神戸の街から:

神戸に住んでから25年以上。さる大企業に入社して最初は会社の独身寮、結婚してすぐ灘区のマンションへ。

住んでみて感じる神戸の印象、
− 外人が多い
− 金持ちが多い、反面下町には震災でも生き残ったプレハブ住宅がたくさんある。
− 横メシ(この表現はもう古くなったかな)の店が多い。特にパン・菓子類は店も多くどれもおいしい。
− 物価が高い。大阪とは比較にならん。
− 「神戸市株式会社」といわれる土地開発方式、合理的ではあるが問題も。

住めば都とはよく言ったもので、震災以降も今更引越しする気にはならなくなった。それとマンションの最上階(5階)なので、うちを訪れる人は大阪湾が一望できる眺望を誉めてくれる。ただ私の母なんかは風景にはもう飽きたのかエレベーターなしの階段を上がるのがしんどいと始終のたまうが。
そんなわけで現在住んでいるところの生活を今のところはエンジョイしている。

特集コーナー:
ボンネットバス写真集
王子動物園写真集
しあわせ運べるように(オルゴール)
震災についての兄への手紙、および外国人用にアレンジした英文

三菱神戸で造船の灯が消えた:(2012.03.10)
17年目の1.17と10ヶ月目の3.11:(2012.01.17)
非核神戸方式35周年:(2010.03.14)
神戸空港の借金はどうなるのか:(2010.02.11)
「メモリアルウォーク」に参加して:(2010.01.17)
「指定ゴミ袋」とはなんぞや?:(2008.11.03)
「神戸株式会社」の終焉:(2005.09.17)
久しぶりの六甲山:(2005.07.20)
蘇らない六甲道:(2005.06.06)
ついに10年目が来た:(2005.01.17)
パンがうまい:(2004.09.28)
遠足の思い出:(2004.03.28)
さらばキンシコウ:(2004.01.11)
六甲道再開発:(2003.10.21)
学校送迎「市」バス:(2003.03.16)
8年目:(2003.01.17)
パンダの選手交代:(2002.12.07)
次々と消える娯楽施設:(2002.10.26)
酒蔵を回るボンネットバス:(2002.09.29)
疑惑は晴れたが・・・:(2002.07.31)
兵庫駅あれこれ:(2002.05.16)
性別詐称疑惑??:(2002.05.15)
ケーブルカーの冬休み:(2002.02.02)
怒り・悲しみ:(2002.01.20)
7年目:(2002.01.17)
不況にまつわる2題:(2002.01.10)
今年もやる!ルミナリエ:(2001.12.03)
これは便利だ!:(2001.11.10)
「夢かもめ」に乗る:(2001.07.21)
「夢かもめ」開業:(2001.06.15)
K-CATの意義は失われた:(2001.02.27)
復活!摩耶ケーブル:(2001.02.12)
昨日・今日・明日:(2001.01.17)
6年目の「あの日」を迎えて:(2001.01.17)
感謝をこめて走る機関車:(2000.12.30)
続・今年もまたルミナリエ:(2000.12.23)
今年もまたルミナリエ:(2000.12.03)
続・市バス70年:(2000.12.02)
神戸いん石:(2000.10.15)
鉄道の日:(2000.10.14)
市バス70年:(2000.10.11)
死者ゼロの奇跡:(2000.10.09)
王子動物園:(2000.08.18)
空飛ぶパンダ:(2000.07.16)+追記(2000.07.25)
鷹取よさらば:(2000.05.08)
六甲山に登る:(2000.05.03)
市長リコールは成功するか?:(2000.04.22)
パンダが神戸にやってくる:(2000.04.05)
ルミナリエ存続:(2000.04.01)
変わった?名所:(2000.01.31)+追記(2000.07.25)
ちょっと珍しい物:(2000.01.23)
もう5年、まだ5年:(2000.01.17)
終わりの始まり:(1999.12.31)
やるべきことの優先順位を間違えるな:(1999.12.07)
大地震再び:(1999.10.03)
埋め立ては始まったが:(1999.09.19)
お見舞い:(1999.08.19)
梅雨が過ぎて:(1999.08.01)
繰り返される水害:(1999.06.30)
梅雨と言えば・・・:(1999.06.17)
祭り:(1999.05.16)
季節が変わって・2:(1999.05.05)
季節が変わって:(1999.05.03)
神戸空港問題について:
 1.空港の地理的条件:(1999.03.06)
 2.環境・騒音問題:(1999.03.10)
 3.建設資金:(1999.03.20)
 4.大型プロジェクトと景気対策:(1999.04.03)
4年目を迎えて:(1999.01.17)
今年も「あの日」がやって来る:(1999.01.06)
除夜の汽笛:((1998.12.30)
続・淀川長治さんを悼む:(1998.12.27)
ルミナリエ:(1998.12.19)
淀川長治さんを悼む:(1998.12.10)
外人が多いことについて:


