悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
99.07
1999.07.31:
今日で7月もおしまい。
以前「大予言」と称して1999年7月に地球が滅びるようなことを書いた本が売れたようだが、どうやらそんな事はなさそうだ。書いた本人も騒ぎの大きさに驚いて恐縮していたようだが。
この不況の時代、不安にかられるのもやむを得ないが、それに便乗した新興宗教や商売をするのはいかがなものかと思う。その昔「末法思想」がはやったのと同じで、先行きの不安があるのは世の常だから、人が占いとか宗教に救いを求めるのは否定しない。だがそれを煽って一儲けしようという根性は許し難いものがある。
8月まであと数時間。
1999.07.30:
梅雨明けと言いながら、その後の天気ももうひとつすっきりしないし、朝夕もしのぎやすい。
ただ湿度はやはり高めだ。日中は蝉もやかましい。
やはり地球温暖化の影響なのだろうか。台風も少ないし、昨年同様の冷夏では農家が困るだろう。
1999.07.29:
友人がスイス旅行から帰ってきた。
それで困った事として「ラーメンとか味噌汁に使う熱湯が出ない」とのこと。思わず笑ってしまった。彼は海外の経験がまったくゼロではないのだが、永年染み付いた日本人としての食習慣から抜け出せなかったらしい。昔からこういう日本人は多い。ツアー旅行では塩昆布とか梅干がテーブルの間を飛び交うという。また3日に1回くらい日本食を入れないと客の機嫌が悪くなると聞いた事がある。
私は原則的に日本食にこだわらずにいける。ただ、昨年の旅行では母親のことを気遣ってパリで1回だけ日本料理を食べた。私も日本人だけに悪い気はしなかったが。
ところで旅行用品としてコップに入るくらいのヒーターが市販されているらしい。それだけ需要があるということか(笑)
1999.07.28:
今日は少しだけ飲んだ。
最近定年退職したOBの送別会で、何回か勉強になる事を教えていただいた大先輩である。
持つべきは尊敬すべき師、人生の手本たる先輩である。私自身も学校を出て二十数年、後輩達の手本になることを意識せねばなるまい。自分ではそう思ってなくても、否応なく40代あたりからはそういう目で見られるようになる。
襟を正し、謙虚な態度で相手に接することが大切なように思う。
倒産した会社の経営陣はどうやら自分達の財産を確保しようと画策しているようだ。他人の生活を犠牲にして、謙虚さの微塵もない連中だ。
1999.07.26:
母親が退院した。
胃潰瘍も萎縮していた。人間の体は不思議なものである。1ヶ月位で潰瘍が大きくなったり小さくなったりする。そう言えば、今迄健康だった人がある日突然十二指腸に穴が空いて大騒ぎになった例を知っている。
母親の場合、医者は心因性を疑っていたようだ。それも本人の自覚が全く無くてもである。
考えれば人間の体は非常に複雑で精密な自動制御系を持っている。例えば肝臓の機能を現在の化学工業の技術でで処理しようとすると関東平野くらいの広さの設備を必要とするらしい。
そんな自分の体、故障しないよういたわってやりたい。
1999.07.25:
蝉の大合唱が始まった。毎年、殆ど間違いなく梅雨明け宣言の日から蝉が一斉に鳴き出す。多分気温の微妙な違いを感知するのだろう。
息子は休日になると蝉取りをせがむ。我が家の近所は圧倒的にアブラゼミが多い。多い時は1時間も網を振ると20匹くらい捕まる。もっとも息子は網から虫篭へ入れる時、手で掴むのをやたら怖がるのだが(笑)。
1999.07.24:
7月5日に書いた下請けの1社がついに倒産した。
経営者は1回目の手形の不渡りで即座に裁判所に「会社更生法」ではなく、「自己破産」を申請した。小企業ではまず更生法の適用は認められないからである。
従業員には何ら事前の知らせもなく、それも会社の休日に、2ヶ月分の給与の振込と1枚の解雇通知を郵送しただけだった。工場には鍵が掛けられ、破産を告げる紙切れが貼られた。
経済企画庁が何と言おうと不況が回復する兆しは見えない。折りしも、私の会社からの発注は半分になった。私の願いも空しく、先代が築いた会社の幕は閉じられた。報告に来た重役は号泣していた。しかし本当に号泣したいのは働く場を失い、路頭に迷う30数名の従業員達である。それも数名は会社の清算のために無給で働くという。これこそ悲劇でなくて何であろう!
