神戸の街から:

神戸に住んでから25年以上。さる大企業に入社して最初は会社の独身寮、結婚してすぐ灘区のマンションへ。

住んでみて感じる神戸の印象、
− 外人が多い
− 金持ちが多い、反面下町には震災でも生き残ったプレハブ住宅がたくさんある。
− 横メシ(この表現はもう古くなったかな)の店が多い。特にパン・菓子類は店も多くどれもおいしい。
− 物価が高い。大阪とは比較にならん。
− 「神戸市株式会社」といわれる土地開発方式、合理的ではあるが問題も。

住めば都とはよく言ったもので、震災以降も今更引越しする気にはならなくなった。それとマンションの最上階(5階)なので、うちを訪れる人は大阪湾が一望できる眺望を誉めてくれる。ただ私の母なんかは風景にはもう飽きたのかエレベーターなしの階段を上がるのがしんどいと始終のたまうが。
そんなわけで現在住んでいるところの生活を今のところはエンジョイしている。

特集コーナー:
ボンネットバス写真集
王子動物園写真集
しあわせ運べるように(オルゴール)
震災についての兄への手紙、および外国人用にアレンジした英文

三菱神戸で造船の灯が消えた:(2012.03.10)
17年目の1.17と10ヶ月目の3.11:(2012.01.17)
非核神戸方式35周年:(2010.03.14)
神戸空港の借金はどうなるのか:(2010.02.11)
「メモリアルウォーク」に参加して:(2010.01.17)
「指定ゴミ袋」とはなんぞや?:(2008.11.03)
「神戸株式会社」の終焉:(2005.09.17)
久しぶりの六甲山:(2005.07.20)
蘇らない六甲道:(2005.06.06)
ついに10年目が来た:(2005.01.17)
パンがうまい:(2004.09.28)
遠足の思い出:(2004.03.28)
さらばキンシコウ:(2004.01.11)
六甲道再開発:(2003.10.21)
学校送迎「市」バス:(2003.03.16)
8年目:(2003.01.17)
パンダの選手交代:(2002.12.07)
次々と消える娯楽施設:(2002.10.26)
酒蔵を回るボンネットバス:(2002.09.29)
疑惑は晴れたが・・・:(2002.07.31)
兵庫駅あれこれ:(2002.05.16)
性別詐称疑惑??:(2002.05.15)
ケーブルカーの冬休み:(2002.02.02)
怒り・悲しみ:(2002.01.20)
7年目:(2002.01.17)
不況にまつわる2題:(2002.01.10)
今年もやる!ルミナリエ:(2001.12.03)
これは便利だ!:(2001.11.10)
「夢かもめ」に乗る:(2001.07.21)
「夢かもめ」開業:(2001.06.15)
K-CATの意義は失われた:(2001.02.27)
復活!摩耶ケーブル:(2001.02.12)
昨日・今日・明日:(2001.01.17)
6年目の「あの日」を迎えて:(2001.01.17)
感謝をこめて走る機関車:(2000.12.30)
続・今年もまたルミナリエ:(2000.12.23)
今年もまたルミナリエ:(2000.12.03)
続・市バス70年:(2000.12.02)
神戸いん石:(2000.10.15)
鉄道の日:(2000.10.14)
市バス70年:(2000.10.11)
死者ゼロの奇跡:(2000.10.09)
王子動物園:(2000.08.18)
空飛ぶパンダ:(2000.07.16)+追記(2000.07.25)
鷹取よさらば:(2000.05.08)
六甲山に登る:(2000.05.03)
市長リコールは成功するか?:(2000.04.22)
パンダが神戸にやってくる:(2000.04.05)
ルミナリエ存続:(2000.04.01)
変わった?名所:(2000.01.31)+追記(2000.07.25)
ちょっと珍しい物:(2000.01.23)
もう5年、まだ5年:(2000.01.17)
終わりの始まり:(1999.12.31)
やるべきことの優先順位を間違えるな:(1999.12.07)
大地震再び:(1999.10.03)
埋め立ては始まったが:(1999.09.19)
お見舞い:(1999.08.19)
梅雨が過ぎて:(1999.08.01)
繰り返される水害:(1999.06.30)
梅雨と言えば・・・:(1999.06.17)
祭り:(1999.05.16)
季節が変わって・2:(1999.05.05)
季節が変わって:(1999.05.03)
神戸空港問題について:
 1.空港の地理的条件:(1999.03.06)
 2.環境・騒音問題:(1999.03.10)
 3.建設資金:(1999.03.20)
 4.大型プロジェクトと景気対策:(1999.04.03)
4年目を迎えて:(1999.01.17)
今年も「あの日」がやって来る:(1999.01.06)
除夜の汽笛:((1998.12.30)
続・淀川長治さんを悼む:(1998.12.27)
ルミナリエ:(1998.12.19)
淀川長治さんを悼む:(1998.12.10)
外人が多いことについて:


市長リコールは成功するか?:

空港絶対反対派による市長リコール投票を求める署名活動が始まった。
神戸空港の建設に向けて一歩を踏み出した市長に対して、「市政はまかせられない」とする挑戦状を出すことになったわけである。しかしマスコミの評価は総じて「リコールまでは無理だろう」とのことである。市民の反応も市民投票の時と比べると若干弱いとの印象を、六甲道駅前でのキャンペーンを見て感じた。
来年には市長選があるから、2度手間との声もある。
まあ、それはそれとして動きを見守りたい。

パンダが神戸にやってくる:

中国からパンダの雌雄1頭づつが王子動物園にやってくる。現在開放式のパンダ舎が建設中で、6月にも一般公開される。
王子動物園には既に珍獣としてコアラ(そんなに珍しくないか?)の他、「孫悟空のおとっつぁんのおとっつぁんのおとっつぁん」のキャッチフレーズで有名になった金絲猴がいる。
象の花子が老衰で大往生して以降、ちょっと寂しくなっていた感があったが、また明るい話題である。ただ、単なる「人寄せパンダ」だけでは終わらせてほしくない。

ルミナリエ存続:

先日の実行委員会でルミナリエの存続が決まった。
不景気のあおりで企業からの寄付が集まらず、昨年限りで終了するとの話もあったが、一般からの寄付金を募ることで乗り切ろうとの算段である。
どうなるかは不明だが、神戸の風物詩として残ることを喜びたい。これは私の勝手なアイデアだが、会場入口にカンパの募金箱を置いてはどうだろうか。

変わった?名所:

明石海峡大橋が出来てから私も既に2往復したが、先日面白い話を聞いた。
神戸側の橋のたもとにちょっと変わった名所が出来てにぎわっているという。何かというと、「マクドナルド」の店である。勿論他の店と違って橋にちなんだメニューがあるということではない。単に橋の眺めが良いということだけである。しかし最近は隠れた名所として満員が続いているとのこと。まだ行ったことはないが。
何でもいい、珍しい物が好きという方は一度行かれてはいかが?
場所はJR舞子駅の南西側で、マクドナルドの看板がすぐに見える。(写真が手に入れば掲載する予定)



追記:
先日天気のいい日に見学に行ってきた。
なるほど、2号線にかかる陸橋をを渡って大橋から数百mのところに小さな店がある。

[写真上]:橋のたもとの公園から店を見たところ。「M」のマークの上の黒い屋根のその向こうはマンションで、妙にマッチしているのがわかる。
2階が店で、1階は駐車場とドライブスルーがある。

[写真中]:2階入口から橋を見る。縮小した写真なので判りづらいがドアのところに「平日割引」のポスターが貼ってあった。
チーズバーガーが160円。来たついでに食べてみたが、もちろん味はいつもどおり、というか店員と同じくマニュアル通りの全世界共通の味である。(笑)

[写真下]:店内より橋を見る。
入口から見る風景とあまり違わないが、出窓越しに眺めると、やはり「橋を見た」という感じはある。
結構席は埋まっていて人の出入りも多い気がした。夜になると橋にきれいなイルミネーションが灯るのでいい眺めになるだろう。
若いカップルにはいいかもしれないが、・・・やはりマクドナルドでデートというのはもうひとつデリカシーに欠けるだろうなあ。(爆笑)












ちょっと珍しい物:

偶然こんなバスに乗った。
ボディーに書いてあるとおり神戸市の「ワンステップバス」すなわち低床車である。
最近導入された2台のうちの1台で、JR六甲道と震災復興住宅のある灘区のHAT神戸の間を走っている。この他「ノンステップバス」というのも別の系統で2台運行されている。写真は終点JR六甲道へ着いた後、石屋川車庫まで回送するところのものである。雨だったため残念ながら暗い。輝度とコントラストを調整してもこれが精一杯だった。
車内へ入るとなるほど床が低い。普通のバスのようにステップを上ることがないまま入口からスッと入れるので少し面食らったくらいである。車体も少し小さいので狭い感じはあるが、老人や身障者が利用できるようゆったりとした座席になっている。変わっているのは車輪が車内に食い込んでいるため、車輪の上の席はよじ登る格好になり、座席も車輪を挟んで背中合わせに取りつけてある。当然ここは健常者しか座れない。
全国的にこういうバリアフリーの車両が増えつつあるようだ。ヨーロッパでは古くから路面電車などに低床車が採用されている。ベビーカーを押す母親が電車に乗る姿をよく見掛けたものだ。