性別詐称疑惑??:

報道によれば、王子動物園のオスのパンダ「コウコウ」(五歳)にメスではないかとの「疑惑」が出ているという。
現在動物園と中国側で染色体の確認作業をしているらしいが、もしメスだったら共同研究はパァになることもあり得るという。それもそうだが見物客にとっても失望の溜息が出ることは疑いないだろう。私のほうも2000.08.18付けの「王子動物園」のページを一部書き換える必要が生じる。
だが、もしオスだったとしても発情期にまったく反応しないのもこれまた困った話ではある。

ケーブルカーの冬休み:

季節柄六甲山の観光客は人口スキー場を除いてぐっと減る。そこで毎年のように六甲山へのアクセスとなるケーブルカーとロープウェーは運休して最大一ヶ月の点検修理を行なうのである。
今年も1月から2月にかけての冬休み。但し六甲ケーブルには代替バスが運行されてそのまま人口スキー場へと行けるようになっている。
あ、ちょっと一言だけ。冬の六甲山へ車で行かれる方はチェーン必須ですよ。雪は少ないがアイスバーンになる事が多いから。

怒り・悲しみ:

こんなニュースがあるのを知った。

<米比軍事演習で使用=阪神大震災の仮設住宅>
 【サンボアンガ(ミンダナオ島南西部)16日時事】1995年1月の阪神大震災で被災者の仮の住まいとして使用されていたプレハブ住宅が、フィリピンのイスラム原理主義過激派アブ・サヤフの掃討を目指す米比合同軍事演習の対ゲリラ戦講習室として利用されることが、16日分かった。経緯は不明だが、日本にあった設備の一部が間接的にせよ米軍時行動を補助する役目を負うことになる。
 比国軍の責任者によると、阪神大震災で使われたプレハブ住宅が再利用されているのは、米軍の後方支援部隊が訪れる南部ミンダナオ島・サンボアンガ市内の比国軍の訓練施設。 (時事通信)

フィリピン当局者は一体何を考えているのか、怒りを禁じえない。無神経にもほどがある。道に捨てた煙草を靴の底で踏み潰すように、我々の善意を踏みにじる行為は許せない。フィリピンの人たちも悲しんでいるだろう。

7年目:

今日で震災から7年になった。この日の前後になるとマスコミは特集を組む。また、自治体が行なう慰霊祭だけでなく町のところどころで行事も行なわれたりする。今のところそれが急速に衰えていくというような雰囲気はない。
震災は形あるものを大きく傷つけただけでなく、人間の心にも傷跡を残した。特に当時小さかった子供たちに与えたショックは計り知れない。今もずっと病院に通う例もある。家族を失い、自らも瓦礫の下に埋まった記憶が時として亡霊のように蘇るのである。
私自身もごく稀に家全体が揺れるのではないかと急にハッとすることがある。軽い地震でも最初の揺れが来たときに、次の瞬間大きくなるのではないかと思ったりもする。鳥取の地震の時も仕事机の下に潜り込もうとした。
震災の記憶は個人的な恐怖の体験という意味だけでは済まされないものがある。防災、救急、ライフライン、そして地域のつながりなどの問題点を浮き彫りにした。しかしそれらが弱点の克服という意味で大きく前進したとは言えない状況にある。その最大の原因は経済復興の遅れ、それも人々の生活を震災以前に戻すための支援の欠落である。さらに不況が追い討ちをかけている。

