シベリア横断9300キロ <4.ベルリン編> −12、13日目−

 いよいよ今日は帰国への長旅を開始する日である。目覚ましを5時に合わせたのだが、私も息子もベルが鳴る前に目覚める。
 この親子は割りと神経質なのである。これは伝統なのか、乗り物の出発時間に合わせて余裕を持って行動するのを良しとするタイプである。反対にヨメハンはいつも時間ギリギリまで何やらもそもそしている。これが我慢ならないのは父子とも同じらしい。

 朝食を慌てて食べ、荷物の最終確認をする。息子は緊張しやすいのか、毎日のように軽い腹の痛みを訴えていたが、今朝も食後にトイレに駆け込む。そして落ち着いてから7時にチェックアウト、シェーネフェルト空港までのタクシーを呼んで貰う。電車でも良かったが、またぞろ駅から空港ビルまでスーツケースを押して歩くのはもううんざりしたので、タクシーを呼ぶことにしたのだ。
 およそ15分で空港着。28EUをはたいた甲斐があった。たどたどしいドイツ語で運チャンに"Aufwiedersehen"(さよなら)と言う。

 チェックイン開始まで少し時間があるので、コーヒーショップで熱いコーヒーを飲む。私はヘビースモーカーでもあるので、灰皿のあるテーブルで煙草を吸うこともできるから、コーヒーショップはよく利用する。

 チェックインが始まると同時に乗客がドッと集まる。モスクワ行きのアエロフロートは意外と乗客が多い。というか今回の旅では飛行機はどれもほぼ満席だった。
 荷物はとりあえずモスクワまで。この先、ベルリン−モスクワ−ウラジオストック−新潟−伊丹まですべて荷物を下ろしては再びチェックインという作業を余儀なくさせられる。安い切符にするための工夫だったが、乗り継ぎも含めて大変面倒だった。ただ、持ち物はスーツケース×2、手荷物として息子はリュック×1、私はショルダーバッグ×1という最低限の量にしたので、まだましだった。このあたりの快適な旅をするためのテクニックは重要で、何回も海外旅行を経験したことが役に立った。
 チェックイン後は強制的に手荷物検査と出国審査へ。ロシアのみならず、ここベルリン・シェーネフェルトまで、寄り道をさせないシステムになっているとは思わなかった。出国審査でハンコをペタリ。と、こう書いたのは20年前のドイツではほとんど出入国のスタンプを押すことはなかったためで、最近は変わったのかなとふと思ったからである。ちなみに帰国後日本を含めてのスタンプの数を数えてみたら、2000年にパスポートを更新して以降39個もあった。我ながら驚くばかり。確かに時々出張してはいたが。
 免税店であれこれ物色するが、絶対数が少ない。テーゲル空港に比べてここは本当に小さい。チョコレートだけを買った。
 さて、飛行機は予定通り離陸、これから帰国までのハードスケジュールの始まりだ。

 モスクワ着陸の前だが、入国カードを配ってくれない。サービスの悪さにただ呆れるばかり。ドアが開くと同時に乗客は先を争って入国審査場まで走る。我々は遅れ気味になってしまった。
 必死で息子の分まで用紙に書き込む。お陰で列の最後尾に。だがそのうちにロシア人用ブースが空いたので、こちらに来いと呼ばれる。ところで、私が先に審査を終えて息子を待っている間、審査官のディスプレイが見えたのでちょっと覗き見したらビザ申請に添付した息子の写真がデカデカと表示されているのが見えた。さすがというか、ここまでやるかという感じである。
 到着ロビーに出ると、白タク運チャンの群れを潜り抜けてアテンダントを探す。シェレメチェボのターミナル2からターミナル1に案内してくれるのだ。あ、いたいた。私の名札が見える。
 来ていたのはちょっと年配のオッチャン、握手をして英語が話せるか聞いてみたがダメだという。
 雨の中を車は角を曲がりながら進む。ターミナルが違うだけで15分もかかった。どうしてなのか不思議に思えたが、後でモスクワを離陸する時にビルの方向を見たら、滑走路を挟んで2つのターミナルが向かい合わせになっているようだった。トンネルでも掘ればいいのに、と考えるのは私だけではないだろう。

 次のウラジオストック行きのチェックイン開始までまだ2時間近くある。ロビーの待合椅子に座って案内が出るのを待つ。やたら暇だ。おまけに眠たくもあり眠たくもなし。ロビーをブラブラしていたらアイスクリームを見つけたので、息子と一緒に食う。あ〜、暇だ暇だ暇だ。
 何度もディスプレイを確認するが、なかなか変わらない。表示はロシア語と英語が交互に出るのでわかりやすい。空港ビルの大きさは伊丹空港の片方くらいか。外に出て煙草を吸ったり、ロビーをウロウロしたり、動物園の熊のように落ち着かない。
 それでも時間は次第に進み、やがてチェックインが始まる。チェックイン前の荷物検査のとき、パスポートと航空券を見せろという。何でやねん、国内線やろが?親子連れのスパイなんて聞いたことないがな・・・とは言っていないが、気分は良くない。
 搭乗手続きを済ませて2階の待合室に行く。ここには珍しいことに紙コップ入りのコーヒー・紅茶自販機があった。試しに飲んでみたが、予想通り安物インスタントコーヒーの味だった。

