悪餓鬼日記帖:なにぃ、文句あっか! |
99.08
1999.08.31:
新しい事務所になってから2日目だが、ちょっと作業環境が悪すぎるので閉口している。最たるものが冷房である。30年も前の建物だが、軽量鉄骨でスレート張り、屋根はカラー鉄板で保温も何もしてない。おまけにクーラーは古いパッケージタイプで室内の温度分布はものすごい差がある。吹き出し口に近いところは冷気の直撃、部屋の隅は空気が回らないので蒸し風呂である。不幸にも私の机ははサウナの場所にある。今日机のところの温度を測ったら29℃あった。もう地獄である。仕事をやる気がまったく起こらないのである。
「夏は暖房、冬は冷房」とは聞いていたが、こんなにすさまじいとは思わなかった。「ああ、無情!」
1999.08.30:
いよいよ今日から新しい事務所に出勤した。
定時出勤が8時だが、自宅からの初発バスでは間に合わないため、フレックスタイムで9時出勤。朝7時過ぎに自宅を出てdoor
to
doorで1.5時間くらいかかった。しかし、9時出勤となるまでには実は一悶着あったのである。
会社ではフレックスタイムがルールとして認められていたのだが、なぜか裏では「定時出勤をしてくれ」という口頭の「指導」がなされていた。理由は現場の人達には認めていないため、突き上げを食らう事を恐れているからである。だが私は物理的に不可能な要求を受け入れる余地はないと突っぱねた。私以外にもそのようなケースはあったが、何よりも認められた権利を行使させない不当さから、何人かはフレックスタイムで9時とか自分の都合の良い時間に出勤することを強行した。若者を引き付けるために世間並みのルールを作っておいて、片方でこんな御都合主義の「指導」をやるから世界から批判されるのだ。
それはさておき、PCはプリンター出力を除いて午前中に動いた。心配していたホスト端末も無事作動した。前回と違って情シスの担当者が便宜を図ってくれたせいである。それもわざわざ日曜日に実務サイドと一緒に出勤してLAN接続をチェックしてくれたお陰である。頭が下がる。本社サイドに比べたら雲泥の差であった。反面、情シス担当者はきちんとしている。今日少しだけ話をしたが、PC環境は「自己責任」であるという。つまり全社統一環境から外れたことをやるのは勝手だが、そこからは自分でやれというものだった。シビアである。これで「明治時代」と最先端とが同居できる理由が分かった。
何はともあれ、私の人生初めての「転勤」が始まった。勤務地が変わらない配置転換はあっても、今回のようなケースは初めてである。
1999.08.28:
昨夜さる友人宛てにメールを送ったまでは良かったが、返信がないので電話した。すると返信メールは出したという。なぜだろう?・・・と思いつつ調べたら大変なポカをやっていた。送信アドレスの綴りが間違っていたのである。
8月16日に自宅マシンの再インストールをした後、Outlook
Expressのアカウントを再入力したときに手が滑ったらしい。まったくもってドジな話である。
それにしてもメールアカウントのような大事なデータをどうしてバックアップできないのだろう。それとも私が知らないだけなんだろうか?ファイル名を知っている人がいたら、お願いおせーて。
1999.08.27:
ダンボールに書類などを詰め、引越しの準備は終わった。
OA機器は分けて運ぶため、業者が養生のためのビニールを1台づつ巻いていた。最近は引越しの材料も豊富になって、取り扱いがしやすくなっている。
ところで、梱包作業中にもPCを触ってネットに繋いでいたら、席を離れている間にLANケーブルが外されHUBも電源を切られていた(爆笑)。仕方がないので電源を切り、配線をバラした。
日曜は部署のPC世話役と情シス担当者がサーバーとの接続を確認しに行く。ご苦労様。
来週からは片道1.5時間の通勤となる。その間読書に励もうか、それともノートPCを買ってこのHPの更新に集中しようか、思案中である。
1999.08.26:
いよいよ明日で今の事務所を去り、組織丸ごと新しいところへ引っ越すことになった。引越し先は古い机しかないため、現在のOAデスクも持っていく。だから土日もつぶしての大輸送作戦が展開される。もちろん我々は荷造りだけで、搬出入から輸送は業者に任せる。月曜には机が並び、梱包を開けるだけになっているはずだ。
