ホームページについて:

もともとホームページなんて作るつもりも能力もなかった。
去年まではインターネットすらやる気もなかった。「電話代がかさむからやらないよ」なんて公言して憚らなかったんだから。それが去年の夏、会社のマシンがWindows3.1からWindows95に変わり(理由があって導入が遅れてた)、加えて今年の初めに自宅の98ノート(これもWindows3.1)の液晶がおかしくなった(輝度が落ちて暗くなった)のが私のPC生活を狂わし始めた。

「梯子を外された」人間にとって、PCと戯れることのできない生活は耐えられないもの。早速市内のSOFMAPへ走った。会社と同じFMVか、VALUESTARか、スペックと値段を比較した結果、同等スペックで値段の安いVALUESTARに。と同時に毒食らわば・・・とばかりにISDN加入、TAも購入。嫁ハンはことの性格も分からないし割合と信用してくれて文句のひとつも言わなかった(あとで電話の調子がおかしくなった時はさすがにむくれたが)。こうしてパンドラの匣は開け放たれた。

マシンのセットアップ&カスタマイズ、プロバイダとの契約、ネットサーフィン・・・もうお決まりのコースを走り始めたら止まるわけないわな。ましてやPC暦18年の身だから、加速度は普通の人が震度5の1gならこっちは震度7の2gクラスじゃ。
おまけにもっと「悪い」ことが重なった。77才の母が「海外旅行に連れて行け」と言い出したのだ。パッケージツアーが嫌いな私は格安チケットと保険だけを旅行代理店に頼んであとは全部自分で仕切ろうとした。観光地の選定、日程の調整、ホテルの予約、すべてインターネットで出来てしまった。「こんなことまでできるようになったか。」電子マネーだとかマスコミじゃ騒いでいるけどそんなのはごく一部と思っていたのだが、その底辺ににあるインターネットの底知れない世界を見てしまったのだ。特に旅行の計画の中で一番関心させられたのが鉄道の時刻表だ。日時と時間帯、どこからどこまでを指定するとちゃんと時刻表が出てくる。おまけに料金表示とチケットの予約までできるようになっている。こんなのはJRどころか日本のサイトでは見た事がない。

話を戻そう。
今でもそうだが、HPを作るにはデザイン感覚、グラフィックの作成が大変なんだな、と感じていた。自分で作るなんて夢のまた夢、そんな想いを打ち砕く出来事が続いて起こる。
98.11.28

「日時と時間帯、どこからどこまでを指定するとちゃんと時刻表が出てくる。おまけに料金表示とチケットの予約までできるようになっている。こんなのはJRどころか日本のサイトでは見た事がない。」と書いた後でJR東日本がそれらしきソフトを売っていると知った。だが念のために付け加えておこう。あちらのは無料である。

さて、夏休みの初め、ちょうど海外旅行の前後、自宅のインターネットエクスプローラー4.0が時々ハングアップするので、出たばかりのIE4.01を入れようと雑誌の付録を捜していた。マイクロソフトのサイトからのダウンロードじゃ時間がかかりすぎると聞いていたし、知人にも持っているヤツがいなかったからである。それで本屋で目にしたのがNHKのテキスト「ホームページはむつかしくない」であった。
丁度ホームページの作り方にも興味があったので、ぱらぱらとページをめくって「あ、これにしよっと」と早速購入。
ところがである、家に帰ってセットアップしようとファイルのタイムスタンプを見たとたん「あれー、古い!」目が点になった。最終的にはマイクロソフトのダウンロードページにアクセスしてしっかり電話代を払う事になった。(その時はまだテレホーダイに入ってなかった)
その一方、思わぬ副産物があった。ホームページというのはHTML形式というベタテキストにタグという書式をつけたものだということを知る事ができたのである。それにハイパーリンクというツリー構造が組めることも。
この副産物があとの話のきっかけになるとは、この時点では想像もつかなかった。
1998.12.12

インターネットにもぼちぼち馴れてきて、あちこちのサイトを「お気に入り」にため込んではサーフィンしていた。お陰で電話代は嵩む一方。

話はそれるが、検索エンジン、私はinfoseekとgooが好きだ。会社でも国内・海外を問わずメーカー探しに活躍している。Infoseekは低いヒット率でも沢山拾ってくるので絞り込みに苦労するが悪くはない。それに反してYahooはAND条件でもかけようものならすぐギブアップしてしまう。

