悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか!

2011  01  02  03  04  05  06  07  08  09  10  11  12
2012  01  02  03  04  05  06  07  08  09  10  11  12
2013  01  02  03  04  05  06   07  08  09  10  11  12

2011.07.31:

九電のやらせメール発覚以来、原発を巡る色々なやらせが明るみになっているが、言語道断なのは監視役のはずの原子力安全保安院が原発賛成のための動員を行っていたこと。
まあ、監視役とは言いながら、経済産業省の管轄で、原発は素人の高級官僚がトップにいるからそうなるのだろうが、これでは国民の命は守れない。
実はスリーマイル島事故の後、かの有名なIAEAは重要な勧告を行っていた。一つは最悪の過酷事故が起こることを前提に、起こった場合にどうするかを決めること、そして監査機関の独立である。
もちろん日本政府は原発推進の大企業の利益優先のために勧告を拒否した。それがどういう結果をもたらしたか、説明の要はあるまい。
安全神話で疑問に対する回答を拒否し、一方であたかも推進派が多数いるような偽装をする。金儲けのためには手段を選ばないやり口はもはや我慢ならないものである。
国民に多大な犠牲をもたらした原発はもはや終焉の時を迎えつつある。

2011.07.30:

梅雨明け以降、太平洋高気圧が張り出して本格的な暑さにはならず、にわか雨が降ったりと安定しない天気である。今のところ猛暑にはまだなっていない。そんな天気が続く中、新潟では豪雨と川の氾濫のニュースが流れた。
電力不足で節電が叫ばれる中、去年のような猛暑になっていないのは安心できる材料だが、一方で豪雨による被害が出ていることは残念だ。
何事もほどほどに、というようにはならないのが天候だが、何事も穏便にと思うのは人情である。
さて、最近息子が週末の買物で荷物持ちを手伝ってくれるようになった。私が疲れた顔をして帰ってくるのを見かねたようで、私としてはありがたい。
特に肉類などが安いスーパーに行くのだが、片道10分程度の距離にあり、「往きはよいよい、帰りは重い」のが難点。しかも最近私の体力低下は目に見えて激しくなり、かなり参っていたのである。
値段さえ気にしなければ近くのスーパーでも構わないのだが、「主夫感覚」が染み付き始めたこの頃、少しでも安いという思いが強くて、遠くても出かけてしまうのである。
息子にはこういう説明をしても理解してもらえないと思うので(それは私の子供時代と同じだ)話してはいないが、やはり疲れている姿を見ると気になるのだろう。家族であろうとなかろうと、それは人情である。

2011.07.29:

再び盆休みの話。
盆休み明けの出荷スケジュールをチェックしていたら、1件だけ8月中に船積をしないといけない話が出てきた。品物が出来上がるのは盆休み直前で、梱包はすぐには完成しない。ということは休み明けの22日にならないと梱包の重量と容積が出てこないわけで、それから予約を入れても残り1週間以内に便があるかは保証がない。しかも本船スケジュールが遅れたら(珍しくない)アウトである。
さてどうするか。
こういう場合に使うのが概算の重量・容積での仮予約。盆前に荷物が入ったらすぐに梱包の専門家に概算で計算してもらい予約。盆明けに梱包を完成させて実重を測り、確定したデータを貨物受付の締切日までに船会社に渡すのである。
こういう綱渡りは好ましくないのだが、背に腹は変えられない。盆休みの計算を甘く見ていた私が悪いのである。

2011.07.28:

職場で海外駐在になる人があって、その人がやっていた中国向け輸出の仕事を引き継ぐことになった。
もっとも中国との書類のやり取りは中国語と英語の併記。しかも中国側には多くの日本人が中国人の指導をしているので苦労はない。
とはいえ、中国本土の漢字(簡字体)はとても日本人にはなじめない。新入社員の頃に電気エンジニアとして中国との仕事をしたことがあって、ほんのわずかな言葉を目にしたことがあるが、とてもついていけない。
例えば、スイッチ表す中国語は「开关」。日本で使う漢字に直すと「開関」と、門構えを外したものである。とにかくものすごい省略をやっている。
書類はすべてこの調子だから、目が慣れるまで時間がかかりそうだ。