私はここ当分の間事件の片方の当事者として後始末に走らねばならない。初めての経験である。
実は地震の前、私は肉親を相次いで亡くすという試練に会った。今回もまた重苦しい日々が続く。私はキリスト教信者ではないが、こうつぶやきたくなる。
God always gives me the trials!
1999.07.23:
今日は一言。
海で日焼けしたので手足が真っ赤になった。特に首筋が痛い。ネクタイは地獄だ!
1999.07.19:
入院中の実母が大分良くなって月末には退院できる見通しとなった。
最初は腸閉塞でなかなか開通せず心配したが、どうやら薬でうまくいったようだ。だが、ついでに飲んだカメラで胃潰瘍を発見。まあこれも軽症らしい。今迄大腸の手術で4回「切腹」した上に高齢なので、主治医は何とかメスを握らなくて済むように努力した。
それにしても、去年「外国へ連れて行け」と言ったご本人は、便通がない時はうっとうしい顔をしていたが、治るとケロッとした顔をして何だかんだと喋りまくる。
1999.07.18:
個人の自由と責任・3
民主主義の基本は個人である。個人の自立と自由なくして民主社会は成り立たない。
また、自由な個人には結果に対する責任が生じる。誤った結果に対しては個人が自らの力で正していかねばならない。だが、ここで新たな問題が生じる。個人の自由と責任の範囲はどこまで通用するのだろうか。というのも一個人が社会に対して取り得る行動と責任は、先にも述べたごとくある眼界があるからである。
世の中にはさまざまな個人が存在する。色んな生い立ち、経験、住んでいる国・地域によってさまざまな個性を持つ。また人それぞれの個性がなければ個人の多様性もない。その意味では個人はバラバラで社会全体の進歩とは一見矛盾するように見える。「みんな好き勝手ばっかり言って、ちっとも社会は良くならない」という議論はその典型である。しかし、そのバラバラを許すのが実は民主主義の基本なのである。もし許さないとどうなるかは今迄の歴史が示すとおりである。
この矛盾についての考察は哲学と社会学の複雑な論争になるので割愛するが、結論から言うとこの矛盾こそが実は社会を動かす原動力なのである。「個人としては誤謬だらけ」の人生が集まって人間社会全体としての法則を貫く、というのが私の得た大まかな結論である。
そうなると、個人のレベルでは個人としての最大限の努力をして社会にかかわっていくしかないことになる。社会としては個人の社会に対する働きかけを集約し、反映していく仕組みが必要になる。民主主義の中身はそうようなものであらねばならない。しかし現実はどうか?特に現在の日本には自由な個人を受け入れる仕組みが弱いように見える。何故か?