もう5年、まだ5年:

5年目の「あの日」がやってきた。
去年の12月にネットの知人達が神戸を訪れて、私ともう一人神戸在住の人とで半日だけだが神戸を案内した。ちょうど震災の写真を展示している家を見つけたので案内したが、彼らは初めて見るビルや高速道路の倒壊した風景を驚きの目で見ていた。TVとは違う臨場感、特に柱のコンクリートが粉々に砕けて鉄筋が鳥篭のように剥き出しになっているのや、ビルの1フロアーが丸ごとぺしゃんこになっているシーンに「ええっ、こんなになるのー」と声を上げていた。
遠くから来た人達にはやはり神戸は別の世界、それも5年も経てば震災の記憶は日常の生活からは切り離されているので仕方のないことだ。でも震災がどんなものかは興味があったものの、自分から話を切り出すのを遠慮していたという。
我々震災経験者は語り部としての役割を担うべきなのだろう。

さて、「もう5年」と書いたが、死者を弔い、瓦礫を片づけ、とりあえずは雨露のしのげる場所を確保してからという意味では「もう」である。被害がほとんどなかった私でさえ、埃にまみれた街を代替バスに乗って通勤していたあの日々が少しづつ記憶から消えていく。線路も道路もわずかなひび割れのあとが残るだけで、再建された新しい家も町並みの中に溶け込んでいくようになった。ペンペン草の生えていた空き地さえ駐車場に変わりつつある。

だが「まだ5年」の部分は深刻である。
まず、不況とのダブルパンチで経済復興のスピードが落ちている。小さな商店街などは人口が回復しないので売り上げが落ちたままである。なぜそうなるか。
根本的原因は個人補償がされなかったためである。震災で失った財産はそのまま純粋損失になる。従って、個人ベースで全額負担するとなると新たに生産される価値の相当部分が損失の補填に回され、拡大再生産の伸びは鈍る。それは個人であろうと企業であろうと同じこと、自己資金の蓄えは穴埋めに使われ、借金を抱えた場合はさらに深刻になる。活力が出ないのは当然である。
震災直後、村山首相(当時)が国会答弁で「個人の財産は個人のもの」という冷酷な発言をしたことが今も蘇る。また、大銀行は大切だから潰してはいけないと損失補填をし、罹災者は潰れてもかまわないという政府の姿勢が実態として浮かび上がったことも記憶に新しい。
完全な復興まで10年はかかるとの試算があったが、このままでは10年で済まないかも知れない。

終わりの始まり:

神戸市内にある仮設住宅の最後の住人が引っ越した。残るは県内の数世帯だけらしいが、この文章を書いた時点ではもう家を出た後かもしれない。5年目直前でついに仮設住宅がその使命を終えた。
落ち着ける場所で正月を迎えることができるのは本当に喜ばしいことだ。震災という悲しいストーリーはひとつの章を終えた。それと同時に真の生活復興という終わりのないエピローグがこれから始まる。

やるべきことの優先順位を間違えるな:

ルミナリエの季節がやってきた。今年は13日から26日までの14日間である。噂によると今年で終わる話があるらしい。寄付でまかなっていることと、震災復興の意味合いが薄れて観光化しているからとの意見が出ている。だがちょっと待て、神戸の年中行事として人が来るのもいいではないか。災害をきっかけというなら京都の祇園祭のように梅雨明けで疫病の流行が終わったことを祝うという例もある。一過性のイベントならともかく、毎年賑わい、定着していくならそれこそ復興に役立つだろう。

今、神戸市は職員の給与を減らす計画をたてている。冗談ではない、空港は既成事実にして経費削減の対象からはずし、毎日の生活の基盤である給与に手を付けるというやりかたには「優先順位を間違えるな」と言いたい。
復興のためには一過性でなく、人間の体でいえば基礎体力が必要なのに、給与のような栄養源を減らして何をするつもりだろう。空港のような下手をすると入れ物を作っただけの一過性に陥る可能性のあるものを見直さずして財政再建は有り得ない。そもそも市も県も台所が苦しいのは以前からわかっていた話だ。
復興の一助となり、かつ永続性という点を見るならルミナリエに金を出してもいいと私は思う。