そんな中でNHKテキスト紹介のある告白もののサイトを発見した。メーカーのサポート窓口での出来事、それもとんでもない発言や質問をするユーザー相手の仕事をしていたさる女性のレポートである。私は普段はごくありきたりのユーザーだが、職場でのPC暦の長さだけでは3番目くらいになる。それ故に初心者の相談をよく受けるし、ホスト端末機に関しては職場のミニサポーターとしての経験もある。だから一度どんな内容なのか興味津々覗いてみようとしたのだ。
何はともあれ中を見ると、あるわあるわ、その凄まじさといったら私の経験の比じゃない。ページをめくる度に驚きとともに思わずPCの前で笑い転げてしまった。
1998.12.19

さてこのサイト、エッセイありテーマソングもありと多彩なのだが、どこにでもいる、いつまでたってもちゃんとPCの使い方を覚えてくれないユーザーや、自分の不勉強を棚に上げてメーカーに文句を言う人達を風刺しているだけではない、「頼むからちゃんとPC覚えてよ、丁寧に教えてあげるから」というスタンスがその底に見えたのである。
これは普段私が働いている職場で感じている事とまったく一致した。

私は某大企業の事務系の職場で、部として50人くらいのところで働いているが、マシンの更新やソフトのインストールを細かい説明なしで出来る人が1割あるかないか、一通りの説明をするとあとは自分で勉強できる人が約5割、残りは仕事で必要な特定アプリの特定ルーチン操作ができる程度というぐあいである。年齢的に40才代以上が半分以上なのでこのくらいが相場なのかも知れない(世間一般はどうか、知っている人があればコメントをお願いする)。
但し、一人だけ例外で救いようのないコマッタユーザーがいる。それも管理職である。このユーザーについては後で触れる。

さて、本題に戻ろう。
とにかく面白いサイトで2日ほどで全ページを見終えた。そして最後に掲示板を見たのだが、なかなか多彩なメンバー、それも若くてそれぞれコンピューター関連の専門分野の人達が多く参加していた。「タレコミ」コーナーに多いサポート窓口の人達だけというのでもなかった。
いろいろな話題がごった煮になっていて面白いので、その中に参加しようかと思ったが、しばらくROM(読むだけ)することにした。実はこの時がいわゆる「掲示板デビュー」ではなく、前記の海外旅行の関係でさるサイトの掲示板に書き込みをしたのに続く2回目だった。それで乗れそうな話題が出てくるのを暫く待っていた。
だが、不幸な事に何がきっかけだったか忘れたが掲示板での熱い論争が始まり、ちょっとチャンスを失ってしまった。
1998.12.27

8月くらいだったろうか。論争が終わって、不満分子が現れなくなった後、初めて自己紹介の書き込みをした。
それ以降勤務時間も含めてぼちぼち書き込みが増えていった。後で聞いた話だが、そのうちにサイトの作者以外では書き込み数が2位にまでなっていた。
やがて、ちょっと長めの笑い話をのせるまでにのめり込んでいった。川柳も書いた。本来私は文章をそんなに書いた事はなかった。ましてや川柳など初めてである。会社での書類作りでは乱筆・遅筆で有名な私が、人が変わったように書けるので我ながら可笑しかった。
そのうちに作者が私の拙文を自分のホームページの一部に取り込むようになった。私は驚きと共に不思議さを感じた。自分が好き勝手に書いたものが、いつのまにか自分の手を離れて一人歩きし始めたような、そんな想いだった。そしてある時、サイトの作者から思いがけない質問があった。「HTML文書書けますか?」
さすがにこれにはびっくりした。
1999.01.01

困った事になった、と思いつつも寝た子を起こされて黙っているような性格でないことが災い(?)して、いよいよHTML文書にかじりつくことにした。それと、わざわざ私の拙文を変換してくれている上記の作者に対する負担を考えると、そうした方がいいという気持ちもあった。加えて自分のHPを作る気になってしまったのだ。
だが、10年近く勉強をサボってきたこの身に、無謀な試みが通じるかどうか不安もあった。
さて、HTMLの作り方を覚えることとHPを作る場所を確保するのが先決となった。
でも幸いなるかな、渡る世間に鬼はないもの、親切にも数人からヒントを頂いた(その方達にこの場を借りて御礼申し上げる)。エディタはIE付属のFrontPageXpress、HPはここのGeocitiesに決めた。ヒントさえ貰ったらあとはこっちのもの、ひと月もしない間に作りあげてしまった。
誰かが言ってたが、こういうのを「動物的勘」というらしい。別にハッカーになる素質があるというわけではないが、PCを使い始めて以来、自慢じゃないが講習を受ける事もほとんどなし、マニュアルもろくに見ずに何回もHDやFDをパァにしてきた経験が生きてきた。「失敗を気にするな、まあ何とかなるさ」というスタンスがいい方向に働いたのである。

これがこのホームページ開設までの全ストーリーである。
1999.01.10
(「ホームページについて」:終)