シベリア横断9300キロ <3.シベリア編> −6日目−

 夜中に残り5000キロと全走行距離の半分を越えた。5時50分、カンスク・エニセイスキー(Канск−Енисейский)を発車するゴトンという音で目覚める。

台車を点検する検査員
 鉄道ファンとしては沿線や線路、車両にまつわることにどうしても目が行く。次も車両の話。
 まず、客車の色を見ていて気付いたことがある。上から白、青、赤、の3色の塗り分けだが、これはロシア国旗と同じなのだ。
 列車は1日に数回、20分以上の停車がある。これが乗客の息抜きや買い物に利用されるわけだが、本来は車両の点検と給水が主目的のような気がした。右の写真は台車をテストハンマーで叩いて、異常がないかどうかを点検しているところである。調べてみたら、客車の自重は55〜59トン、食堂車は61トンもあった。日本では30〜40トン台だから、いかに重い車両を高速で走らせているかがわかる。だから車両も線路も痛みが早いのだろう。
 それとロシアの鉄道には特有の問題が存在している。それは真冬に、いかにして円滑に鉄道輸送を維持するかである。これも故宮脇さんの本からの引用だが、車内にあるサモワール(湯沸器)はすべて石炭焚き。何故かというと、もし零下40度で停電して列車が立往生し、熱源がなくなったら乗客全員は凍死するしかない。それを防ぐためにわざと石炭を使うのである。ただ、今回は冷暖房も含めて石炭をどこに貯蔵しているのか確認はできなかった。ひょっとしたら夏は電気でまかなっているのかも知れない。
 先に書いた橋を離して建設するのも、雪解けの川に流れて来る氷の大群が橋脚に引っかかって壊れた場合(実際にあったらしい)のことを想定しているようだ。ロシアでの鉄道の重要性を物語るものと言えよう。

 今日も朝食の時間が来たので、不安を抱きつつも食堂車へ向かう。しかし・・・
 まず8時10分頃に偵察に向かうが、オッチャンがいて紙に「9時」と書いたものを見せる。それで再び9時に出掛けるが、今度は9時50分と時計を指差した。そして不安を抱きつつも10時に再度トライすると、今度はとてつもないことになっていたのである。
 何と8号車から食堂車に渡るところの、8号車側と連結部を仕切っているドアのノブが壊れていたのである!。丁度そこへ襟章をつけたエラそうなオッチャンがいて、「ダメだから11時頃に来てくれ」とジェスチャーをした。嗚呼・・・
 もう食堂車は諦めてクラスノヤルスク(Краснояарск)駅のキオスクでパンを買った。

 そのクラスノヤルスクで3号室のモンゴル系ロシア人夫婦が下車した。これでモスクワまで通しの乗客は5号室の怪しげなスペイン人、6号室の日本人Sさん、そして7号室の我々親子だけになった。乗客は結構入れ替わりが激しい。だが、そもそも飛行機で8時間程度のウラジオストック−モスクワ間を1週間もかけて鉄道で旅をする物好きは、風変わりな外国人くらいしかいるわけがないのだ。
 ところでクラスノヤルスクという名前はどこかで聞いたことがある。それで帰国してから調べたら、1997年に当時の橋本首相とエリツィン大統領が会談し、「クラスノヤルスク合意」を結んだ場所であると判明した。日ロ平和条約締結に向けて前向きに取り組む内容だったが、今や死文化している。

 ロシアで感じたことだが、我々日本人に対して、相手構わずロシア語をまくしたてるのには閉口した。しかし考えてみれば、東部シベリアには多くのアジア・モンゴル系民族がいるので、彼らは同じ顔つきの日本人にロシア語で話しかけることに抵抗がないのである。ある人から聞いたが、人種のるつぼであるアメリカも同様で、観光客に道を尋ねる年寄りがどこにでもいるという話だ。

ЧС2型直流機関車
 午後、マリインスク(Мариинск)でЗП1型交流機関車からЧС2型直流機関車に交代。チェコ製である。蛇足だが「3パイ1」型から「ワイシー2」型へ交代したのではない。「ゼーエル1」と「チェーエス2」と読む。
  このマリインスクでちょとした珍事が起こる。
 写真の右手には線路を2本挟んで駅舎やキオスク、それに近所のオバチャン達が並んで店を広げており、私も含めて多くの乗客がぞろぞろと線路を渡って買い物に出ていた。ご覧のようにホームの高さとレールの高さはほとんど同じ。だから誰もが平気で線路を歩くし駅員も注意をしない。丁度この写真を撮った直後、反対側から貨物列車がやってきてけたたましい警笛を鳴らして通過した。しかし乗客たちはゆっくりと線路から退避。もちろん列車は徐行しているので事故になりはしない。日本なら大騒ぎになるところだがここはロシア、いつものことのように無事貨物列車は通り過ぎ、乗客も元通り線路を横切って買い物をしていた。