2011.07.27:

7月ももうすぐ終り。仕事の上では明後日が月末である。
そうなると今度は盆休みが仕事のターゲットになる。具体的には8/12。これを境目にして「塀」の内側か、外側か落とすかを決める。私が関係する仕事では既に区分けが決まっていたのだが、昨日1件だけ部品製作で寸法誤差をはみ出すものが出てしまい、手直しが必要になったのでこれだけは塀の外へ落とすことになった。
ということで盆休みまでの仕事は極めて(?)順調。
後は盆休みをどう過ごすかに集中したい・・・ところだが、例によって現在は何もなし。といっても家では暑くて居られないと思うので、どこか涼しいホテルでごろ寝したいところだ。

2011.07.26:

学校が夏休みに入って、通勤客に混じって家族連れが目立つようになった。また、神戸ならではの風景で、須磨の海水浴場からの帰りで真っ赤に日焼けした若者の姿も見える。
今年の夏の始まりは不安定な天候だ。梅雨明けがやたら早かったのは良いが、太平洋高気圧の位置がやや偏っているせいか上空に寒気が入り込んで、局地的な雨が目立つ。去年のような猛暑があるとすれば来月に入ってからなのだろう。

2011.07.25:

中国の高速鉄道事故、多くの犠牲者を出したことそのものも悲惨だったが、その後の対応も驚くものだ。
高架橋からぶら下がった状態の車両を無理矢理落下させ、さらに事故車両を現場の土の中に埋めてしまった。こんな対応は日本を含む先進国ではあり得ない話。
中国政府の方針は、一刻も早く運転再開させることのようだが、事故原因の究明や対策は後回しというか、そのための貴重なデータを隠蔽させる行為には、間接的には人命軽視でもある。
原因がわからなければ同じ事故が起こることは排除できない。私ならそんなものには乗りたくないと思ってしまう。また多くの人が不安を感じることはほぼ間違いないだろう。当然国内外から疑問の声が上がるだろうし、批判の声も出始めた。
ところが中国政府は機先を制するように報道の窓口を一本化させたりと、批判封じに出始めた。
純粋に技術的なことを言えば、中国の高速鉄道には日本のようなATCやCTCはまったくないようだ。距離が長く、網目のような線路でCTCのような一元的運行監視は困難かも知れないが、少なくとも高速で運転士に信号機を認識させることが不可能なシステムでは、ATCは不可欠である。
それらを含めて、今後取らねばならない対策はいくらでもあるはず。なのに対策の基礎となるべき事故車両から得られるデータを葬り去り、ひたすら運行再開を急いで集客に走るその姿は、大事故を起こして事故調査委員会からも労務管理に指摘を受けた、JR西日本の金儲け体質と何ら変わらない。

2011.07.24:

遂にアナログTV放送が抹殺された。
一体何人(何十万人?)の「テレビ難民」がいるのか実態調査も十分に行わないままの見切り発車である。
高価なデジタルチューナーも問題だが、古いUHFアンテナでは受信できない可能性があることも今頃になって明らかにするなど、視聴者の声に十分対応しないままである。24時間対応のヘルプデスクも設けたようだが、混乱は簡単には収まるまい。
今回のような上位互換性のない移行は慎重を期さないといけないはずだが、政府・メーカー主導で強行したツケが出てくることは間違いない。
我が家はCATVの「デジアナ変換」サービスがあるので、2015年まではアナログ受像機が使えるが、それでも以後は高価な受像機に買い換えるかチューナーを買わねばならない。
本気でデジタルに完全移行するのなら、少ない出費で済むようなことを考えてもよかったはず。こういうところにも最近の「自己責任」という悪しき宣伝が目立つ。