それにしても70台ほどあるクライアント機の引越し先でのIPアドレスがまだ決まっていない。おまけにまたもやホスト接続の設定変更が忘れられるところだった。一昨日私が指摘したことで気付き、慌てて情シスに連絡をとることになった。前回のように仕事にならない事態だけは避けられそうだ。しかし一抹の不安は残る。というのも引っ越し先の担当者は面倒見はいいのだが、本社サイドの情シスは救いようがない。今回も「設定の変更は月1回しかやらない」と抵抗を示したらしい。何ヶ月も前から知っていても杓子定規な対応しかしないというのは官僚主義以下である。
1999.08.24:
連休中にちょっとズボラをして無精髭を生やしたら意外なことに気付いた。鼻の下は殆ど黒いのに、逆に顎はほとんど真っ白だった。こんなに極端に違うとは思わなかった。
ちなみに亡父は完全なごま塩だった。
え?頭の方はどうかって?・・・もちろんまだ黒が勝ってるってば(笑)
1999.08.23:
ケータイのケッタイな三態:
−電車を待つ間も車内でも、ずっと手に持って眺めてるヤツ
−エレベーターの中から発信しようとするヤツ
−電卓ならまだしも、Yシャツのポケットに入れたまま洗濯するヤツ
オソマツでした・・・
1999.08.22:
今日はカーナビのXデーだそうで、メーカーに修理の依頼が殺到したそうである。メーカーも心得ていて休日だと言うのに総動員体制で臨んだので大混乱にはならなかったようだ。
しかしPCのY2K年問題を考えるとちょっと空恐ろしい。Y2K問題にどう対応していいかわからないユーザーがその何倍もいるはずだから。おまけにソフト・ハード共にカーナビどころではないメーカーの数と出荷台数である。
最近はどのメーカーのHPにもY2K問題のページが用意してあって、「Y2K問題パッチプログラム」がダウンロードできるようになってきている。しかしどれだけのユーザーが見るだろう。会社で仕方なく使っている人、衝動買いで埃をかぶったままにしている人などは正月を過ぎてからいきなりパニックになるかもしれない。
ところでMSからYear
2000 Product
AnalyzerなるものがHPに出ているが、自宅のマシンでテストしてみたら、例えばIE4.01SP2(Y2Kパッチプログラム実行後のもの)をちゃんと検知しているくせに「前提条件あり」とのメッセージが出る。おまけにその「詳細情報」ページタイトルはIE4.0xとあって「IE4.01SP1をインストールすると修正されます」と書いてある。これでは誰だって混乱するだろう。そうでなくてもMSの日本語ページは悪い翻訳の見本を提供していて非常に読み辛いのに。
いずれ文句が出て修正されるだろうとは思うが、もう少ししっかりしてほしいものだ。
年が明けたら各メーカーのサポート窓口はY2Kの対応で非常に忙しくなるだろう。私も社内で何かクライアント機の関係で手伝いをさせられるかも知れぬ。ユーザーの方々には、何かおかしなことが起こっても冷静になって行動することを希望する。
1999.08.21:
13日に書いた新会社を見てきた。前よりも小さな工場で人数も10人以下の小規模でスタートした。彼らの後ろには中堅の鉄鋼関係の会社がスポンサーになった。もちろんある見返りを期待しての話だが、この不況にポンと金を出すオーナーがいるとは驚きである。おまけに前の会社が倒産してから僅か1ヶ月で再起を果たそうというのだからまさに「ホンマかいな?」と言いたくもなる。
「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったものだが、私を含め関係者は狐につままれたような気分である。それにしても彼らには盆休みなどなかった。神に見放されぬ内に這い上がる必要があったのだ。
とにかく今後を見守りたい。
1999.08.20:
トルコの大地震ではものすごい数の犠牲者が出ているようだ。今のペースだと死者は1万人を超えるだろう。
地震のエネルギーだけ考えると神戸の時より格段に大きいわけではない。専門家の分析では地震に弱い「違法建築」が多かったことを挙げているが、そうなる根底にはその国の社会・経済状況が色濃く反映する。トルコの場合は建築基準がないがしろにされていることと、急激な人口増加が影を落しているようだ。
振り返れば神戸では防災対策の不十分さなどもあるが、むしろ復旧・復興対策が手厚いものになっていないことのほうが問題になっている。
ともあれ困ったときはお互い様、物心両面の支援をしたいものだ。
1999.08.19:
個人の自由と責任・6