このホームページを立ち上げてから毎年1月17日には何かを書くという習慣がついてしまった。それだけの大きな出来事であったことは確かだし、死ぬまで忘れることはないだろう。地獄絵図を見た者の宿命かも知れない。しかしたとえ僅かでも希望のある明日を信じたいのも人間である。6432人の犠牲者に報いるためにも震災を語ることは止めることができない。
終わりに昨年にも掲載した「しあわせ運べるように」の曲をリンクしておく。

不況にまつわる2題:

震災以降冷え切ったままの関西経済の中、神戸でも悲しい話が2つ続いた。
一つは家電店の老舗「星電社」が経営破たんしたこと、もうひとつは関空への海上アクセスであるK−JETの廃止である。
星電社はどちらかというと金持ちが行く店だったが、現在のように量販店の乱立と熾烈な価格競争の中ではひとたまりもなかった。三宮の本店などは確かに閑散としていた。民事再生法の申請を出して再建を図ろうというつもりらしいが、この不況では周囲の支援があっても回復は見込めないかもしれない。
一方のK−JETは減少する旅客数に加えてテロ事件で致命的パンチを食らってあえなくダウンしたかたちになった。
以前にも書いたように、出国管理がなくなってしまった上にバス・電車より高く、時間的にもそれほど変わらないとあれば当然客足は遠のく。私自身もバスの方が便利に感じているくらいだから、次第に敬遠されていく運命にあったと言えるだろう。
それにしても神戸の経済の活力は衰えるばかりだ。だからといって神戸空港に期待を寄せる気にはならない。いわゆる「ハコ物」は建設途中の数年しかカネは動かない。後はどこの航空会社も寄り付かない「関空の横風滑走路」に成り下がって、借金だけが残る構図が目に見えている。

今年もやる!ルミナリエ:

いよいよ年中行事になりつつある神戸ルミナリエ、今年も例年通り12月12日〜12月25日に開催される。存続の危機を乗り越え、周囲の声援も(金はないが)あって何とか続けられている。そうは言いつつも私はまだ行ったことがない。もうそろそろ見に行かねばなるまい。
ところで先の震災の日にアップした、ルミナリエの背景と「しあわせ運べるように」という曲をオルゴールにしたものの話だが、このMIDIによるオルゴール曲を打ち込むために使った「森のオルゴールメーカー」というフリーソフトの作者、Poyaさんが亡くなっていたことを知った。
筋ジストロフィーとの闘病生活を送られていたらしいが、誠に残念なことである。少なくないファンがいただけに惜しまれる。元のウェブページは消えているが、現在でぃぶさんという方が自主的に遺作であるソフトと曲を管理されている。
Poyaさんのご冥福を祈る。

これは便利だ!:

乗り物の話ばかりが続くが、神戸市交通局のホームページに地下鉄とバスの時刻表がアップされた・・・と、ここまではどこにでもあることだが、神戸市のものは何とバスの全路線、全停留所が掲載されている。
これは実の便利だ。バスの時刻が変わってもバス停でいちいちメモを取らなくても済むからである。また、普段乗らない路線を利用する場合も事前に鉄道との接続を調べておくことが出来る。久々のヒット!・・・と、これは大げさか(笑)

「夢かもめ」に乗る:

所用があって地下鉄湾岸線に乗った。
山手線よりも狭い(コストを下げるために意図的にそうした)との評判を聞いていたが、なるほど車両は一回り小さい。しかしロンドン地下鉄よりは広く、あの閉塞感はない。
それよりも私が感じたのは走行音の少ないことである。リニアモーターなので、モーターの高速回転による甲高い音とインバータから発生する耳障りな磁気ノイズがしないのである。だから乗り心地は悪くない。