大地震再び:

台湾の大地震で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。また被害に遭われた多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。

台湾中部での大震災は、再びあの恐怖を思い出させるものだった。
データで見ると、M7.6で阪神の10倍のエネルギーが放出されたこと、プレート境界型で平均2mも上下にずれる逆断層であることなど、阪神大震災との違いも明らかになっている。幸いにして(こういう表現は適切ではないかも知れないが)人口が多くないこともあって、犠牲者が約2千名と少ない。しかし、人命や建物の被害はもとより、台湾経済にとっても阪神以上の影響が出ているようだ。特に電力供給に対するダメージは大きく、工業生産も住民の生活にも大きな支障が生じている。今後の教訓がまた一つ残った。
さて、今回の地震でも建物の構造にいくつかの致命的欠陥が見つかった。ひとつはピロティー型建築の持つ根本的弱点である。阪神でも見られたのだが、1階が駐車場になっているなど、壁がない吹き抜けになっているもので、荷重が柱に集中して座屈し、フロアーがぺしゃんこになるものである。トルコ地震でのパンケーキ破壊も問題だが、ピロティー構造も今後は禁止してしかるべきものだろう。もう一つ、台湾での特徴としてコンクリート量を減らす手抜き工事が散見されたことである。柱や梁の中に石油缶が埋め込まれているのには唖然とした。
あと、活断層の真上には建物を建ててはいけないなどの対策も必要だろう。ロサンゼルスでは既に法律として実施されている。
ともあれ、地震で学ぶべきことは多い。現在の人間の知恵では地震そのものをなくすことはできない。しかし被害を小さくすることは可能である。

埋め立ては始まったが:

遂に神戸空港の埋め立てが始まった。
市は当初の計画通りとして着工に踏み切ったが、懸念されている問題が着工によって解決したわけではない。住民投票は議会によって門前払いを食わされ、是非を問う議論の入り口すら入れないままの見切り発車となった。市も賛成派の議員達も、反対派の議論を堂々と受けて立とうという気も無く、「既に決まった事」という一点張りであった。
だが、この不景気が5年後の開港に解消しているという保証も何もなく、まだ乗り入れたいという航空会社は一つもない。特に懸念される資金問題は深刻で、市が言う「債権は回収できる」との見通しはお先真っ暗である。
計画を推進しようと議会で議決しようと懸念が解決されたわけではない。ただ事実のみ決着をつける。それは反対派にとっても同じである。
あくまで計画通りの空港建設に固執する市長に、反対派はリコールの準備を始めたようだ。

お見舞い:

トルコの地震で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

I hereby express my deepest sympathy for the sacrifices to the Turkish big earthquake.

梅雨が過ぎて:

自宅の近所にある震災での崩壊個所を修復する工事がかなり進んだ。
5回目の梅雨を乗り切り、斜面の半分くらいまで表面を養生する作業が済んで緑色が戻りつつある。2年目だったろうか、「避難を希望する方は近くの小学校まで行って下さい」とのアナウンスも出た事を思えば、かなり安心できるようになった。
六甲山系の風化花崗岩は非常にもろい。岩そのものは非常に硬いのだが、空気に触れるとすぐにボロボロになり25〜30年で表面が崩れていく。今迄は水害で崩れていたのだが、震災がちょうど崩壊しやすい「当たり年」になっていたようだ。
崩壊した斜面の左のマンションの屋根越しに見える白いところも崩壊して、登山道が一部付け替えられた。六甲山系全体で1500個所の崩壊が起こった。この写真の場所は大きい方の一つで、JRの電車からも眺める事が出来る。

繰り返される災害:

昨日(6月29日)の大雨で市内兵庫区の新湊川が氾濫した。昨年9月の台風による氾濫に次いで二度目である。
近所の東山商店街は震災+水害+水害のトリプルパンチを食った。こうなると災難だけでは済まされない。
昨年は川の護岸工事中で、臨時に川幅を狭くしていた。なおかつ川の垂直壁を支えるためにH型鋼を川と直角に渡していたため、増水した川の流木がここに堰きとめられてダム状態になり、あっという間に氾濫した。手抜きではないが原因は県が施工している工事であることは明らかなので、僅かな見舞金が支給された後、不十分だとする住民と兵庫県との間で補償交渉が続いている。
今回は川幅を戻したものの、昨年よりはるかに多い増水で氾濫した上に、新設された1mの防水壁も弱くて瞬時に決壊してしまったのである。これも詳しい調査が行なわれるだろうが、見た感じでは防水壁がもうひとつしっかりとしていないようだ。これも問題になるだろう。