家庭でもそうだが、学校において子供に個人の自由と責任をどう教えているか、実際のところ私の若い頃からでもあるが「学校や親の言うことを聞け」というスタンスからなかなか抜け出せないのが現実だろう。典型的な制服や校則の問題は昔からある。だが「何故必要か」という議論を学校・親・子供の間で真剣にやったという話はほとんど聞かない。大抵は子供の意見を無視して力関係だけで決着が図られる。しかし逆に言えば大人の側から子供を納得させるだけの論拠が乏しいともいえる。どうして子供だけには従順さを最優先させようとするのか、私には理解できない。世界の趨勢は子供を一人の人格として認める(但し失敗は多い訳だが)というのが現実だ。国連で採択された「子供の権利条約」には「子供の意見を表明する場を与える」という条文がある。しかし条約を批准したはずの日本の政府はこれを単なる「原則」に矮小化するつもりらしい。これでは教育基本法の「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民」が育つとは思えない。子供は何度も失敗する。しかし失敗するのは経験が浅いからで、それを本人が納得するまで待たねばなるまい。よくヨメハンが子供に「何遍言うたらわかるの!」と叱ることがある。それに対して私は「いっぺんで覚えられるくらいなら、子供なんかやってへんがな」と言ったことがある。子供は失敗し、教訓を導き出し、そして自らの手でみずからの人生を切り開くことで自立した大人になっていく。その意味で学校は知識を入れるだけでなく、集団生活を通じて、あるいは教師との接触を通じて、社会の中での自分の役割を見つけていく場ではないのか。
ところで、今のこうした子供達の環境をよく反映しているのが日本のスポーツ界ではないかと思うことがしばしばある。すべてとは言わないが、時折その前近代的体質が顔を出す。
私はスポーツが下手で、それでひがんでいる訳ではないのだが、学生時代に苦い思い出があって以来、やる気をなくした。それは教官からよく聞く「就職に役に立つからスポーツをやっておけ」という発言だった。つまり、スポーツをやる人間は上に従順であり、多少の無理は我慢して働くという論理なのである。だから私は一時期完全にスポーツ嫌いになった。もっとも、二十歳を過ぎてからスキー・卓球・登山などの端っこを齧ったのではあるが。だから以下は少し辛辣になるが、そこは我慢して読んで頂きたい。
日本のプロ野球は「自主性」ということを軽視、あるいは否定する傾向がある。以前元大リーガーが「お嬢さん野球」と評したことがあったが、要するに選手は「言われたことしかやらない、できない」。それはプロに入る前からそのように教育されていると見て良いだろう。典型は「自主トレ」である。自主的との名前で球団が指定するメニューをこなす。一時「自主トレ」にコーチを参加させるさせないで揉めたことがあったが、球団側は今でも参加させたい意向があるようだ。さらに某球団の外人監督が「自主トレ」は選手任せでやろうとしたらゼネラルマネージャーが猛反対した。米大リーガーは日本的「自主トレ」などない。オフはあくまで休養で、反対にシーズンに入って贅肉をつけたまま動きの悪い選手はしっかりレギュラーから外される。オフでの体の維持は選手が自己の責任でやるものという前提なのだ。
最近気になったのが横浜の佐々木選手の手術問題だ。本人が「早く手術したい」というのを止める球団には人権感覚が問われる。もし再起できなくなったら球団が補償するのかと言いたい。
昔バレーボールの世界選手権で、試合のTV放映前に練習風景のひとコマが紹介されていた。だがそれは監督が次々とボールを選手めがけて投げつけている、胸くそ悪いものであった。到底レシーブなんかできそうにない位置にポンポン球を放るというのは、いじめに見えることはあっても練習には見えないだろう。
最後に相撲界の風習と言うか、有名な言葉がある。「無理偏に拳骨と書いて先輩と読む」。実際に大怪我をさせられて廃業した力士もいた。稽古の厳しさと暴力を混同してはいけない。
1999.08.18:
個人の自由と責任・5
先日、NHKで戦後の教育基本法ができる経過を描いたドキュメンタリーをやっていた。その中では個人の自由を認めるかどうかが一つの焦点になっていたようだ。つまり個人が自分なりの目標を持つ自由を無条件に認めるか、あるいは国家としての一つの目標を待たせるべきかという議論である。