「夢かもめ」開業:

来たる7月7日に地下鉄湾岸線が開業する。詳しくは神戸市交通局のホームページを参照されたい。
実は約2年前に私もこの湾岸線に関する仕事に携わった。しかし担当していた部分の仕事は既に終わっていたのでこの話はすっかり忘れていた。最近になって広報誌やバスの吊り広告を見て「ああ、もうそんな時期になったか」と思い出した次第である。
市の財政が苦しい中だが、何とか予定を大きく外さずに完成した。山手線が度重なる湧水で開業がベタ遅れになったことに比べればうまくいった方だろう。
ところで湾岸線のネーミングは「夢かもめ」だが、どうも二番煎じの感は否めない。ご存知のごとく、東京の「ゆりかもめ」と瓜二つなのがどうも気になる。

K-CATの意義は失われた:

この3月末でポートアイランドのK-CATで実施されていた出国管理が廃止される。
公務員の人減らしの一環なのだろう。確かに出国管理の利用客は多くない。しかし出国管理を廃止すればより以上にK-CAT全体の利用客は減るだろう。というのも、
 1.料金が高い割には関空までのアクセス時間が短くない
 2.チェックインと出国管理の利用が可能なのは日系の航空会社のみに限られている。
こうなると、あの関空の出国管理での長蛇の列を避けるためにK-CATでの出国管理にメリットを感じていた私は、もう利用する気にはならなくなった。乗り換えの少なさを考えると三宮からのリムジンバスに軍配が上がるだろう。
ただ、ひとつだけバスに不安があるとすれば、ユニバーサルスタジオジャパンの開場で、休日の阪神高速湾岸線が渋滞することである。

復活!摩耶ケーブル:

摩耶ケーブルが来月再開する。阪神電鉄の関連会社「六甲摩耶鉄道」(六甲ケーブルも所有)から神戸市に経営が引き継がれ、新しい車両も導入されていよいよ本番を迎えた。
これと同時に、山上にある国民宿舎「摩耶ロッジ」も再開となった。こちらは神戸市が所有していたものを鹿島建設が経営参加するかたちになる。
再開まで6年もかかったのは明らかに復興のための資金不足であるが、またにぎやかさが戻ってくるのは喜ばしい。
布引から摩耶山頂への険しい坂を上ってうどんをすすり、ロープウェイとケーブルで降りるコースは何度か経験したが、また行きたいものだ。

昨日・今日・明日:

今日の正午、会社では黙祷を行った。それがきっかけで職場の同僚が「あの日」の自分の話をしてくれた。
彼は本四架橋尾道−今治ルート関連の仕事で四国にいた。そして地震の揺れを感じると同時に目が覚め、ラジオに聞き入っていた。最初震源は淡路島と言っていたが、そのうちに東灘で高速道路が倒れたと聞いて不安を感じた。というのも震源が淡路島で同じ半径なら西は姫路のあたり、つまり自宅に相当する。それで彼は慌てて現場事務所から電話を掛けた。
しかし電話は既に繋がらない。それで親戚のNTT社員にどうしたらいいか尋ねたら「公衆電話を使え」とのことだったので早速電話、一発でかかったという。自宅は無事、しかし次々に入ってくる情報はあまりにも悲惨、これはただならぬ出来事と悟った。
そうなるといてもたってもいられない。彼は田舎育ちで、何か出来事があると周辺の住民がすぐに駆けつけるという習慣で、自分だけのほほんと過ごすような気分にはなれなかったのである。それで事務所の人にも声を掛けて献血に行った。
彼は帰宅後、会社からの指令で出勤せよと言われて出ていったが、皆ごく当たり前のように出勤している姿を見て「こんなのでいいんかしら」と思ったという。