2011.07.23:

実は昨日に二つの話を書こうと思っていたが、長くなりすぎるので、残りを今日に延期した。
直径が6m以上にもなるような大きな鉄の円筒を作る場合、まずもって最初から製鉄所で円筒形を作るわけではない。需要が少ないのにそんな馬鹿でかいものを作る設備は持たないからである。作ったとしても製品の価格はべらぼうに高くなる。
ではどうするかというと、円筒の厚みと同じ厚さの鉄板を丸めるのである。紙細工で細長い紙を丸めてリングを作るのと同じ要領である。しかもあまり細長い鉄板は作れないので、1枚の鉄板を曲げるのではなく、3〜4枚の鉄板を曲げて円弧にし、互いに溶接して円筒を作るのである。
当然のことながら円筒の径が大きくなるほど分割数は増える。ところが増えるにつれて曲げた鉄板の両端の径の誤差が大きくなる。ちょうど菊の紋章のように花びらのつなぎ目がでこぼこになるのである。
前置きはこれくらいにして、ウチから下請(といっても大企業)に出した鉄の円筒製作が、「菊の花びらの誤差」が許容範囲を大幅に超えてしまったのである。この誤差が大きいと円筒が実際に回った場合に、ゆがんだ部分に異常な力がかかってひび割れを起こしやすくなる。
問題が起こった原因は下請がまた孫受けに仕事を出したのだが、実力不足で誤差範囲をはみ出したまま製作してしまったことにある。
とはいえこの歪は直さないといけない。
最善は作り直しだが、そうなると納期が大幅に遅れて客に迷惑がかかるのでやれない。だったらどうするかというと、歪んでいる部分をガスバーナーであぶって誤差を小さくするのである。鉄板は熱せられた部分が冷えて元に戻るときに微妙に曲がる。この手法はタンカーの船体のような綺麗なカーブを作る時に使われ、通称「やいと」と呼ばれる。
だがこれは職人技である。
とはいえやるしかない。結果は「神のみぞ知る」である。設計担当者は私に泣きを入れたが、私にももはや選択肢はない。
それにしても思うのは、下請を含めて許容誤差を超えた製品が平然と納入されてくること。ベテランがいなくなって品質の悪いものが次々と作られる現実には、暗澹たる気持ちになる。

2011.07.22:

昨日の続き。
設計の若手に問題点を話し、図面を見ながら、そもそも「アイボルト」用のネジ穴を作っていないことがおかしいと私が主張した。すると彼は同じシリーズの機械の最新作の図面を捜してきた。そして同じ部品の製作図を見て、二人とも「あっ」と言った。
ちゃんとネジ穴が用意されているのである。
どうやら誰かが気付いて改良していたようだ。だが、今回問題になった部品は20年近く前に納入したものの交換オーダーで、古い図面をそのままコピーして単純に流したことが原因だとわかった。
こういうモデルチェンジが既納品に反映しないというのは珍しくない。20年近くになると担当者も変わって、マイナーチェンジが全部引き継がれるとは言えないからである。しかも問題は機械の性能や安全性とはほとんど関連がない。
今回のような問題の最善の解決策は何か。それは「古い機械は廃棄する」ことである。

2011.07.21:

休み明けでてんこ盛りのメールが来ているかと思ったが、メールよりも紙のほうが多かった。
分類、捺印、進捗ファイルへのインプット、社内への回送またはファイリングと、結構時間がかかる。メールならまず分類して、返事の必要があるものにだけキーボードを叩けばよい。
今日は悩ましい相談が入った。
下請で作らせた1トンもある機械部品なのだが、それを梱包工場で輸出用の梱包に入れ直すのにどこにワイヤーロープを引っ掛けたら良いかわからないという。
普通は本体のどこかにネジ穴を明けてあって、そこへ頭の部分が丸い輪になっているボルト(「アイボルト」という)をねじ込み、輪にワイヤーを通して吊り上げる方法を使うのだが、今回はそんなネジ穴がまったくない。
メーカーからは細い材木で作ったパレットに載せてトラックで運んできたのだが、弱くて輸出には耐えられない。そこで乗せ変えがどうしても必要なのである。
図面を見ながら、梱包工場のスタッフとどうしたらいいか電話で話していてもいいアイデアが出ないので、そもそもどうやってパレットに乗せたのかメーカーの担当者に問い合わせるしかないということになった。
結論は、部品の周囲にところどころ明けてある、隣の部品とをつなぐためのボルトが貫通する長い穴(直径約6センチ)にワイヤーロープを通して吊り上げるということだった。さすがに専門家でも気付きにくいこのアイデア、よく考えたら納入先の東南アジア某国で箱から部品を取り出す方法がわからなくて困るのではないかということになった。
このあたりは私の閃きが早い。吊り上げるところのデジカメ写真を送ることで決着である。
だが本当のところを言うと、本来ワイヤーロープを通すことを想定していない穴を使うというのはいわば苦肉の策。というのもワイヤーが穴に傷を付ける可能性があるからだ。本当なら、1トンもあるのだから、設計で吊り金具を考慮して図面を描くべきである。そのことは明日私から若い設計者に申し入れるつもりである。

2011.07.20:

台風6号が通り過ぎた。神戸では朝から晴れ間が見えるようになって、それとともに気温は上昇。元の暑さになった。
さて、今月入ってからというもの、友人HPの手伝いが忙しい。連日のように原稿が入ってきて、HTMLの編集に追われている。
そんな中で、先月こんなことがあった。原稿の中の文章があるサイトの丸写しで、しかも引用であることの断り書きがまったくない。それで書いた本人に著作権法違反に当たると警告して書き替えを要求したのだが、「丸写しではなく、同じ論調になっただけだ」と強弁した。
論調が同じでも同じ言葉を使っているならば盗用でしかない。著作権法に対するあまりの意識の低さに驚くと共に、「もし訴えられたら関係者全員に迷惑がかかるぞ」と一発かまして、書き換えさせた。
ところで節電の休業は本日で終了。明日はどれだけのメールが溜まっているか楽しみである(苦笑)

2011.07.19:

台風6号が接近している。神戸では風雨共にそれほど強くはないが、それでも昨日からは小雨を含めて降りっぱなしである。和歌山では川が氾濫しそうだとのニュースも入っている。
今回の台風の特徴は、まず巨大であること。どうやら6月の暑さで海水温が上昇し、それを台風が取り込んでいるらしい。次にやたら速度が遅いこと。これは台風が偏西風にまだ乗り切れていないようで、風雨が長時間続いてあまり好ましくない。沖縄では当たり前なのだろうが、本州では珍しいことなので対策が十分ではないのである。明日あたりには速度が上がるだろう。
話は変わって原発のこと。
菅首相が記者会見まで開いて「脱原発」を表明したが、民主党側からブーイングが出ると「個人的見解」に後退させてしまった。
一国の首相の発言なのだから、決して軽くはない。それを簡単に撤回するのでは国際的信用が落ちる。首相たるもの、「俺が法律だ!」くらいの覚悟が必要だ。それは同時に確固たるデータとか将来の見通しへの裏付けが必要なのではあるが。

2011.07.18:

女子ワールドカップサッカーで「なでしこジャパン」が優勝した。見事な「あっぱれ!」である。
大人と高校生くらいの体格差がありながら、走り回って守り切り、最後にPK戦で逆転したという感じである。とにかくアメリカがゴールに迫ると、あっという間に大勢の日本選手が集まる。そして点を取られたら取り返すということを繰り返した。これは最初からの作戦だったのだろうが、それを実現させた選手の努力には敬意を表する。

2011.07.17:

放射線に汚染された藁を食べた牛の牛肉が、関西にも出回っていることがわかった。私も口にしているかもしれない。もちろん僅かな量ではあるが。
放射線のことを言えば、福島での事故で大気中に放出された放射能の一部は、ほんの微量とはいえ、既に関西にも回っているはずである。だから驚くことはない。最大の問題は許容量を超えた線量を体内に取り込んでしまうことである。
だが厳密に言うと、体内被曝の許容量がいくらになるのかと基準ははっきりしていない。というのも現在の基準は体外から瞬間的に浴びた場合の影響を考慮した場合、すなわち原爆、核実験、チェルノブイリ事故などにおける結果からはじき出したもので、低レベルの放射能を長期に浴びた場合の影響はまったくわかっていないからである。というかそんな実験はできるわけがない。
ここにウランによる核分裂の恐ろしさが現れている。普通の科学的知識を得るならば、実験でそれを確かめることができるが、放射能を垂れ流した実験はできない。一旦漏れた放射能は無害化する方法がなく、セシウム137のように30年間、最悪のプルトニウムは24000年閉じ込めたまま放置するしかないのである。
制御の効かないものを電源として使う、しかも事故が起こったら手の施しようがない、そんな危険なものを使い続けるのはやめようではないか。

2011.07.16:

久しぶりに親しい友人とおしゃべりする機会があったのだが、メンバーの一人からガンにかかった時の人間の心理を詳しく聞いた。
ガンそのものは初期だったために摘出手術をし、その後も抗がん剤の点滴を受けることがないほどの軽いものだったのだが、ガンにかかったという事実に対するショックで、仕事も手に付かず、家でも家族のことがまったく信じられなくなってうつに近い状態になったという。
このことが示すのは、ガンという病気が死に至る不治の病として認識されていたということである。いくら医学が進歩していても、いざ自らがガンに侵された場合には、それまで抑えられていた死の恐怖が首をもたげてくることがある。それは子供の頃からの経験・教育の結果として出てくる。しかもどれだけ周囲が慰めの言葉をかけても簡単には止まらない、ものすごい執着なのである。
幸いにして本人は自力でそれを克服し、他人に語ることができた。もちろんそれも人間の心理がなせるわざである。
残念ながら私の兄は病気と闘う、あるいは妥協しながら生き延びるということができないまま、焦燥のうちに早すぎる生涯を閉じてしまった。
そういう私も、もしガンにかかったらどういう心理になるか、それは予測が付かない。今更ながらガンという病気が人生にとって重い意味を持つものであるかということを改めて知らされた。

2011.07.15:

今日は朝から大忙し。一昨日の営業の受注忘れの他、急遽新しい注文が入ってしかも緊急手配ということで短納期。またそれとは別に、来週前半は節電のための休業が控えていて、今日までにやっておかないと1週間近くロスする仕事が残っていたのである。
節電の休暇は毎年のことで、今年の騒ぎには関係なく、子供たちが夏休みに入る今頃に実施している。もちろん盆休みはまた別である。
ということで、設計なども今日中に私に渡さないといけない図面を必死で作っていた。
お陰で本日のノルマは5時までにすべて終了。明日からは枕を高くして寝られる。但し熱帯夜の場合は別だが(笑)

2011.07.14:

昨日菅首相が「原発依存からの脱却」を宣言した。
しかし、たまたま彼の記者会見を聞いていて感じたのは、「いつまでに」ということを言わなかったこと。つまりあれこれ理由を作って先延ばしにする余地を残したのである。
そしてもっと不思議だったのは、大手マスコミの記者は誰一人としてそのことを突っ込まなかったこと。
「脱原発」の表明そのものをやってもまったく意味がないとは思わない。少なくとも新しい原発建設は不可能になる。
ただ、原発推進の電力会社や原発用機器を作っている大企業は、あれこれ理由をつけて大反対するだろう。
早速財界からは「電力不足は企業の運営に悪影響が出る」とか「電気料金が上がって国民の負担が増える」とか言い出した。但し原子炉の安全性をどう確保するのかという提言はまったくない。もちろん彼等は原発が危険なものであることを知っているからだ。
いずれにせよ、首相の発言は今後の原発・エネルギー政策に一石を投じたわけで、国民世論が脱原発に大きく傾くことは、世界的な動きともあわせて、間違いないと思う。