個人から社会に働きかけるアクションに対して、社会から個人へのリアクションがあるのは当然だが、おおよそ日本には個人の自由よりも組織・社会からの規制しようという力が強く働く。つまり民主主義が弱い。正確な表現ではないかもしれないが、私にはそう見える。
次回は日本における個人の自由について考える。
1999.07.15:
今日と明日は祇園祭の宵山である。
祇園祭にこだわるのは私が京都生まれだからである。そうは言っても、恥ずかしながら私は山鉾巡行はおろか宵山も行った事がない。しかし京都の人間にとって祇園祭は季節の節目を強く感じさせる。それは梅雨明けと祭りがつながっているからで、祇園祭が近づくと「ああ、梅雨明けだな」という季節感が得られるからである。
梅雨明けとの関連は偶然ではない。祭りの歴史として、梅雨時の疫病の流行を厄払いするのが祭りの始まりだったからである。祭りが終わると京都の暑い夏が始まる。今年は梅雨明けがちょっと遅れ目だが。
1999.07.14:
この前、「そもそも3月に新しいマシンが貰えるはずだったが、人事異動でパァになった」と書いたが、どうやらデスクトップの私と、古いノートPCを持った同僚とが今年度の更新の割当分を貰えそうである。
機種は当然FMVシリーズである。なぜ「当然」かというと、私の会社と富士通とは古くからの若干の関係があるからである。PC導入の当初は三菱だったが、その後IBMを経て、Windows時代になってからはずっと富士通になった。特別な理由がない限りメーカーは全社統一である。
毎年7月頃その時点での最新モデルが入ってくるが、時として工場での生産工程の狂いで納品が遅れる。全社で1千台は下らない注文だから仕方あるまい。今年は夏以降になりそうだ。
1999.07.13:
個人の自由と責任・2
どんなに事前に思慮して行動しても、思い通りの結果が得られる事はそれほど多くない。なぜか?
個人レベルでの知識が社会全体としての知見よりもはるかに狭い事と、何か阻害されるような要因が社会の中に存在するからだろう。残念ながら私も含めてすべてを知り尽くしたという個人は存在しない。しかし、逆に言うと失敗を反省し、さらに進歩しようという意欲の根源がそこに存在するとも言える。もし、もう何も考えなくても物事が進むならば誰も悩みはしない。そのかわり「もっと自分を高めたい」などという意欲もこの世から消え失せるだろう。
さて、それではそんな個人の限定された知識のままでの「自由」はあるのだろうか。
私個人の見解は肯定的である。
現時点では個人としての限界があるとしても、社会全体の到達点から見れば無限であるからである。さらに社会全体の限界そのものも流動的であり、時代と共に変化し進んでいくからである。例えば、原始時代の人達には自動車やコンピュータなど想像すらできなかっただろう。想像しようにもガソリンはおろか、鉄を道具として使う事も知らなかったからである。それが時と共に銅器・鉄器から産業革命を経て半導体まで作る事ができる時代になった。
真の「自由」とは物事の原理・法則を把握して自分のコントロールの下に置く事ではないか。つまり、思いをめぐらし、自ら予測した通りの結果を導く事ができてこそ自由になったといえるのではないだろうか。ただ単に結果にふりまわされ、あわてふためくことが自由だとは思えない。
さらに付け加えるならば、違った結果に対して何が原因か追求し、克服していく事も真の自由を得るためには必要であると思う。
次回は個人と社会の関係について考える。
1999.07.12:
MSOffice2000が発売された。
JRの車内広告が早速出ていた。Webページへの取り込みが楽になるような宣伝文句が書いてあったが、一般ユーザーのどれだけが編集の能力を持っているのだろうか。ちょっと疑問に感じた。
まあ、使った人の感想が出るのを待とう。
当然ながら会社は導入しないだろう。何せOffice97さえ「共通性」を理由に先延ばししてきたのだから。
1999.07.11:
駅前にある病院の看板広告で面白いものを見た。産婦人科なのであるが、電話の下4桁が4103で、「ヨイオサン」とルビが振ってある。ところがこれに誰かが悪戯で1字書き加えていて、「ヨイオッサン」になっていた。
実はここのHPのアドレスは2983になっているが、丁度「肉屋さん」と読めるので決めた経緯がある。しかし、以前掲示板で誰かが「ニクイヤーサン」と書いていた。なるほど、そうも読めるのか・・・と変に感心した。
1999.07.10:
以前「欧米では個人責任制」と書いたが、今度は個人の自由と責任について考えてみたい。
内容はさほど難しくない。要するに普段我々は何を基準に行動しているかということの話である。
まず、我々はそれほど意識せずとも自分の意志、すなわち頭脳で考え行動する。個人の意思は一見それぞれ「自由」で気ままであるし、結果が問題にされない限りは何人からも束縛を受ける事はない。その意味では強盗や殺人、さらには自殺することもすべて個人の勝手である。
しかし、現実はそうはならない。個人の意志は事前に規制されているし、行動した結果によってはひどいしっぺ返しを受ける。なぜそうなるか。
動物でも人間でも同じであるが、生きている環境がそうさせるからである。自由だからと言って餌のいないところにライオンは住めない。人間の場合はさらに「社会」というものが加わる。この場合、ロビンソン・クルーソーは全人類がそうなることは不可能であるので除外する。
こうなると、人間の行動は「不自由」きわまりないという結論になってしまうが、はたしてそうか?