教育基本法は結局前者の考え方を取り入れた。第一条(教育の目的)にはこう書いてある。(全文)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
これは戦前の反省から生まれたものである。つまり「教育勅語」を中心として戦争推進の大きな柱になっていた教育を清算したのだ。15日に書いた私の母の人生がまさに事実を物語っている。実は昔、母に「何で戦争に反対しなかったの?」と大胆な発言をしたことがあって、「本当に負けるなんて思わなかったし、周囲には反対の声すらなかった」との回答を得たことがあった。まさにそうだったのだ。戦争に反対したのはほんの少数の人達、自由主義者、宗教家、共産党員などで、それもほとんどが「犯罪」として投獄され拷問を受けて死んだ。その他の多くの国民は「現神人」が統治する「神州日本」を信じ込まされたのである。戦前の教科書は全国一律、それも母の小学校時代の「サイタサイタサクラガサイタ」はまだしも、戦争が激しくなるとともに「ススメススメヘイタイススメ」を子供たちは教えられた。
さて、「個人の自由」に疑問を抱く人達の声として「人間が自由になると自分勝手なことばかりするようになる」という反論がある。だが、これは「自由主義」と「エゴイズム」の混乱があるように思う。確かに戦前は他国を植民地にしてもかまわないという「国家エゴ」が貫かれた。だが、以前にも書いたが、誤った行動は必ず周囲からの反作用を招く。
それと、このような発言をする人達には我々一般人や子供に対しての不信感、悪く言えば「愚かで自律できない人達」と見ているような気がしてならない。為政者にとっては、国民が好き勝手な意見を言ってまとまらないのは困るだろう。だから最初から「こっちを向け」と号令すればこっちを向いてくれるのが一番簡単である。しかしこれは民主主義ではない。そもそも民主主義には種々異なる意見を持ち寄り、より良いものに集約していくという面倒な手順が必要なのだ。西洋では民主主義を確立するだけでも何百年も要したのである。
戦後の民主教育を評価するについては多くの議論があるので、ここでは深く触れない。ただ、私自身の限られた見分から言うと、教育基本法が掲げる「自由と責任」を推進するという面では積極的でなかったように感じる。特に最近の「いじめ」や「学級崩壊」などは明らかに法の精神に逆行しているとしか思えない。それと「横並び体質」と「競争」が併存して蓄積されてきているのではないかとも思える。教育に携わっている人達には申し訳ないが、せっかくの努力も報われていないとしか思えないいくつかの現実がある。「他人は信用できない」とか、「皆と同じようにいじめないと逆にいじめられる」との発言が子供から出るのには驚きを通り越して恐怖を感じる。
昔から「管理教育」との批判が良くなされてきた。そのせいかどうかは知らないが、以前こんなことがあったのを覚えている。ひと頃女子高生の間で「マンガ文字」が流行した。その時、「なぜマンガ文字を書くのか」と問われて「皆がしてるから」という答えに、さる教育者が「好きで書くのは自由だけど、人がしてるからというのはマズイ」と言っていた。親の影響があることは否定しないが、学校でも「横並び体質」を「教育」するような環境があるのではないか。ましてや今はさらに助長されているように見えるのは私一人だけだろうか。
教育問題を触れるに当たって、私は二つの重要な経験をしている。
一つは京都で生まれ育ったことである。京都の教育は私が青年になるまでの間、他県には見られない自由な雰囲気があった。当時の知事が「15の春は泣かせない」とのスローガンで、一定のレベルがあって希望する者は全員高校に受け入れるという方針を貫いた。正直なところ、神戸に来て中学校の話を聞いたときには、京都の「学校」と比較してそれが「監獄」に思えた。
二つめは「教育の森」という本を読んだことである。著者の故・村松喬氏が毎日新聞の論説委員の時代に朝刊に連載されたものを全12(?)巻にしたものである。20年以上前の本だから絶版になっているだろう。この本の論調は教育基本法の精神に基づく戦後民主主義教育の擁護と、それに逆行する管理教育の批判であった。まだ学生であった私には、自分が置かれている現実を突き付けられた思いであった。
1999.08.17:
今日も暑い。風が吹かない。家で再インストールの続きをやっていると、額から汗が落ちる。勿論キーボードに汗を落とす訳にはいかない。
さて、昨日のトラブルはここに書いた。うぬぬぬ、私としたことが・・・