6年後の今、被災地では復興の遅れが指摘されている。
特に自治体側も繰り延べにしてきたが、復興資金が返済されず、最悪借金を踏み倒したまま夜逃げしている例もあるらしい。不景気がさらに悪化に拍車をかけている背景もある。昨年私が書いたように、明らかに個人補償をしなかったことが次第にボディーブローとして効いてきた結果である。マスコミも間接的ながら個人補償の欠落が陰を落としていることを示唆している。
勿論借金を返さないのは悪い。しかしである。そういう人達を批判するならもっと問題にされていいことが他にある。もし原因を抜きにして語るなら、損失・借金の穴埋めは必ずしなければならないという点は同じことである。しかし、まさに前提として抜いた「原因」を明るみにすれば、違いは歴然としている。
片方は自らの責任でない天災によって損失を被ったのに無理矢理すべての責任を負わされ、もう一方は「バブル」という博打に手を出して大やけどしておきながら損失は国の税金で補填してやるというのである。この違いは何なんだ!

神戸の明日だが、これからも自らの努力と周囲の暖かい支援によって次第に復興していくであろう。それは10年かかるか、あるいは100年もかかってしまうか、それは判らない。犠牲は極力少ないほうがいいが、人間の努力に対して私は楽観的である。それぞれが思いを一つにしながら、「しあわせ運べるように」前向きに生きる被災地の人達。その中の一人として私は私のやれることをやっていきたい。

6年目の「あの日」を迎えて:

先日、小学生の息子が「こんな歌知ってる?」と聞いた。初めて聞くメロディーである。それで色々調べたら
  「しあわせ運べるように」 ←ここをクリック
というものだった。今頃になると小学校で歌うそうである。
作者の臼井さんは小学校で音楽を教えている。震災直後から歌われ始め、毎年の追悼行事やルミナリエ会場でも歌われるようになった。震災を経験している我が身にはメロディー、詩ともにずっしり来るものがあり、息子が歌うのを聞いて涙をこらえるのに苦労した。そしてバックに流れるオルゴール曲は私が涙ながらに入力した。
6432の御霊よ、永遠なれ!

感謝をこめて走る機関車:

来年1月16日からJR貨物の機関車2台が絵を塗られて走ることになった。復興の手助けを感謝する意味で、震災のエピソードに基づく絵が描かれて、幹線の貨物列車を引いて走る。
撮影することができれば、また紹介することになるだろう。

続・今年もまたルミナリエ:

今年のルミナリエは本当に例年にはない温かさ(とはいえ10℃以下だが)の中で始まった。何しろこの期間中に銀杏が落葉するくらいである。

上の写真は須磨区在住のN氏からいただいた。14日に撮影したものである。(リンク先に拡大版あり)
例年に比べてやや規模が小さくなったとの感想である。やはり財政問題が影響しているのであろうか・・・

今年もまたルミナリエ:

財源問題は残したまま今年の神戸ルミナリエは12月12〜25日まで開催される。
協賛する企業はこの不景気、それも阪神間は全国でも特に悪い、で減っており、そのかわりに一般市民から寄付を募る形となった。というよりもそれより他に選択肢がなくなったと言うべきか。
だがこれだけ全国的に有名になった行事を簡単に止めるのは惜しい気がする。それと市民の財布の紐は固いが市外からの観光客は年々増えており、そちらの経済効果は無視できないだろう。
ところで下の「トロット」、12日の夜からはルミナリエ会場で先行発売される。

続・市バス70年:

市バス70年を記念したものがまたまた売り出される。今度は「トロット」と称して、路面電車・ボンネット型バス2台のセットで12月13日より発売される。
詳細はこれまた著作権があるためにここには掲載できない。神戸市交通局のホームページへアクセスされたい。
交通局からはこのほかバスカードも出されていてシリーズ5作のうち3回目まで出た。さすがは「神戸市株式会社」、こういう人の心をくすぐる商売は非常にうまい。

