シベリア横断9300キロ <2.準備編>

ウラジオストック−モスクワ間の切符
 6月に入って、いよいよ具体的日程を決めるために旅行代理店との打ち合わせを始めた。私の案ではモスクワからベルリンへ抜ける行程だったが、建都300年のサンクト・ペテルブルグへ行ってエルミタージュ博物館を見てみてはどうかという代案が出てきた。だが夜行列車になるなどちょっと強行軍すぎるので、元の案に戻った。
 関空−ウラジオストック間は週2便しかないので、8月19日出発、8月31日帰着というスケジュールですぐに決着した。後は旅行代理店に切符とホテルの手配、それとロシア観光ビザの入手を任せ、こちらはシベリア鉄道に乗った人のHPを探して、旅のヒントを調べることにした。

 海外旅行そのものについては経験があるし、スーツケースに詰めていくものは大体想像がつく。しかし今回はロシアであることと、列車で6泊することを考慮せねばならないことなどの特別な条件があった。それで問題点をピックアップして順次解決策を考えた。具体的には、

 1.ロシア語:
ロシアはまだ観光者に対する開放がまだ進んでいない。従ってホテルでさえも英語はほとんど通じないし、列車ではまずだめだろうということで、ロシア語会話の本を買うことにした。

 2.外貨:
これまた開放が十分でないし、外貨管理が非常にうるさい。外貨を換金するのにもまだドルの現金が主流だし、カードが使えるところはまだまだ少ない。外貨の持ち込みについては2003年3月からやっと3000US$以内が自由化されたばかりである。よってトラベラーズチェックは極力減らし、安全性は低いがドルの現金を多く持っていくことにした。

 3.食事:
問題なのは列車内の食事で、3食すべてを食堂車に頼ることにはためらいがあった。そうでなくても味の評判は良くないと聞いていたし、あちらで出される味も内容も量も、子供には耐えられないような気がした。それと私としては露店で売られるピロシキ(これも味はもうひとつという噂だった)などにチャレンジしてみたい気もした。
 それで食堂車の利用は朝食プラスアルファということにし、カップ麺の類を7食分持っていくことにした。余れば同室の(4人部屋ということを聞いていたので)人達にプレゼントすればいい。また缶詰もいくらか持参することにした。本来ならこういう日本食を持ち込むことは嫌いなのだが、今回だけはやむを得ない処置だった。

 4.デジカメ:
古い機種のため、電源アダプタが200Vに対応していないし、大量の画像を取るにはフラッシュメモリの容量が小さすぎる。
 メーカーに聞いてみたが200Vアダプタはなく、バッテリーも市販の乾電池が使えないタイプである。仕方なく大枚5000円をはたいて小さなトランスを買った。またメモリも大きなものを新しく買ったがこちらは2000円もしなかった。

 5.モバイルPC:
旅行記を書くつもりであったし、デジカメ画像を取り込むことも考えて中古モバイルを買うことを考えた。しかし調べると中古でも数万円する。たかが1回の旅行だけのため使うには高価すぎる。よって手持ちの「ザウルス」でメモを作ることにした。

 旅の準備をしているうちに8月になった。
いよいよ最終段階、だが旅行代理店に手配状況を聞いたら、ビザも切符も盆休みに出来上がるということだった。盆明けに出発するのにえらく呑気なことを言っている。心配になったので最終旅程表をFAXしてもらったら、案の定モスクワ→ベルリンのフライトが間違っている。また、帰りも一旦モスクワでトランジットがかかるので数次ビザでないとまずいことがわかった。慌てて電話してフライトは変えてもらった。ビザについては数次になっていることを確認。そして一切の書類は盆休み中に自宅まで宅急便で送ってもらった。
 これでいよいよ出発準備は整った。

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