こうなると「自由」という言葉の意味を考え直さないといけないようだ。次回は行動の自由と結果について考えてみたい。
1999.07.09:
今度の上司は、PCに関してなかなか理解が深く、ソフトでもSCSIカードでも増設はOKという類希な御仁である。
それでも今日は「コマッタ」を2回繰り返す破目になった。
一つは、社内メールで重役に報告書を送ったのだが、これがA3サイズで本人の机にあるA4プリンターに印刷できないと言って怒られたらしい。Excelで作ったファイルなので「ページ設定」でどうにでもなるのだが、そこはプライドだけ高くてもPCのレベルはイマイチの人、扱いに困っていた。
もう一つは96ページもの表を印刷しようとして、「他人に迷惑がかかるから」と2台あるプリンターの内の殆ど使われていない方に出そうとしたが、エラーが出る。私のところに相談に来たのでドライバーを見たら、LAN設定が実際にはプリンターの存在しないポートになっていた。慌ててドライバーの入れ直しをして事無きを得たが。
そんなわけでインターネットもちゃんと使える頭のいい人。私が仕事中にさるサイトへ顔を出している事も感づいたのか、牽制球を投げられた(汗)
1999.07.08:
愚痴を一つ。
会社のPCはぼちぼちリース切れが近い。ということは相当な時代遅れになっているということだ。
機種はFMV5075D3でCPUは75MHz、HDは800MB、しかもメモリーは25MBである。ウィンドウを何枚も開くとキャッシュがかかって遅くなるし、ウィンドウの切替はすこぶる緩慢である。
そもそも3月に新しいマシンが貰えるはずだったが、人事異動でパァになった。何とかしてくれ〜。
1999.07.07:
七夕がやってきた。
息子は何やら色々願い事を書いた短冊を作っていた。私に「お父さんも何か書いたら?」と聞くので、「願い事が沢山ありすぎて、逆にどれもかなえられないからやめとくよ」と答えたら笑っていた。
今夜は天気がいいので星がよく見えるだろう。と、そう思いつつも都会の照明のせいで星一つ見えない夜空を恨めしく感じた。子供の頃、冬の夜空には長方形のオリオンと中にある3つ斜めに並んだ星がきれいに輝いていた。今はそれも望めない。
1999.07.06:
最近、市営バスに「アイドリングストップバス」というのが導入された。アイドリング回転数のまま一定の時間が過ぎると自動的にエンジンが止まるようになっていて、燃料の節約=排気ガスの減少を狙ったものだ。
20年近く今のところに住んでいるが、当初と比べてバスも変わった。まずミッションがダブルクラッチ(一度クラッチを踏んでニュートラルに戻し、もう一度クラッチを入れて次の段ににシフトする)だった。サイドブレーキも2個付いていた。
それが何時の間にか油圧式のシンクロに変わり、次は電気式の小さなジョイスティックになった。
車内の案内板も、最初は薄い鉄板にペンキで料金を書いたものから、停留所を表示する電子式に変わった。
振り返れば時代の変遷が見えてくる。
1999.07.05:
不況のあおりで下請けの1社が最後の断末魔を上げ始めた。
見たくはないが、この時勢でどうしようもなくなった。2年前と比べて発注量が半分になったのでは凌ぎようがない。私個人としてはやるべきことをやったつもりだが、それでも割り切れない思いは残る。渡せる仕事の絶対量がないので最近は謝ってばかりだ。
お願いだからどうにか持ちこたえて欲しいと祈るばかりである。
1999.07.03:
先日、会社でこんなことがあった。
