シベリア横断9300キロ <3.シベリア編> −3日目−

 朝6時頃、ハバロフスク(Хабаровск)到着の約1時間前に起床。冷えているのか、暖房が入っていた。

 昨日分に書き忘れたが、ウラジオストックの綴りは”Владивосток”。発音も「ヴラディヴォストーク」のようになる。何でも「東方を征服せよ」というロシア語を意味するようで、日本で耳にする言葉とはかなり違う。"sawing machine"が「ミシン」に訛ったのと似ている。

上下列車併記の時刻表
 定刻より4分早くハバロフスク到着。25分停車なのでホームに出てみるがやたら寒い。10℃を下回っている感じがした。
 ところで列車の時刻表が車内に出ていた。旅行前に「ユーラスツアーズ」のホームページから入手していたものとドンピシャである。モスクワ行きとウラジオストック行きロシア1、2号の併記で、すべてモスクワ時間で表示されている。東西に長いロシアの土地、一番東のカムチャッカ半島はモスクワ+9時間の時差があるので、鉄道の時刻はすべてロシア時間で管理されているとのこと。但し駅の電光掲示板は現地時間の表示しか見かけなかった。
 時刻表を見比べながらキリル文字の発音を学習する。これが後になって役立った。

 あまりに寒いので部屋に戻ったら、息子が「隣のオバチャンが日本人だって」と言った。ちょうどそこへ6号室からそのオバチャン(60代に見えた)が出てきたので挨拶する。聞くと枚方に住むSさんという方で、友人のスペイン人のジイサマ(70過ぎという)と同行してウラジオストック−モスクワ−アイスランドのレイキャビクへ行く個人ツアーだという。シベリア鉄道のことは全く調べずに来たらしく、シャワーすらないこと、ルーブルには一切換金してないことなどを知ってびっくりした。さらに話を聞いていると相当な金持ちらしく、世界中を旅行しているようで、我々安サラリーマンとは感覚が違うことを痛感した。
 そんな話をしていたら、いつの間にかハバロフスクを出発、アムール川の下を通るトンネルを抜けていた。トンネルの出口に銃を持った兵隊が見えた。鉄道は軍事的にも重要なのだろう。しかしソ連時代のような駅や空港の撮影についてはまったくクレームをつけられなかった。時代は変わっていく。

食堂車の中
アルハラ
山あり谷ありの中を左右にカーブ
 8時を過ぎたので食堂車へ朝食を食べに行く。
 メニューはロシア語だけだし、ウェイトレスは当然英語はダメ。何とかオムレツ(何故か白身だけに見えた)とソーセージを注文できたが、一緒に出てきた黒パンは予想通りモサモサで酸っぱい。息子は食うのを止めたが、私は少し味が悪い程度は平気である。終ったらレシートみたいな小さな195RUBの請求書が来たので500RUB札を渡す。だがウェイトレスから返ってきたのは300RUB。ロシアにはチップの習慣はないはずだし、ヨーロッパでは一旦正確な釣銭を渡して、その後に客が小銭を置いていくというのが常識だから、おかしいなと思いつつも多少の小銭は渡してもいいだろうということで文句はつけなかった。しかしそれが後で起こるトラブルの伏線だったことには全く気付かなかった。

 オブルチエ(Облучье)に停車した時、露店でピロシキとロシア風餃子(ペリメニ)を試しに買って食べてみる。ピロシキの具は外からでは見えず、食べてみないと判らない。売り子に聞こうとしても、こちらはロシア語を知らないから完全なギャンブルである。何度か食べたが、ジャガイモや変な味のするミンチ肉など、さまざま。味付けはほとんどしていない。ペリメニの具は主にジャガイモ。皮は粘つくのでおすすめではない。それでも私は珍しさだけで食べた。息子はちょっとだけ食べるが、趣味ではないらしい。まあ中学生だから仕方あるまい。

 オブルチエ付近でウラジオストック行きのロシア号とすれ違う。向こうも2日に1本の運転だから毎日1回は必ずすれ違う勘定になる。4日目まですれ違いを確認できたが、それ以降はわからなかった。
 次のアルハラ(Архара)で、モスクワからの時差が7から6時間になり、時計を1時間戻す。小さな駅だが、駅舎は綺麗だった。

 車窓からの眺めは、4日目のイルクーツクに着くまで写真のような草原と森の間を縫う景色が続く。そして所々に小さな町があって、列車は数時間おきに停車するのである。カーブが多いから時速は60〜80キロしか出さない。
 そして列車は停車駅でなくても駅の手前で徐行する。観察していると、時々駅構内で本線上を一直線に走らずに一旦側線に入るケースがあるようで、そのことを考慮しているらしい。橋やトンネルでも徐行することがほとんどだった。

 夕方、ザヴィタヤ(Завитая)を出たあたりから何回か停車を繰り返し、ついには完全に停車してしまって、合計1時間遅れるようになった。原因はレールと枕木の丸ごと交換で、単線運転しているためである。こういう工事による遅れは道中合計3回あった。

 夜9時前、昨夜撮り損ねた夕陽を何とかカメラに収めようと狙うが、山に邪魔をされて赤く大きな太陽は拝めず。息子も残念ながら敗北を認める。

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