シベリア横断9300キロ <3.シベリア編> −4日目−

 まだ夜も明けない早朝5時に目が覚めてしまう。やはり時差の微妙な影響と緊張感のせいだろう。何たることか、朝の食堂車は閉まっていた。隣のSさんは怒っていた。仕方がないのでカップラーメン(焼きソバ)にする。

 列車の遅れは30分にまで短縮、そして昼までには完全に回復していた。列車ダイヤはかなり余裕があるようで、1時間遅れても半日程度で取り戻す。また定刻に出発しても、次の駅に早着することさえあった。

大陸らしいゆったりとした流れ
 午前、モゴチャ(Могоча)の手前あたりから川沿いを走るようになる。雄大な流れはやはり大陸を思わせる。草原を曲がりくねりながら流れ、ところどころ三日月湖があったりする。北海道にも似たような風景があるが、スケールが違うし、家並みも殆ど見ることはない広大な原野だ。駅間が100キロ近いところもあるようで、その場合は信号場が設けられていたりする。

 ここでちょっと車内の点描。
 1等室にはテレビが窓の上に置いてあった。しかしスイッチを入れてもウンともスンとも言わない。ロシア語放送を見ても理解できるわけがないから、そのまま放置した。だが、8号室には何部屋か特別な部屋があるらしく、一つは子供用の遊戯室みたいなので、その中にTVが置いてあるのが見えた。
 それから、苦労したのがデジカメの充電で、部屋の中にはまったくコンセントがなく、廊下にあるものを使わせてもらった。だが、防犯上気になるので数時間しては引っ込めることを繰り返すことになった。
モスクワまでの距離を示すキロポスト
100mおきにも小さな標識がある
 列車の揺れは日本の特急列車と変わらぬくらいで、夜中に目が覚めるようなことはない。もっとも灰皿が置いてあるデッキに出ると連結器からの音が激しい。客室は二重窓で、かつデッキからの入口のドアの防音効果も大きいようだ。それと気付いたのが連結器部分にある照明灯。これは日本では見かけない。

 次は線路にまつわる話。
 故宮脇さんの本には右のようなモスクワまでの距離を示すキロポストのことが書かれている。線路の南側にだけ立てられているもので、我々の車両からだと部屋の窓から見ることができる。しかし実際はキロポストだけでなく、100mおきにも1、2、3・・・と書いた小さな墓石のような標識が設けられていることもわかったのである。このことは事前調査でもわからなかった。

 また、昨日分にトンネルや橋の手前で徐行することを書いたが、トンネルも橋も上下線をかなり離した場所に作られている。そして両端には監視小屋が設けられていた。これは軍事目的というより、万が一の破損を考慮しているように見受けられた。シベリア鉄道は当初単線で敷設されたはずだから、後から作られた分が地形上段違いになることはあり得る。しかし広い平原でわざと距離を離して建設するのには理由があるはずだ。考えるに、万が一壊れた場合に上下線が一度に閉鎖されることがないよう、単線でも運転を継続することを意図しているように思える。ロシアでは鉄道が貨物輸送の主流だから(ブリザードが吹く厳冬では道路は役に立たないし、トラックが停まったら運転手は凍死する)、その確保は死活問題なのだろう。

 さて、また鈍臭いことをしていることに気付いた。どうも寝るときに下が硬いので背中が痛いと思ったら、マットレス(というか敷布団)を忘れていたのである。座席の下から取り出した。今夜から少し楽になるだろう。

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