それにしても都市型災害で川の氾濫が目立つ。どう見てもアスファルトで雨水が地面に染込まず、排水溝から川へ集中して流れることが原因の一つになっているように思える。最近はそうした問題の対策として、東京の神田川のように地下にトンネルを掘って貯水させる方法が使われるようになっている。神戸市でも現在生田川やJR灘駅付近でそうした目的を含んだ下水道が掘られている。神戸市は合流扇状地のため急流が多く、何度も大きな水害を経験しているので、もっと増やすよう早急な検討を望みたい。空港に比べたら少ない資金で施工できるし、わずかでも景気対策になるのではないか。

梅雨と言えば・・・:

梅雨の季節の風物と聞かれて紫陽花を思い浮かべない人はいないだろう。
民家の玄関横に咲いていた真っ赤な紫陽花を見つけた。

紫陽花は神戸市の花である。何故選ばれたのか私は知らない。でも六甲の山の上には色とりどりの紫陽花が夏の間もずっと咲いている。
紫陽花の花の一つ一つはとても小さい。けれども沢山の花が集まって輝く姿はたくましさを感じる。中にはグラデーションがかかったのもあって、色のハーモニーを作っている。

紫陽花にまつわる逸話として、シーボルトが花の名を「オタクサ」と名付けてヨーロッパに紹介した事はあまりにも有名である。長崎での彼の妻「お滝さん」を偲んで付けたこの名前は、雨に打たれながらも可憐に咲く、梅雨の季節にふさわしいこの花の印象を彷彿とさせる。

梅雨入り宣言が出てからろくに降らなかった雨だが、いよいよ本格的な動きを見せているようで、ここ数日前から蒸し暑くなってきている。神戸では昨日今日と夕立があった。

祭り:

5月16日の「灘のだんじり祭り」の風景を。
情けない話だが、20年近く灘に住んでいながらこの祭りは今迄見た事がなかった。名古屋へ行った帰りに偶然見つけた。
「だんじり」とは言ってももちろん岸和田のものとはスケールが違うが、それでも威勢はいい。山車は6台、それを子供たちを先頭にゆっくりと曳いていく。鉦と太鼓の囃子は大阪の天神祭りに似てチキチンドンドンと早いテンポである。
神戸では近代的な「神戸まつり」が7月に全市内にわたって行われるのが有名である。また柳原戎とか多井畑の厄神などが賑やかだが、地元のこうした神輿や山車が出る祭りは数少ない感じがする。

山車は各町の提灯がぶら下げられている。写真のものは五毛である。この他篠原、畑原・・・といった震災で大きな被害を受けた町名が並ぶ。
五月晴れの華やかな一日は祭りと共に暮れていく。



季節が変わって・2:

桜も終わって町には色とりどりの春の花が咲き乱れている。その中で一際目立つのがツツジである。近所の庭先にあるものを撮ってみた。
神戸では歩道の植え込みにツツジが結構植えられている。今頃になると鮮やかな赤・ピンク・白の花が一斉に咲き、眩しく輝く。神戸市の花は本来アジサイであるが、ツツジが多いのはなぜだろう。

神戸市役所の北側には花時計があり、季節に合わせて植え替えられる。町を行く人達は足を止めて花を眺めていく。

5月に入って暖かい日が続くようになった。北国はまだ桜が咲いているのだろうが、季節は初夏に向かって一歩づつ確実に動いている。



季節が変わって:

六甲山に上がるケーブルカーの車両がが冬の間に取り替えられた。写真の通り若干レトロ調である。市営のレトロバスも同様のデザインになっている。もう少し変化があっても良かったと思うが。

六甲にはこの「六甲ケーブル」ともうひとつ「摩耶ケーブル」があるのだが、摩耶の方は震災で壊れて復旧の目途が立たないまま放置されている。六甲ケーブルも写真の駅舎のすぐ上で山崩れが起こり線路が岩石で埋まったのだが、トンネルを作って復旧した。

山上遊園地や人口スキー場へ行く乗客の多くがここを利用する。平日は20分、土日は15分間隔で運転するのだが、ゴールデンウィークのように乗客が多いとピストン運転になる。
ケーブルへの連絡は、市営バス16系統が阪神御影−JR六甲道−阪急六甲を経由して走っている。

夏の山上でジンギスカン料理を食べながら見る百万ドルの夜景は見ごたえがある。山上のホテルで一泊するのがいいだろう。日帰りはケーブルを降りてからの最終バスが10時半なので、ちょっと忙しくなる。

