シベリア横断9300キロ <4.ベルリン編> −9日目−

ホテルから見るクレムリンの朝焼け
 今日は移動日。午後モスクワを離れ、飛行機でベルリンへ向かう予定だ。
 夜明けとともに目覚める。部屋はちょうどクレムリンの向かい側で、昨夜は綺麗な夜景が眺められた。そして今朝も朝焼けの聖ワシリー聖堂とクレムリンを眺めることができた。

 ここでも朝食で随分と迷わされる。というのも朝食どこで食べられるのか、部屋の案内書にも一切書いてなかったからである。仕方なく朝早くからガードマンやフロントで聞くが言うこともまちまち。最後に一番大きな東側フロントでやっとのこと、エレベータで2階に上がり、いちばん端にあるレストランであることを教えられた。まったくもってロシアのホテルには客に対するもてなし、いわゆる「ホスピタリティー」が欠落している。
 他にも、レストランや売店、エレベーターホールの前にはシュワルツェネッガーみたいなガードマンがうろうろしており、不気味である。世界中のホテルで、ここ以外にシュワちゃんを何人も徘徊させているところなど聞いたことがない。

聖ワシリー聖堂
赤の広場の向かい側から見るクレムリン
 飛行機は16時に出るので、午前中はクレムリン周辺をうろちょろすることにしていた。幸いにしてホテルのチェックアウト期限は12時なので時間はたっぷりある。空手の世界大会を終えたという日本人選手の団体と一緒の朝食を終えてから、9時ごろホテルを出てクレムリン方向に向かう。

 相変わらず空はどんよりしている。おまけに風もあり、気温は10℃くらいだろう。息子は少し寒いと言う。ジャケットを持ってきたらよかったのに。
 ホテルを出て北へのゆるやかな坂道を登るとすぐに有名な聖ワシリー聖堂が見える。私の記憶には、今は廃業してしまった「パルナス」というロシア風のお菓子を作る会社のイメージが重なる。関西で知らない人はあるまい。
 聖堂を抜けると一気に広大な赤の広場が開ける。広場には柵があって中には入れない。開放すると露店やら大道芸人が集まって雰囲気が台無しになることを恐れているのだろうか。それともあくまでロシアにとっての神聖な場所であることを維持するつもりなのか、私の勝手な想像である。
 広場の東西南北にはそれぞれ、グム百貨店(何で大統領府の向かいが百貨店なのか理解できず)、クレムリン宮殿、ワシリー聖堂、歴史博物館がある。
 息子はクレムリン正面中央のレーニン廟を見たいと言い出した。レーニンの遺体がそのまま安置されているという話に興味をそそられたようだ。私もクレムリンを見学したいと思ったので、とりあえず広場の隅で開館の10時まで待つことにした。するとそこへ日本人団体ツアーがロシア人のオバチャンに率いられてやってきた。ついでだから集団から少し離れて案内を聞く(私はこの手を良く使う)。ロシア語独特の巻き舌で説明するオバチャンの話は面白かった。特にレーニン廟の両側には歴代の指導者が葬られているという話は初めて聞いた。

 そうこうしているうちに10時になったが、どこに見学の入口があるかわからない。そこで歴史博物館の裏側に回ったら行列が見えたので、多分そこだろうということで並ぶ。ちょうど後に中国人らしき家族が並んでロシア語で話しかけるので、わからないという顔をしたら、英語で喋ってくれた。間違いはなかったが、行列は遅々として進まない。前を見ると10人くらいづつ順番に入場させているようだが、英語の看板もなければ誘導する案内係もいない。入口は警備員らしき人間が2人いただけだった。
 待っているうちに次第に時間は過ぎていく。10時半になってもまだ入れない。そして雨粒が落ちてくるようになった。やがて雨は本降りに。これには参った。息子も寒いし帰ろうと言うので、雨の中を走ってグム百貨店のアーケードを抜け、ホテルへ帰ることにした。

 残念だが雨ではどうにもならない。さらに、今から傘を持って再出動するとなると、遅くても13時には出発しないといけないので中途半端すぎる。息子も諦めて空港に行こうと言うので、11時に部屋を出た。
 ホテルのフロントにあるタクシー手配所で空港までのタクシーを頼む。前払いで1200RUB、そこそこの値段だ。玄関で待っていると明らかな白タクがやってきた。運チャンにチケットを見せると、彼は手配所で何やら話しをつけていたようで、戻ってくると「乗れ」とジェスチャーした。英語は話せない。息子は気味悪がったが、私はそれほど不安を感じなかった。
 ホテルを出たタクシーはモスクワの中心街を抜け、北西へ向かって(時折太陽が顔を出すのを目印に方向を見定めた)ひたすら走る。息子はずっと居眠りをしていた。途中の道路標識はほとんどない。本当にシェレメチェボ空港に向かっているのかと問われれば自信はない。道路標識も不親切だ。40分くらい走ってやっと「シェレメチェボ」への分岐を示す標識を見る。降ったり止んだりしていた雨もやっとおさまって来た。
 空港ビルが見えたが、突然歩道のところで降りろという。どうやらビルの手前で工事をやっていて、中に入れないらしい。数分歩いてビル1階、到着ロビーに入り、エスカレーターで出発ロビーに上がる。ここは第2ターミナルで新しい方らしいが、大きさは伊丹空港程度、掲示板も回転式のままである。後で判ったが、第1ターミナルはCRTディスプレイだった。