2011.07.13:

今日もまた仕事でろくでもない話。
その1:営業が客から注文書を貰ったのに、それを社内に製作指示として回さなかったために放置され(もちろん私も知らなかった)、納期一月前の今日客から確認があってそれが発覚した。
とにかくメーカーには特急で製作を頼んだが、盆休みがからむので納期を守れるかどうかはまったく保証なしである。私は、営業の係員、係長、課長がそろって忘れていた事実を知るに及んで、「お前等3人、指を詰めて俺のところに送って来い!」と一喝した。もちろん笑いながらであるが。
その2:ある商社に工場で使う接着剤を頼んでいて、明後日が納期のもの。調達の担当者が顔色を変えて私のところにやってきた。「実は製作中止で代品を入れたいと言ってきた」というのである。
工場では既に工程が予定通り進んでいて、新しい銘柄が使えるかどうかテストする暇などない。そこで私は一計を案じて、同じ品物を扱っている別の商社に電話をし、話が本当かどうか確かめた。すると仮に製作中止があったとしても、どこかに在庫がまだいくらか残っているはずだから納品できるはずだとの回答を得た。
私は早速調達マンのところへ行って、オフレコという条件で事実を伝え、元の商社と話をつけるよう頼んだ。そして半時間後、調達マンからの回答で「在庫があったので予定通り納品する」と聞いた。
これを聞いた途端、私は力が抜けた。もしダメな場合の善後策を考えていたから、あまりの拍子抜けであたまが空っぽになったのである。
時計を見たら既に午後4時。後はもう仕事のやる気は失せた。

2011.07.12:

最後のスペースシャトルが打ち上げられ、私のPCの壁紙の打ち上げ画像も最後のものになった。
思えば歴代のシャトルの画像を壁紙にしたのは2006年頃から。もちろんシャトル自身はずっと以前から打ち上げられていたが、その昔はどちらかというと壁紙も何もない濃い青の背景が私の好みだった。
それとスクリーンセーバーも嫌いだった。そもそもスクリーンセーバーはCRTの一部のドットだけが焼けて残像が強く残ることを防ぐ意味があったのだが、液晶になってからは意味がなくなった。
これら、時代と共に環境が変わっていくことをシャトルの終焉が教えてくれる。
そう考えると、福島原発の事故は原子力発電の時代の世界的な終りを告げる弔鐘に見えてしまう。

2011.07.11:

東北大震災から4ヶ月、結局死者・行方不明者は2万人を超えた。これで阪神大震災との大きな違いがはっきり見える。
しかも地震、津波に加えて原発の放射能漏れ。改めてひどい災害になったことを感じる。
だがこれ以上の言葉はやめておこう。今も被災地で不自由な生活をしている人達には4ヶ月の節目などはどうでもよく、とにかく一日でも早く元通りの生活に戻ることが最も必要なことなのだから。
私が関係している被災地の工場では、まだ電話がつながらない。NTTの幹線は復旧したが、工場内の交換機が壊れたままで、構内のダイヤルインにかけても話中のままである。よって関係者の携帯電話でしか連絡がつかないのである。だから緊急以外には呼び出さないようにしている。
それにしても固定電話はいつ復旧するのだろう?