神戸いん石:

「神戸にいん石が落ちた!」といってもあわてる話ではない。わずか5cm程度、右の写真はその実物である。
昨日書いた車両基地の西に神戸市立青少年科学館という施設があり、そこにこのいん石が展示されている。寄り道したついでに撮影してきた。
いん石は昨年9月26日北区筑紫が丘というところの民家のスレート屋根を突き破って落ちてきたものである。この程度の大きさで屋根を突き抜けたのだから猛烈なスピードであることがわかるだろう。それに民家を直撃するというケースは本当に珍しい。
小さな破片になって落ちてきたものの内、写真のものが最大である。数十個がひとかたまりになって落ちてきたそうである。人を直撃していたら命に関わっただろう。

青少年科学館そのものは博物館形式、プラネタリウムもあってそこそこの規模になっている。
うちの息子はここがお気に入り、理由は展示物よりも遊びのコーナーがお目当てだからである。それと神戸市の小学生には「のびのびパスポート」と呼ばれる無料パスが無償配布されるので、ここにはいつでも行けるからである。「のびのびパスポート」は博物館、美術館、動物園や公園などの市内の主な設備に無料で入場できる。したがって子供には評判がいいのだが、ついていく親は当然金を払わねばならぬので馬鹿にならない出費である。
ところで、館内の遊びのコーナーには面白いおもちゃが色々置いてある。
中でも、私が中学校の頃だったと思うが、学校ではやった「知恵の輪」が沢山ある。今の子供たちがこんなものを買うこともなくなったし、当時のように針金を折り曲げて手作りするなど思いもよらないだろうが、私には妙に懐かしかった。
ここに来て初めて知ったことだが、知恵の輪には針金で作ったもの以外にも銅や鉄の鋳物で出来たものがある。右上、子供の手の左にあるのは銅製で変な格好のボルトとナットを外すというものである。

青少年科学館へは三宮から「ポートライナー」で「南公園」駅下車、東へ徒歩3分。西隣はコーヒーの老舗UCC本社である。

鉄道の日:

今日10月14日は「鉄道の日」、日本で初めて新橋−横浜間に鉄道が走った日である。そこで神戸では人工島「ポートアイランド」にある無人電車「ポートライナー」の車両基地が一日だけ一般公開されたので、子供を連れて訪問に及んだ。
走り始めて早20年近く、開業当初は故障続きで不評を買ったが今はすこぶる安定している。
この「ポートライナー」、そもそも当時の技術としては先端を行くものであった。まず低騒音のタイヤ駆動、全自動コンピュータ制御による無人運転、架線のない第三軌条方式、それも3相交流による給電である。3相交流は神戸でしか採用されておらず、変電設備に一般のものを使えることが利点であったが、架線に代るトロリー線と車両に取り付けてある集電靴(シュー)との接触の調整が非常に難しく、唯一の泣き所になっている。というのも日や時間によって伸縮する3本ものトロリー線を一直線に保つことが非常に困難なためである。
右の写真は車庫内にある検車場。JRの古い工場にあるような車両の下に狭いピットを掘ったものではなくて、地下一杯を掘って車輪の下だけ橋のようにしてあり、人が自由に出入りできるようにしている。

「ポートライナー」は「ポートアイランド」(略称:「ポーアイ」)完成と同時にできたものである。周囲をコンテナ岸壁に囲まれ、高層マンション、市民病院、ホテル、商業地域、遊園地などがある人工島の中を縫って、ループ状に高架線路が走っている。
ご多分にもれず震災の被害が出た島の中にあって、コンテナクレーンは数多く倒壊し、岸壁や道路は液状化現象で最大2mも沈下したのに比べて、島内のビルと線路は地中深くパイルを打っていたので大きな被害はなかった。人工島における耐震対策を考える上で、大きな教訓を残したといえよう。
「ポーアイ」南部には関西新空港開港と同時に神戸の玄関口であるK−CATが出来た。現在は島の南側にU期工事として拡張が行われている。さらにその南側沖には問題の神戸空港が予定されている。しかしU期工事でさえ完成してもどれだけ利用されるかわからない。長期不況は阪神間で特にひどいということが明らかになっている。神戸空港がどうなるか、不安材料は一向に解消していない。