 チェックインまでまだ2時間ある。待合コーナーの椅子に腰掛けて時間を稼ぐ。一応出発は予定通りだ。暇つぶしを兼ねてサンドイッチでも食おうかということになる。だが財布を見るとRUBが少し足りない。あちゃー。
 帰りのこともあると思い、換金に向かう。ところが銀行の窓口で客がもたついていていらいらする。待っていると、ふと目に入ったのが自動両替機。試しにと20ドル札を入れると、ちゃんと動いているようだ。ガチャガチャ音がしてすぐにルーブルが出てきた。しかし笑ったのは次の瞬間、何とレシートが出てきたかと思うと、それは勢い良く外に飛び出し、宙をヒラヒラと舞ったのである。出口に受け皿をつけていないためであった。

 14時、チェックイン開始のサインを合図に腰を上げる。初めての経験だが、一旦セキュリティーチェックを通ると戻れない。そのままチェックインカウンターへ行き、カウンターの横の狭い通路からから出国管理への一方通行である。これは帰りのベルリン・シェーネフェルト、ウラジオストックでも同じだった。チェックインの時、カウンター嬢が同僚に「日本人はドイツのビザはいらないのか」みたいなことを聞いていた。

 免税店でマトリョーシカを買う。ロシアには土産物が少ない。あとはキャビアくらいだが、帰宅しても私の他に食べる者がいないので買うのはやめた。
 ところでトランジットエリアを見学していて感じたのだが、関空は新しい割には施設がみすぼらしい。その最たるものがレストラン・喫茶で、シェレメチェボでも百席くらいのバーがあって簡単な食事ができる。同じ「ハブ空港」と称される香港の新しい空港ではトランジットエリアに大きなレストランが複数ある。それに比べて関空ではうどん程度しか食えない。あれでは乗り継ぎ客の腹を満たすことは到底不可能だ。

 定刻どおりにベルリン行きは出発。内装はそれほど傷んでいないアエロフロートのボーイング737だ。16時に出発して16時45分着、つまり2時間の時差があるので時計を戻す。最近はどの航空会社でも"Flight Tracking System"という、飛行機が今どのあたりを飛んでいるのかを表示する装置を採用しているが、アエロフロートも例外ではなかった。

ベルリン・シェーネフェルト空港駅
 最初から最後まで下界は曇り空、そんな中を機はベルリン・シェーネフェルト(Berlin Shönefeld)に降り立つ。シェーネフェルトは初めてであるが、何か日本の地方空港を彷彿とさせる小ささだ。20年前、何度かベルリンに降りたが、その時はすべてテーゲル(Tegel)空港だった。まだ壁のある時代だったから当然の話で、シェーネフェルトには旧東独のインターフルーク航空やソ連、東欧などの便しか飛んでいなかった。
 息子が入国審査で子供扱いされたと不平を言った。アジア系は若く見られるのでしょうがないと慰める。
 初めてといえば、ユーロ(以下”EU”と略す)通貨を手にすることもそうである。手にした感じは昔のオランダ・ギルダーとかスイスフランと似ている。同じ凸版印刷のせいだろう。
 空港を出て最寄駅までの無料バスがを待つがまったく来ない。事前に空港のホームページでシャトルバスがあることを見つけていたが、なくなったのだろうか。10分以上待っても来ないので、スーツケースを転がして駅まで歩いた。これが結構疲れる。
 駅で切符を買おうと自動販売機を見つけ、20EU札を入れるが拒否される。ナロメー。イライラしながら人のいる出札窓口で久しぶりのドイツ語を使って切符を買う。無事通じて良かった。運賃は2.2EU。ドイツの大都市はほとんどゾーン制で、国鉄、地下鉄、市電、バスに乗り継いでも、そのゾーン内はすべて均一料金になっている。だから安いし便利なのだ。
 駅に改札はなく、写真の息子の右手にある赤い箱が改札機で、ここへ切符を差し込むと日付と時間が印刷される。もし検札で刻印がないのが発見されれば罰金が科せられる。

 やがて赤い快速電車が来て、通称「ツォー」で通じる動物園駅(Zoologisher Garten)まで約30分の道のりを過ごす。途中、フリートリッヒ通り(Friedrich Straße) を過ぎたあたり、壁があった付近を注視していたが、もちろん壁は一切なく、昔の建物は壊されて新しいビルを建設中というところが目立った。
 ツォー駅で地下鉄に乗り換え、2号線で次のヴィッテンベルグ広場(Wittenbergplatz)で降りる。ここの駅舎は風変わりで、ロータリーの真ん中に古代ローマの神殿のようなデザインになっている。駅を出て数分、予約していた「プレジデント・ホテル」に着いた。
 空港からここに来るまで、モスクワとは違い、案内標識はしっかりしているし、何と言っても過去に来た事がある町でなおかつドイツ語も少しは理解できる、その気楽さがあることを痛感した。

 機内で中途半端な食事をしたせいか、食欲が出ない。翌日の観光バスの予約だけして、後は風呂に入ってビールを飲み、すぐに寝た。

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