 ゲートから搭乗機まではバス。駐機スペースのいちばん奥でかなり遠かった。機は一応エアバスA310なので737よりずっと中は広い。
 今度もほぼ満席。8時間半も飛ぶので眠るつもりだったが、眠れない。アルコールを突っ込んで眠気を誘うつもりだったが、有料と言われて諦める。映画をやっていたが、ロシア語吹替えのためさっぱりわからず、これもパス。
 それよりも困ったのは、我々の右手がいちゃいちゃカップル、そして前の席と通路を挟んで左手が小学生らしき一団でうるさい。息子も私も1〜2時間くらいしか眠れない。そのうち夜が白み始めてから子供達がこちらを珍しそうに眺めており、おまけに息子に親しみを感じたのか、話し掛けたがっていた。
 しかし息子はうっとうしいというか、ガキと同列扱いされてたまるかと、私に愚痴をこぼした。しかし日本人の、しかも中1でやや幼顔とくればそれも止むを得まい。同情はするが。
 朝食が出て空はあっという間に明ける。西行きだとなかなか日が暮れないが、東行きは太陽に向かって飛ぶので見かけの時間は猛烈に速く進むのが実感できる。というわけで日付は一日進んで旅行開始から13日目。

荷物受取場の掘立て小屋
 やがて機は高度を下げてウラジオストックへ着陸する。感じた限りではロシアのパイロットの操縦は西側と変わらない。マニュアル通りやるからだろう。
 眠気を感じながらも機を降りる。ところがである。タラップを降りようとした瞬間、またもや係官にパスポートを見せろと言われる。一体何が不満やねん!
 それからである。乗客を乗せたバスは空港ビルに向かわずに、いきなりビルの横の鉄製扉の前に横付けした。案内もなく、乗客はぞろぞろ扉の外に出た。何のことかわからないまま、我々は荷物を受け取りに空港ビルに入るが、コンベヤらしきものもないし、降りたはずの乗客もいない。ウロウロした挙句、あるオバチャンに場所を尋ねたらビルの外を指差す。あれ?と思いながら外に出たら、写真のような掘立て小屋があることに気付いた。汚いガラスドア越しに中を覗くとこれまた古くて汚いコンベヤが見えた。え?ここが?
 とりあえず荷物を受け取ることができたが、小奇麗な空港ビルとのあまりの落差には度肝を抜かれた。

事務所の入口としか見えない国際線搭乗口
 ウラジオストックに着いたはいいが、ここで再び3時間も次の便を待たねばならない。国際線ロビーまで行ったが、中はガラガラ。それもそのはず、今日は日曜で国際線の出発便はソウル行きと新潟行きの2便だけ。
 暇つぶしに売店へ行って小さなマトリョーシカとコーラを買う。これでルーブルは使い切った。
 買い物だけでは時間は少ししか潰れない。乗り継ぎだとこういう時間の無駄が多いのだが、最初からそれは覚悟の上。でもやはり暇だ暇だ暇だ!!
 ちょうどソウル行きの受付が始まったので見ていたら、搭乗口は写真のように滅茶苦茶小さなものだとわかった。ドアを閉めたら普通の事務所の入口としか見えない大きさである。ビルを外から見ると真新しい3階建てで"INTERNATIONAL AIR TERMINAL"と書いた大きな看板が出ているのだが、中のレイアウトは空港らしくないし、廊下の照明は暗く、第一ロビーが狭い。到着の時は急いでいたので気付かなかったが、落ち着いて眺めてみると、シベリアの最果てのローカル空港だということが理解できた。

 チェックイン開始が近くなると人が増えてくる。それでも人だかりがあるわけではないので、今回は乗客も少ないだろうと思っていたが、チェックインを済ませてビル2階の待合室で出発を待っていると、日本人観光客が次第に増えてきた。久々の日本語を聞く。
 免税店で煙草を買う。再び待合室のふかふかしたベンチに座っていると、買い物客の一人が大きな声を上げた。「誰か財布を忘れた人はいませんかー!」。何でこうも日本人にはだらしないのがいるのか。

 往きと同じく古めかしいツポレフ154は定刻どおり離陸する。相変わらずゆっくりと上昇。最初は暑くてたまらなかったが、揺れるウチワも次第に少なくなり、冷房が効き始める。
 機内はやはり満席。3人掛けの座席は窓側から、息子・私・若いオネエチャン。このオネエチャン、機内食が終った後で「ミーナ」という女性誌を広げて読んでいる。それと斜め前には中年のオッチャンが座っていたのだが、これがシャツイチになっていた。これも日本人の恥さらしで、困ったもんだ。
 ウラジオストックは晴れていて暑かったが、新潟は雨上がりの曇り空で、暑さはあまり感じない。
 入国審査を抜け、荷物を受け取ると少しはホッとする。息子も安心したようだ。自宅に電話をかけたいと言ったが、新潟ではテレホンカードの減り方が普通ではないだろうから大阪まで我慢してもらう。
 ここで財布の中身を日本円に入れ替え、次の伊丹行きにチェックインする。
 息子が早く中に入ろうと言うので、待合室へ急ぐ。中の売店で2週間ぶりの日本のビールを飲む。懐かしい味だ。伊丹行きMD90はやや遅れているとのアナウンスがあったが、それほどでもなかった。この便もまたまた満員。ニューヨークテロ以後、世界的に減便しているのが原因なのだろうか?私にはわからない。
 機内アナウンスで、大阪の気温は34℃と。8月末でこの気温、一体どうなっているのか。後で聞いたら、盆前の涼しさを取り戻すように、我々が出発して以降、猛暑が続いたという。

 長旅を終え、無事伊丹に到着。バス、タクシーを乗り継いで6時過ぎに帰宅。息子と到着を喜ぶ。
 怪我も無く、これでシベリア鉄道9300キロ完走とベルリン訪問の旅を完遂できた。

 ありがとうシベリア鉄道。ありがとうベルリン。また会う日まで!

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