市バス70年:

神戸に市バスが走り始めて今年9月16日に70周年を迎えた。
記念事業として昔懐かしボンネットバスが走るなどしたが、ちょっと珍しいものを売っている。トミカ製で、"ボンネットバス"、"新・旧ワンマンバス"の3タイプのミニチュアカーの限定販売。「限定」ということは売りれた時点でおしまいということなのだろう。
1セット 2,500円(税込み) 、地下鉄の駅売店などで売っているが、残念ながら通販は既に締め切られており、市外の方は入手が困難な状態にある。
どんなものか写真をお見せしたいところだが、著作権があるためにここには掲載できない。ご覧になりたい方は神戸市交通局のホームページからたどっていただきたい。

私が子供の頃はボンネットバス(普通乗用車のように前面に突き出したボンネット内にエンジンがあるタイプ)しかなかった。それとワンマンになる前であるから、運転手と若いお姉さんの車掌(男性もいたが少数)という組み合わせが一般的だった。
印象に残っているのは方向指示器で、現在のようなランプが点滅するものではなく、バックミラーの隣にオレンジ色のバーが横に飛び出すというものだった。
ドアもその昔は車掌が折畳式のものを手で開けていたが、その内現在の空気シリンダで駆動するものに変わった。
いちばん面白かったのが車掌と運転手のやりとりで、車掌が声を出してその直後にブザーを鳴らすと、運転手がブザーで確認応答するというものである。例えば;−
(左折のとき)「左オーライ」(ブッ)
(右折で右に車がいるとき)「右自動車」(ブッ)
停留所が近くなると;−
「次は○○です。お降りの方はございませんか」
誰かが手を挙げたり立ったりすると、「次停車」(ブーッ)
もし降りる客がいなければ「次通過」(ブッ)
発車するときは「発車オーライ!」(ブッブッ)
と、こんなぐあいである。
ワンマンバスの時代になって、無表情の運転手の目はは数多くのミラーと前方の景色の間をうろうろし、停留所名を告げる車掌の声はテープとLED表示器に変わった。乗客の方もせっかちになって前の停留所を出た途端にボタンを押す人もいる始末である。
「バスガール」が歌になった時代も去り、市電を駆逐した市バスも溢れる乗用車の影で赤字に喘いでいる。

死者ゼロの奇跡:

10月6日、午後の仕事が始まってしばらくした頃、長く大きな揺れが2度来た。最初は事務所の横を通る大型トラックの振動かクレーンの響きかと思ったが、ガタガタ音が大きいし周期が長いのですぐに地震とわかった。
震度は3と4の間くらいだっただろうか。しかし揺れのパターンで、ただごとではないと直感した。1回目の縦揺れと2回目の横揺れの間隔が長かったからである。震源地は遠いが相当な規模と見た。
案の定鳥取西部で最大震度6+、M7.3と発表された。情報が入るまでの数時間、仕事には身が入らなかった。
それにしても死者が出なかったのは本当に奇跡に近い。震源地が住宅密集地ではなかったこと、断層のずれが20Kmと短かったことなど、色々な条件が重なっていたとはいえ本当にびっくりした。もちろん負傷者は100名を越えたし物的被害もかなりのものであることは言うまでもない。
余震もまだ完全に収まっていないし、避難生活がまだ続く方もおられるようなので安心はできないが、被災された方々の無事を喜ぶと同時に、心よりお見舞い申し上げたい。私自身は救援活動に行けないが、神戸よりもボランティアが駆けつけたようで活躍されることを祈る。

王子動物園:

