シベリア横断9300キロ <1.プロローグ>

ウラジオストック
 何故シベリア鉄道に乗ろうと思ったか、そこから始めよう。
 話の始まりは今年の2月、入社してからずっと今の会社にしがみついてきた甲斐(?)があり、永年勤続表彰の「恩恵」ということで、2週間の特別休暇と旅行クーポンを貰えるという案内が回ってきた。「休みをやるからどこへでも行って来い!」という会社からのご託宣により、早速旅行計画を立てることになった。
 余談だが、以前は旅行クーポンでなく現金だったため、旅行以外の不正使用、ひどいのは競馬でスッたという例もあって、クーポンに切り替えたといういきさつがある。こういうけしからん輩が我々の足を引っ張る。もっとも、最近の不景気とリストラ・賃下げの嵐でこの制度すらやめてしまおうという、働くものの意欲をさらに失わせる動きもある。

 まずは旅行の時期だが、一人息子がまだ中学生なので家族一緒に夏休み、それ以外は私単独という二者択一しかなく、どちらにするか迷った。夏休みだと人出の多い盆休みを避けたい、というか盆休み自体が会社も休業なので特別休暇にならない。また7月後半から8月始めはどうしても休めない仕事の事情があり、結局8月後半という線だけが残った。一方夏休み以外で考えると、5、6月はこれまた仕事が混んでる上に旅行スケジュールをゆっくり考えている暇がない。ということであれこれ考えたが、8月後半に家族同伴か、10または11月に一人旅、と絞り込んだ。行先はもちろん海外である。
 3月に入って、まずは夏休みを考えるべく子供に希望を聞いてみた。希望がなければ夏休みを外して私ひとりで行くとの条件も説明した上でのことである。実は5年前に家族一同でスイスへ行ったことがあるのだが、子供はほとんど記憶がなく、初めての海外旅行と同じである。だから乗り気になるかと思ったが、もうひとつイメージが湧かないのか、「希望なし」との答えが返ってきた。
 だが、私にはひとつの思いがあった。それはいつか親子二人連れで貧しい国の現実を見せたい、地球には日本のような豊かな(カッコ付きだが)国と、その一方で戦争などで飢えに苦しむ人達がいることを知って欲しい、というプランを持っていた。だが、それをやるとなると奇麗事を好むヨメハンは必ず反対する。それと息子自身に対しても、中学生ではカルチャーショックが強すぎると思い、断念した。

 悩んでいるうちに3月も末になった。
 ところで休みは2週間もある。そうなると家族連れでも一人でも、それなりの日数をどう消化するかが問題となる。どこかのリゾート地でのんびりと・・・ということも可能だが、海外出張の経験があるとはいえ私も根っからの日本人でそういう習慣がなく、あちこちを渡り歩くしか能がない。でも2週間、あるいは余裕を見て10日間もブラブラできる場所は大陸、それもアメリカ、ヨーロッパということしか思い浮かばなかった。普通に考えれば10日間のパック旅行ということも可能だが、5年前のスイスの時と同じく自分で全部仕切りたい。それにパック旅行は高すぎる。安く見積もっても40万円/人以上はかかる。さすがに会社はそこまでの金はくれないし、家族3人でそれだけの出費をすることにはためらいがあった。
 あれこれ条件を絞り込んでいるうちに、ふとヨーロッパ鉄道の旅はどうかと考えた。こういう発想になるのは子供の頃からの鉄道好きだからだろう。で、まずは「オリエント急行」を思いついた。調べると2種類の「オリエント急行」があった。ひとつはロンドン−ベニス間を走る有名な豪華列車(これもやたら高いのでパス)、もうひとつはパリ−ウィーン間を走る在来の夜行列車である。アガサ・クリスティーの小説や007シリーズ映画「ロシアより愛をこめて」で有名になったパリ−イスタンブール間のものはとっくの昔になくなっている。ただ前2本のような1泊2日ではなく、できれば長距離のものに乗りたいと思ってネットで調べたが、20年前に走っていた"EAST-WEST EXPRESS"(パリ−モスクワ)、"ISTANBUL EXPRESS"(ミュンヘン−イスタンブール)、"HELLAS EXPRESS"(ドルトムント−アテネ)のような列車はもはやなくなっていた。だが、この事前調査が列車の旅にこだわる私の気持ちに火を付けることとなった。

 何故シベリア鉄道を思いついたか記憶は定かではない。ネットの検索で引っかかったような気もするが、未だに曖昧だ。しかしいきさつはともあれ「飛行機よりも列車」、「長距離・長時間」、「安上がり」、というキーワードが「シベリア鉄道」にヒットしたと言っていいだろう。そしてシベリア鉄道について調べた結果、興味が湧いてきたのである。

 そういう思いを再び息子にぶつけてみた。「シベリア鉄道1週間はどう?」と。すると息子がこう答えた。「あ、それ面白そう」。意外な返事である。但し1週間ろくな食事はできないこと、シャワーすらないことも説明した。ヨメハンにも聞いてみたが、彼女は一言「行きたくない」であった。
 これで意は決した。それと同時にシベリア鉄道だけではもったいないので、20年ぶりの壁のないベルリンも見たくなった。
 ベルリンへの思い入れには理由がある。20年前に海外出張でドイツに行った時、ベルリンへ飛ぶ用事があったついでに西から東に行くバスツアーに乗ったのである。当時はもちろん壁が存在し、チェックポイント・チャーリーでのものものしい検問やポツダム広場のド真ん中を横切る壁とバリケードを目の当たりにして、東西冷戦の現実にショックを受けた。しかし私の目が黒いうちは崩壊することはないだろうと思っていたのに、その壁があっという間になくなった、その時代の変化をぜひ見てみたい、と強く感じたのである。もっともこのスケジュール通りに行けるかどうかわからないので、代案をいくつか考えてみた。そして絞り込んだ候補は優先順に、
 1.シベリア鉄道全線走破、後ベルリンへ抜けて観光、帰国 全13日
 2.モスクワへ飛び、ベルリンまで列車。ベルリン−パリ(ウィーンまたはパリ?)遊覧、帰国 全9日
 3.パリへ飛び、ウィーンまで列車。ウィーン、ベニス(またはミュンヘン?)観光、帰国 全8日
の3つとなった。

これで8月後半、息子との二人三脚の旅の具体的準備が始まることとなった。

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