シベリア横断9300キロ <3.シベリア編> −8日目−

私のお気に入りの炭酸水
ロシア号のロゴ入りコップ
 いよいよ今日で長かった列車の旅も終る。そうしたことが寝ている頭の中をよぎったのだろうか、熟睡できないまま起床した。
 夜明け前、キーロフ(Киров)を定刻に出発。ここから次のゴーリキーまで6時間ノンストップ、最長無停止区間である。

 さすがの長旅、それも食堂車の一件もあって食生活は乱れており、私も息子も食欲が薄れてきている。それでも腹が減る感じはあるので朝食を摂る。最後のカップラーメンに、最後の魚の缶詰、そしてバナナ。
 ここでちょっと右の写真を見ていただこう。まず、ペットボトルは私の好みの炭酸水。どうも日本人のほとんどは、同じミネラルウォーターでもガスなしを好むが、私は昔からこのやや苦味のある炭酸水が好きだ。写真は"BON AQUA"という銘柄である。息子はコーラが中心だった。
 もうひとつの写真は車掌が貸してくれるコップ。ロシア号”РОССИЯ”のロゴ入りで、以前は無料の紅茶とともにサービスで持ってきてくれていたらしいが、今は「頼まれたら貸し出す」というシステム。インスタントコーヒーとかティーバッグを持っていき、サモワールの湯を使うのがいいだろう。私は紙コップ付きの携帯用ゴールドブレンドとココアを合計20パックを持っていった。
 駅で買った食い物の話だが、3日目にも書いたピロシキとロシア風餃子(ペリメニ)以外に、ゆで卵、トマト、バナナ、などを調達した。トマトは本当にうまい。子供の頃に食べた完熟の味で、現在の日本ではほとんど味わえない。意外にもバナナが多く売られているが、多分キューバ産ではないかと思う。他にも猛烈な臭いがする大きな瓜、それと驚いたことにカップラーメンもキオスクにあった。カップラーメンを結構買う人があるようだが、韓国や中国製であり、味も日本とはかなり違うだろうと思って買うのは避けた。

 今日もまた珍事が起こる。
 いつものようにデッキへ出て煙草を吸い、そして部屋に戻ろうとしたら、驚くなかれデッキと廊下を仕切っているドアに鍵がかかって戻れなくなった。慌ててドアを叩いたり蹴ったりしたが反応がない。仕方がないので反対側の車両の車掌室に助けを求めた。
 車掌室にはちょうど若い男性がおり、英語のわからない車掌に代わって同行してくれた。そしてドアのところに来た途端、「おかみさん」車掌がやってくるところだった。私はびっくりして「オー!」と言ったら、彼女は笑いながら何が起こったか理解し、同行の男性にロシア語でなにやら説明していた。私は勿論どういう理由でドアが閉められたのかわからなかったが、一件落着したので部屋に戻った。

雄大なヴォルガ川 初めて見る大きな教会
左がロシア号 右がドンバス号
 やがて列車はニージニ−ノブゴロド(Нижний Новгород)、駅名はゴーリキー(Горкий)、へ近づく。
 ここもエカテリンブルグと同じく市の名前と駅名が異なる。ソ連時代は、文豪ゴーリキーが生まれた所ということでその名前が使われていたが、ロシアになって元の名前に戻った。文豪よりも歴史を重視したのだろうか?
 駅の手間で、徐行しながらヴォルガ川(Волга)を渡る。川幅は1000メートル以上あるだろう。さすがに雄大と言うか大河という雰囲気を漂わせている。帰国してからのニュースで知ったが、ヴォルガ川で石油タンカーが炎上した。もちろん場所はここではないし、我々が通過した後の話ではあったが。
 川を渡ってしばらくすると、大きな教会の尖塔が見えてきた。ウラジオストックからこの方、教会らしきものはついぞ見なかったが、やはり古都らしく古い教会が残されている。

 駅についてしばらくすると、別の列車が後からやって来た。「ドンバス」号というケメロボ(Кемерово)−モスクワ(Москва)間を走る列車である。「ドンバス」というのは有名な炭田があるところ。さすがに7日間も旅をしていると、列車名とか駅名のロシア語は読めるようになってくる。これがモスクワに着いてから役立つことになるとは思わなかった。
 このドンバス号、今になって気付いたのだが、どこからかは忘れたが、ずっとロシア号を追いかけるように走っている。車体はロシアの標準色である黒緑色ではなくて、水色に塗られており、明るい印象を受ける。

 いつものようにホームに降りて何か食い物を探すが、もうひとつ手が出るようなものはない。昼飯用としてピザだけにした。それにしても相変わらず列車が到着すると、キオスクと露店にはドッと人が集まる。写真のような風景は最初から最後までずっと続いていた。

 定刻どおりゴーリキーを出発した列車はひたすら草原と林を駆け抜ける。駅の近辺はともかく、駅間は似た風景が続く。但しシベリアの西側は山が中心、東は平原だ。また、線路の両側には樹木が多い。防雪林として植えられたのかも知れない。木の種類は圧倒的に白樺が多い。他に杉、樅などの針葉樹がある。原生林らしいのか、あまり手入れはされていない模様。
 既にモスクワまで残り1000キロを切っている。同時に晴れていた空に次第に雲が多くなる。出発する前の天気予報では、モスクワは雨が続くとあったので、不安がよぎった。そしてそれは的中する。