2011.07.10:

今夜は昨日予告したとおりのハモの天ぷら。しかしトレイから取り出して気が付いたのは「骨切り」をしていないこと。「困った」と思いつつも仕方がないので初めての骨切りに挑戦した。
皮まで切らないように力を加減しながら細かく身を刻んでいく。何とか終わって、食ってみたが少しだけ長い骨が残ったものの、一応成功である。息子も文句は言わなかった。鯖のような太い骨ではないから噛み切ったら何とかなる。
それにしても出刃包丁には扱いのコツがある。何と言っても常に刃を研いでシャープにしておく必要がある。肉を鋸のようにゴシゴシやると断面がぎざぎざになる。特に刺身では見るも無残である。だから一気に切り落とさねばならない。そのためには包丁の切れ味が鋭くないとダメ。
このことは自分で魚をさばいてみてやっとわかった。

2011.07.09:

やはり梅雨が明けたら暑い。セミの大合唱はないものの、午後は何もする気がなくなるくらいぐったりした。冷たいシャーベットを口にすることで少し落ち着いたが、これから約1ヶ月この調子だと思うとうんざりする。
しかし食欲がないと困るので、夏向きメニューを考え始めた。最近の休日の昼は冷やした麺が活躍するが、夜は悩ましい。とりあえず今夜は冷豚しゃぶ。明日はハモの天ぷらに決めた。
そういえばもうすぐ土用の丑。鰻を食いたいところだが、最近は値上がり気味。う〜〜〜ん、どうしようか。

2011.07.08:

何となく歯切れの悪い梅雨明け。今日は東海までである。
朝ちょっとだけセミが鳴いたので「あれ?」と思ったが、やはり気象庁が梅雨明けを宣言した。確かに天気図とレーダーを見る限り梅雨前線は北に押し上げられた。本当に梅雨明けだとすれば、神戸の今年の雨はいつもより少ない。
さて、仕事の話だが、大変な話が発覚した。
6月末決算で売掛に計上すべき受注を営業が今になってジョブ番号として登録したのである。謝罪の言葉もない。しかも客先からは仮発注の書類も出ていた。さらには一部の仕事を下請に出していたのだが、これも未払いなっていた。
金額は大きくないのだが、多寡に関係なく有価証券報告書の修正申告につながり、かつ下請法違反となる。よって経理は怒りまくった。私もジョブ番号の完工を証明する証拠書類の回収に責任を負っているだけに、営業から何の連絡もなければ手の施しようがなく、後始末を請け負うことになってこれまた頭にきている。
結局経理からは営業のしかるべき責任者に始末書の提出と再発防止策の提示を要求することになった。
決算直前の「隠し玉」はあっても、社内コンプライアンス違反、違法行為に直結するこんな経験は初めてである。
そもそもは営業担当者の認識の低さにあるのだが、それを許すような雰囲気・体質が社内にまだ残っていることを危惧する。

2011.07.07:

結局玄海町長は前言を翻して原発の再開を白紙に戻した。騙され、翻弄されたのだから怒り心頭だろう。
こうなったすべての原因は政府と九電にある。
同時にこのようなやり口は世界に対する恥でもある。少なくとも欧米では。嘘とごまかしは人間性の否定であり、同時に神に対する冒涜として教会での懺悔でも決して許されない。しかも事は人間の生死に関わる話だからである。
これ以上のコメントはやめておくが、もはや日本での原発はこれ以上生き残る根拠を失ったと言えるのではないだろうか。

2011.07.06:

言語道断の話が明らかになった。
政府が行った玄海原発再開のネットやCATVを使った「説明会」で、九州電力が関係会社に再開を要望する「やらせメール」を送るよう指示したのである。
九電は最初とぼけていたが、今日「やらせメール」を認めた。
これほど国民を馬鹿にした話はない。しかも問題は現在国民の多くが原発に疑問を投げかけている中で、さも国民の声を反映しているような偽装を組織したのだから、社長をはじめ、九電の責任は重大である。
しかもこれに影響を受けたのかどうかは別にして、玄海町長は国が責任を持つことを条件に原発再開を認めたのである。それに加えて政府はこの再開発言直後に、原発が最悪の事態に耐えられるかどうかを調べる「ストレステスト」を行うと発表した。
さすがの玄海町長も怒りで「立地町を小ばかにしている」と発言した。
国民を騙し、地方の首長をもペテンにかける政府と電力会社の悪辣な手口は断罪されるべきである。もちろん原発の再開などもってのほか。