ノボシビルスク手前で夕日を見る
大きなノボシビルスクの駅舎 東京駅くらいか?
ホームにあるキオスク 右手は飲物の冷蔵庫
 日没にシベリア最大の都市、ノボシビルスク(Новосибирск)に到着。
 駅の手前でやっと待望の夕日の撮影に成功する。だがご覧のようにもうひとつ。理由は地平線に雲がかかって、太陽が大きく見える現象にならなかったからである。息子もやや期待はずれという顔をした。
 ノボシビルスクはさすがに大きい都市。駅構内に入るまでの側線や車庫が続き、列車はその間をゆっくり徐行しながら進む。駅舎も大きな百貨店という感じで、写真では暗く写ってしまっているが、昼間ならその堂々たる姿に驚いたことだろう。
 写真の売店で飲物を買う。売り子のオネエチャンに冷蔵庫を指差すと、ドアのロックを外してくれる。ドアを開けてペットボトルを取り出したとき、ラッチにポロシャツの袖を引っ掛け、小さなかぎ裂きを作ってしまった。オネエチャンは「あら、かわいそうに」という顔をした。

 時間は戻るが、11時20分頃、「おかみさん」車掌が食堂車の開店を知らせてくれる。その際彼女がニコッと笑う。後にも先にも彼女が笑顔を見せたのはこの時だけだった。
 しかし時間が中途半端すぎる。それで正午過ぎに昼飯を食いに行った。この時もまたクソウェイトレスは10RUBほど釣銭を誤魔化した。さすがに今度は私も猜疑心を持つに至る。そして「今夜は騙されんぞ」と心に決めたのであった。夜、ついにそれは爆発する。

 19時頃、息子と相談して「カツレツ」を食うつもりで夕食に出かけた。中学生といえどもまだ体も小さいので多くは食べられないことが気になり、あれこれ議論の末にカツと決まった。そしてクソウェイトレスに「サラダ」(салат)と「カツレツ」(котлета)が欲しいことを、ロシア語会話集を示して伝えた。飲み物はビールにファンタ。この時点では彼女は理解したという仕草で、何ら問題が生じるような雰囲気ではなかった。
 ところがである。彼女が最初持ってきたサラダは野菜ではなく、息子があまり好まなかった先日のシーフードサラダ。それでもまあいいだろうと、妥協した。しかし次の彼女の行動が私の不信感を呼び起こした。
 何と216RUBの書き付けをテーブルに置いたきり、カツレツを持ってくる様子はなかったのである。これはおかしいと思い、彼女を手招きして「カツは?」を聞いた。しかしそれに対する答えは。驚くなかれ「ニエット」(英語の「ノー」)であった。つまり「カツはない」というつっけんどんな態度だったのである。
 嘘をつかれ、度重なる人を食った態度に、ついに私の血液は逆流した。机をドンと叩き、「ニエット?」と言って目を剥き、次は思いっきり大きな声で日本語でまくしたてた。「さっきはカツで問題ないと言ったやないか! ふざけるのもええ加減にせんかい!」
 さすがにこの剣幕に彼女もたじろいだのか、「ビフテキでもいいか?」という態度を示した。「ビフテキでもええからすぐに持ってこい!」と頷きながら答える私。彼女は不満そうな顔をしながら216RUBの書付を持っていった。
 それまでの経験からメインを入れても216RUBは安すぎると思ったら案の定である。こういう相手が不当な態度に出た時、私は日本語で怒りを見せることにしている。相手に言葉が通じるかどうかが問題ではない。怒りの顔色を見せて威嚇することが最も効果的なのである。昔海外での現場で、現地の担当者の不手際で危うく人身事故になりかかったことがあり、その時の日本語による猛烈な抗議が効果を生んだことで、その記憶が私の頭の中に刻み込まれていた。
 さて、しばらくしてビフテキが運ばれてきた。同時に216RUBに手書きで214RUBを追記した書き付けがテーブルに置かれた。合計430RUBである。ちょっと高いかな?と思ったが、2日目朝の195RUBと比べればまあ致し方なかろうと踏んだ。そして勘定の時、私は500RUBを出したと同時に、彼女がその書き付けを持ち去ろうとするの遮り、書付を奪った。誤魔化しを防ぐためにその場で精算する意図である。彼女は不満そうな顔をして、私が渡した500RUB札に、釣銭がないという風な仕草をした。それで私は改めて30RUBを出した。返ってきたのは勿論100RUB札である。私は釣銭の計算もろくにできんのか、という顔を見せ、その場を去った。

 部屋に戻って、息子は私の剣幕にビックリしていた。今まで子供の前では見せたことのない表情だったから無理は無い。それで私は上に書いた現場での出来事を説明し、私が何を考えたかを喋った。

 それにしてもひどい話である。後で聞いたが、隣のSさんも彼女が勘定を誤魔化している疑惑を持っていた。Sさんはドルしか持っておらず、具体的な損害は明らかではなかったがどうも余計に取られている感じがしたという。
 恐らくクソウェイトレスの手口は、1)釣銭をあたかもチップのごとくチョロまかす、2)注文を聞いた振りをして少なめの金額をレジに打ち込み、後で追加分を手書きにすることで証拠が残らないようにして帳場との差額を懐にする、という方法を取っているのではないかと想像する。この事件の後で思い出したが、ロシア人乗客とも何かギクシャクしていた様子が見えた。

 それほど経験豊富ではないが、今まで仕事や遊びで海外旅行をしてきた私にとって、これほどひどい体験は初めてである。もちろんシベリア鉄道やロシア全体を、この例をもって悪く言う結論を出すことはあり得ない。あくまで彼女の個人的な欠陥と見る、というかそう信じたい。もし似た経験をした人がいたら聞いてみたいと思う。

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