1999.08.16:
会社は9連休の休みに入った。そうは言っても具体的なスケジュールがあるわけではない。
今日は息子とプールに行った。そしてその後自宅のマシンのWindowsを再インストールしたまでは良かったが・・・その話は明日に書く。
今日は暑い!今夜はこの夏初めてクーラーを入れて寝る。
1999.08.15:
8月15日を迎えるに当たって:
このHPを開設してから初めて迎える8月15日であるので、少しコメントさせていただく。
戦争か平和か、どちらがいいと聞かれればためらいなく平和と答える。それは戦争を経験したかしないかに関わらずそうだろう。また直接経験していなくても、2度にわたる大戦を経ながらも未だに世界のどこかで繰り返される戦闘がもたらす結果を見れば容易に理解できる。「平和のための戦争」なんぞ有得ない。
私の父は海軍で高知県の須崎から出港して直後の輸送船団にいて空爆に遭い、丸一日木切れに捕まって漂流するという目に会った。それ以来「天皇陛下の御為に」という虚構が崩れたという。上官から受けるいじめや制裁を我慢してきた根拠が敗戦で消えてしまったのである。
母は終戦の玉音放送を聞くまで日本が負ける事など想像できなかったと言う。つまり「神州日本」という教育と戦争に疑問を持ちうるような環境で育たなかったのである。考えればこれほど恐ろしい事はない。
我々日本人は戦争から何を学び何を反省したのか、それが8月15日を迎える上での最も重要な意義であろう。また、あの戦争が侵略戦争であったのか、なかったのかが平和を考えるひとつの試金石になると思う。それはわれわれ自身が、諸外国、特にアジアの人達との関係を考える基本的スタンスになるのではないだろうか。
1999.08.14:
生まれて初めて落語のライブを経験した。やはり生の声は迫力が違う。それと「語り」が中心なので上手下手がストレートに出るし、演者と客との「間」が合うとすごくいい雰囲気になる。TVでは観客の反応は殆ど見えないので、こうした両者の呼吸はわからない。
若い時から音楽の関係で舞台に立つ事もあったが、今日は観客の立場で楽しませてもらった。
無料の落語の会にご招待いただいた副住職に感謝あるのみ。
1999.08.13:
さて、今日で仕事に区切りを付けて9連休・・・と言いたいところだが、来週は出社しなくともあちこちに連絡を付けることになりそうだ。実は倒産した会社の残党が再出発するので、どうなるか見守らねばならないからだ。旧会社の清算よりもそちらの方が気を使う。
この年になると、大胆さと同時に目に見えない微妙な人間の機微の変化に感動したり悲しくなったりする。会社と会社の冷淡な関係は貫かれるとしても、いつも顔を見てきた人と人との個人的な感情は完全には捨て切れない。そこに金銭がすべてを決する今の社会の矛盾を強く感じる。
1999.08.12:
今日はお盆で実家へ行ったついでに母の家庭菜園を見せてもらった。
息子は始めて見るトマト、ナス、きゅうり、にんじんなどの育つ姿を見て感動していた。不思議な事にナスを一発で当てたので、何故か聞いたら、枝の色が同じだからと。そりゃそうだ。
彼の夏休みの体験がまたひとつ増えた。
盗聴法案が成立した。最近は悪法が目白押しで通る。
警察の拡大解釈を許すなど、問題だらけの法律を数の力で通したからと言って、懸念が解決したわけではない。後世の人達は苦笑いしながら先人が冒した愚挙を正すだろう。
1999.08.11:
会社のマシンがリプレースされる予定なのは以前に書いたが、スペックが解ってきた。
CPU=Celeron400MHz、RAM=64MB、HD=6.4GB、15インチTFTのごくありふれたFMVである。TFTになったのは机の上のスペースを食うデスクトップモデルの評判が悪いせいらしい。私はあまり気にしてなかったが、言われてみれば確かにそうである。
ご多分に洩れずOSはWindows95、MSOfficeは95である。98プリインストールモデルをリース会社で95にインストールし直すのである。ピンからキリまでいる1万人近いクライアントで共通の環境を保とうとすると、95にせざるを得ないのは仕方がないか。対応ソフトの数を見ても95で使えるものがまだまだ圧倒的に多い。その内に2000が出るから98は以外と短命かもしれない。
会社の一部ではLinuxを入れてカスタムアプリを作ろうと言う実験が始まった。そのためのQ&Aコーナーも新設された。MSがLinuxのシェアが伸びる事を黙って見過ごすとは思えないが、以外と次世代OSの穴馬かも知れない。
