シベリア横断9300キロ <3.シベリア編> −7日目−

 今朝もまた、オムスク(Омск)を発車するゴトンという音で目覚める。神経質になってきたのだろうか?

 昨日のトラブルを隣室のSさんに話したら、さもありなんと言う。理由は昨日分に書いたように彼女も疑惑を感じていたからである。Sさんからの又聞きだが、スペイン人は元ビジネスマンの発想から、ロシア語が出来たら彼女の上司にクレームレターを出してやりたい、と語っていたそうだ。私も同感だし、連名で出したら効果はあるだろうと思った。

 私は今日も沿線の観察に忙しい。息子は話をするか、持ってきた漫画を読むか、寝ているかのどれかが中心になっている。私も少しだけうたた寝をするようになったが、気分は鉄道ファンであるから基本として寝る意志はない。だが、朝の寝覚めが早いし、そろそろ疲れが溜まってきたのか、胃が重く感じるようになった。
 といいつつ、沿線風景を書く。

 踏切に面白い仕掛けがしてあるのを発見した。残念ながら写真に撮れなかったが、普通の遮断機の他に、道路に鉄板が敷いてあって、車を遮るように上へ跳ね上がるのである。これだと無理矢理突入することはできない。日本でも採用してはどうかと思った。
 次に、駅名表示の話。気付いたことはモスクワ近郊を除いてホームに駅名の看板がまったくないこと。おまけに駅舎本屋にしか駅名がないし駅舎も進行方向の左にあるか右にあるかも全く不定。これでは今どこを走っているのか見当がつかないのである。ヨーロッパの多くの国も日本と同じホームに大きな看板を立てているのが通例だから、もう少し配慮が欲しいと思った。

 沿線にある大きな町にはところどころ大きな工場がある。しかし煙突からは黒い煙が立ち昇っていることが多い。最近のニュースで、ロシアは京都議定書にサインする方針を決めたそうだが、この煙突の煙や野放しの車の排気ガスをどのように規制していくのだろう。現状を見ていると最低でも10年はかかるのではないか。

 チュメニ(Тюменъ)の手前でまたもや1時間停止。言わずと知れた線路入れ替えによる単線運転である。そしていつものように翌朝には遅れを取り戻した。
 単線運転が終ると数編成の貨物列車とすれ違う。シベリア鉄道を走るのは圧倒的に貨物列車が多い。それとものすごい数の保線要員が働いている。これも鉄道を重要視としてしていることの現われだろう。
 チュメニで昼飯にハンバーグ弁当を買う。透明のパックに小さなハンバーグが2個、そしてレタスと、日本のコンビニで売っているスタイルとほぼ同じ。違うのはご飯の代わりに小さなパンが1枚入っていることだけだ。

 午後になり、ウラル山脈の手前、エカテリンブルグ(Екатеринбург)に到着。間もなくヨーロッパに入ることになる。ただ、エカテリンブルグの駅名はスヴェルドロフスク(Свердловск)と、旧ソ連時代のものを使っている。レーニングラード→サンクト・ペテルブルグのように、ソ連時代の市名を捨てたところは結構あるようだ。
 エカテリンブルグを出てしばらくするとアジア−ヨーロッパの境界にあるオベリスクがあるとのことで、期待してカメラを構えた。ところが雲行きが怪しくなり、ついには夕立の雨粒が窓を濡らし始めた。おいおい、肝心のところで雨とはこれいかに。にわか雨は間もなく止んだが、ぼやけた窓にへばりついた水滴は取れず、悲しみのうちにオベリスクを通過してしまった。息子が慰めるように「何かえらく小さかったね」とつぶやいた。優しい息子だ。

 本日分は以上のような経緯から写真はなし。
 草原が多くなって、列車は最高100キロくらいで疾走する。昨日から今日にかけての1日で時差が2時間生じた。
 明日はいよいよモスクワに到着することになる。疲労も溜まってきた。

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