神戸空港問題について:

空港建設凍結の住民投票要求が議会では否決されたものの、相変わらず市民の6割が反対あるいは凍結の意見を持っている。そこでこの問題について少し触れてみる。
さる小企業の社長さんの意見を聞いたら、「確かにそんなに必要とは思われへんけど、仕事が増えてくれたらという気持ちはあるんや」とのこと。ここらへんの正直な気持ちを解決できる道はあるのか、結論を出せなくても、いくつかの問題について突っ込んでみたい。

1.空港の地理的条件:
いちばん問題になるのは関空との関係をどうするかだろう。
一般的に隣接する空港との距離が200Km以上ないと便利性や採算性も良くないという。関西地区には関空と伊丹空港があるので、今更神戸に作っても・・・という議論は出てきて当然である。
もっとも大都市に複数の空港を作ってそれぞれ使い分けをするということも可能ではある。例えばパリには3個所(うち1個所は殆ど使われなくなった)空港があるのだが、うまく使い分けされてきた。歴史的にも、最初はル・ブルジェ空港、次にオルリ空港を作った。この時点ではル・ブルジェは国内線、オルリは国際線にした。その後ジャンボ機が飛び始める頃にシャルル・ド・ゴール空港ができる。ここでは主に長距離国際線を扱うようになった。こういう場合、国としての計画が必要になる。パリの空港はそうした全体計画を考えて順次拡張されてきている。
もともと神戸空港はそうした国の計画には入っていなかったようなふしがある。関空としては、色々問題があるにしろ3本の滑走路を作る全体計画があるのだが、そこへ神戸の1本が割り込んだような形で、運輸省もそれほど積極的に対応をしてなかったようである。
国としての調整がなされないすると、神戸は関空とは別の独自の運営を強いられることになり、これでは採算性が非常に怪しくなる。「関空の横風滑走路にしか使いようがない」という悪口も出てくるわけだ。関西地区の空港整備計画を練り直す必要があるかも知れない。

2.環境・騒音問題:
昔から「神戸方式」と呼ばれる土地開発で出た土を埋め立てに使うやり方が多かった。今回も同じやり方でいくのだろうか?現在のポートアイランド、六甲アイランドの人口島はこれでできたのだが、空港も郊外の山を削ってやるとなると相当大規模になるだろう。何しろ小さな山の2つや3つは消してしまうのだから。
阪神大震災では開発した土地には大きな被害がなかったが、埋め立て地では液状化現象が激しかった。これは一つの課題だろう。それと同時に緑の破壊がどうなるか、また地形が激変することによる気候の変化も気になる。名谷地区などは風向きだけでなく気象そのものがガラッと変わったという。
こうした環境の変化は事前調査だけでは予測がつきにくい。だからやめてしまえというのは短絡的だとしても、時間と費用は十分にかけて欲しいものだ。特に行政側で決めた計画に固執するのは論外である。
さて、恒久的な影響で大きいのは騒音だ。滑走路は海の中なので伊丹空港のような住宅地の真上を飛ぶことはないが、飛行ルートの選定が重要である。関空であったような開港後に一度諦めたルートを再び認めろというような話は住民を馬鹿にしてるとしか言いようが無い。これも事前調査、特に季節によって変わる条件を考慮して調べて欲しい。
漁場・海流問題はどうなるか、詳しくないので今は割愛させていただく。どなたか詳しい方があれば教えて頂けないだろうか。

3.建設資金:
資金については問題だらけである。
ざっと勘定して空港設備が3000億円、アクセスやインフラも含めると1兆円と言われている。こんな金が震災でボロボロになった神戸市にある訳がない。だから債権を発行するという。政府は赤字国債を垂れ流し、大阪府は第3セクターなどで破産状態になっているのを他人事と思ってるらしい。失敗したら誰が責任を取るのか。また税金で穴埋めという発想はもうやめてほしい。
それと借金の返済についても、計画通りに利用されるかどうか不安な現状では心もとない。また借金を早く返すために関空では減価償却期間を意図的に短く設定し、着陸料・テナントの家賃・空港利用料がものすごく高くなっている。こんなやりかたをもし想定しているならますます客は寄りつかなくなる。
多くの市民の感情として、「まだ困っている人が沢山いるのに、そんなところに金を使わなくても」というのがある。それでも市側は強気である。なぜこんなに無理をするのか、そのことについては次回に触れる。