雨にぬれるウラジーミル
あと100キロ!
 最後の停車駅、ウラジーミル(Владимир)の手前から雲は低くなり、やがて小雨がぱらつき始めた。駅に着くと本降りになり、ホームは雨に濡れて光っている。23分停車だが外に出ることは諦めた。

 ゴーリキーを出たあたりからテーブルの上にあったゴミを捨て、少しづつ後片付けを開始する。
 ウラジーミルを出るとさらに毛布などの寝具をたたみ、いよいよ本格的に降りる支度に入った。隣のSさんなぞはもうスーツケースを廊下に出し始めた。我々も衣類を片付け、窓のカーテンを元通りに(カーテンは取り外せる)し、スーツケースを出してパッキングに取り掛かった。極力不要なものは減らすことにする。暇つぶしに持ってきたミステリー数冊は結局読まなかったので捨てた。

 やがて列車が到着する1時間前、3時頃から車掌が空き部屋の掃除を開始し、次いでトイレの掃除を始めた。これ以降トイレは使用禁止になる。何と気の早いことか。
 もうすることがほとんどなくなり、私も息子も動物園の熊のようにウロチョロするしかなくなった。しかし私は執念で何か写真を撮るチャンスはないかと窓を眺める。そしてついに残り100キロの標識をゲットした。
 だがこれをもってデジカメのバッテリーが上がってしまい、使用できなくなった。

 やがてモスクワ市内に入り、列車はずっと徐行を続ける。並行する線路は増え、通勤電車とすれ違うことも多くなった。操車場を過ぎ、いよいよモスクワ・ヤロスラブリ駅(Москва Ярославль)手前まで来た。しかしホーム寸前で信号待ち。
 それでもダイヤに余裕があるのか、定刻より3分遅れの16時47分無事到着!
 やっと来た!という感じである。安堵感で一杯になる。車掌たちに「ダスビダーニャ(До свидания)」と声をかけると、「ダスビダーニャ」と微笑んでくれた。これでレストラン事件以外はすっきりとした気分でシベリア鉄道の旅を終えることができたのであった。
 ホームに出て今度はSさんと同行のスペイン人に別れの挨拶。しかし小雨がぱらついているホームから早く駅舎に行こうと足早に歩く。途中白タクらしき兄ちゃんが近寄ってくるのを何度か振り払った。でもなかなか駅舎にたどり着かない。おまけに雨は次第に激しくなる。

 機関車がいつの間にか”ЧС2”型に変わっていたのを横目に見ながら、やっとの思いで駅の待合室に入った。駅の写真どころではない。髪の毛はかなり濡れていた。一息ついてから今度は地下鉄の入口を探そうとする。しかし看板は見当たらない。これからクレムリンのそばの「ホテル・ロシア」に行かねばならないが、評判の良くないタクシーでなく、地下鉄を利用する考えだったのである。

 私も息子も早く落ち着きたいという心理が働いたのか、早く地下鉄に乗ろうという気持ちが表に出て、とにかく外に出ようということになった。地図によれば、駅を出て右側に地下鉄の入口があるはず。駅舎を出て右手へまっすぐ進む。しかし気ばかりあせっているのか、駅舎が続くだけでなかなかたどり着かない。それでもやっとちょっとした広場に出たその先に、丸に”M”の字がある地下鉄の大きな駅舎を見つけた。駅名はコムソモーリスカヤ(Комсомольская)。いつの間にか太陽が見え、雨は少し小降りになっていた。
 建物に入ると通勤客でごったがえしていた。周りを見渡して切符の自動販売機を捜すが見当たらず、窓口へ行く。
 窓口のオバチャンはまことにぶっきらぼうだったが、無事切符を手に入れる。7RUB、安い!! ソ連からの伝統だが、日常生活に必要な物価は途方もなく安く設定されている。

 旅行の前に入手していた地下鉄路線図を広げ、どの入口かを確認しようとするが、地図は普通のアルファベット。1号線から6号線に乗り換えて「キタイ−ゴーラド」まで行くのに、案内板を見てたら乗換駅の「チスティエ−プルディ(Чистые Пруды)」というロシア語を発見! エスカレーターで地下ホームへ降りる。ものすごく早いエスカレーターで、おまけに深い。観光客である我々はおっかなびっくり乗っているが、ロシア人達はさっさと追い越していく。都会というのはいずこも同じく、人間がせっかちに出来ているようだ。
 2つ目の「チスティエ−プルディ」で降りて、今度は6号線への乗り換え口を捜す。あったぞ!「キタイ−ゴーラド(Китай Город)」

 無事目的の駅に着き、ホテルを捜す。途中英語が喋れるオネエチャンに道を聞き、疲れた体に鞭打ってホテルにチェックインする。しかしここでも応対はぶっきら棒。英語も下手だし説明が悪いので、超巨大ホテルの中で自分の部屋を見つけるのに骨が折れた。何しろ一フロアーだけでも回廊式に数百部屋が並んでいる。フロントも東西南北4箇所あるというものすごさだ。
 部屋に着いて真っ先に風呂に入る。1週間の汚れを落としたが、タオルは真っ黒になった。

 夕食に普通のレストランを求めてホテル内をうろつくがわからずじまい。日本食もあったが癪なので中華料理にした。私は上海ビール、息子はコーラで無事のモスクワ到着に乾杯する。だが、後で勘定書きを見て驚いた。味は悪くなかったが2人で約7000円。日本の超高級ホテルと変わらない値段だ。もしこれで味も悪かったらテーブルをひっくり返したかも知れない。今回の旅は、食事に関しては碌な目に遭わなかった。

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