王子動物園子供を連れて王子動物園へ行ってきた。
もちろん目当てはパンダである。盆休みのなるべく人の少ない日に行ったのでそれほど人出はなかったが、やはり圧倒的人気がある。他にも珍獣はいるのだが、パンダの陰に隠れてしまって見学する人もまばらだった。
それにしてもパンダを題材にして電車・バスにはキャラクターが飾られているし、園内にもパンダグッズがわんさと売られている。大人にも子供にも人気があるのでそれはまあ致し方のないところだろう。
さて、王子動物園の写真集を作ったので、右の画像からリンクへ入っていただきたい。
写真集の中もそうだが、右ポスターの真ん中にある光はフラッシュの反射によるもの。レタッチもかけたが、カメラマンの腕前はどうせこの程度、と我慢されたし。
なお、王子動物園についての案内が下記のURLにあるので、ご参考まで。
http://www.jin.ne.jp/kobe/ojizoo/
神戸在住の方ならご存知と思うが、遠方の方のために簡単な案内をする。
アクセス:阪急王子公園駅徒歩3分。JR灘駅徒歩5分。市バス王子動物園前すぐ。
開園時間: 3〜10月 AM9時〜PM5時
       11〜2月 AM9時〜PM4時半
       入園は閉園の30分前まで
休園日:毎週水曜日(祝・休日と重なる時は開園)、12月29日〜1月1日
入園料:大人600円 中学生200円 小学生以下無料
※駐車場はあるが、休日は満車で時間待ちを食うので車は避けられたし。

空飛ぶパンダ:

いよいよパンダが今夜神戸にやってくる。予定よりもちょっと遅れたが、期待されていただけに楽しみである。但し、10年間借りるだけだそうで、どうぞお見逃しなきように。
2頭は飛行機で運ばれる。まさに「空飛ぶパンダ」である。
まもなく公開、乞うご期待。

追記:
7月28日より一般公開されることとなった。

鷹取よさらば:

3月末でJR鷹取工場が閉鎖された。現在建屋を解体中だが、何となく震災後の被災したビルを取り壊す風景を彷彿とさせるものがある。
鷹取工場は吹田工場と並んで関西地区における車両点検・整備の拠点として有名だった。特に車両の改造工事、さらにはSLの整備ができる日本で唯一の工場として歴史があっただけに惜しまれる。
設備や人員は網干に移転したが、SL関連はどうなっただろう。梅小路へ行ったかも知れないが、詳細な消息は聞いていない。
跡地は住宅団地になる。

六甲山に登る:

久しぶりに六甲山に登った。
震災後数回行ったきりで、今回は最高峰(標高931.13m)まで足を伸ばした。大抵の観光客は手前3kmの回転展望台でUターンする。徒歩または自家用車でしか行けないし、観光施設もまったくないからである。

写真(上)は少し手前から最高峰を写したものである。何年か前には山頂の小さな塔の左に巨大なパラボラアンテナがあったが、撤去された。
米軍の横田基地と岩国基地を結ぶマイクロ波の中継所があり、時折米兵がジープに乗って点検に来ていた。しかし今は三角点の目印だけが残る広場になっていて、建物の痕跡すらない。

写真(下)は最高峰の直下にある有名な「一軒茶屋」。
休日の昼時は満員となるので要注意。食料持参の休憩だけはお断りで、その場合は左手の広場で弁当を広げるか、コッヘルで自炊する。
この一軒茶屋、一度全焼したことがある。原因は覚えていないが、店主は見事に再建した。ただ再建したとはいうものの、結構日が経ってきていてだんだんくすんだ色に変わりつつある。
最高峰へは右手に登り口がある。芦屋のロックガーデンや住吉へは茶屋の裏側にある急坂を降りる。
自動車道を直進すると展望台へ、バックすると宝塚へ行ける。宝塚への縦走をする人にはここが最後の給水所。
また有馬温泉へのゆるやかな「魚屋道(ととやみち)」は、カメラを構えた場所の後ろに入口がある。登山を終えて有馬温泉で体を休める人は結構多い。