではないか。
つまり「そんなことは起こりえない」と論議を打ち切ってしまうことで、そこから先の不安・危険要因について分析、対策を考える手間が省けるし、悩まなくても良くなるのである。
同時に原発の商売で儲けている連中からも喜ばれるし、一石二鳥である。飛びつかない手はない。このような心理が考えられるのである。

2011.04.03:

どうも理解に苦しむのは、民主党の中から震災の復興財源として増税案が出ていることである。
しかも対象となる税は消費税や所得税。これでは復興のための景気回復にならないし、被災者自身も負担することになるので、百害あって一利なしとしか言いようがない。思いつく人間の見識を疑う。
加えて国会議員の歳費削減を言いながら、政党助成金削減について触れないのはこれまた片手落ちである。
首相が個人的にあれこれ考えた発言をしても、出身母体がこの体たらくではどうしようもない。根本的な発想を変えない限り、民主党に未来はない。

2011.04.02:

午前中はポカポカ陽気でジャンパーを着ていると暑いくらいだったが、午後は曇って逆戻り。
そろそろ桜の蕾が膨らみ始めたが、今年は満開が中旬くらいになるかもしれない。もちろん被災地は桜の花などまだ遠く、冷え込みへの注意が出ているくらいだ。
行方不明者の本格捜査が自衛隊と米軍によって始まったが、そんな中で漂流する家の屋根の上で犬が生きていたという。もちろん3週間飲まず食わずだろうが、野生の生命力は人間とは比較にならないほど強いことを感じさせる。

2011.04.01:

今日から新年度。例年のごとく新入社員がやってきた。
今年は大震災の影響で祝賀の類は自粛。よって入社のセレモニーも簡素なものになった。門出にあたっての励ましもささやかだったから、ちょっと拍子抜けしたかもしれない。
だがもっと深刻なことは、震災の影響を理由に内定取消を出した会社が少なからずあったことだ。
桜の花がほころび始めたこの時期、被災された人も含め、本格的な春に向かって少しでも前向きな動きになることを心より願いたい。