1999.08.10:
今日は「先生」と呼ばれてしまった。(笑)
アシスタントの女性が入れ替わって新人のサポートを何度かしていたら、彼女から言われてしまったのである。ExcelやWordなどの操作と、アプリケーションの起動−終了は難なく出来るからちょっとしたヒントさえ教えておけば難なくこなせる素直なタイプである。「そんな難しい事・・・」などというオッサンよりよっぽど出来ている。
さて、今日はユーザーとしての開いた口が塞がらない話を。
先週ホスト機のプログラムが部門別に分割され、実稼動が始まった。ところが、印刷ルーチンの一部が全く動かない。最初はプリンターの異常かホスト側のプリントキューが溜まっているのかと思い、調べたが何ともない。そのうち別の部門でも同じ現象が出ている事が解った。ははーん、プログラムが臭いな・・・と気付き情シスの担当者に電話した。話している内にだんだん原因が見えてきた。「おい、○○の印刷ルーチン忘れたやろ!」「あっ、メインルーチンで忙しかったから!・・・ゴメン、忘れた」
要するにプログラムを分割する時にいくつかのサブルーチンを移植し忘れたのである。おまけに時間がないのでぶっつけ本番をやった。コノヤロー!
私もBASICプログラムでサブルーチンの移植を忘れたという経験はあるが、いくらコピーとは言えデバッグをやらずに本番突入というのは聞いた事がない。
この担当者は今日は夜遅く迄手直し作業をやっているはずである。
1999.08.09:
個人の自由と責任・4
良く「日本人の横並び体質」と言われる。現代日本の実状からすれば事実であろうが、まるで日本人が大昔から持っている性質のように表現されているのは正しくない。「滅私奉公」もそうである。
そもそもこうした考え方は秀吉の時代からとの説がある。それ以前の時代、例えば応仁の乱では親子兄弟が骨肉の争いをした。「こいつと組んだほうが有利」と見れば誰でも構わなかったのである。そうしないと自分の領地と一族は守れなかったのだろう。
その後何百年か維持されてきた「横並び」と「滅私奉公」が続くかと言うと、私は否定的に見る。もしこんなことが続けば日本は世界から孤立するだろう。自主性のない外交が世界中からどう扱われたかは湾岸戦争で実証済みである。戦争回避に向けての外交交渉について日本が相談を受けることはついぞなかった。
そもそも「横並び」のような受け身の体質からは自主性とか自由な発想は生まれない。また個人がその能力を最大限発揮するには束縛からの解放が必要であるが、残念ながら今の日本には人と違う発想や考え方を許容する余地がまだまだ少ない。
また最近特に感じるのは、子供は学校と塾と家の間を行き交うのに忙しく、また父親も家と会社の往復に追われて時間的余裕がないことである。昔は貧しくても「サザエさん」のような一家団欒が多くあったような気がする。強制された行動ばかりでは落ち着いて考え、行動する自由が奪われてしまう。時間は何人にも平等に過ぎる。1日は24時間しかないのだから自由に処分できる時間がないのは困る。
さて、次回はもう少し具体的な問題と根本的原因に立ち入ってみよう。そこから何か解決の糸口が見つかればと思う。退屈な話と言わずにお付き合い願いたい。
1999.08.08:
夏の高校野球が始まった。プレーする選手達も、アルプスで応援する観客も炎天下でご苦労様である。これは嫌味でも何でもない。それだけの金とエネルギーを大会に向けて使うのだから、その苦労は大変なものである。
ところで今回の新潟明訓キャプテンの選手宣誓は物静かながらもはきはきしていい感じだった。昔のような絶叫調はだんだん敬遠されつつある。丸坊主も次第に減りつつあるし、いい傾向だと思う。主役は子供たちなのだから子供たちの意見を尊重し責任を持たせる、それが自由というものだ。
1999.08.07:
今日は息子をちょっとした木工細工に連れて行った。もっとも鋸は使わず、釘を打って箱を作るという極めて簡単なものだった。金槌を使うのは初めてゆえ、最初は釘を打たずに指ばかり打っていたので嫌がっていたが、ちゃんと教えてやるとあっという間に覚えてしまった。子供の成長力は恐ろしい。この半年でプラモデルも自力で作れるようになった。今は平然と「あなもんめちゃ簡単やんか」とまでぬかす始末である。
とにかく子供の生命力の基本的スタンスは「成長」である。しからば大人の基本的スタンスは・・・何だろう??