恐らくどこの会社でも似たり寄ったりの問題があると思うのだが、年配の、それも管理者クラスの人間がメールのパスワードをアシスタントの女性などに任せっきりにしている例がかなりあると思う。
それで何が問題になったかと言うと、東京地区の社内メールのサーバーが機器の故障でダウンした際、バックアップからメールのデータを回復させようとしたら、本人以外が管理者に設定してあるケースがゾロゾロ出て来たのである。当然その本人のメールは回復できなかったし、サーバー管理者から警告が出された。
そうでなくても最近はセキュリティーに気を使わないといけない時代になってきているのに「メールは面倒くさいし、PCにさわるのは億劫だから部下に任せておけ」と、こういう認識だから本当に困る。実印を他人に預けっぱなしにしているのと同じだということが分からないらしい。例のアホタレ元上司もその口だったが、逆に「責任が持てない」と拒否されていた。
幸い今の職場ではそういうだらしない(敢えてそう言わせてもらう)人間はいないが、世の中にはまだまだそういった事情にうとい人がいる。ウィルス対策だってそうだ。
さて、私の場合のセキュリティー対策は、
− メールアドレスは安易に公開しない(原則としてWebで公開するのは転送アドレスのみ)
− IPアドレスは教えない
− ワクチンソフトは常駐させる(当たり前だが)
− クレジットカードの番号は絶対にE−Mailで流さない
− 出所のはっきりしないEXEファイルは実行しない
くらいだが、皆さんのご意見は如何?
1999.07.02:
外国語アラカルト・7
前回は発音が難しいと書いたが、今回は読み方について。
英語ほど読み方の難しい言語はない。歴史的にノルマン、ゲルマンそして中世にはフランス語も混じるなどごった煮の言語だからである。日本語も漢字の音読みと訓読みがあって、これまた難解な方である。
さてLINUXをどう読むか、一応「リナックス」というのが正式名称である。だが、発音のルールから言うと「ライナックス」も可能である。当のアメリカ人でさえ「リニュクス」と読む人もいるというが、これはフランス語読みである。かくいう私は最初「ライナックス」に読めた。ついでだがドイツ語読みは「リヌクス」以外にあり得ない。
一度ドイツ人に聞いた事があるが、英語の発音はわからないとぼやいていた。要するに綴りと読み方の一義的なルールがあまりないからである。
もうひとつ例を挙げると、ATOKは「エイトック」が常識のようにされているが、「アトック」も可能だろう。英語に馴染みが薄い人で「アトッケ」と読んだ人がいたようだが、さすがにこれは無理な読みだ。
ところで、完全な間違いのまま通用しているフランス語がある。ブランド名のcomme
ca du
mode(フォントの関係で書けないが、caのところのcの下には尻尾が付く)を「コムサデモード」と呼んでいるようだが、duは「デ」ではなく「デュ」が正しい。何でこんな発音に変えたのか不明だが、「デュ」の方がフランス語らしく聞こえるように感じるのは私だけだろうか。
1999.07.01:
大雨も一段落(あくまで神戸の話だが)して、久々の晴れ間に恵まれた。
以前も書いたように私の時計は20才。だから日付の変更は自動ではない。竜頭を回して1日進めてやった。いつもこれで月が変わった事を意識させられる。最近はうるう年の調整も自動でやってくれるようだが。
ちょうど今日を機に会社と自宅のマシンにWindows95のY2K問題パッチプログラムをインストールした。あとは個々のソフトのパッチ当てを順次行なう予定だ。2000年まであと半年。カウントダウンは誰にも止められない。