4.大型プロジェクトと景気対策:
最後にこうした大型プロジェクトのありかたについて触れる。というのもこうした問題は神戸だけでなく全国にも共通する問題だからである。
歴史的に見ると、戦前は軍需を中心とした投資が盛んだった。大型軍艦の建造はまさにその典型である。鉄道建設なども軍事物資と兵員の輸送が主目的であった。
戦後は憲法で禁止されたから軍需を頼りにはできなくなった。ある意味ではこれが戦後における日本とドイツの経済発展に寄与したとも言える。つまり軍備のような単に浪費するだけの経済は、道路とか鉄道のような利便性が全く残らないからである。だが、戦後のこうした公共投資・大型プロジェクトは、公害問題や環境破壊を残すとともに、大企業と政治家の利権や汚職構造をも作り出した。
それと経済対策がこうした大型プロジェクト中心に傾きすぎていて、大手ゼネコンを中心とした大企業に多くの仕事が流れ、末端にはほんのおこぼれしか回らない。かつ本州−四国連絡ルートも3つ同時に着工してみたり、赤字と判っている新幹線を次々と作るような無駄遣いをやってみたりする。
全てのプロジェクトを否定的に見るわけではないが、問題点をチェックし、是正させるシステムが現在の日本には欠けているような気がする。市民の声が弱いこととともに、それを反映させる機会が非常に限られている。

神戸空港の場合も、このような問題が現れているといえる。推進派は経済効果や景気対策を強調する。当然1兆円プロジェクトということで大企業は「おいしい」仕事にありつこうとする。それに乗っている市の側には苦しい財政を何とか増やそうという気持ちが先に立って、大所高所からの判断が欠けているように見えて仕方が無い。それを反対・凍結派が「待った」をかけているのだが、その声が行政や議会にもなかなか反映しにくいのが現状である。結果はどうであれ、住民投票は住民の意志を直接反映させるという意味で意義を持つはずだった。そのチャンスがひとつ失われたのは残念である。今度の市議会選挙では重要な争点になるだろう。

最後に、最近の大型プロジェクトに見られるひとつの傾向に付いて触れておこう。
一つはバブル時代の後遺症である。第3セクター方式で自治体が首を突っ込んで失敗した例はその典型だが、失敗の責任をかかわった企業が一緒になって応分に取るのではなく、主に自治体が税金の投入という形で解決を迫られるのが多いように思われる。もっとも最たるものは銀行破綻に国の税金を投入したことではあるが。
もうひとつは、将来に残る設備投資というよりもイベント型が増えていることである。万博やオリンピックはまさにそうである。つまり一過性のイベントでは、イベントが終わればそれまでで活性化のためにはまた新しいイベントを作るという無駄な努力をしなければならない。「設備が残る」という声もあるようだが、大阪万博の残りが「エキスポランド」では寂しすぎるし、現に長野オリンピックで作った施設で維持費が大変だという話も聞いた。
今年度の公共投資がどんなものになるかは詳しく知らないが、土を掘ったり埋めたりばかりというのは勘弁して欲しい。かの有名な経済学者のケインズが言った言葉というのでこんな話を聞いたことがある。
「経済効果だけを期待するなら、深い穴を掘って金を埋め、それをまたもう一度掘り返したらいい」

公共投資・大型プロジェクトが本当の意味で我々を豊かにするなら誰も文句は言わないだろう。だが過去と現実はそう単純に理解することを許していない。豊かさといえば昔「所得倍増計画」なるものがあった。だが「福祉倍増計画」というスローガンはついぞ聞いたことがない。空港の話とは関連がないので詳しくは書かないが、「豊かさとは何か」(暉峻淑子著・岩波新書)は、私に多くのものを与えてくれた書である。同じくドイツに滞在したことがあるという親近感だけではない、外から日本を見たらどうなるかという点で共感することが多かった。

4年目を迎えて:

広島にとって8月6日が永遠に消えないように、神戸にも永遠に消えない1月17日が来た。
亡くなられた人にとっての、また生き残った人にとっての恐怖の20秒を考えると胸が痛む。私のいるマンションは幸い殆ど無傷で(もっとも外壁の塗装をはがしたらヘアークラックが出てくるだろうけど)被害が僅かで済んだが、肉親や家や一切を失った人達を思うと、あの地獄絵図は死ぬまで忘れられないだろう。
さて、震災後に書いた拙文を公開する。
2月26日付けの札幌にいる兄への手紙と、それを来訪する外国人用にアレンジした英文のもである。
もっと悲惨な経験をされた方に比べれば大した事もない話だが、自分自身へ「あの日は何をしたのか、あれで本当によかったか」という悔恨も含めてここに残す事にした。