1999.08.06:
外国語アラカルト・8(だったはず)
外来語についてちょっと。
今日職場の人から「BIBLO」の語源について訊ねられた。もちろん英語の辞書を引いても出てくる訳はない。「Bible」あたりからの造語かもしれない。昨今は新造語、デフォルメされた外来語が目立つ。
例えば「ハウステンボス」。あれはオランダ語のHuis
ten
bos(森の家)から来ているが、発音からすると「ハウス」ではなくて「ホェイス」という感じになる。しかし日本人がこの発音をするには無理があるので、馴染みのある「ハウス」にしたのだろう。
それから「とらばーゆ」という雑誌。語源はフランス語のtravail(労働)で、オリジナルの発音に近いのは「トラヴァイユ」である。「アルバイト」という言葉が同じ意味のドイツ語から来ている事を見ればなかなか凝ったネーミングである。しかし発音をわざわざデフォルメする必要があったのか理解しかねる。以前書いた「コムサデモード」と似たところがある。
ところで「リストラ」という言葉、元はrestructuring(再構築)という新語なのだが、今や日本では人減らしの代名詞と化した。マスコミも完全に同義語として使っている。意味をねじ曲げ、すり替えの言葉として外来語を使うのはいい気分がしない。そう言えば日経連の会長が「人減らしばかり考えている経営者は失格だ」とセミナーで発言した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今日は原爆記念日。言葉の壁を越え、同じ「平和」を願う心をデフォルメして表現する必要はない。
1999.08.05:
今日は何故か風が強かった。台風の影響があるのだろうか?
仕事柄為替レートを毎日見ていると、時折突風が吹いたように乱高下することがある。先週からじりじりと円高になっていたが、一昨日から一日で1ドル当たり1円も上下する激しい動きをしている。つまり1万ドル(約110万円)の取り引きで1万円の差が出る。1億円なら一日で百万円の損又は益が発生する。こういう時、貿易実務担当者は気が気でならない。どこかで安定するとほっとする。
しかし考えれば変な話だ。為替相場の取引高は殆どが投機、すなわちバクチである。年間250日くらいの相場が立つ日の内、実需はたった3〜4日分の取引額でしかない。ヘッジファンドのような大掛かりなバクチのために実務担当者が目の色を変えて走りまわるのだ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
1999.08.04:
昨日、今日と付き合いで飲んでいた。
糖尿病であまり飲んではいけないのだが、夏は暑いせいもあって(と言い訳をする)ビールを飲む事が多い。先月は血糖値も良くなったのだが、今月はまた元の木阿弥である。
う〜ん、言う事とやる事が違うな。
1999.08.02:
月末〆の処理が終わって仕事が一段落した。明日から大型ホスト機が今週一杯停止する。4月の組織再編のからみで遅れていたデータベースの分離がこの間に行なわれる。
年中行事のように行われる組織の変更が、こういう無駄な経費を浪費する。人を減らせば永久だが、一時的な無駄はいくら消費してもかまわないという発想のようだ。もっとも、最近はリストラとかサービス残業の蔓延で人間さえ浪費してもいいという風潮さえあるようだが。
1999.08.01:
ヨメハンと子供が出掛けていて静かな一日だ。
HDの中身の整理と、この8月の日記を作るなど、今日はキーボードと戯れていた。増設HDも写真が増えていく。デジカメの標準設定が1枚300KBだから仕方がないか。