2011.07.05:

松本復興相が辞任した。「9日天下」である。捨て台詞として「岩手でキックオフして、3日でノーサイド」と言っているが、実態は被災者を傷つける「危険プレー」でペナルティー、即「レッドカード、退場!」となっただけの話である。
菅首相はこんな人間しか任命できないというか、民主党には今やまともな人材が残っていないようである。だからこそ与謝野大臣を始めとして、野党から引き抜くことになる。
こうなると菅首相の辞任もさることながら、議員としての資格・品性を見直すことも含めて、総選挙をやるしかないように思える。
そうでないと、旧態依然の、松本氏のような人を見下す人物をそのまま議員として居座らせることになるからである。
昔からの私の持論であるが、民主主義における議員というのは、国民の声を代弁してそれを議会に反映させることが仕事なのであって、当選したら己の野望を実現させる権利が与えられたのではないのである。
選挙で「私は○○を実現します」と公約し、当選したらそれを実現するために必死なって活動するのが民主主義、代議制なのである。他の選択肢はない。

2011.07.04:

松本復興相が「知恵を出さないところは助けない」などと知事との会談で発言した。一方で政府は地元民の希望を無視した「特区」案を出したり、要するに上から目線の発想ばかりなのである。
阪神のとき、市内の復興計画で崩壊した町並みを高層ビルに置き換える政府案を押し付け、それが今でも人口が戻らない原因のひとつになっていることの反省もない。
松本復興相は批判を浴びて後から謝罪したそうだが、心の底から反省しているとは思えない。本気で反省する気があるなら、消費税増税や原発の再稼動を急ぐようなことはやめるべきである。

2011.07.03:

電気カミソリを買い換えた。もう10年近く使ってきたもので、歯がなまってきちんと剃れなくなった。しかも替刃の値段は数千円ということで、4千円足らずの新品を買ったほうが得策という結論になった。
私はカミソリ負けがひどく、散髪屋でも深剃りはいつもやめてもらっている。だから自宅は電気カミソリのみ。
これから暑い夏になって、朝から顔に汗がにじむので髭剃りがやりにくくなるが、新しい電気カミソリは力を発揮してくれるだろう。

2011.07.02:

電力不足で土日出勤をするところが大企業を中心に実施するようになったが、子供の保育の問題など、混乱は避けられないようだ。
これでピークを乗り切れるかどうかは結果を見ないとわからないが、もし余裕を持って終わったら、原発は不要という論はますます強くなるだろう。政府はあれこれ理屈をつけて、作れば作るほど電力会社が儲かるし、メーカーが潤う原発推進をはかろうとするが、国民は安全を優先して消極的である。
ところで震災復興の財源を突破口に、何とか消費税増税をやりたいようだ。最近「基幹税」という言葉が出ているが、これは税収の大半を占める所得税、法人税、消費税を指す。ちなみに昨年度の税収は所得税が12.6兆円(歳入の13.7%)、法人税が6兆円(6.4%)、消費税が9.6兆円(10.4%)である。しかし政府はあくまで消費税がターゲットである。何しろ1%増につき2兆円が転がり込んでくるのだから。
しかしこれまで、政府は所得税の最高税率を下げたり、法人税減税を毎年のようにやってきて、今度は逆に消費税増税で、なお一層大衆からむしり取るつもりだ。こんなことは本当に許せない。

2011.07.01:

朝は小雨模様。その後も雲が多くてカンカン照りということにはならなかった。梅雨も後半戦だが、まだ梅雨明けが見えてきたわけではない。
それを象徴するように、電力の逼迫状態がネットに表示されるようになったが、まだまだ黄色から赤に変わるような所までには至っていない。
さて、決算で残った書類の入手は、今日すべてが一度にそろって終了した。週末でもあるし、今夜は枕を高くして寝られる。