思えばあの日は一人で被災したために逃げる事を決断した。その後ボランティアとして戻りたかったが妻と子供をわざわざ不便な生活に戻すわけにもいかなくなった。それと会社から「19日に、悪くても23日から出勤しろ」という指令が出て、頭に来ながらも単身で帰宅、朝6時から歩いて代替バス乗り場まで歩く日々が1月近く続いた。碌に手伝いも出来なかったことを今も悔やんでいる。せめて・・・との思いで、個人的に貰った義援金は全て寄付に回したが。

犠牲になられた方々の魂を偲び、黙祷。

今年も「あの日」がやって来る:

あと2週間程で今年も「あの日」が来る。
TVニュースで取り上げていたが、まだ仮設住宅に6千世帯以上、1万人弱の人が住んでいる。その内1200世帯は移転先もまだ目途が立たないという。この人達をどうにかしない限り復興が済んだなどとは言えないだろう。
それにしても二度にわたる銀行への巨額の資金投入をしておいて、被災者には国から一銭も出さないという姿勢には、被災者の大多数が怒っている。今迄の援助は充分とは言えないけれどすべて自治体の自腹あるいは善意の義援金で賄われている。

私の知人数人に、神戸以外で同等クラスの地震を経験した人がいる。皆異口同音に、「今回のほうが強かった」との感想である。

除夜の汽笛:

横浜などの港町に住む方ならご存知と思うが、大晦日午前零時と同時に停泊中の船から一斉に汽笛が鳴らされる。
我が家では毎年窓を開けてあのボワーンという音を聞いている。ほんの1−2分でも、冬の深夜に窓を開けるという無謀な行為だから当然寒さで震える。ただ最近は暖冬の傾向が強いので痛いほど寒いということもないが。
若者はハーバーランドで年明けのカウントダウンをやるのが恒例になってきた。

続・淀川長治さんを悼む:

TVで今年鬼籍に入られた人の特集をやっていたが、印象に残ったのはすべて映画人。
淀川長治(享年89才)
黒沢明(88才)
太宰久雄(74才)
黒沢さんは私の父(4年前死去)と同い年だった・・・
ご冥福をお祈りします。

ルミナリエ:

阪神大震災の年の年末から始まったルミナリエ、最近は全国区での人気も出てきて満員の盛況である。
一度見に行こうかと思いながら未だに行きそびれている。一方通行になっているし、ものすごい人波でだらだら歩かされるのはどうも性に合わない。昔の大阪万博以来長蛇の列は苦手になったようだ。
でも、私の個人的感覚は別として、震災の記憶をいい意味でも悪い意味でも蘇らせる存在になるだろう。

淀川長治さんを悼む:

サヨナラおじさんで一躍有名になった淀川さん、あの笑顔が見られなくなりました。
神戸で生まれ、小学生の頃から映画を愛しつづけた人でした。神戸には日本で最初の映画館「聚楽舘」(しゅうらくかん)がありました。私も何度か行きました。覚えているのは「遠すぎた橋」、第2時大戦の末期オランダ戦線でのトルーマンとアイゼンハワーの確執がもとで一時撤退を余儀なくさせられたというストーリーだったと思います。
私の親父も戦前の一時期神戸に住んでいたそうな。それで結構洋画が好きでチャップリンとかゲーリー・クーパーが好きだといってました。年代も淀川さんと同じでした。
淀川さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ

外人が多いことについて:

神戸は兵庫開港の歴史から、当然のことだが、外人が多い。それも西洋だけでなく、アジアの人達、在日韓国朝鮮人や中国人が多数を占める。そう言えば震災で長田や鷹取で多くの外国人犠牲者が出たことは良く知られている。
最近はベトナム戦争が終わって以降ベトナムの人達をよく電車の中で見かける。姫路には定住センターもある。
みなと神戸だから、当然貿易関係で定住している人もいる。私の住む団地にもフランス人、ロシア人家族がいる。
1人だけ変わった経歴の人物を知っている。彼はまだ20才代なのだが、彼の生まれる前アメリカ人の両親が大学教授として神戸にやってきた。神戸で生まれた彼は日本人の学校で学んだため日本人と変わらない発音で喋る。それで日本が母国になってしまった彼は両親が帰国した後も日本に住み、伊丹空港近くの会社で海外向けの営業マンとして働いている。彼の上司曰く、お客さんへの売り込みだけでなく、競争相手をひきずりおろす力もあるそうな。